mission7-9 大衆酒場〈レッド・デビル〉


 大衆酒場〈レッド・デビル〉——エリア・"ストリート"の中では最も大きな居酒屋であり、最も治安が悪いと言われている吹き溜まりでもある。


 陽気な音楽に聞こえたものは酔っ払った男が指の動くままに適当にかき鳴らしている弦楽器の音であり、笑い声かと思っていたものは相席になった者たちが互いになじりあう罵声であり、集まった人々の本能がむき出しのまま入り混じる店内は、混沌の二文字が最も当てはまる状態であった。


 ドスン!


 店に入ってすぐ、近くで大きな音がしてルカは思わず肩をびくつかせる。音が聞こえたカウンターの向こう側には、大きなブッチャーナイフを片手で持ち上げているいかつい男がいた。一瞬身の危険を感じたものの、赤い染みがついた白いエプロンを着て、手元にはスライスしている途中の肉塊がある……ということは、彼はこの店の店員なのだろう。


「あんた……どうすんだ?」


 腹に響くような低い声で尋ねられ、ルカはようやく彼がなぜこちらを見ていたのかを理解した。


「この店で〈ホット・ガーライト〉ってお酒が飲めるって聞いたんだけど」


「ああ。ウチの看板商品だが」


「じゃ、それ四つで」


 ただし一つはアルコールをほとんど入れないように、とルカはアイラに聞き取られないほどの小さな声で付け加える。


「席はどこに座ったらいい?」


「適当に座れ。ウチじゃ席なんてあってないようなもんだ」


 ルカは店内を見回して、店員の言葉の意味を理解する。皆自分の気が赴くままに座ったり、移動したりしている。ひどい場合には机の上に立ち上がって乱闘になっていることも。


「はいよ」


 カウンターの向こうからぶっきらぼうにマグカップが四つ出てきた。中には血のように赤い色のアルコールが湯気を立てて入っている。ガーライト鉱石に見立てた、ブドウ酒とハーブティーを混ぜたカクテルのようだ。


「へぇ、美味しそうね」


 横から覗き込むアイラに、ルカは店主が目印にシナモンスティックを入れておいてくれたマグカップを渡す。こんな店で彼女が酔っ払ってしまったら大変なことになりかねない。ただでさえ、店に入ってからというものアイラの美貌に対して好奇の目が向けられているというのに。


「よう、あんたら見ねぇ顔だな。席、空いてるぜ。こっちに来な!」


 店の奥の方のテーブルから声がかかる。作業着を着た男二人組がこちらに向かって手を振っていた。他に四人座れる席もなさそうだ。ルカたちは酒を持ってその席につくことにした。


「あんたら旅人か? このご時世にガルダストリアに来るなんて珍しいなァ。どっから来た」


 男たちは服装や店への馴染み具合からして、このエリア・”ストリート”で働いている労働者のようだった。仕事が終わって一杯飲みに、ということなのだろう。


「どっからっていうか……仕事で色んな場所を転々としてきてね」


「へぇ、世界を回ってんのか。一体どんな仕事なんだい、そりゃ」


「それは……」


 ルカが上手い返しをできずにいると、すかさずアイラが割って入った。


「私たちは大道芸人なの。今回はちょっと”ロイヤル”に住む高貴なお方に目をつけていただいて、芸を披露しに来たのよ」


 アイラはそう言って余裕のある仕草でタバコをふかす。事実、かつて躍り娘であった彼女が言うとみじんも嘘とは感じられない。それどころか、男たちは鼻の下を伸ばしてアイラの話に興味津々といった様子だ。


「一体どんな芸をするんだい」


「そうね……私は踊れるし、この金髪の子は軽業かるわざが得意よ。それに、こっちの女の子は歌が専門ね。そして、彼は怪力芸といったところかしら」


 アイラはちらりとリュウの方を見やる。リュウはきょとんとしていたが、アルコールが回ると赤くなる体質なのか、鬼人化した時のように皮膚が赤らんでいる。それが、乱闘が当たり前のこの酒場では十分な抑止力になるらしい。テーブル越しに男二人がゴクリと唾を飲む音が聞こえた。


「私からもあなたたちに聞きたいことがあるんだけど、いいかしら?」


「あ、ああ。なんだい」


「最近ガルダストリアで変わったことはなかった? 例えば……指名手配されていた大罪人が捕まった、とか」


 男二人は互いに顔を見合わせる。表情を見る限り、ピンとは来ていないようだ。


「さぁ、そんな話あったっけなぁ……新しい指名手配のことならちょっとした騒ぎにもなったけどよ」


「新しい指名手配?」


「ああ。あんたこないだのナスカ=エラでの銀髪女シルヴィア脱獄事件については知ってるか? どうもガルダストリアの若い傭兵の男がそれに一役買ってるって容疑がかかってるらしくてな。そいつ、美形なもんだから女どもに人気があって、うちのカミさんも大騒ぎよ」


「あっはっは、おめぇんとこもか。俺んとこもそうさ。『エドワーズ様の代わりにお前が捕まっちまえばいいのに』なんて言われたぜ」


「ぎゃははは。そりゃ災難だったなぁ」


 エドワーズ。ナスカ=エラの闘技大会の予選で当たって、その後話した時に彼はメイヤー夫妻やターニャ・ヴァレンタインと同じく旧エルロンド王国の〈チックィード〉、つまり奴隷階級出身なのだと言っていた。ガルダストリアに移住してきてからそれなりに地位を高めていたようだが、全てを投げ打ってまでターニャ脱出のために船を出していたことを、ルカたちはこの目で見ている。


「他には何かない? ヴァルトロ軍の動きのことでもいいわ」


 アイラにそう言われ、二人の男は考え込んでいたが、やがて片方が「そうだ」と思い出したように語り出した。


「こないだヴァルトロ四神将のキリ様がいらして、今度のルーフェイとの戦争に向けて兵を募集するみたいなことを話してたな」


「キリが……?」


「ああ。俺、仕事抜け出してキリ様の演説を聞きに行ったんだけど、あのお方はすごいよ。見た目は子どものようだが、頭は俺らみたいな並大抵の人間の作りとはまるで違う。ヴァルトロはいいよなぁ、ああいう賢いお方が幹部にいてさ」


 もう一人の男も頷いて同意する。


「そうだな。かつてのガルダストリアで言ったらリゲル様みたいなもんだろ。リゲル様が今も生きてらっしゃったらなぁ……ガルダストリアもこうはならなかっただろうに」


 話の中で出てきた名前に、ルカたちは顔を見合わせる。ココット村でアイラからノワールに任務の状況を報告した後、しばらくしてノワールから折り返しがあったのだ。ガルダストリアの元宰相・リゲルについての情報があったら調べておいて欲しいと。


「そのリゲルっていう方は一体どういう人なんですか?」


 ユナが尋ねると、男は遠い目をしながら答えた。


「十数年前までガルダストリアを率いていた宰相様さ。とても頭のいいお方で、かつてのガルダストリアはあの方無しには成り立たなかっただろう。生きてさえいれば、二国間大戦もルーフェイなんぞ敵じゃなかったと思うよ」


「ということは、二国間大戦がはじまるより前に亡くなってしまったんですか?」


「ああ、二国間大戦の直前の”最後の海戦”で戦死されてな。おまけにリゲル様が亡くなった日に、自宅が焼けて奥様と生まれたばかりの息子さんも亡くなっちまったらしい。万全のセキュリティで、外からイタズラで火をつけられるような状態じゃなかったにも関わらず、だ。ガルダストリア七不思議の一つとも言われているくらいだよ」


 火をつけた犯人は今でも見つからず、リゲルの推し進めた政策によって蓄積された人々の怨念ではないかという、工業都市からぬ眉唾な噂まであるようだ。それだけリゲルという人物は頭の切れる反面、強行策をとることも多く、ガルダストリアの人々は彼に対して畏怖に近い思いを抱いていたのだという。


 男たちからは一通り話を聞けたので、そろそろ別のテーブルに移動して情報を集めにいこう。ルカたちが席を立とうとすると、作業着の男はもう一人の男に向かって言った。


「そういやガルダストリアの七不思議と言ったらもう一つ、北東工業地帯の第五工場があるだろ。ヴァルトロ管轄で何作ってんのかよく分からない、ってやつ。どうやらあそこで今度何かの実験をやるってんで、工員たちはしばらく休暇をもらえたらしいぜ。羨ましいよなぁ。俺たちの職場も休みにならねぇかな」



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