巨人と男が対峙している。

 怪物と探偵が相克している。

 なんと、なんと奇妙な情景だろうか。ジョン・H・ワトソンは、現実味からほど遠いその様子を見ながらそう感じていた。

しかも困ったことに、その奇妙さはそれだけに留まらない。

 巨人と対峙する男は、ゆったりとした佇まいで巨人を見上げている。対して、巨人はかちかちと歯車の周る音を、きちきちと全身から金属の軋む音を響かせながら男を見下ろし、その巨躯を持ち上げ――無遠慮に腕を振り下ろした。

 圧倒的重量。圧倒的質量による打撃。どう考えても必死の一撃。

 しかし、男は振り下ろされた巨人の腕を難なく回避し、どころか振り下ろされた腕に軽く手を添えて、一拍置き。


「――噴ッ!」


 裂帛の気迫と共に拳打を叩き込んだのである。ズンッ! と、距離のあるワトソンの下にすら感じ取れるほどの力強い踏み込みと共に、男は添えた拳を思い切り突き込む――すると、あろうことか巨人の鋼鉄でできた腕がたわんだではないか。

 本来ならありえない情景だっただろう。

 しかし、目の前で男が――ワトソンの友にして、このロンドン随一の、あるいは世界で最高の頭脳を持つ男、シャーロック・ホームズが披露するは、その明晰なる頭脳の冴える様ではなく、どういうわけか、常識という概念を覆す様相だったのだから、口にする言葉もない。

 一体どの世界を探せば、鋼鉄の塊を拳一つで歪める人間がいると言うのか。


「どうだ、鋼鉄の怪物よ。このロンドンを彷徨う哀れなりしレヴェナントよ。これこそがバリツだ」


 不遜に鋼鉄の化け物へ言い放つ友人の背を見つめ、ワトソンは苦い笑みを零しながら担いでいた機関機械を地面に放り捨て、背負っていた別の武器を手に取りながら、呆気に取られている少女へと歩み寄る。


「怪我はないかな、ミス・リズィ」


「ん? ああ、ワトソン先生。ん、大丈夫」


 キャスケットの少女――リズィが振り返って彼の姿を確認すると、眠たげな半眼のままに頷いた。手には、小柄で可愛らしい少女には実に似合わない、機関機械の銃を握っている。それは見たこともない奇形の銃だった。それなりに従軍経験のあるワトソンでも見たことのない代物。恐らくは彼女たちの雇い主たるあの奇抜な紳士が造った代物なのだろう。

嘘か真かは知らないが、彼らの雇い主はその名に恥じぬ技術を有しているのは間違いない。

 ワトソンはホームズと対峙する巨人を見る。

 巨人――否、あれこそが鋼鉄の怪物。このロンドンに蔓延りし、実しやかに囁かれる都市伝説上の存在。

 魂を失い、彷徨う者。

 鋼鉄クローム蒸気機関エンジンを宿した、人間であった存在リビングデッド


 ――レヴェナント。


 そう呼ばれている化け物。ホームズが投げ飛ばした巨体は、その一体だろう。見上がるほどの長駆に、まるで巨木のような腕と足。そのすべてが鋼鉄クロームと蒸気機関でできた異形だ。


「名付けるならば――《巨人ティターン》か」


 ワトソンは、レヴェナントを見据えながら小さく零す。

 かつて、まだ知り合って間もない頃。極東より訪れた友人――ツカガミ・トバリが言っていたことを思い出す。


『俺の生まれた国に、こーゆー諺がある。〝幽霊の正体見たり枯れ尾花〟ってな』


『どういう意味だ?』


『簡潔にいえば二つ。恐怖心や疑いの気持ちがあると、何でもないものまで恐ろしいものに見えるってこと。

実はとても恐ろしいと思っていたものも、正体を知ると何でもなくなるってことだ。

 レヴェナントってのはまさにこの言葉通りの存在だ。奴らは得体が知れない化け物だ。だから話を聞いた連中は畏れる。そして、対峙する請負屋たちですら、その異形に慄く。

 だから、皆奴らと対峙した時、まず名前を付けるのさ。名前があるってことは、存在が確かだってことだ。その姿を見て、こいつはこーゆーやつだって自分に言い聞かせる。そうすれば、得体が知れない恐怖は薄れるだろう? まあ、代わりにとんでもない怪物と戦ってる、っていう認識は生まれるが……そればかりは、そいつの胆力次第だろ』


 たまたま酒を飲み交わしたときに、滔々とレヴェナントと対峙した時の心得を語った彼の言葉。

 ワトソンにとって、レヴェナントとの対峙は指で数えるほどだが――実際に彼の言っていたことを実践してみれば、なるほどと納得する。

 いや、恐ろしいことには違いない。何せ相手は、自分などより遥かに巨大で、人間ではおよそ及びもしないほどの力を有した、都市伝説に語られる怪物である。

 だが、こうして名を与えてみれば――確かに、得体が知れない正体不明の恐怖の存在アンノウンとは思うまい。

 あれは《巨人》だ。ワトソンはそう自分に言い聞かせた。存在証明できない存在ではない。ただ、鋼鉄と蒸気機関でできた巨大な人型だ。

 実際、あれほど巨大ではないにしろ、大型の蒸気機関運搬機械などは、現実に存在しているのだ。ようはそれが人の形をしているというだけのこと。

 トバリの語った《蜘蛛》や《人花》などに比べれば、まだまだ優しい部類だろう――そう自分に言い聞かせて、ワトソンは盛大に溜め息を零しながら手に握る機関兵器を構えた。

 英国軍正式採用兵装アームド・フォーシズ・ロイヤル=クラウンの一つ。戦時下にのみ使用認可される、一射多弾射撃型炸裂弾頭銃〈HOB〉。

 七つの銃身が階段のように組立っている形状から、通称オルガンとも呼ばれているこの銃は、グレート・ゲームの最中に開発された機関兵器だ。

 銃爪を一度引くだけで、装填されている七発の弾丸を撃ち出し、更に一定距離を飛んだ後に弾頭が炸裂――内蔵されている七発の炸裂弾を投下する――つまり一射するだけで合計四十九発の弾丸を敵の頭上から降り注がせることのできる悪魔的兵器である。

 故に〈HOB〉――即ち惨劇を齎す弾雨ハイル・オブ・バレッツと呼ばれているのだ。

 ワトソンはそれを遺憾なく構えると、銃口をぴたりと《巨人》へと合わせながら、嘆息交じりに声を上げる。


「ホームズ、当たるなよ」


「――ん? ワトソン、今なんと――」


 返事のすべてを聞くよりも先に、ワトソンは銃爪を引いた。同時に銃身に搭載されている小型蒸気機関が圧力を生み出し、大小無数に内蔵されている歯車ギアを高速で回転――連動している七つの撃鉄ハンマーが一斉に雷管キャップを叩き――その通称に相応しい七重奏の銃声を響かせながら弾丸を発射した。

 噴出煙の尾を引いて、七つの弾頭が一斉に《巨人》へと殺到する。そして《巨人》の眼前に迫った時、弾頭が花開くように裂けて、中から一回り小さな七つの炸裂弾がそれぞれ放たれ、一斉に《巨人》へと炸裂する!

 四十九の炸裂弾頭が次々と《巨人》へ襲い掛かり、弾頭が着弾するたびに衝撃と爆炎が《巨人》を襲っていく――そんな中で、


「――ぬおおおおおおおおおおおお!」


 ホームズが、陸上選手の如く爆炎の中から飛び出して此方に走って来る姿を見て、


「お、すごい。無事だ」


 リズィが抑揚のない驚嘆の科白を零し、ワトソンは走って来るホームズを見て嘆息を零した。ワトソンたちの元まで走って来たホームズは、ぜぃぜぃと肩で息をしながら友人に詰め寄り詰問する。


「おい、おいおいワトソン! 酷いじゃないか、私ごと撃つなんて……私に当たったらどうするつもりだったんだ?」


「君のことだから、どうせ大丈夫だと思っていたよ。ライヘンバッハに比べれば、この程度のことなんてなんともないだろう?」


「……まだ根に持っていたのか、狭量な奴だな」


 ワトソンの皮肉に、ホームズはなんとも表現し難い微妙な表情を浮かべ、眉を顰めた。

 そして、そんな二人を見上げながら、リズィが苦笑しつつ訊ねる。


「仲良いねぇ――ところで、お二人さんはどうして此処に?」


「ミスター・トバリに頼まれたのだよ。万が一の時に備えて、君を迎えに行って欲しいとね」


 リズィに問いに、ホームズが口の端を釣り上げて答えた。途端に、リズィは「うげっ」と零しながら渋面した。


「一人でも平気だってのに……」


 きまり悪げに零すリズィに、ホームズはくつくつと笑いながら言う。


「まあ、そう言ってやるな。彼なりに、君のことを心配してのことだろう。それに我々としても、この件は気になっていたことだしね。見届けるついでに引き受けたのだよ」


「嘘を言うな、嘘を」ホームズが胸を張って嘯く横で、ワトソンは嘆息しながらリズィに言った。


「トバリに頼まれいたのは本当だ。尤も、この男はぎりぎりまで行きたがらなかったのだがね。重い腰を持ち上げさせるのには苦労したよ」


「それは言わないでほしいことだったな、ワトソン君」


「君が下らない嘘を吐くからだ。それよりも――ホームズ、後ろを見ろ」


 言いながら、ワトソンは顎をしゃくってホームズの背後を差した。ホームズが首を傾げながら後ろを振り向くと、炎と煙に包まれながらもまだ立派に二本の足で立ち上がる《巨人》の姿があった。

 それを見上げ、ホームズは呆れるように嘆息する。


「随分頑丈だな。〈投擲穿鑓ジャベリン〉の後に〈HOB〉を叩き込んだはずだ。弾はケチっていないはずだろう?」


ホームズの問いに「君じゃああるまいし」と肩を竦める。


「やはり機関核を破壊するか、機関制御脳エンジン・ブレインを切り離さなければ駄目なようだな」


「うーむ。腕利き請負屋プロ・ランナーでもなければ、レヴェナントの機関核を壊すのはなかなかに手間だぞ。ワトソン先生、他に良い武器オモチャはあるかい?」


「君を連れて来るのに時間を食い過ぎたからね。用意できなかったよ」


 遠回しに「お前のせいだ」ということを忘れないように言葉を選んでワトソンはホームズをねめつけると、ホームズは「またそうやって私のせいにする……」と零しながら、やれやれと肩を回しながら言った。


「まあ、仕方あるまい。今一度、私のバリツで相手をしよう」


 そう言うや否や、緩やかな足取りで、ホームズは《巨人》へと詰め寄っていく。極東流の独特な歩法だ。滑るように地を歩み、音もなく間合いを突き詰める――気づいた時にはもう、相手が目の前に立っている、間隙を縫うような足運びで、ホームズは殆ど一呼吸の間に《巨人》との間合いを詰めていた。

 しかし、鋼鉄と蒸気機関でできた《巨人》は、目敏くホームズの接敵に気づいたのか、その頭部に備わっている赫眼で彼を追っていく。

 同時に、ちらりとホームズが此方に視線を向けた。ワトソンはただそれだけで自分が取るべき次の行動を理解し、両手を閃かせる。

 しゃがみこむと同時に、最初に地面に放り捨てた機械仕掛けの筒を拾い、もう片方の手で肩から下げていた鞄から円錐型の弾頭を取り出し筒に――発射筒台の先端に叩き込み構える。

 対搭乗型機関機械アンチ・ライド・エンジン・マシーン用貫通弾頭〈ジャベリン〉。

 その名の通り、搭乗型の機関機械を守る硬い装甲を貫通するために南北戦争時代に設計された特殊な炸裂弾頭である。尤も、当時の合衆国では搭乗型機関機械の運用難易度から実践投入された例は少なく、結果開発されたものの殆どが使われずじまいになり、今では闇取引などでたまに流出して、レヴェナント狩りをする請負屋などが主に買い取っているような代物である。


(まったく……こんなものを何処から手に入れてきているんだか……)


 照準を合わせながら、ワトソンは〈ジャベリン〉を何処からか入手してきたホームズに、そしてそんな代物を手慣れた動作で扱える自分に呆れてしまいながら、ワトソンは引き金を引いた。

 圧縮瓦斯と共に放たれた〈ジャベリン〉が、《巨人》へと一直線に飛んでいく。ホームズに気を取られていた《巨人》は、迫る〈ジャベリン〉に反応するのが遅れ――無防備だった胸部に〈ジャベリン〉が吸い込まれる!

 何度目かの爆炎が《巨人》を襲い、その胸元が弾け飛んだ。再三に叩き込まれた爆撃によって、ついに硬いクロームの装甲が吹き飛びその内側を露わにする。

 脈動するように明滅を繰り返す、機械仕掛けの球体――それは機関核と呼ばれる、レヴェナントの心臓。

 剥き出しになったそれを見上げるホームズが、ひっそりとその口元を歪めたのを、ワトソンは見逃さなかった。


「まったく……どれだけの人間の魂をそんな鉄塊に押し込めているんだ――今、解放してやろう」


 ワトソンには見えない何かを見据えながらそう囁き、ホームズは傾ぐレヴェナントに足を掛け、ぎちぎちと悲鳴を上げる機械の隙間を足場にひょいひょいと、まるで木登りをするかのように駆け上って、あっという間に剥き出しになった《巨人》の胸元に辿り着くと、脈動する心臓目掛けて、裂帛の気合と共に渾身の一打を叩き込む。

 すると、拳撃によって叩き込まれた衝撃が内側から膨張し――硬い硬い鋼鉄の心臓が、内側からゆっくりと崩壊していく!


 それは砕勁サイケイと呼ばれる拳撃バリツの一つ。鎧などを腕の延長と考えて衝撃を内側に叩き込む浸透勁と呼ばれる技を応用したものだ。


 如何に相手が人知を超えた鋼鉄の怪物なれど。


 如何に相手が常人の力が及ばぬ化生であれど。


「――バリツの前では無力に等しいのだよ」


 心臓を失った《巨人》は、まるで全身のあらゆる留め具が外れたように、ばらばらに崩壊していく。そんな中で悠然と佇むホームズの不敵に笑う姿に、ワトソンは憧憬すればいいのか諦観を抱けばいいのか判らず、代わりにただただ溜め息を吐いた。

 何はともあれ、ワトソンたちが引き受けた依頼はこれで官僚と見ていいだろう。他にも《巨人》のようなレヴェナントが居れば別だが、今のところそのような気配は感じられない。

 ならば、最早自分たちにすることはなにもないだろう。


「あとは――トバリたちのほうだけか」


「そだね」


 ワトソンの呟きに、リズィが遠くで今なお立ち上る炎を真っ直ぐ見据えながら頷いた。そんな少女の背に、ワトソンは励ますように言う。


「大丈夫だ。トバリやヴィンセントさんは、我々よりも強い」


「……そだね」


 頷きながら、だけどリズィの表情は晴れなかった。当然と言えば、当然だろう。

 今あの場で何が起きているのかワトソンには判らない。

 極東の友人や、その雇い主や依頼人があの場にいると言うことだけは知っているが――果たして、どのような事態になっているのかまでは、ワトソンも知らされていない。

あるいは――ホームズならば、もしかするとあるていどの予想はついているのかもしれないが、あいにくそれを聞いてみようとは思わなかった。

 自分たちにやれることは、できる限り手を尽くした。

 あとは結末を見届けるくらいしか、自分にはできないだろう。ジョン・H・ワトソンという男は、友人ホームズと出会った時からずっと、そういう立ち位置にいるのだ。


「なーに、ワトソンが言う通り、彼らなら大丈夫だ。なんといっても、伝説の錬金術師様に、レヴェナント狩りの《鮮血の怪物グレンデル》だ。同道した女性レディもなかなかの腕前と見えたからな――座して待とうじゃないか。彼らの凱旋をね」


「ホームズ……君が言うと、随分胡散臭く聞こえるが――まあ、その意見には賛同するよ」


 いつの間にやら戻ってきたホームズが、そう言ってにやりと口の端を釣り上げるのを横目にしながら、ワトソンは苦笑を浮かべた。


「うん、のんびり待とう」


 そんな二人のやり取りに、少女が微かに口の端を釣り上げた。

 何処かの、紅い獣の青年に似た笑みだと、ワトソンは思った。





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