mission2-6 男湯
竹柵を隔てた向こう側から話し声や、時折笑い声が聞こえる。何を話しているかまでは聞き取れないが、楽しげな雰囲気が伝わってくる。
(いいなぁ賑やかで……)
ルカは一人、男湯に浸かりながら自分のネックレスを手に取る。どんな時でも基本的に神器は肌身離さず持つのが習慣だった。
(こんな時にクロノスと話せたら便利なのにな)
黒の十字にはめられた紫色の石は何も反応しない。
共鳴者だけが神石の声を聞くことができる。それは神石にまつわる事実の一つのはずなのだが、ルカだけは異例だった。他人の神石の声や、
「ユナも自分の神石の声が聞こえたみたいだし……そろそろクロノスもおれに気を許してくれないのかなぁ」
ルカはネックレスをいじりながら呟く。お湯に入れてみたり、石を撫でてみたり、ぎゅっと握ってみたり。しかし一切変化は起こらなかった。
「やっぱりだめか」
ため息を吐き、風呂から出ようとした時、どこからかくぐもった声が聞こえてきた。
「……ならば、我の願いを叶えてみせよ」
「!?」
周囲には誰もいない。ネックレスの石に先ほどと変わった様子はないが、声が聞こえるとしたら他に考えられなかった。ルカは声を潜め、ネックレスに向かって話しかける。
「クロノスなのか? 願いってなんだよ」
すると、再び声が返ってくる。
「覗くのだ」
「覗く? 一体何を」
「シーッ、もう少し声を抑えろ。全く、お前は本当に愚鈍なやつだな。この場で覗くと言ったら一つしかないだろう」
ルカはようやく意味を理解し、思わず竹の柵の方を見やる。少しよじ登れば越えられる高さだ。露天なので上部に障害はない。
しかしすぐさま腹の奥がキュッと引き締まる感覚を覚えた。そんなことをしたら間違いなくアイラに殺される。
「ず、随分俗っぽい願いだな……。本当にクロノスなのか? こんなこと言うなんて、まるであの人みたいで……」
ルカは自分で言いながらハッとする。
身動きはせずに視線だけ周囲を巡らすと、ちょうど自分の背後あたりに、水面に対して垂直に浮かんでいる竹筒が見えた。ルカはそっとその竹筒の空洞を塞ぐように手で押さえた。声は返ってこない。しばらくして竹筒の周りにぶくぶくと泡が浮き立ち、湯の中から声の正体が姿を現した。
「げほげほごほっ。何するんだよルカ! 死ぬとこだったじゃないか!」
「そっちこそ何してるんだよ……ガザ」
この男こそが、神器専門の放浪の鍛冶屋、ガザ=スペリウスであった。
「何してるも何も、温泉と言ったら覗きだろう」
「どうしてそうなるのさ……」
ルカは呆れた表情で言ったが、ガザは悪びれる様子はなく、少年のように目を輝かせながら続けた。
「お約束、ってやつだ。薄い壁の向こうに広がる女の楽園……。男たるもの、この状況に胸躍らせずしてどうする! むしろ覗きをしないってのは、女性に対して失礼だと思わないか?」
「こっそり盗み見る方がよっぽど失礼だってば」
ルカはガザを引っ張って風呂から出ようとしたが、青年より体格のいい男は身動きひとつしない。
「……じゃあ、堂々とならいいんだな?」
「へっ」
ガザはそう言うと、ひょいとルカを持ち上げた。ルカも十分鍛えている方だが、鍛冶屋として日々重いハンマーを振るうガザの腕力にはかなわない。もがいても逃げ出せなかった。
「なに、大丈夫だ。いざという時でもお前の力ならすぐに戻ってこれるだろ」
「うわっ! ちょっと、何する気だよ! やめろってば!」
「はっはっは! グッドラック! 若者は青春を謳歌しないとな!」
「……なんか男湯の方、やけに賑やかだね」
「そうね……嫌な予感がするわ。早めに出ましょう」
「うわぁぁぁぁぁぁーーーーーッ」
--バッシャーンッ!
静かだった女湯の浴槽に、青年の悲鳴とともに豪快な水しぶきが上がる。
「くそっ、ガザのやつ、人を物みたいに投げやがって……」
金髪の青年はすぐに男湯との境目になっている竹柵の方へと戻ろうとする。しかし、前方が曇っていてよく見えない。落下した時に派手に水しぶきが上がったせいで、風呂場中に蒸気が立ち込めているのだ。手探りで風呂の中をかき分ける。ふと、ふわりとした柔らかい何かが手に触れた。
(なんだ、これ……!?)
急に状況が飲み込めてきた。カーッと熱が上る。頭がフル回転して、今にも沸騰しそうだ。ルカは触れたものからパッと離れ、慌てて手で目隠しをして弁明する。
「ご、ごごごごごめん! これは、その、ガザが……えっと……」
舌がうまく回らないうちに、だんだんと蒸気が冷えて視界が晴れていく。
「ルカ……あなた一体何やってるの」
アイラが低い声で言うのが聞こえた。ルカは恐る恐る手をずらし、声がした方を見る。浴場の入り口の方で、すでに宿の浴衣に着替えたアイラが呆れた顔をしてこちらを見ていた。その隣にはユナもいる。同じくすでに着替え終わっていた。
(あれ? てことは……)
ルカは恐る恐る目の前の状況を確認し、そしてぎょっとした。
「なんじゃあ、こんな若者に触れられちまって。あたしもまだまだいけるってことかのぉ」
皺くちゃの女将が赤面しながら二の腕をもじもじと押さえていた。
竹柵の上から様子を
気まずい沈黙の中で、やり場のない虚脱感を抱えたルカは思った。
(ああ、今こそ時間を戻せる力が使えれば……)
ルカは涙目で胸元を見る。しかし、無慈悲にもネックレスの紫の石は何も反応しないのであった。
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