――そして、気づいた時にはもう手遅れだった。


 自分を庇うように立っていた青年の姿が、次の瞬間に掻き消えていた。否。そうではない。

 薙ぎ払われたのだ。文字通りに。

 目の前の怪物が放った、視認がまず不可能なほどの超高速の一打。回避はおろか防御すら叶わず、黒髪の若者はまるで砲弾の如く壁際まで吹き飛ばされたのである。

 実験棟の壁を突き破り、その衝撃で崩れた瓦礫に埋もれた友人の姿を遠目に見ながら、ヴィンセントは呆気に取られてしまう。


「いやはや……まさかああもあっさり私の護衛トバリを殴り飛ばすとは。なかなか恐れ入ったよ。新理論とやらは随分と面白いものを作ったようだ」


 猛禽を思わせる相貌に好奇心の色を浮かべて、ヴィンセントは興味深げに眼前の怪物を見据える。

 そこにあるのはまさに鋼鉄クロームの花だ。

 酸化した血の色を思わせる、赤黒に彩られた鋼鉄の花弁。雌蕊の代わりに最後の人間らしさを主張する少女の頭部。地に根を張るように突き刺さる鉄骨に、大量の蒸気を吹き出す太い幹――まるで人から生える花の形をした機関機械である。

 勿論、こんなものが新理論の生み出した成果などとは思わない。


 これはレヴェナントだ。それはヴィンセントこそが一番理解している。新理論の根幹にあるのは、どれだけ人間の形を保ちながら機関機械化するかにある。


 対してレヴェナントは違う。レヴェナントこれは、言ってしまえばその対極にある。

 そう――如何にして、人間を機械の化け物に作り替えられるか。人間離れした異形に成せるか。それを追及しているかのような存在だ。


 まるで御伽噺に登場する怪物のように。


 人が最も恐れるであろう存在を人から生み出そうとしているような、人類種に対しての悪逆。


 ――そして。

 その異形のものを前にしたヴィンセント・サン=ジェルマンは、含みのある笑みを浮かべながら声を上げた。


「まったき不思議なことだ。何故、こうも人を――生命を冒涜するような行為が平然と為されるのだろうか。何故このような異形を人から生み出すのか……まあ、尋ねたところで造られただけの貴女には、そんなことは判るまいか。そしてレヴェナントと化した人間を元に戻す術はない。もし、救いがあるとすればそれは――終わらせてやることだろう」


 眼前の脅威たる鋼鉄の怪物。名づけるならば、《人花アルラウネ》か。

この実験棟の惨状を生み出した存在。この施設にいたのであろうすべての人間を血の海に沈め、物言わぬ肉の塊へ変えた暴威。

 それを前にしてなお、ヴィンセントの余裕は崩れない。

 軽く地を蹴り――しかれど大きく《人花》から距離を取る。寸前まで彼が立っていた場所を、《人花》の根が打ち抜いた。

目にも留まらぬ速さで振り抜かれた鉄鞭の如き根が、硬い床を容易く砕く!


「ははっ。硬い土瀝青アスファルトをまるで焼き菓子のように砕くか。素晴らしい威力だ」


 人間ならば、常人ならば、ただその一撃で肉塊と化すだろう。

 ヴィンセント自身もまた然り。

 あの威力の一撃は脅威だ。受けに回ろうものなら瞬殺されること間違いない。如何に自分が千年を生きると謳われる錬金術師とはいえ、身体能力においては常人のそれと大差ないのだ。《人花》の一撃を受けて生きていられるものがいるとすれば、それは《人花》と同じクロームの異形か。

あるいは――



 ――正真正銘の、怪物くらいだ。



 故に――。


「――ふはは。ふはははははははははっ」


 ヴィンセント・サン=ジェルマンは笑みを絶やさない。

 例え目の前に立っているのが永劫不滅の怪物であろうとも。

 例え自分が、今まさに絶体絶命の窮地に陥っていようとも。

 臆することなどない。

 戦慄くことなどない。

 恐怖に怯えることも、死に震えることもない。

 ――何故ならば。



「――いつまで寝ているつもりかね、、、、、、、、、、、、、トバリ、、、



 それは――常人ならば、ただ一撃のもとに肉塊と化すであろう一撃を受けた彼の名前。

 普通であるならば、常識的に考えるならば、彼はもう死んでいるはずだ。

 ただの人が、鋼鉄の怪物の一撃を受けて生きているはずがない。

 ただの人が、常識を逸脱した彼の怪物に対抗がえるはずがない。

 だが、彼は違う。

 彼――ツカガミ・トバリは違う。




「――……うるせぇなぁ、、、、、、



 ヴィンセントの科白に、トバリは不愉快そうに返事をしながら、ゆっくりと崩れた瓦礫の中から姿を現した。

 埃塗れではあるものの、目立った外傷は皆無。土瀝青すら砕く強打を受けたにも拘らず、彼は超然とした様子で、ただ不快げに眉を顰めている。

 そんな彼に向けて、ヴィンセントはつかつかと歩み寄りながらわざとらしく両手を広げ、これまたわざとらしく彼の生還を喜んで見せた。


「無事だったか。良かった良かった。もし死んでいたらどうしようかと思っていたよ」

「心にもない科白を口にすんな。そん時は仲良く冥土に行くだけだろ」

「それは困る。私はまだ、この世に未練たらたらだ」

「千年以上生きていてまだ生にしがみ付くのかよ?」

「人間なのでね。欲望は尽きない」

「――で、行きつく先がお前の後ろのやつ?」


 皮肉げに笑みを浮かべて、トバリはちらりとレヴェナントを――《人花》を見据える。

 ヴィンセントは振り返り、《人花》を一瞥して鷹揚に頷く。


「確かに。これもまた人の業が導いた結果。人体と機械の融合を求め行きついた果ての一つだろう――最も、私はこんなものに興味はないが」

「ならどうするよ、雇い主?」


 器用に口の端だけを持ち上げて、極東の若者が不敵に笑んだのを見る。

 不敵で挑戦的な笑み。その笑みと、その笑みに込められている意思を十全に理解し――ならばと、ヴィンセントは改めてレヴェナント《人花》を見た。

 鋼鉄の花弁を携える怪物が、

 クロームの根を翻す怪物が、



 ――GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!



 そう、声を上げる。

 咆哮が辺りに轟く。

 ホラー・ヴォイス。恐怖の声。

 耐性なき者に例外なく、直接作用する精神支配の叫び。

 無論、ヴィンセントにその声は効果を成さない。故に、彼は杖を手にしたまま超然と成り行きを見守る。

 いや、その声を聞く。

 その絶叫を聞き、単眼鏡越しに見えるものをしっかりと見据えて、


「私には見える。このような姿になってもなお、肉体に捉われる魂の姿が。

 私には聞こえる。異形と化した肉体に縛られ、解放を望む魂の叫び声が」


 それは比喩でも冗句でもない。

 事実、ヴィンセント・サン=ジェルマンには見えている。

 事実、ヴィンセント・サン=ジェルマンには聞こえている。

 死してなお解放されずにいる、魂の慟哭が。

 鋼鉄の肉体に閉じこまれた、哀しみの声が。

 そして、そんな解放を望む声に応える術は、たった一つ。


「先ほども言ったであろう、トバリ。レヴェナントと化した人間を元に戻す術はない。もし、救いがあるとすればそれは――終わらせてやることだけ」


 故に――だ。


「我々がするべきことは同じだ。君が、私と出会う以前からそうしていたように――

 トバリ。我が友人にして、血塗れの怪物の名を持つ君よ。

 さあ――その血塗れの爪で。

 さあ――その鋭利なる牙で。


 容赦なく、一切合切の遠慮なく、理不尽なまでの暴力と蹂躙を以て――破壊したまえ」



 その言葉に、



「――了解イエス雇い主オーナー



 真紅の影を残し、彼がそう答えて――

 そして、答えた時にはもう、彼の姿は《人花》の目前にあった。

 凄まじい脚力だった。

 凄まじい走力だった。

 銃弾もかくやの如く、彼は一息のうちに《人花》との距離を詰めると――彼我の距離を駆け抜けた速度よりもより鋭い抜き打ちを放つ。

 両の腕が閃き、握られた二振りの短剣がクロームの怪物を襲う!

 白銀の刃が描く双つの軌跡が、吸い込まれるように《人花》へと叩き込まれ火花を散らす!


 ぎゃりぃぃぃぃぃぃん


 金属同士がぶつかる音が空気を震わせた。


「――疾ッ!」


 裂帛の呼気と共に、トバリはまるで独楽の如く空中で身を捻り、床に足を着くことせずに次々と斬撃を叩き込んでいく。


 ――斬撃。斬撃。斬撃。

 次々と叩き込まれる無数の軌跡。縦横無尽に中空を駆る白銀の連舞。真紅の影から放たれる無数の白銀は、《人花》とはまた別種の花をヴィンセントに連想させた。


「鋼鉄の花と相対ずるは、刃の花か……」


 鉄華を刈り取ろうとする刃華。


(――だが、足りない……か)


 ヴィンセントは《人花》の様子を観察して、僅かに双眸を鋭くする。

 次々と叩き込まれるトバリの刃は、確実に、着実に《人花》の身体を削っている。

 だが、削れているのは表面を覆う鋼鉄の装甲だけで、レヴェナントの内側にまで届いていない。

 それでは駄目だ。

 その程度の刃では、クロームの怪物は斃れない。

 レヴェナントを斃す術はただ一つ。

 その身体を動かす心臓部――機関核コアを破壊することだ。

 《人花》がレヴェナントである以上、それは例外ではない。だが、かつてヴィンセント達が対峙していたレヴェナント――《蜘蛛》や《跳ねる者》などの個体とはまた違う。僅か数カ月で、レヴェナントの様相はさまざまに変化し、別種の存在と化しているように感じていたのだが……目の前で暴れる《人花》を見て、その推測はおおよそ間違いではないことを、ヴィンセントは確信していた。

 その証拠に、真紅の彼が、鮮血の色を纏う彼が盛大な舌打ちを零して大きく飛び退った。


 同瞬――無数の鉄の雨が降り注ぐ。


 寸前トバリが着地した地点を、まるで針を落とすような正確さで射貫く。殺到したのは、鋼鉄の縄ワイヤーが束なったような無数の根だった。後退するトバリを追って床を貫き――あるいは床から突き出して追撃する。

 《人花》の猛攻を紙一重で躱し、時に短剣で受け止め、あるいは捌きながら――地を滑るようにして距離を取るトバリが、忌々しげに貌を顰めた。


「あー……畜生め。随分硬いぞ、こいつ」

「だろうな。君がこれまで狩ってきたレヴェナントとは、どうやら規格も性能も段違いのようだ。如何に極東の業物とはいえ、斬鉄するには聊か鉄の密度が厚いだろう」

「高みの見物とは言いご身分だな。肖りたいねぇ」


 皮肉を零しながら、トバリはゆらりと立ち上がった。

 不満げではあるが、そこにレヴェナントに対する焦燥の色は見受けられない。どころか、彼は何処か楽しそうに口の端を持ち上げて、呵々と失笑する。


「はっ――いいぜ。久々に歯応えがある相手なことだし……ちょっとばかり本気を出すか!」


 そう言って、彼は右手に握っていた短剣をコートの内に収めた。そしてゆっくりと空手となった右腕を持ち上げて、軽やかにその手を閃かせる。

 すると、



 ――ガシャンッ



 まるで重機が動くような音が響く。

 同時に、トバリの右腕に変化が起きる。寸前まで何も握っていなかったその右腕。そのコートの裾口から覗く、鈍色の機械。クロームの外装に覆われ、精工緻密な蒸気機関を備える、鋭利で冷徹な鋼鉄の爪が、いつの間にか彼の右腕を覆っていた。

 それは機関機械の籠手。

 それは機関武装の腕爪。

 あれこそがヴィンセントの傑作。対レヴェナント用に開発した近距離格闘型機関武装。レヴェナントの強力な打撃を防ぎ凌ぎ、且つ硬き装甲を突き破ることのできる兵器。


 ――銘は〈喰い散らす者ハウンドガルド〉。


 本来ならば、有り得ざる武装だった。

 本来ならば、有り得ざる兵器だった。

 それは当たり前だ。相手は鋼鉄の怪物。全身をクロームの装甲に覆われた、無数の大型蒸気機関をその身に宿した生体兵器。如何に屈強な兵隊といえど、如何に勇敢な英傑なれど、生身のままでレヴェナントに接近戦を挑むなど愚の骨頂。自殺志願と言っても不足ないだろう。


 だが、彼は違う。

 彼、ツカガミ・トバリは違う。

 何度だって言おうではないか。


 彼は――彼だけは! そう。極東の島国よりやって来た彼だけは、違う!


 音速にすら届くであろう《人花》の鞭打の嵐を掻い潜り、

 迫る猛攻を〈喰い散らす者〉でねじ伏せ、時に左の短剣で受け流し、

 けたたましく吼えるレヴェナントの恐怖の声ホラー・ヴォイスをげらげらと声高らに嘲笑い、

 まるでダンスのステップを踏むような陽気な足取りで、レヴェナントへと向かっていく!

 それでもなお、目敏くトバリの死角――背後の地面から根を撃ち出し、彼の背を狙うが、


「――遅ぇよ」


 右腕、一閃!

 蒸気機関式の武装が、トバリの右腕に備わった五本の鋼鉄の爪が、彼の背中を貫こうとする根を一撃の下に引き千切ったのである。

 凄まじい反応速度だった。

 およそ常人では気づくことすら叶わなかったであろう奇襲に対し、彼は振り向くことすらせずに腕に一振りで防いで見せ――


「――そらぁっ!」


 裂帛の気迫と共に、彼はその身を中空に躍らせて右腕の鉄爪を思い切り振り抜く!

〈貪り喰らう者〉の蒸気機関が駆動し、五指の爪刃が煌々と赤い輝きを帯びて――

 四方八方から迫る無数の幹の鞭打を、

 ワイヤーの根が形成する鑓の雨を、

 トバリの振るう爪が――〈喰い散らす者〉の刃が、一切合切容赦なく千々と切り裂く!



 ――GRUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUUU!



 怪物の絶叫!

 怪物の怨嗟!

 その悲痛なまでの叫びはまさに阿鼻叫喚の如し!

 叫ぶ《人花》の頭部。唯一人間らしい部分たる少女の顔が痛みに歪み――其処に、紅い影が飛び込んでゆく。

 頭上跳躍。

 自然落下。

 レヴェナントの頭上に跳んだトバリが、にぃぃぃっと歯が剥くほどに凶悪に笑む。


「――右の頬を打たれたら、左の頬をぶん殴れ、だったよな!」

「こらこら、神はそんなことは言っていないぞ」


(個人的にはそっちのほうが好みだが)


 野次を飛ばしながら、ヴィンセントは胸中でそうほくそ笑んだ。

 その科白に対しての返事はない。

 代わりに、鋼鉄の爪を携えた《血塗れの怪物グレンデル》が、《人花》に向けて赤光を纏ってその腕を叩き込む!



「――AMEN、ってなぁ!」



 なんということだろうか……此処まで酷く、不謹慎極まりない祈りの言葉ものないだろう。ヴィンセントは強く、強くそう思った。

 教会の敬虔で善良な信者や牧師の前では絶対に許されない蛮行を、ヴィンセントは見た気がした。まあ、彼にとっても宗教上の神など毛ほどの信仰もないのだが――まあ、それは置いておいて。


 ――素晴らしい一撃だった。

 それはまさに一撃必殺の言葉を体現するが如く。

 その一撃は《人花》の上げる悲鳴ごと頭部を潰し、硬いクロームの花弁を切り裂き、その奥底にあるレヴェナントの鋼鉄の心臓を捉えているだろう。

 そんなヴィンセントの推察を証明するように、ずるぅぅり……と、引き抜かれたトバリの右手に握られていたのは、無数の配線が繋がったまま脈動する鉄塊――レヴェナントの核だった。

 心臓といえる核を引き抜かれた《人花》が、動力の切れた機械のように崩れ落ちる中、トバリは悠々とした足取りで地に降り立ち――引き抜いた核をまるでボールのように手の上で弄びながら言った。


「なんつったけ? えーと、〈喰い散らす者〉? なかなか悪くないじゃねーか」


「前の〈極東型機関刀サムライエッジ〉は消耗品に近いものだったが、これはその欠点を補うために刃を五分割し、負担を軽減しているんだよ。以前のような不快な音も鳴らない。性能を欠点らしい欠点といえば、君くらいしか使えない――というところか」


「こんな代物、使いたがる奴のほうが珍しいと思うけどな」


 くつくつと笑い、トバリはひょいと《人花》の核をこちらに投げて来た。ヴィンセントは片手でそれを受け止め、まじまじとそれを観察する。

 冷たい、冷たいはずの鋼鉄の心臓かたまり――だというのに、手袋越しに感じる確かな温度。そこにある僅かな温もりは、《人花》の、クオリ・リーデルシュタインの残された人間の残滓か。それとも単なる機関稼働の排熱の名残か。

 どちらにしても、興味深いものである。


「――おい、ヴィンス。こっちはどうするさー」


 核を観察していると、トバリがそう問うてきた。視線を向ければ、彼はぴくりとも動かなくなったレヴェナントの前にしゃがみこんでこちらを振り返っていた。

 ヴィンセントは一先ず核をしまいながら、彼の元に向かい――隣に立ってレヴェナントを見下ろした。

 トバリがつぶした、《人花》の人頭部。彼女唯一の人間の名残があった部分は、今となっては完全な鉄屑と化していた。


「依頼はこの女を見つけろ――だったが……どう証明する?」

「まあ、死んだと報告するしかあるまい。人をレヴェナントにする方法はあるようだが、レヴェナントを人に戻す術があったとは到底思えない」

「報酬出るのか、これ?」

「掛け合うしかあるまいに」


 男二人、顔を突き合わせてああでもないこうでもないと言い合っていると、



「――全員、そこを動くな!」



 という、野太く勇ましい声が背後から。

 ヴィンセントはトバリと共に振り返って声の主を見た。声の主は、幸か不幸か見知った顔だった。


「これはこれは、レストレード警部。ご機嫌麗しゅう」

「――よぉ、警部。お仕事ご苦労さん」


 まるで商店街でたまたま出会ったような気軽さでそう声を掛けると、警官隊を引き連れた偉丈夫――レストレードは「なっ!」と目を丸くしてこちらを見るや、


「ま、またお前たちか……今度は何をやらかしやがった?」

「何を、とは失礼だな。我々は君の友人が丸投げした依頼を受けて此処に来て、襲われたので自衛したまでのことだ。非難されるのは心外だよ、警部」


 憤慨するレストレードの言及をのらりくらりと躱し、肩を竦めながら、


「――しかし……何故君たちヤードが此処にいるのかね? 先日調べた時は、異常がなかったのではないかい?」


 そう尋ねると、レストレードは被っていた帽子を外して苛立たしげに頭を掻いた。


「その報告をした莫迦を絞り上げたんだよ。案の定、買収されて虚偽の報告をしてやがった」

「随分仕事熱心じゃん。流石ロンドン警視庁の名警部」

「まったくだ。君の勤労精神には頭が下がるよ、レストレード警部」


 呵々と皮肉げな笑みを浮かべながら、トバリがからかいの言葉を投げる。ヴィンセントも便乗してねぎらいの言葉を掛けたのだが、対してレストレードは忌々しそうに眉を顰めて二人を睨んだ。


「黙れ、この疫病神どもが。用が済んだならとっとと失せろ。そうでないと牢屋にしょっ引くぞ!」

「では、喜んで退散しよう」


 レストレードの言葉に、ヴィンセントは帽子を手に取り軽く会釈しながらレストレードの横を通り過ぎ、半ば現場の惨状に呆然とする警官隊に「失礼」と言って間をすり抜けていく。


「んじゃ、お仕事ごくろーさん」


 トバリもまた、レストレードの肩をポンと叩いて、まったく気のない挨拶と共にヴィンセントと共にその場を後にする。

 残されたのは、巨大な鉄の塊と化したレヴェナントの亡骸と、それを前に棒立ちとなった警官隊。そして、


「くそ、これだから請負屋ランナーは……面倒だけを残していく分、ホームズたちよりも性質が悪い」


目の前の状況をどう処理したものかと頭を痛めるレストレードだけが残されるのであった。


      ◇◇◇


 ――そして。

 男二人が実験棟を去っていく様子を見下ろす、影一つ。

 金色の双眸が、値踏みするように彼らを見下ろしていた。


「……あの程度のレヴェナントならば、容易く制圧できるわけですか。なるほど、確かに腕が立つようで」


 廃墟の上。排煙彩る空の下。黒い質素なドレスに身を包んだ少女が、青い髪を揺らしながら踵を返す。

 もう、此処には用がないと言うように。

 そうして後に残されたのは――


 少女の髪に飾られた、青い薔薇からこぼれた一枚の花弁だけが風に揺れていた。






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