mission3-3 キッシュの少年
少年は後悔していた。
普段なら絶対に一人で坑道に来たりはしない。彼の師匠でもある親方の付き添いとして行くのが常だった。坑道は道が複雑な上、最近は破壊の
しかし、その親方は今手負いでとても坑道に行けるような状態ではない。工房にストックしてあった鉱石はいよいよ底をつく寸前のところまで来ていた。
今こそ自分が親方の役に立つ時だ。そう勇んで街を出たところまでは良かった--が、少年は方向音痴だったのだ。
普段親方について回るだけだったから自覚していなかった。坑道を歩き回るうちに、いつの間にかこんな奥まで来てしまっていた。つまり迷子だ。
思わず涙が出てきて、少年は慌ててそれを拭う。少年は元来泣き虫である。何か失敗をすると、情けなくてついついべそをかいてしまう。
親方には「男が人前で泣くんじゃない」と何度も叱られた。こんな風ではいつまでも一人前の職人にはなれない、と。
気を取り直して出口を探そうとした時、不運にもそれらは現れた。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ」
腰が抜けてしまって少年はへなへなとその場に座り込む。最初は暗がりで気づかなかった。しかし、バサバサという耳障りな羽音と、肉が腐ったような臭いがしてようやく理解する。自分はいつの間にか、コウモリ型の破壊の眷属たちに囲まれていたのである。
「た、助けて……」
声は自然と小さくなって、坑道の土壁の中に吸収され消える。頭の中では理解していた。この坑道の中には今、自分以外に誰もいない。
破壊の眷属たちがバッと飛びかかってくる。
少年の頭にはなぜか昨日の夕飯のことが浮かんだ。昼間くだらないことで親方と喧嘩したせいで、食卓にはあえて少年の嫌いな野菜のソテーが並べられたのだった。ああ、馬鹿なことをした。本来なら大好物のハンバーグのはずだったのに。
少年がそう思って目をつむった時--
「ギャアァァァァァァァァッ!」
断末魔をあげたのは自分ではなかった。
「きみ、怪我はない?」
少年はゆっくりと
「ルカ! こいつらまだ奥に潜んでるわよ!」
「オッケー、一気に片をつける」
ルカと呼ばれた青年は、破壊の眷属から離れた場所で少年を下ろすと、首にかけたネックレスから紫の閃光を発して姿を消した。少年は何度も目をこする。先ほどまで目の前にいた青年は、一瞬でもう一人のえんじの髪の大人びた女性の側へと移動していたのだ。
二人は目にも留まらぬ速さで、坑道の中を飛び回る破壊の眷属たちを確実に仕留めていく。
少年は思わず自分が口を開きっぱなしにしているのも忘れて、彼らの動きに魅入っていた。
(私も、続かなきゃ……)
ルカとアイラ、二人はもはや反射神経で神器を使いこなしている。
少年が破壊の眷属たちに取り囲まれてるのを見るなり、瞬時に神器の力を発動させて救出に入った。
別に恐ろしいと思ったわけではない。少年を見つけ、助けようと思ったのはユナも同じだ。しかし、そう考えている時間すら、戦いに慣れた二人に対して一歩出遅れる要因になってしまう。
ユナは腕輪に手をかざし、意識を集中する。
(カリオペ、二人に力を……!)
しかし、返事はなかった。代わりに、何か微かな音が聞こえてくる。ユナは不思議に思って腕輪に耳をあてる。
“すー……すー……”
(これってもしかして……寝息?)
ユナは試しに右腕をぶんぶんと上下に振ってみた。何も起きない。ちらとルカたちの方を見る。黒い闇のように群がっていたコウモリのような破壊の眷属たちは、もう数体しか残っていなかった。
腕輪をよく見ると、九つの石のうち一つだけがぼんやりと光っている。ユナは思い切って、その光っている石を左手で叩いてみた。
“! な、何!?”
ようやく声が聞こえた。その声は昨日聞いた声とは違って、どこか幼い少女のような響きをしていた。
(あなたは……カリオペじゃないのね)
“なんだ、ユナかぁ……。せっかく良い気持ちで寝ていたのに、邪魔しないでよー。あたしはポリュムニア。カリオペ姉さんは奥に引っ込んでるよ。ねぇ、まだ眠いから二度寝していい?”
ポリュムニアと名乗ったミューズ神の一人は気だるそうに言った。ユナは思わずため息を吐く。
(そんな場合じゃないの。あなたの歌を教えて。破壊の眷属がすぐそこにいるんだから)
“えー、あの二人に任せておけばいいじゃん。ほら、もう終わっちゃいそう”
そう言われ、ユナはルカとアイラたちの方を見る。坑道の中を飛び回る黒い影は、あと一つしか残っていない。
(それでも、役立たずじゃ嫌なの)
“ふー。面倒臭いなぁ……”
ポリュムニアは嫌々ながらも、ゆったりとした旋律をユナの頭の中で奏でる。ユナはその音に歌を乗せた。
晴れて 曇るか 雨降るか
咲きて 枯れるか
ぼうっとルカとアイラの身体の周りに薄桃色の光が現れる。上手くいった。そう思った瞬間、ルカが急にその場にしゃがみ込んだ。
「な、なんだこれ……すごく、眠い……」
ルカは大きなあくびをすると、敵の前だというのにぐうぐうと寝息を立て始めた。アイラは立ち続けていたが、足を絡ませてふらついている。
“あーあ。あの二人のことばっかり考えているから、歌の力があっちにかかってしまった”
(え!? どういうこと)
“あたしの歌は催眠の力があるんだよ。ふわーあ、力を使ったらあたしも眠くなってきちゃった。またね、ユナ”
「ちょっと待ってよ!」
思わず声に出して叫んでしまったが、ポリュムニアからは返事はなかった。ルカは相変わらずぐっすり眠ってしまっている。
ユナがルカたちの方へと駆け寄った時には、すでにアイラの銃が最後の一体を撃ち抜いていた。なんとか破壊の眷属はすべて撃退したようだ。しかしアイラもそれで眠気がピークに達したのか、坑道の壁にもたれて眠り始めてしまった。
「ははは、二人とも気持ちよさそうに寝てんなぁ」
ガザは愉快そうに笑うが、二人を眠らせた当の本人の気は全く休まらない。
「ごめんなさい……こんなつもりじゃ」
「神石が覚醒したのはついこの間のことだろ? そんなに焦る必要はないんじゃないか。少なくともこいつらと一緒にいる間は」
しかしユナは首を横に振る。
「私は今までずっと何もしてこなかったから、焦るぐらいじゃなきゃ。いつまでも助けられてばっかりは嫌なんだ。二人の役に立ちたいの」
「なるほどね……」
ガザはふむと言って、何か考え込むように無精髭の生えた顎に手をやる。
「お姉ちゃん、もしかして足手まとい?」
ふと背後で声がした。振り返ると、破壊の眷属に襲われていた少年がユナを見上げ、呆れたような顔をしていた。
そばかすだらけの幼い顔。先ほどまでは恐怖で血の気を失っていたというのに、少しばかり偉そうだ。少年の態度の豹変ぶりにユナはムッと眉間にしわを寄せる。
少年の顔を見て、ガザは急に「おお」と声を上げた。
「お前、もしかしてファブロんとこのジョルジュか?」
ジョルジュと呼ばれた少年は縦に頷く。
「久しぶりだねガザ! こんなところで会えるなんて」
そう言う少年の表情はどこか嬉しげである。
「しばらく会わないうちに大きくなったな。今いくつだ?」
「十二だよ。去年から親方の手伝いをさせてもらえるようになったんだ」
「おお、そうだったのか。しっかりファブロに教えてもらえよ」
ガザは大きな手でわしゃわしゃと少年の焦げ茶のくせ毛を撫でる。ユナは恐る恐る尋ねた。
「あの……二人は知り合い?」
すると少年はさも当然と言わんばかりに、けらけらと笑った。
「知り合いも何も、キッシュじゃガザを知らない人はいないよ。特に職人を名乗るならなおさらね」
「職人? 君は職人なの?」
「正しくは見習い、だ。こいつはジョルジュ。俺の留学仲間が面倒見てるガキだ」
ジョルジュはえへん、と腰に手を当てる。するとガザは戒めるように少年の頭を小突いた。
「ばかやろう、調子に乗るんじゃない。見習いのくせに何で一人でこんなところにいるんだ。ファブロはどうした」
ガザに強めの口調で言われ、ジョルジュは肩を落としてぼそりと呟いた。
「親方は……今怪我をしてて、家で休んでるよ」
「あいつが怪我? 仕事でヘマをするような奴じゃないだろう。一体何が--」
ズゥゥゥゥゥゥン…………
ズゥゥゥゥゥゥン……
坑道の中に重低音が響く。音はだんだんとこちらに近づいているようだった。三人は話をやめ、顔を見合わせる。
「そういえばここ、立入禁止区域だったよね。何か危険なものでもあるの?」
再び顔が真っ青に染まったジョルジュは、震えながら言った。
「立入禁止区域には、破壊の眷属の……特異種の目撃情報があるんだ」
ユナはウラノスでキリが召喚した破壊の眷属のことを思い出す。ルカでさえ苦戦した、妖樹ドリアード。キリはあれを特異種と呼んでいた。あの時初めて破壊の眷属を目にしたユナからしても、特異種の強さは普通のものとは桁違いに映った。
「ああああ、やばいよ、絶対やばいよ……こんな奥深くにまで来るつもりはなかったのに……」
「何だお前、もしかして迷子になったのか」
「……」
「はっはっは! かっこ悪いなジョルジュ」
呑気に笑っているガザに、アイラとルカを起こそうとしていたユナは呆れる。
「ガザだって人のこと言えないじゃん……」
--ズンッ!!!!
その時、強い地響きとともに一行のいるあたりを影が覆う。ピチャリ。水音--ユナは自分の髪に落ちてきた液体を拭う。黒褐色の液体。ヘドロのような嫌な臭いがする。
ユナはゆっくりと後ろを振り返った。
そこには、石の塊のような巨大な化け物が黒褐色の液体を滴らせて佇んでいた。
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