Ⅳ
ずかずかと廃工場の中へと足を踏み入れながら、トバリは背後を振り返って不満げに頬を膨らませる少女を見やった。
「六七対三一、か――圧倒的な戦果の差だったな」
にやりと。わざとらしく挑発の笑みを浮かべれば、リズィは唸りながらトバリを睨みつけた。
「ぬぬ……すっごい屈辱なんだけど」
「自分の未熟を恨めよ――っていうか、初陣でそれだけ戦えれば上出来だと思うぜ?」
そう言って、トバリはリズィの頭を帽子越しにぽんと叩くと、リズィは朱色の瞳を半眼西「扱いがぞんざいだよー」となおも不満の声を上げていた。
しかし、
(……上出来どころかなぁ。正直、驚嘆の一語くらいしか出てこないんだけどな)
実際のところ、リズィの戦果は
リズィに戦闘経験があるようには見えなかったが、もともと彼女は何でもそつなくこなす性質である。やる気や覇気の欠如が目立つけれど、身体能力の高さや手先の器用さは前々から目を見張るものがあったのだから、この戦果は想像の範疇ではあった。あったのだが――せいぜい三、四体倒せればいいだろうと思っていたのだ。
しかし現実を目にしてみれば、結果は予想をはるかに上回る戦果となったのだから、それはもう適当な言葉も出ないのだって仕方がないことだろう。
「いい結果なのか悪い結果なのか……」トバリはリズィの前を歩きながら、溜め息と共に小さくぼやいた。
今回の件は、多かれ少なかれこの少女の今後に影響を及ぼすだろう。
そもそもリズィは、貧しいなれど平穏な世界で生き育った人間である。
本来ならばレヴェナントの存在など認識することはなく、ただの噂話と信じ疑わない――ロンドンに住むだいた衆の一人であるべき少女。その彼女が、何の因果か
それは――ただそれだけで奇跡のような出来事なのだ。本来ならば。
あとは白昼夢か何かと思って忘れて、レヴェナントなど御伽噺だった――そう思って生きていけばいいはず。
なのに。どういうわけなのか、ヴィンセント・サン=ジェルマンは彼女をこちら側に引き入れた。
彼がこの少女を事務所に連れて来た時は、我が目を疑ったほどだ。
(ヴィンスの奴……本当に何を考えているんだか)
花がないとかどうのこうの言ってはいたが、果たして何処まで本気なのかは判らない。すべてが虚言かもしれないし、本音であった可能性も否めない。
つくづく、摑みどころがない男だと思う。何を思い、何を考え、どのような思惑を抱いているのか。まったくもって知る由もないのだ。
様々な物事に通じ、その知識を惜しみなく披露するその一方で、あの男は己のことは多くを語らない。語ろうともしない。尤も、トバリとしてもそれはそれで一向に構わなかったのだ。知ろうと思ったことはなかったし、そもそも彼の氏素性になど興味はなかった。だが――
(一度、ちゃんと腹を割って話をするべきかもな……)
まあそれも、今後も彼と付き合いが続くようであればの話だが。
「さーて、どうなることやら」今後の進退を思って小さく零すと、「なんか言った?」耳ざといリズィが首を傾げる。トバリは「独り言だよ」と軽く手を振って返事を返しながら、さて明かりでも取り出そうかと腰の鞄に手を伸ばして――
――ぞろぉぉぉぉぉぉぉり……
と。
全身を――皮膚の内側を大量の小蟲が這い上がってくるような怖気。
同時に身体の中が食い荒らされるような、悍ましい錯覚が全身を襲い、トバリはそのえも言えぬ感覚に息を呑んだ。
背後では「ひっ!?」と小さな悲鳴。振り返れば、リズィは《屍鬼》と遭遇した時など比にならないほど青ざめた顔をしてその場に蹲っている。
「おい、しっかりしやがれ!」
トバリはリズィの前で膝をついて叱声を投げた。リズィがこちらを見上げ「うっ……うう! 判ってる、けど、これ……ヤバいやつ、だ」と呻く。
その科白を聞いて、トバリは不覚にも口の端を釣り上げてしまった。
実に聡い娘だ。
まるで野生動物並みの危機察知能力である。この気配を発する相手が、これまで出会った何者よりも恐ろしく悍ましい存在だということを、本能的に察し恐怖しているのだ。
トバリは口の端を釣り上げ――しかし普段の不敵な笑みとは程遠い乾いた笑みを浮かべながら、
「はっ、そうだろうな。そうだろうとも……この気配はやべぇ。いや、ヤバいなんてもんじゃない。レヴェナントなんて足元にも及ばないような正真正銘の怪物だ」
「嘘っしょ? そんなのいるなんて、聞いてない……し」
「だな。いや、まあ俺にとっては、願ったりかなったりなんだけどもよ……」
「それって、どういう――」
――意味? という言葉が続くことはなかった。いや、続いたのかもしれないが、少なくともトバリの耳にリズィの声は届かなかった。
代わりに聞こえたのは、凄まじい破砕音とそれに伴く衝撃。廃工場全体が、まるで自身にでもあったかのように激しい揺れに襲われ、リズィが「うわぁあああああ!?」となお悲鳴を上げる。
だが、最早リズィを気遣っている余裕は、トバリにはなかった。
――いるのだ。
この場所に。ずっと探し続けていた相手が、トバリにとっての仇敵が、暴力と殺戮の化身の如き邪鬼が、此処にいる!
「リズィ、急いでここから逃げろ! んで、事務所で待ってろ!」
そう言い残すや否や、トバリは振り返ることもせずに地を蹴って走り出した。床を這うような低姿勢での全力疾走。四足歩行の獣の如く、瞬く間にリズィを置いて狭い廊下を走り抜ける!
「ちょ、トバリ! 待って――」
遠ざかる背後で呼び止める声が聞こえてきた。だが、留まることも振り返ることもしない。
今は――
不自然な揺れが断続的に続く。
走り抜ける廊下の向こう。まるで隠す気もない――それどころか来いと言わんばかりにあふれ出る気配を追って、トバリは廊下の端にある部屋へ。
混凝土の狭い部屋の真ん中。不自然にできた床の穴に、トバリは迷いなく飛び込む。十数メートルの高さを一気に落下。同時に刃鎖を頭上に投げ放ち、先端で繋がる短剣を天井へ食い込ませて即席の
ぐんっ、と身体に落下の衝撃がかかり、その反動で刃鎖が天井から外れた。地下に危なげなく降りると、刃鎖を巻き取りながらトバリは目の前にぽっかりと開かれた通路を再び走り出す。
一分一秒。刹那の時すら惜しむように。
悍ましい気配が、気を抜けば一瞬で自分の死を錯覚してしまいそうな、鋭利であり荒々しい殺気が満ちていく。
耳に届くのは凄まじい破砕音。そしてその間に幾度も挟まれる銃撃音。音の出所はもうすぐそこだった。
そして――辿り着いたのは開けた、まるで荷物が何も置かれていない広い倉庫のような場所だった。
その真ん中で踊る影、二つ。
いや、もう一つ。踊る二人から少し離れた位置で片膝をつく見慣れた背中――それはヴィンセント・サン=ジェルマンのものだった。
普段のトバリならば、すぐさま彼の元へ駆け寄っただろう。
だが、トバリはそうはしなかった。いや、できなかった。
踊る二つ影。
一つは青く長い髪をした女性――依頼主たるエルシニア・アリア・リーデルシュタインが、二挺の機関式小銃を手にボロボロになりながら戦っていた。
そして残るもう一つの影を見た。
白く長い髪を靡かせた邪鬼。
白い着物を真っ赤に染めた邪鬼。
その姿を目にした瞬間、トバリは――
「は……ははは」
自然と。
自然と、彼の口からは笑いが零れた。
それが何に対してのものなのか、トバリには判らなかったけれど――
(――漸く……漸く見つけたぞ!)
その姿を前に、トバリも又その口元に獰猛な笑みを深めていく。
感覚を研ぎ澄まし、意識と身体を
ばしゃばしゃと、足元に広がる血溜まりも気にせずに。
ただただこの飲み込むような殺気の主に全神経を注ぎ込み――
「――トガガミ……センゲェェェェェェェェェェェッ!」
ありったけの感情を込めて、トバリはその殺気の主の名を叫び、トバリは疾駆する。疾駆する。疾駆、する!
手には二刀短剣。影すら置き去りにするほどの超疾走。彼我の距離は一瞬で詰まる!
だが、距離を詰めたときにはもう邪鬼は――トガガミ・センゲもまた、トバリを見ていた。その血のように赫い双眸が《
「――くはっ、トバリか!」
楽しそうに邪鬼が笑う。
歓喜するように《
寸前まで相手取っていたエルシニアを文字通り一蹴して、
「――待っていたよ、待っていたよトバリッ! ボクは、お前を待ってたんだ!」
赤く染まった双腕を振り翳し、血塗れの邪鬼は、喜々として血塗れの獣と相対した。
殆ど同時、互いに向けて得物を振るった。トバリの短剣と、邪鬼――トガガミ・センゲの血塗れの腕が振り抜かれ交錯する。
「ぐうっ!」
すれ違うと同時、左の肩が焼けるような痛み。肉が裂け、吹き出す自分の血を脇目に、トバリは背後を振り返る。
センゲもまた振り返った。ゆらりと幽鬼の如き挙動で、その美貌に狂気染みた笑みを浮かべて、彼女は頬に走る一筋の傷をそっと血塗れの手で撫でる。
恍惚と。あるいは陶酔するかのように頬を赤く染め、センゲであり、邪鬼であり、《心臓喰い》である彼女は喜々と哄笑を上げた。
「ああ――さっすがトバリだ。相変わらず技が冴えている。剣の腕も前よりよっぽど良くなっている。ボクの身体を貫くような心地良い殺気……ああ、ほんとぉぉぉぉにお前はボクを飽きさせないよ!」
「てめぇの
剣呑な眼差しでセンゲを睨むトバリに、センゲはひとしきり笑った後、真顔で舌を突き出して見せた。
「どっちもお断りに決まってんだろボケ」
「まかり通るとでも思ってんのか、ド阿呆。一族郎党ぶっ殺しておいてケジメもつけずにいられるわけがねーだろうが」
「それはあいつらがボクより弱かったのが悪いんだよ。殺されたくなかったなら、死に物狂いでボクを殺せばいい。でもあいつらはそれができなかった。あいつらは弱くて、ボクが強かった。だから悪いのはあいつらさ」
無茶苦茶な理屈。
だが、同時に納得のいく理屈でもあった。
少なくともそれは、トバリの家族であり一族たる封神血族にとっては、充分道理の通る理由なのだ。そう教えられ、そう生きてきた。殺し合いになってもし自分が死んだとしたら、その理由なんてそれこそ『自分が弱かった』の一言に尽きるだろう。
だからセンゲに殺された血族の面々は、皆等しくセンゲより弱かったから殺されたのだ。
だがそれを理解してなお、トバリは刃を握る手を緩めることはない。
「……そうだな。確かにそうだ。あいつらは皆、お前より弱かったからお前に殺されたんだ。それはまあ、納得できるさ。その通りだとも思う。だけどな……」
――ヒュン、と右の短剣が疾った。
強く踏み込みながら渾身の斬撃。大上段による振り下ろし。
不意を衝いた一撃だったが、容易く避けられる。
追撃の二刀目――逆手による左薙ぎ払い。
大気すら切り裂く神速の一刀を振るいながら、トバリは吼える。
「
ぎゃは! と《心臓喰い》が呼応する。
「何度も言ってるだろ、それが見せしめであてつけだってさ!」
回避と同時、鞭のように撓った蹴足が死角から襲い掛かった。
――慌てるな。油断しなければ当たりはしない。
そう自分に言い聞かせながら軽く跳躍し、同時に全身を強く捻って錐揉み回転。
センゲの蹴足が頭上を空振りするのを感じながら、両手を薙ぎ払った。
二刀によって繰り出されるのは、斬撃の螺旋。周囲に存在するすべてに刃を突き立て、巻き込むように切り裂く刃がセンゲを襲う。
「うはっ!」
嬉々とするように声を上げ、センゲはトバリの斬撃を正面から迎え撃った。
唯の柔らかい肉質の四肢。普通ならば、刃が触れたその瞬間に食い散らすはずのその腕が、脚が、まるで鋼鉄のような質感でトバリの双刃と競り合う。
刃が触れた腕から、何かが零れ落ちる。
結晶に似た硬物。それは赫く染まった硬質の欠片。
それは、鮮血色の
着物のような袖広の服から覗く腕は、肌の色とも、また返り血とも異なる硬質の真紅に彩られていた。
血そのものが固まってできた外殻。
それはその身に流れる赤き血潮が生み出す異能。
封神血族が受け継ぎ続ける血の装い――即ち、
「――
小さく、その技巧の名を口にする。
それは封神の血脈に連なる者が扱える異能の名だ。
自らの血を操り、纏い、装いと成す。センゲの腕を覆っているのは、センゲ自身の血であり、それを凝固させて纏っている血と言う名の天然の手甲。
その硬度は語るまでもなし。先のせめぎ合いが、既に結果を物語っている。
斬撃すら受け止める硬度。そしてそれほどの硬度を誇る血の装いは――それだけで充分な武器となる。
「そらっ!」
気迫と共に振るわれるセンゲの腕。五指すべてが血色の結晶に包まれていた。
(――こん畜生が!)
胸中で悪態をつきながら、振り下される腕を紙一重で躱す。振り下された腕爪が、寸前までトバリが立っていた地面を鋭く抉った。
混凝土の床が容易く抉れる。並外れた膂力と、血の装甲の二つが揃ってこそできる破壊。
まるで発条足でも付いてるかの如く飛び跳ねるセンゲの長い白髪が、翼のように広がった。
そして顔にかかった髪の間から覗く爛々と輝く眼光は、視線の先にいる獲物を居竦ませるには充分すぎる威圧を放っている。
勿論、その程度でトバリは止まらない。
互いが同時に地を蹴って駆け出し、双刃と双腕が交錯した。
金属同士がかち合うような音と共に、虚空に幾つもの火花が散る。
センゲの攻撃を紙一重で躱す。躱しながら反撃を叩き込む。
受けてはいけない。絶対に回避しなければならない。単純な膂力の勝負では、
もし受け太刀に回ったら、その瞬間に競り負ける!
全神経を総動員して、トバリはセンゲの動きの機微に集中する。僅かな動作も見逃さず、攻撃の予備動作を正確に捉える。
左足――爪先が地面を咬んだ。
踏み込みの予兆。
右腕を僅かに引いた。
――拳撃が来る!
センゲの次の手を予測し、回避動作。
だが、
「拳――って、思うじゃん?」
センゲの剥き出しの笑み。
――瞬間、衝撃が左から!
そう感じた時にはもう、トバリの身体は盛大に宙を舞っていた。上下の感覚が狂う。体勢を立て直す暇もなく、背中に強い衝撃。痛みが――遅れてやって来る。身体のあちこちが痛んだが、痛む箇所が多すぎて、何処が軽傷で何処が重症かすることすら判断できない。
「――トバリ!」
痛みに悶える中で聞こえて来た、ヴィンセントの必死な叱声。その声が耳朶を叩くと同時、トバリは殆ど反射的に横に転がり――転瞬、トバリが寸前まで倒れていた床が吹き飛ぶ!
(――こいつ、化け物染みてるにもほどがあるだろう!)
転がる勢いで態勢と整えながら、今し方弾け飛んだ床と、その中央に立つセンゲを見て、トバリは戦慄する。
咎咬鮮華。
彼女は封神家の分家、咎咬家に生まれた異端児。荒事や戦を生業とした封神の一族の中でもなお突出した力と才能を有し、当代最強と目され――そして、真性の怪物と呼ばれた戦鬼にして邪鬼。
そう呼ばれるだけの力を、確かにセンゲは持っていた。それこそ一年前のあの日。一族郎党を鏖殺できるほどに。
だが、その事実を差し引いてもなお、目の前のセンゲは強い。トバリの知る彼女よりも、遥かに強い――いいや、強すぎる!
(なんだ? 何をしやった?
センゲの異様な強さの正体を探ろうと必死に観察するが、そんな余裕を与える彼女ではない。トバリに隙があらば、直ぐにその猛威が襲い掛かる。
「殺し合い中に考えごとかい? 余裕ぶってるとすぐに死んじゃうぜ!」
そう言って、センゲが襲い掛かってくる。
「舐めるなっ!」
トバリは吠えながら右腕を振るった。がしゃん――という重機駆動音と共にコートの裾から姿を現す機関兵器の籠手。
それはヴィンセントが作り上げた機関兵器〈
鋭利なご本の刃爪を持つ、対レヴェナント兵器が瞬時に起動。籠手の各所から蒸気を吹き出し、五本の爪が赤光を迸らせて五つの軌跡を描く。
レヴェナントの
「そんな玩具如きが効くかぁぁ!」
センゲが怒号し、トバリの〈喰い散らす者〉に正面から挑む。
赤黒い外殻に覆われたセンゲの左手が、大気を唸らせながらトバリの〈喰い散らす者〉の刃と激突。
鉄爪と血爪が擦れ合い、凄まじい火花を散らし、ぎゃりぃぃぃぃぃぃん! と、けたたましい金属同士がぶつかり合う音が辺りに響き渡る!
「――莫迦な……レヴェナントのクロームの外装すら切り裂く〈喰い散らす者〉を、受け止めたというのか」
その光景を目の当たりにしたヴィンセントが驚嘆の声を漏らし、目を見張った。だがトバリにとってはそれも想定の範疇。本当に扱いが上手い者が使えば、あの異能は砲弾を正面から受け止めることすら可能だろう。
舌打ちしながら、トバリはセンゲの隙を窺う。だがこの女、言動こそふざけているし、戦い方も力任せの乱雑なものなのに――付け入る隙が全く見当たらない。
どう打ち込んでも対処される。
そう感じさせられるだけの実力が、彼女にはある。
「どうしたよトバリ、手が止まってるぜ? もしかして焦ってる?」
「黙れよ。今どうぶっ殺すか考えてただけだっつーの」
嘲る科白に悪態を吐くトバリに向け、センゲはにやにやと笑みを浮かべながら肩を竦めた。
「今の一撃は良かったけど、残念だったな。得物が弱かった。トバリも血を使えよ。使ってこその封神だぜ?」
「嫌味が聞いてる科白をありがとよ、この糞が」
そう言うと、センゲはワザとらしくぽんと手を叩いた。
「ああ、そっか。そう言えばトバリは使えないんだったな! なっさけないよなぁ。生まれながらの〝封神幎〟さんが、まさか封神の奥義が使えないなんて! うわっ、なんて格好付かないんだ! 名前の持ち腐れだぜ?」
「余計なお世話だ、くそったれ」
フードの奥底で視線を鋭くし、トバリはセンゲの言葉を唾棄する。
センゲの言っていることは事実だ。それは実に忌々しいことだった。封神の血に連なりながら、その身に宿しているのであろう異能を全く使うことができないのである。
だからどうした――と、トバリはこれまで自分に言い聞かせて来た。
そんな
そんな異能がなくとも、戦うことはできるのだ。
事実、これまで幾つもの視線を乗り越えて来た。異能の力に頼ることなくして。
だが、相手は同じ封神の血族である。
戦いに用いる
技術、同等。
戦力、同等。
経験値と潜った死線の数は、圧倒的に向こうが上だ。
その上で
センゲと同じ土俵に立つには、俄然異能の力は必須。だが、必要だからと言って使えるようになれば、誰だって苦労はしない。
さあ、どうする。
自問する。しかし自答はできない。
戦い続ければ、殺されるのはこちら側。此処は退くのが最善の策だ。しかし――
(ヴィンスとリーデルシュタインを守りながら逃げ切れるか……って無理だろ、そりゃぁ)
ちらりと、視線を動かす。視線の先にはヴィンセントがいる。彼はこちらに注意を向けながら倒れているエルシニアの傍らにいた。倒れたまま動かない少女――一瞬、最悪の結果が脳裏を過ぎるが、倒れたままの彼女をヴィンセントが揺すっているところを見るに、どうやら気を失っているだけのようだ。
そのことに安堵の息を吐き、視線を、意識を、再びセンゲへと注ぐ。
力量差は歴然としている。だが、だからと言ってこのまま退く気はトバリにはなかった。此処で退いては、何のために遥々海を越えて来たのか判らなくなる。
あの日付かずじまいとなった決着をつけるために。
あの日付かずじまいとなったけじめをつけるために。
そのためにやって来たのだ。
そのために追って来たのだ。
だから――
「あーあ、なんだか詰まんないなぁ。そうは思わないかい、トバリ」
不意に、センゲが脱力するように吐息を零しながらそう言った。
「トバリさぁ……ボクは退屈だぞ。もうちょっと期待してたんだぜ? お前が此処に来るってあいつに言われて、心が躍ったんだ。漸く楽しい殺し合いができるってね。なのにお前と来たら相変わらずだよ。前に比べれば少しはマシになってるけど――だけど、それだけだ。ボクを高揚させるほどのものじゃなかった。ああ、残念だ……ホント、残念だよ。トバリ」
抑揚のない声で、センゲは言葉を紡いでいく。そしてセンゲの声音に呼応するように、彼女を中心に何かが渦巻いていた。
――
それは何かが軋む音。
――
それは何かの嵌る音。
センゲの纏う気配が変わった。同時に、ぞくり……と、背筋が凍るような気配が走って――
「――ッッッ!?」
考えるよりも先に、トバリは踏み込んだ。
指先の微細な操作で〈喰い散らす者〉を瞬間起動。機関籠手を構築する無数の小型蒸気機関が励起し蒸気を吐き出した。指先を覆う
紅い軌跡を虚空に描き、鋼鉄の五指が吸い込まれるようにセンゲへ再び叩き込まれる。
レヴェナントを殺す赤光の刃――されど届かず!
「なっ……!?」
驚愕の声を上げるトバリ。
その見開かれた目に映るのは、紅い巨大な刃だ。
クロームの怪物を守る鋼鉄の外皮すら切り裂く機関兵器の刃は、しかして何処からともなく姿を現した血のように赤い
必殺の意を込めた一撃を受け止められた衝撃からどうにか復帰し、咄嗟に飛び退き距離を取って改めてセンゲを見る。
カチコチ カチコチ
ぎちぎち がちゃがちゃ
その音は機械音。
それ音は駆動音。
センゲの背から現れた巨大な刃。無数の鋼鉄と配線と螺子によって組み上げられた、刃に鮮血の滴らせた長大な曲剣。
それはセンゲの中から現れた。
それはセンゲの背から現れた。
それは機械仕掛けの刃だった。
それは
しかもそれは一本だけではない。まるで蛹が羽化するかの如く、センゲの背中から姿を現した刃――併せて四刀!
「お前……それはっ!」
その姿。その奇形。それはまごうことなき
この世非ざる怪物。人を材料に生み出される殺戮の権化。それが何故、目の前にいる彼女に施されているのか。
そんな疑問に答えるように、センゲは呵々と哄笑を上げながら叫んだ。
「これがボクの今の姿だ。お前たちがレヴェナントと呼んでいるあれは、言うなれば失敗作なんだよ。最低限の能力だけを持った、意思持たぬ
だけど、ボクは違う!
ボクこそが本物。ボクこそが
その身を機関化しながらなお、己の意思を失わない存在――レヴェナント=ザ・フィフス、〈
マンマシーン・インターフェイス。その名には聞き覚えがある。
確か――そうだ。エルシニア・アリア・リーデルシュタインが持ち込んできた最初の依頼。本物のマリア・パーキンソンが提唱していた〝新理論〟の産物。人の身体を高い次元で機関機械化させる技術が齎す
それが何の因果か、まさかこんな形で目にすることになるとは思ってもいなかった。それも最悪の形で。
四本の巨大な刃――センゲ曰く〈循血機関〉なるもの――は、まるでセンゲの闘気に呼応するようにその刃の赤みを増していく。
そしてよくよく見れば、その刃の赤はただ染まっているわけではない。まるで血管の中を廻る血流の如く、刃全体を血が流れ廻っているのである。
つまりこれは――
「――循環する血を刃に纏わせた機関兵器、って感じか」
「
トバリが声高らかに称賛し、拍手をする。
「そう、その通りだ! 一目見ただけでよく判ったねぇ。偉いぞ、トバリ。〈循血機関〉は封神の血を操る異能があってこそ成り立つ――砲弾すら防ぐと云われる、血浄塵型を武器に転用したものってことさ。ボクのための、ボクだけが扱える
言葉を区切り、センゲはその紅い相貌を鋭く細めた。
殺気が――まるでこちらを千々に切り裂かんとする殺気がトバリに注がれる。ぐっと、全身に力を籠める動作。
(――来る!)
攻撃の気配を察知し、トバリは回避行動に移る。
だが――
「――お前を殺す刃だよ、トバリ」
科白が吐き出されると当時、気づけば四本の大刃がトバリの身体を切り裂いていた!
「――がぁ……あッッッ!?」
鋼線仕込みの外套など紙切れの如く貫通し、血色に染まる四本の大刃が腕に、脇腹に、肩に、太腿にその刃を叩き込んでいたのだ。
神速の剣閃。速過ぎる刃の殺到が齎した凄まじい剣風に煽られて、トバリの身体は二度三度床を跳ねて転がった。
四肢を走る激しい激痛に苦悶の声を零し、されどどうにか意識は手放さず身体を起こす。
急所を外せたのは殆ど奇跡。あるいはセンゲが手を抜いたか――どちらにしても、次に同じ攻撃が来れば、間違いなく殺られる。
(化け物がより強い化け物になって現れたってことか……ああくそ、しくじったな)
まさかたった半年で、此処まで戦力差が開いているとは思わなかった。良くて相打ちくらいの覚悟はしていたのだが――最早状況はそんな次元を超えている。
目に見えないが確かに存在する彼我の距離はあまりに遠く、
なら、今できる最善手は何か――なんて、考えるまでもない。
ちらりと、トバリは視線を再びヴィンセントに向けた。彼は倒れたエルシニア・アリア・リーデルシュタインに肩を貸している。どうやら彼女の意識は戻ったようだ。
苦悶に顔を歪めながら、悔しげにセンゲを睨みつけている。一体何の目的があって此処に忍び込もうとしていたのかは結局知る由もないが、もし再び挑むのならば、次は
痛む体に鞭打って、トバリはゆらりと立ち上がる。落とした短剣を拾い、同時に右腕の〈喰い散らす者〉を見た。
流石に天下の錬金術師様が造った代物の、あの怪物が操る大刃の威力に耐えかねたのか、所々が歪んでいて、爪の刃は二本砕けていた。だが、まだ辛うじて使えるようではあった。
(……もう少しだけ付き合ってくれよ)
呵々と空笑いを零しながら、トバリはセンゲを見据える。
四本の、血染めの大刃を背に躍らせ、《心臓喰い》はとんとんと足踏みするように軽く跳躍を繰り返していた。
「おおー、よく耐えたじゃん。その頑丈さ……腐っても流石は封神って感じだ。だけどさぁ……あと何回耐えられる?」
「はっ。お前こそ、それだけ御大層な得物構えながらこの程度かよ。この程度の軽い剣なんざ、幾らだって凌いで見せるぜ?」
「……相変わらずさぁ、口だけは達者だよね。いいさ、なら――今度はもうちょい派手に行くよ」
――ぎちり、とセンゲの〈循血機関〉が動く。同時にセンゲの身体のあちこちから、ぎちぎちと機械が軋むような音が響いていき、大刃の血の赤が、禍々しい光を帯び始めた。
「あー……センゲよぉ。やっぱすこぉしくらい手加減してくれてもいいんだぜ?」
嫌な予感をひしひしと感じ取り、トバリは目の前で膨れ上がる脅威を前に、思わずそんな軽口を叩いた。
対して、センゲは口元をにたりと歪めて嗤い、
「遠慮するなって。さあ、ボクの全力――とくと味わえ!」
そう、叫んだ時である。
何処からともなく、
「――何をしている?」
その場に不釣り合いな声が、辺りに響き渡った。
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