Ⅴ
遡ること数時間前。
「――さて、ミス・リズィ。君に頼みたいことがある」
「ん?」
伯爵に言われて、アタシは首を傾げる。アタシを見下ろす伯爵は、にこにこと笑いながら大きな
アタシはそれらを見て小首を傾げ、伯爵を見上げる。
「何、これ?」
「秘密兵器だ」
アタシの質問に、伯爵は楽しそうに口元を綻ばせながら言った。実に生き生きとした表情で、伯爵は離れた場所で装備の点検をしているトバリやミス・クオリに聞こえないように声を潜めてアタシに囁く。
「――君には、我々とは別に隠密行動をとってほしい。そしてこの荷袋の中身を、紙に書かれている通りに設置してもらいたい。案内は、この機関機械がしてくれる」
「これ?」
アタシは荷袋の横に置かれている機関機械を見た。手のひらに乗るくらいの小型の機械を手に取って、まじまじと眺める。
「真ん中に赤い釦があるだろう。それを押してみたまえ」
伯爵に言われるがまま、アタシは機械の真ん中にある赤い釦を押した。すると、手の中の機関機械が突然震えだして、驚いたアタシは思わず機械をテーブルの上に放り投げる。
するとテーブルに落ちる寸前、機関機械がぱかりと開き、変形する。一瞬にして、円盤状の機関機械が鼠に姿を変えたのだ。
「おお!」
思わず、アタシは声を上げた。そんなアタシの反応を見た伯爵は、満足げに頷きながら言った。
「私が造った
「ほほー」
テーブルの上をちょろちょろと動き回る〈悪戯者〉をしげしげと見つめながら、アタシはそんな声を上げる。「キキィ?」と首を傾げてアタシを見上げる〈悪戯者〉に、くすりと失笑しつつ、伯爵に聞いた。
「で、止めるときはどうするの?」
「同じように、背中の釦を押せばいい。そうすれば、元の形に戻る」
「なるほど」アタシは伯爵の言葉に頷きながら、〈悪戯者〉の背中の釦を押す。すると〈悪戯者〉がびくりと震え上がって、次の瞬間にはかちかちかちという機械音と共に、元の円盤状機械に早変わりした。
またまたアタシは感心しながら〈悪戯者〉をコートのポケットに突っ込んで、荷袋を手に取って背負う。そしてテーブルの上の紙を手に取って中を見れば、詳細な地図と指示が書かれていた。
「ん、任された」
アタシは伯爵を見上げて言葉少なに頷く。そんなアタシの反応に、
「ああ、頼んだよ。ミス・リズィ」
伯爵は微苦笑を零しながら首肯し、目元を柔和に綻ばせていた。
† † †
伯爵と、そしてトバリたちと別れてから数時間。アタシは伯爵お手製の
「うへー、狭っ……」
なんて愚痴を零しながら、アタシは匍匐前進する。背負っていた荷袋を革帯で引っ張りながら、前を進む〈悪戯者〉くんの後をすごすごと追いかける。
「君はいいねぇ。ちっさいから、狭いなんて思わないっしょ」
そう話しかけると、〈悪戯者〉くんは律儀にアタシを振り返って「キキィ?」と首を傾げた。まったく、なんとまあ愛嬌のある子だろう。伯爵の発明は変なものが多いってトバリが言っていたけど、これはかなり出来のいい作品なんじゃないのだろうか。
なんて感想を抱いていると、〈悪戯者〉くんが歩みを止めて跳び上がった。「キキィ! キキィ!」と鳴き、
「ほいほい。りょーかいだよ」
アタシは計二十一回目の目的地点の到着に、口元をやんわりと歪めながら荷袋から必要な物を取り出す。
長さ十五センチくらいの細長い機関機械。アタシは機関機械の両端を握って、軽く捻った。かちんという機械音。そして
ピッピッピッ
という、一定の間隔で鳴る電子音。
これが何かなんて、考えるまでもなかった。よっぽどの莫迦でもない限り、想像するのもきっと簡単だろう。
「ぶっそうだよなぁ。こんなのを二十個も三十個も設置しようなんて――伯爵、恐ろしや」
そう言っておきながら、アタシは自分の口元が楽しそうににやりと綻ぶのを感じた。そしてそんな風に感じてしまう自分に、なんてろくでもない奴なんだろうなぁ、なんて思う。
だって、仕方がない。
これがどれくらい強力なのかアタシは知らない。伯爵は教えなかったし、アタシも聞かなかった。だけど、大体の想像も予想もできる。
だって、これを作ったのはあの伯爵なのだ。私の手に握られているこの機関機械は、レヴェナントなんて訳の分からない怪物を葬るための武器を、面白半分で作り上げる人が作った代物なのだ。
だったら、きっと、すっごい物に決まっている!
ワクワクしてしまう。不謹慎だって判っているけど、やっぱりワクワクしてしまうのだ。
アタシは二十一個目のそれをその場に設置すると、〈悪戯者〉くんを見て親指をぐっと立てて見せた。
それが設置完了の合図で、アタシの合図を確認した〈悪戯者〉くんは、「キキィ!」と鳴きながら頷いて、再び歩き始めた。
アタシはにんまりと笑いながら、その後を追って匍匐前進を再開する。
さて、残り九つ。
さっさと設置してしまおう。
† † †
そんでもって現在。
「おお、ド派手じゃん!」
背後で、まるで火山が大噴火したように噴き出す炎を目にし、爆音を耳にして、アタシは僅かに目を剥いた。
きっとあの炎は、ロンドンの何処に至って見えていることだろう。なんたって、こんな市街から外れた場所からすら見えるのだ。
夜中……いやもうすぐ明け方になるような時間だというのに、空すら照らすほどのまばゆい炎が立ち昇る様は壮観だった。霧と排煙に呑まれるこの都市が、紅く紅く照らし出される様子に息を呑んでしまって――
「おっと、いけない」
アタシは我に返って肩を竦める。長々と眺めていたい光景ではあるけど、今は此処から
アタシは荷物を背負ってその場から走り出す。
ロンドン市街から離れたグリーンランド・ドッグ近くの廃屋群をひっそりと進んで――暫く走った後、アタシは目を丸くしながら足を止めた。
「……嘘っしょ」
何かが――。
何か巨大なものが、アタシの進む方向からゆっくりと向かってくるのが見える。
かちかちかち ぎちぎちぎち
鉄と鉄の咬み合う音と、軋轢の音。そしてぶしゅーと不規則に吐き出される蒸気圧の音――あれは、まごうことなき蒸気機関の化け物。
「なん……で? しかも、デカすぎじゃ……」
驚くアタシの脳裏で、以前トバリがきかせてくれたミス・クオリの依頼の内容を思い出す。
――人の大きさ程度の相手ならば、まだどうにかできたでしょう。ですが、中には大型の――それこそ見上げるほど巨大なレヴェナントすらいました――
なんて説明をしていた、と言われていたらしい。でも、アタシがトバリと一緒に工場に言ったとき、そんなものはいなかった。
だからきっと、ミス・クオリの見間違いか何かなんじゃないか、って思っていたのに。
「そんなの……アタシのために用意しなくてもいいじゃんさー」
アタシは絶望的な気持ちになってそう零しながら、どうしたものかと遠目にレヴェナントを見る。
巨体のレヴェナントは、まっすぐ此方に向かってきているようだった。だとすれば、狙いが何かなんてそれこそ考えるまでもない。
試しに少し進路をずらしてみれば――正確無比にレヴェナントはアタシのいる方向に進行方向を変えている。
……やっぱりアタシが狙いか、こんちくしょーめ。
心の中で毒づいて、アタシは盛大に溜め息を零しながら荷袋を下ろし、中を漁って武器を取り出す。
伯爵お手製の
「……これで倒せるかぁ?」
思わず、そうぼやいた。
振り返ってみれば、巨身のレヴェナントはもう目の前まで迫っていた。いや、巨身と言っても、目測でおよそ十メートルはないくらいの
とはいっても、
「まあ、そんなの普通なのかもしんないか」
よくよく考えてみれば、それが普通なのかもしれない。トバリがいい例――いいや、あれは悪い例かもしれないけど。
アタシたち以外にもレヴェナントと戦っている請負屋はいて、彼らは自分たちよりも圧倒的に強くて、圧倒的に硬くて、圧倒的に大きなレヴェナントと戦う。
レヴェナントは基本的に理不尽だ。人間が戦いを挑んで勝てる可能性が低い、鋼鉄の化け物。それと対峙するということは――きっと、こういうことなんだろうなと漠然に感じ取る。
そしてきっと、トバリだってそうだ。
あの人は強いけど、普通の人間よりずっと強いけど――無敵ってわけではない。発条足ジャックの時だってそう。
人間がレヴェナントと戦う――ただそれだけで不利で、理不尽で、分が悪い。いつだってそう。分が良い戦いなんて、きっとない。
そんな中でも、持ちえる技能と頭脳と小細工のすべてを拱いて戦う――きっとそれがレヴェナント戦というものなのだろうと、アタシは漠然と思った。
「〈祈り仔〉一つであれと戦って勝つ方法……」
考えないといけないのかぁ、と思わず虚空を見上げて現実逃避したくなる。勿論、そんなことはしないけど。
アタシはゆっくりと銃口をレヴェナントへ向けた。レヴェナントとの距離はかなり詰まっていて、目測でおよそ二〇メートル先に迫っていた。
アタシはしっかりと狙いをつけて、銃爪を引いた。
カシュッ――という小気味良い射出音と共に、クロームの杭矢が放たれる。一直線に空を疾った杭矢。狙ったのはかつてトバリに教えてもらった通り、機関核があるであろう心臓部。
吸い込まれるように胸部へと飛んだ杭矢は、しかして厚い鋼鉄の外装に弾かれて落下する。
「うーん、駄目か」
そう零しながら、アタシは二射、三射――ううん、次々と銃爪を引いて、とめどなく杭矢を連射する。
しかし、何発撃ち込んでも硬いクロームの装甲に阻まれてしまい、レヴェナントの足を止めるには至らない。
「くっそー。どうしろってのさ」
アタシは愚痴りながら新しい弾倉を取り出して着装――しようとして、荷袋に突っ込んだ手が空振りしたのに気づく。
「――あれ?」
アタシは荷袋の中を見た。其処に入れていたつもりの予備の弾倉が見当たらず、首を傾げ――「ああっ」と思い出す。
伯爵に渡された荷物が思いのほか重くて、置いて来たんだ。
「やっちゃったか……」
思い出したアタシは苦笑いを零し、アタシは腰に吊っている鞄から、そこに一個だけ残してある弾倉を取り出した。
最後の一個。これでどうにかできるかなぁ? なんて首を傾げながらも、アタシは弾倉を装着させて――初弾装填。
「あー信じらないなぁ。やっぱ手伝うなんて言わないで帰って寝てればよかったかなぁ」
と、冗談交じりに独り言ちて、アタシは口の端を釣り上げる。
絶望的な状況なのに、どういうわけか笑みが零れた。いや、ううん。多分、違う。
絶望的な状況だからこそ、笑ってやるのだ。苦しくて、辛くて、悩ましい――そんな気持ちを嘲笑って見せる。
それはまるで、儚い祈りのようなものだ。
あの日、ハリーがくれたであろう言葉みたいに。有り得ない――だけど、そうだったらいいなという気持ちの表れ。
そう思えば、なるほど。どうしてトバリがよくよく戦っているときに笑っているのか判る気もした。
「まだまだやれる――ってことかな」
勿論、本人に聞いたわけじゃないから、本当のところは判らないけど。今はそう思っておこうと、アタシは思った。
だから、アタシは〈祈り仔〉を構える。もう目の前まで迫って来ていて、人に近いその大型のレヴェナントが拳を振り上げている様を前に――笑う。
「
やってみろ。
ただじゃ、負けてやらない。
せめて一発、痛いのを喰らわせてやろう。
そう意気込んで、迫る拳に向かて銃口を向けた――その時だった。
ズゴンッ、という凄まじい衝撃音と共に、目の前のレヴェナントの胸元に炎が灯った。
爆発と衝撃。ついさっきロンドンの中心部から吹き上がった爆炎を思わせる一撃がレヴェナントの胸元に叩き込まれ、大きくその身体が傾いだ直後。
アタシの視線の先。レヴェナントの足元に佇む一人の影。
彼は――シャーロック・ホームズは、レヴェナントの足元に佇み、その足に手を添えると、不敵に微笑みながら此方を振り返って言った。
「まるで何処かの紅い獣みたいなことを言うじゃあないか、
そう、からかうように言った名探偵はというと――
――あろうことか、自分より何倍も巨大なレヴェナントを放り投げてみせたのだ。
まるで地震が起きたような衝撃が辺りを襲い、大量の粉塵が辺りを呑み込んだ。アタシは舞い上がった粉塵に思わず顔を覆う。
何も見えない視界の中で、ただ――ただ彼の、シャーロック・ホームズの声だけが、やけにはっきりと耳に聞こえた。
「さあ、立つが良い。鋼鉄の怪物よ。私のバリツが、君の相手をしようじゃあないか」
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