ちはる1‐7

 そういえば、サカキさんは、面接のときはグレーのスーツだったはずなのに、ネイビーの、チェック柄のスーツに変わっていた。

「少し物騒な映像をお見せしてしまって申し訳ありません。簡単な約束事を守って頂ければ、あなた方に危険が及ぶことはありません。そちらの腕のリング”WTCMA-Ⅰ”は、高性能、高感度で、あなた方をきちんとモニタリングできる機能を備えております。違反行為などが見受けられた場合、すぐに爆発することはなく、まず警報音と共に液晶画面に警告表示がされますので、各自ご確認下さい。誤作動等を起こすことは絶対にありませんので、ご心配なさらずに。なお、雇用期間終了まで取り外す事はできません。」

 今日で一番の笑顔をこちらに向ける。モニタリングという言葉が気になった。これをしている限り、24時間監視されている、ということなのだろう。突然、隣の金髪の人が軽く顔を近づけて、ねぇねぇと声をひそめた。

「この腕のやつが、なんだって?」

 呆れた。ついさっき説明されたばっかりだろうが。私もつられて、ひそめた声で、はぁ?と返すと、サカキさんが急に立ち上がったので、すぐに話すのをやめた。

 こちらにある本物のスクリーンをちょうどいい角度で指さす。サカキさんのいる場所から、こちらをどのように見ているのだろうか、不思議に思った。

「画面をご覧ください。あなた方お2人の、基本的な情報をおまとめしました。こちらのニックネーム以外でお互いを呼ぶことを禁止致します。それから、これらの情報以上のことを、必要以上に詮索することも、禁止致します。」


”No.8「ヨウ」 身長:175㎝ 体重:56㎏ 血液型:A型 利き手:右”


 ひとつひとつ注意深く確認したが、ここに大した情報はない。そもそも、この金髪の人に私は全く興味がないのだけれど。でもまさか、自分の体重まで公表されると思われなかった。恥ずかしい、と思うような、体重でもないけど。そういえば、あれ?公開した覚えのない情報はいったいどこから…

「"ハル"ちゃん、って呼ぶね」

 聞き馴染みのない名前を、"ヨウ"に呼ばれる。これが今日からの、私の名前だ。"ちはる"も、"はる"も、大差ないように思えて仕方がない。大したヒネリもないニックネームで呼ぶことに、どれだけの意味があるんだろう。


「朝は6時半から8時の間で必ず朝食を済ますよう、お願い致します。WTCMA-Ⅰを操作して頂くと、食事を要求できるシステムになっております。それぞれで召し上がって頂いても結構ですし、お二人で一緒に召し上がって頂いても結構です。8時半には必ずこの場所に集合して下さい。その日の仕事の指示をさせて頂きます。昼食は12時から13時の間です。終業時間は日によって異なります。夕食は18時半から20時の間でお願い致します。なお、終業時間から夕食までの時間、夕食後から就寝まで時間を自由時間とさせて頂きます。個人の部屋で過ごして頂いても良いですし、外出して頂いて構いませんが、夕食は必ずこのハウスで摂ることと、最終門限は23時59分59秒となっておりますので、それまでに必ずお戻り下さい。外出方法につきましては後ほど使用人から説明があります。」

 スクリーンには、分かりやすいように図解されたタイムテーブルのようなものが表示された。サカキさんは一息で全てを喋り切ったような、なんとも滑らかな説明だった。最終門限を過ぎたらどうなるのか、聞くのが怖いので、聞かないことにした。

「はーい、質問質問!」

 ヨウが容赦なく手を真っ直ぐ上に伸ばした。何を言い出すのか心配で、ヨウを直視できない。

「どうぞ。」

「朝昼晩の三食の他に、お菓子って、出してもらえますか・・・?」

 その質問をした直後に、サカキさんはニカッと歯並びの良い白い歯をこちらに見せた。

「ワタクシも甘い物、大好きで、手放せないんです。たくさんご用意してますので、いつでもお気軽に使用人に申し付け下さいね。」

「ほんとに?!良かったー!!」

 緊張感の欠片もない、なんて図太い性格なんだろうか。今はそれが救いともいえるかもしれない。もう一度ヨウを見る。ふわふわと、笑みを浮かべていた。その笑みのまま、ヨウは言葉を続ける。

「それとさ、」

「どうぞ。」

「カメラが付いてない部屋、ちゃんとあるよね?僕は別に何見られても良いけどさ、ハルちゃんはそういう訳にいかないでしょ。」

 一瞬で、ゾクッと鳥肌が立った。確かに、面接会場にもカメラはあった、だからこの場にカメラがあっても全くおかしい事ではない。モニタリングするって、そういうことなのか。でも、冷静に考えるとすごく怖くて、足が震えた。ヨウはこちらに、ねぇ?と笑顔を向ける。

「ご説明が遅れまして申し訳ありません。仰る通り、このハウス内には、死角が存在しないように数十個のカメラが設置されていますが、個人の部屋には一切設置しておりません。後ほどご自身でご確認頂けたらと思います。ただし、WTCMA-Ⅰによって24時間音声のみ記録させて頂いておりますので、ご承知下さい。」

 数十個のカメラがこの家にあることがまず異常だし、部屋にはカメラを設置していないなんて本当かどうか分からない。承知下さい、で片付けられるような話でないことは分かっているが、今の私たちには頷く事しかできない。


「先ほどのアニメーションの説明とは別に、もう1つだけ、お願いがございます。ハウス内での性行為、またそれに準ずる行為は極力お控え下さい。」

 せいこうい?聞き間違いかと思ったが、確かにそう言った。

「私と、この人が・・・?」

 ヨウは、ふふふっと声を漏らした。

「なんだ、それは禁止事項じゃないんだね。じゃあ、したくなったらしちゃっても良いってこと?」

 恥じらう様子もなく、あっけらかんとそう言った。私は顔が少し熱くなり、足元だけを見る。

「男女のことですからね。禁止することはできません。ただ、音声を記録しているということだけは、お忘れなく。」

 2人でニヤニヤと、気味が悪い。ただ、この金髪男と、そんなことには絶対にならないから、何も心配することはない。


 サカキさんは再び腰を下ろし、長い足を組んだ。肩の位置で切り揃えられた髪を耳に掛ける仕草は、女の私が見てもなんとも艶めかしい。

「説明は以上となります。ただ、これから全く新しい生活が始まるわけですから、別途分からないことがあれば、PCGMA-Ⅱで、個人的にいつでもワタクシと通信することができますので、お気軽にご連絡下さい。ハウス内の詳しい案内は、明日の始業時間より、使用人の方からさせて頂きます。それでは、携帯電話を回収させて頂いたあと、一時帰宅となります。3週間ほどこちらで過ごすための身支度をして頂き、またすぐにこちらに戻ってきて頂きます。他者との過剰な接触、会話はお控え頂きますよう、お願い致します。それでは、また明日、お会い致しましょう。」

 ひらひらと、しなやかに手を振るサカキさんは徐々に薄くなり、そこから消えた。スクリーンは収納され、また広い部屋が露わになる。

 一時帰宅、という言葉に驚いた。言い方は悪いが、このまま、ここに監禁されるものだと思っていたから。頭を掻きながら、べつに帰らなくても良いんだけどなぁと呟くヨウに、私は軽く頷き同調した。このまま、”突然居なくった私”でも良いと思った。しかし、やっぱり私の頭のなかにすぐ浮かぶのは、裕太の顔。声を掛けに行くべきか、行かないべきか。心が、激しく、動揺している。


「それでは、携帯電話を回収させて頂きます。何かとご不便かと思いますが、WTCMA-Ⅰは簡単なコミュニケーションツールも装備していますし、このハウス内のPCでインターネットを自由にご使用頂けますので、ご理解、ご協力をお願い致します。」

 姿が見えないと思っていたサトミさんが、どこからともなく現れ、そう言った。こちらもまた、グレーのスーツだったはずだが、サカキさん同様の、ネイビーのチェック柄のスーツに変わっていた。これはこの会社の、制服か何かなのだろうか。

「ヨウ様、お手荷物がございませんでしたが、携帯電話はお持ちでしょうか。」

「僕、何も持ってこなかったんだよね。携帯も家に置いてきたから。」

「確認させていただきます。」

 サトミさんは、金属探知機と思われるものを手に持ち、ヨウの身体を探る。ヨウは露骨に嫌な顔をして、身体をピンと硬直させていた。

「それでは、ハル様のお手荷物の中、確認させて頂きます。」

手元に無いと思っていた、私のハンドバッグを、サトミさんが持っていた。当たり前のようにバッグの中に手を入れ、携帯電話を抜き出した。

「お預かりさせて頂きます。」

「あの・・・!最後に1度だけ、着信を確認させてもらえませんか?今日、大事な約束をしていたのを、忘れていて・・・」

 自分は何故とっさにこんなことを言ったのか。着信があったところで、かけ直すことができるはずもない。その場で何かメッセージを送れるはずもない。ただ、ただ、それが最後の、心の救いになるかもしれない、なんてね。

 サトミさんが無表情で、耳元のイヤホンに軽く手を触れ、何か呟いた。多分、サカキさんに確認を取っている。

「許可致します。」

 怪しいと思われないように、手渡された携帯電話を、サトミさんがそれを見える位置で、画面を開いた。震えた手を、ヨウに見られてしまっていると思うと、少し恥ずかしい。


「・・・ありがとうございました。」

 携帯電話を、静かにサトミさんに手渡す。裕太には会わずに、ここへ戻ってくる、決心がついた。

 そしてついに動き出す、自分の新しい生活、不安と、恐怖と、少しの好奇心を持って。

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