幕間
来客用に設えているという部屋に案内される。オンボロの集合住宅という外観に比べ、内装はかなりまともだった。豪華絢爛とは言わないが、貧相とは程遠い。趣と気品の兼ね揃えられた寝具、机、椅子――なるほど、流石はサン=ジェルマン伯爵。良い趣味をしている――そんな称賛をして然るべき内装だった。
ベッドも柔らかすぎず堅過ぎず。腰を下ろした際の反動に感心しているうちに、「じゃ」と赤毛の少女が片手を上げて去っていくのを見送り――そしてそのまま仰向けに倒れた。
脱力と同時に、男は深い吐息を吐く。長らく続いていた緊張感が、漸く和らいだことを理解し、男は――レナード・スペンサーは安堵した。
「――……助かったぁぁぁぁ」
そんな言葉が自然と自分の口から零れたことに、レナードは苦笑した。
勿論、状況的には何も問題は解決していない。解決の糸口は、上司が口にした次の満月に関係するようだが……何を企てているのかは全く知らなかった。
そう。何も――何もだ。
あの人の――マイクロフト・ホームズの秘密主義は徹底されている。周囲から懐刀なんて呼ばれたりする自分ですら、何も聞かされていないのだからよっぽどだろう。
まあ、酷いことにはなるまい。そうレナードは思った。
そもそも、現状がすでに最悪の状況である。命の危機的状況である。はっきり言って、明日を迎えられるかすら怪しい身の上だ。
となれば、これ以上何をどうすれば酷くなるのか……レナードには想像がつかなかった。
しかし、だからといって何もしないというわけにもいかない。レナードは懐から懐中時計を取り出した。正確には懐中時計に偽装した
なんてどうでもいいことを頭の片隅で考えながら、レナードは機関魔導機を両手で弄る。手巻き式螺子を右に左に回す。カチカチカチと螺子が捲く音に耳を傾け、稼働音の最中微かに螺子が嵌る気配を指先で確認。螺子を奥に差し込むと、代わりに取っ手が飛び出してきて、レナードはその取っ手を摘まんで横に引いた。
中から、実に緻密な小型歯車と極細の配線がびっしりと詰め込まれた機械部分が姿を現し、その真ん中には半分以上焦げてしまった幾枚もの機関カードが姿を現す。
「あーあ……始末書もんだよなぁ、これ」
未だ開発途中の試験品を、マイクロフトに願い出てようやく借り受けることに成功した道具を駄目にしたのだ。むしろ始末書だけで済むならマシな部類だろう。
始末書には
機関カードを手に取り、レナードは訝しげにそれを眺める。
「……未だに原理が良く判らないんだよなぁ、これ。これの中に、機関魔導式を発動させる術式が書かれていて――」
次に、開きっぱなしの懐中時計型機関魔導機を見る。
「……この中の蒸気機関――小型の演算機械が読み取ることで解析し、周囲の
機関魔導式。そしてそれを操るための機関魔導機。
この二つさえあれば、機関魔導式の原理を理解できなくても、扱い方さえ知っていればその強大な恩恵を苦もなく振るえてしまうというわけだ。
まったく、恐ろしい道具である。
そして何よりも恐ろしいのは、この道具の用途が行きつく先が決定づけられていることだと、レナードは思う。
こんなものは、争いの種にしかならないだろう。しかし、そんなことは関わっている人間なら誰だって承知していることだ。
石が鉄に代わり。
槍が弓に代わり。
弓が銃に代わり。
銃は大型兵器へ代わった。
そしてその大型兵器も蒸気機関の発達により、一層高度な兵器へと進化した。
――そして今、それらの兵器に代わって世界を制する力が、着実と世界に弾頭し始めている。そう遠くないうちに、これらがレナードの想像する通りの用途をなす日が来る。
人類史を振り返ってみても、こういった文明の利器は最終的に碌な結果にならないことは、とっくに証明されている。
(あの鋼鉄の異形――レヴェナントへの効果は今のところ判断が難しい。だが、人間相手なら?)
結果は、想像に難くない。
脳裏に過った答えに、レナードは辟易するように天井を仰視した。
「物騒な世の中だなぁ……」
物騒な使い方をした自分が言うのもなんだけれどねー、とレナードは一人で思い、一人で笑う。
笑ったところで、自分の顔の横で何かが動く気配を感じ――レナードは我に返った。
部屋に案内されてまずベッドに寝かせた赤子が、視界に移る。僅かにだが、目元が動いている。
「ああ、拙い拙い! もうちょっとだけ起きないでっ!」
レナードは慌てて手元の機関魔導機の機関カードの差し替え始めた。焼き切れた機関カードを手早く引き抜き、新しいものを差し込んで飛び出していた内部機械を押し込む。カチリと部品が嵌る音と共に、時計部分の回転駆動部が稼働。時計としての機能が励起し、かちかちかちと規則正しい音が部屋に響く。
レナードは急ぎ、懐中時計の横に備わる操作釦を手早く押し、機関魔導機を昨日励起させ、術式選択の操作を行う。
規則正しい寝息に安どの吐息を零し――そして次の瞬間には申し訳ない気持ちになる。まだ生まれて半年程度の赤ん坊に対し、勝手な理由で延々と眠らせ続けなければならない自分に嫌気が差しす。しかしそれもこの子を守るためなのだと、レナードは自分に何度も言い聞かせ――
「――……ごめんな」
彼はくしゃりと
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