mission5-8 クレイジーのミッション
——それから、二週間が経った。
「ノワール。これ、承認ちょーだい」
「ああ、クレイジーか」
どんよりとした表情で本部のリーダー執務室の席についているノワールを見て、クレイジーは不思議そうに首を傾げた。じゃらじゃらと所狭しと並ぶピアスが揺れる。
「何かあったのかい?」
するとノワールはどんな時でもあっけらかんとしている彼らしくなく、重い溜息を吐いた。
「俺とアイラが例の島から連れ帰ってきた少年のことは聞いているか?」
「ああ、島民の命と引き換えに神石と共鳴したっていう? 悲劇的だよねェ。趣味の悪いボクの後輩が聞いたら喜びそうだ」
クレイジーがけらけらと笑うと、ノワールはより一層深い溜息を吐いた。
「……あいつな、記憶がないらしいんだ」
仮面の奥の瞳が興味深げに光る。
「へェ、それで?」
「分かることは自分の年齢と、自分のせいで他人を犠牲にしたっていう事実のみ。よほど混乱しているんだろう。数日前にようやく目を覚ましたと思ったら、食事は手をつけないわ、窓から飛び降りようとするわ、ナイフで喉をかき切ろうとするわで目が離せないんだ」
クレイジーは「そんなことか」と言わんばかりに肩をすくめる。
「死にたいヤツには死なせてやればいいじゃないの。その方が優しさってもんだよ」
平然とした口調。元
「それがな……あいつ自身が何かに拒まれてるかのように、ことごとく自傷行為に失敗するんだ」
「ふふふ、難儀なことだねェ」
「死にたいのか生きたいのか……さっぱり分からない。お手上げだよ。どうやったらあいつの心を立ち直らせられるのか……」
ノワールは腕を組んで唸っていたが、ふと宙を見上げたかと思うと、「あ、そうだ」とぼそりと言って、執務机の引き出しからミッションシートを取り出し雑な字で何かを書き上げた。
「クレイジー。これがお前の次のミッションだ」
ミッションシートを渡されたクレイジーはそれを見るなり「えぇ?」と高い声を上げた。ノワールが書いたばかりのミッションシートには、『どきのしまのしょおねんのししょうとなり、ぶじつをたたきこめ』——つまり、時の島の少年の面倒を見るようにと書かれていたのである。
「ノワール、キミ、頭でも打ったのかい? ボクに子どもの世話をさせるなんて、それこそクレイジーだよ」
しかしノワールの瞳は全くふざけてなどいない。彼の視線はおどける仮面の男をまっすぐに捉える。
「よく考えて決めたことだ。クレイジー……お前には以前、息子がいたんだってな」
——パサリ。
クレイジーの指から、ミッションシートが抜け落ちる。その時間はやけにゆっくりと流れているかのようだった。ノワールはごくりと唾を飲む。仮面の奥の視線が鋭くなったのを感じ取ったからだ。彼にとって、これは賭けだった。下手をすればクレイジーが義賊を離れることになりかねない一言を突きつけたのだ。だが、それだけかの少年を再生させることには価値があると考えていた。それゆえの、賭けである。
やがてクレイジーは「くくく」と笑い始めたかと思うと、地面に落ちたミッションシートをひょいと拾い上げた。
「まったく……いつの間にそんなこと調べてたんだい。ほんと、キミは恐ろしい人だよ」
ノワールは黙っている。クレイジーはふっと笑うと、ミッションシートをひらひらと振りながらノワールに背を向けた。
「いいよ、引き受けるサ。どんな依頼であろうと確実にこなす、それがボクだからね」
クレイジーはわざとノックをしてその少年の部屋の扉を開いた。そして案の定、ベッドの上でうずくまっている少年は部屋に入ってきた仮面の男に対して見向きもせず、虚ろな瞳でブツブツと何かを唱えていた。彼の場合、記憶喪失といってもできごとに関する記憶だけでなく、言語や歩き方といった記憶ですらすっかり抜け落ちているという。つまり身体は十五の少年だが、その精神は赤子に等しい。
少年の反応はないが、クレイジーは構わず部屋の中に入り、少年のベッドのへりに腰かけた。
「ボクはクレイジー。大変不本意だけど、キミの師匠になってあげよう。よろしく、ね?」
クレイジーは少年に向かって手を差し出す。しかし彼は微動だにせず、その手は虚しく宙をさまようことになった。クレイジーは大きな溜息を吐いて立ち上がった。
「……ま、マグロな子の相手も悪くないか」
ぼそりとそう呟くと、いきなり少年の腰をつかんでひょいと肩に担ぎ上げてしまった。少年は視界が急に高くなってようやくはっとして、バタバタと抵抗しようとした。しかし見た目には細身でもクレイジーはブラック・クロス随一の腕利きである。まともに食事をとっていない少年の力で抜け出せるはずがない。
「ああ、本当に面倒くさいなァ。ボクはね、キミみたいな甘ったれた子どもが一番キライなんだよ」
クレイジーは口元に笑みを浮かべたままそうぼやくと、少年を抱えて本部一階の訓練場へと向かう。訓練場といっても、何か特別な機械が置かれていたりするわけではない。自然に形成された巨大な岩礁の中の空洞をそのままに残した殺風景な広場だ。
訓練場の中央までくると、まるで積荷を下すかのようにクレイジーは乱雑に少年の身体を地面へと放り出した。受け身を取れなかった少年は無様に倒れ込み、砂埃を上げて痛みにうなっている。
「なぁんだ、声が出ないわけじゃないんだ。それならまだ楽しみがいがあるねェ」
少年が震えながら見上げてきたのを見て、クレイジーは紫色の口紅が塗られた口角を怪しげに吊り上げた。
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