Ⅲ
何処か遠くから。
呻きに似た声が聞こえてきたような気がして、私はふと足を止めて視線を彼方へと向けた。深い霧が立ち込めるロンドンの夜。遠くを見据えることはほとんど不可能に近く、声の正体を確かめることはできなかった。
(――気のせい……でしょうか?)
「勿論、気のせいではないとも。ミス・リーデルシュタイン」
かけられた言葉に、どきりと心臓が跳ねた。
まるで私の心の中の声が聞こえていたかのような科白。私は自分を落ち着かせるように一度大きく深呼吸してから背後を振り返る。
黒いインバネス・コートにトップハットに身を包む単眼鏡の錬金術師――サン=ジェルマン伯爵は、そんな私の姿を見てくつくつと笑いを零していた。
「いやはや。考えていることはどうやら同じだったようだね。というよりも、同じものが聞こえていた――というべきか」
「では……さっきの唸りのようなものは……」
「十中八九、レヴェナントの
わざとらしく手を広げ、まるで芝居のようなふてぶてしい科白を口にする伯爵の姿を見て――何故だろうか。私の脳裏には、今この場にいないあの黒髪の青年の姿がありありと思い浮かび、あまつさえ「たとえ天地がひっくり返ったとしても、それだけはありえねーよ」という、この場において実にふさわしい指摘する声までしっかりと脳裏で再生されてしまった。
しかし幸か不幸か、この場には錬金術師に的確な苦言を零す青年の姿はない。
私は項垂れそうになるのを堪えながら、伯爵を見上げて言う。
「――伯爵。あまりおふざけをしている暇はありません。ええ、貴方の言う通り、どうやら以前私が見た大型のレヴェナントの姿はないようですけど……そのことを、貴方はどうお考えで?」
「――ふむ」
私の問いに、大仰に両腕を広げていた伯爵が至極真面目な表情を浮かべ、ステッキを持った手を頤に添えた。
数秒、伯爵はそのまま沈黙する。
「――相手は英国でも最高峰と呼ばれる大企業だ。常に企業スパイや政府の監視があっても可笑しくなく、またそれらに対して強固な警戒態勢を敷いているのはまず間違いないだろう。ならば我々が周囲を探っていることなど百も承知のはずだ。とすれば――」
「――罠、ということも?」
「大いにありうる」
私の問いに、伯爵は頷いた。
そしてその意見には、私も同意だった。目の前で寂れている工場は、以前から何度も調べようとしていた施設だ。だけど、今まで此処まで近づくことなんて一度としてできなかった。なのに――今日は、今日だけは何故か、もう目の前という距離にまで近づけていた。
「罠……誘っているということでしょうか?」
霧の向こうに微かだが姿を見せる廃屋に近い工場を見上げながら言うと、伯爵は途端に口元を綻ばせた。
まるでその質問を待っていたとでもいう風に彼は帽子をくいっと持ち上げて、廃工場を見上げながら言った。
「そうだろう。恐らく……いや、ほぼ間違いなく誘われている――と思うべきだ。果たして何者の意図なのかは判らない。君の探し人なのかもしれないし、あるいはまったく関係ない誰かかもしれないが……この際、それはどうでもいいことだ。問題なのは――」
「私がどうするか、ですか?」
伯爵は頷いた。
「その通り。さあ、我らが
そう言いながらしたり顔で、伯爵は私見る。道化のようににんまりと口元を綻ばせながら、その猛禽類のような鋭い眼差しで、しっかりと私を観察していた。私がどんな反応をするのか楽しみにしているような、そんな視線。そして伯爵の科白は随分と、嫌味の利いた言い回しだと思う。
だから、
「率直に、臆病者と言ってくれても構いませんよ」
「実にしたたかな返答だ、レディ。失礼を詫びよう」
私の言葉に、伯爵はうっすらとした微笑を口元に浮かべて頷く。私は言葉を返さず微笑で応じ、一歩を踏み出した。すると、
「――それでこそ、だ」
後ろで何やら満足げに伯爵が頷いていた。一体何が「それでこそ」なのか、甚だ不思議ではあったけれど。
多分、気にしすぎてはいけないことなのだろうと、私は自分に言い聞かせた。
(――そうよ、
多分だけれど……いや、ほぼ間違いなく、私は自分の中に確信を抱いた。伯爵の価値観は独特過ぎる。ほんの数日の間の、ほんの数時間顔を合わせ、言葉を交わした程度では、きっと理解することなど到底できないに違いない。
いや、むしろ理解できないことは幸いなのかもしれない。もし、理解できたなら……
「ミス・リーデルシュタイン?」
唐突に聞こえていた伯爵の声に、我に返る。さっきまで背後に立っていたはずの伯爵が、いつの間にか私より前に立っており、彼は振り返りながら「そんなところで立ち止まって、どうかしたのかね?」と問うてくる。どうやら気づかないうちに思考に没頭していたらしい。
「なんでもありません。少々、考えごとをしていただけです」
私は咳払いしながらそう言葉を返すと、伯爵は何処か釈然としていないように眉を顰める。
「――ふむ。思うところがあるのはまあ、仕方がないことだろう。しかし考えに捉われる余り、目の前の状況を疎かにしないほうがいい。油断は失敗を生み出す一番の要因だ」
伯爵の忠告に、私は「ええ、そうですね」と頷く。確かに彼の言う通りだ。此処は言ってしまえば敵地。しかもレヴェナントが徘徊する危険地帯だ。物思いにふけっていて死んでしまった――なんて間抜けな結末は流石に厭だ。
勿論、その程度で殺されるつもりは毛頭ないのだけれど。
私と伯爵は、周囲に気を配りながら廃工場へと侵入した。伯爵が興味深げに周囲を見回す。それに倣って私も辺りを見回して――
「うっ……暗い」
外から見て予想していたことではあったけど、工場の中は思っていた以上に暗く、明かりのない状態では殆ど何も見えないくらいだった。
「伯爵。明かりか何かはありますか」
「おお。それは申し訳ない。少し待ちたまえ」
私の問いに、伯爵は失念していたと言わんばかりにそう言って、コートの内側から何かを取り出した。
伯爵の掌の中で、ばちりと光が灯った。青白い火花――いや、そうではない。私は遅れてそのことに気づく。
それは掌に収まるくらいの大きさをした機関式の――
「――〈
「確かに……少し明かりが強い気もしますけど」
なるほど。と私は納得すると同時に、〈蛍蟲〉の造形美に目を奪われていた。アカデミア――ひいては機関工学の分野を見ても、此処まで精工な生物型機械は滅多に見られるものではない。私は興味のないフリをしながら、頭上を飛ぶ〈蛍蟲〉をつぶさに観察していると、「明かりの加減には目を瞑ってくれ給え。暇つぶしに作ってみたものなのだからね」と肩を竦めた。
「暇つぶし――でこのようなものが造られたら、アカデミアの学徒たちが卒倒しますよ」
そう言って、私は苦笑しながら歩き出した。もっと観察していたい気持ちもあったけど、今は他にするべきことがある。
〈蛍蟲〉を伴って、私たちは奥へと進んだ。
人気とは無縁の廃工場の中で響くのは、頭上を飛翔する〈蛍蟲〉の羽音。そして私と伯爵の足音だけだ。
かつん かつん かつん
かつ こっ かつ こっ
私の足音の間に、伯爵の足音とステッキが床を叩く音が木霊していく。
何処までも。何処までも。私たちの足音は続いていった。
まるで建物の広さに限界がないような錯覚。薄暗闇の中で、狭い通路を右往左往し、部屋の扉を見つければその度に中を覗いた。だけど、仲はもぬけの殻。長い間ずっと放置されていたことを示すように、多量の埃が床の上に沈殿し、誰かが侵入した形跡もない。
――そう思ったのだが。
「――此処だ」
十六度目の部屋を覗き込んだ際に、伯爵が唐突に告げる。突然の言葉に目を瞬かせる私を余所に、埃と黴の匂いに満ちた部屋へ伯爵が踏み入る。
そして部屋の片隅を真っ直ぐ目指して歩き、周囲に視線を巡らせて――そして彼は、突然にステッキを振るって床を強く叩いた。
――かつんっ、と。
ステッキの先が床を叩く。すると、突如部屋全体が震え上がり、驚く私の目の前で床がゆっくりと沈んでいく。
「なるほど、隠し
「……良く判りましたね」
興味深げに目を細める伯爵を見て、私は素直にそう言った。一体どんな観察眼をしているのか。その姿はまるで、噂に名高きベーカー街の名探偵のようで。
そんな風に考えている私に、伯爵は失笑を零した。
「私自身が知覚したのではないよ。ミス・リーデルシュタイン」
「では、どうやって判ったのですか?」
私は劃す気もなく質問した。すると伯爵はにんまりと口元を綻ばせながら、左目に掛けている単眼鏡に手を添えて「これでズルをしていたのだよ」と告白する。
「この単眼鏡は〈
「私も欲しいですね。
「ふむ。頼んであげることはやぶさかではないのだが……はてさて。ロジャーの奴。今は何処を流離っているものやら」
なんともなしに言った私の言葉に、伯爵は困ったように眉を顰めながらそう言った。そして何処か懐かしむように目を細めて呟いた。どうやらその呟きを聞く限り、彼はその友人の所在を知らない様子だった。
だが、彼が物思いにふけっていられたのもそれからほんの僅かだった。昇降機の鳴動が止まり、伯爵の背後に入り口が現れる。
私たちの視線は、自然とその入り口の向こうへと注がれた。
「罠――ですね」
「罠――だろう」
揃って同じことを呟き、互いを見やる。私は着ていた外套の内側から、するりと二挺の機関式
私の手に握られた銃を見て、伯爵は「ほっほっ!」と感嘆の声を上げた。
「これはこれは。何か備えがあるのではと思っていたが――なかなか剛毅な得物ではないか」
「銃器型機関兵器の大手、WRA社の最新モデルです。威力、使い回し、共にこれが私に一番使いやすいと思っています」
この人物に描く仕事をするだけ無駄だろうと思って、私は隠す気もなく二挺の銃を見せびらかすことにした。
「見たところ、通路はそれほど広くなさそうです。そんな場所にいるレヴェナントなら、大きくても人間大でしょう。それなら私でも、対処は可能だと……思います」
実際にレヴェナントと相対した経験はないに等しいから、そこは曖昧になってしまう。だけど見栄を張って「堂々と戦えます!」なんて言える勇気がない私は、最後のほうがしりすぼみになってしまった。
「そう気を落とすことはない、ミス・リーデルシュタイン。言っては何だが、君の反応はいたって普通だ。他の請負屋だって、経験値や気の持ちようは君と
からからと伯爵が笑う。
何故、この人はこんなにも私の考えが読めているかのように、次々と先回りするのだろうか。
(……そんなに判り易い
手鏡を持っていないことを此処まで悔いたのは初めてだった。
私はほんの少し――本当に少しだけ恥ずかしくなって、それを隠すように溜め息を吐いた。
そして誤魔化すように「先を急ぎましょう」と歩き出す。伯爵は「そうだね」と頷き、私の後に続いた。
そこまるで招いているように目の前に通路があった。小銃を構えながら、私はその通路を進む。殆んど一本道に等しい地下の通路の先には、ところどころに開け放たれた状態の扉。
中は囚人が入っているような窓もない
そうして覗き込んだ部屋から視線を改めて廊下に移し――そして僅かに息を呑む。
部屋の扉があった。
同じような部屋に通じる扉が、無数に並んでいた。
そう――
長々と続く廊下の壁に無数と。
一つ一つ開け放たれたままの部屋を覗き込み、私は息を呑んだ。
続く伯爵もまた、僅かに目を剥く。そして苦々しげにその双眸を細めて、
「……むごいことをする」
そう呟く。
気持ちとして、私も同意見だった。
進むにつれて、部屋の中の様相は凄惨なものとなっていた。壁の至る所に残っている、爪を突き立て掻き毟ったような跡。そしてそれを如実に示す乾いた血痕……それらはこの場所から誰かが必死に逃げようと試みた痕跡だった。
そしてそれが、殆んどすべての部屋に存在していた。
寸前までの脳裏に合った印象は、病院か収容施設だったが。
今はもうそうとすら思えない。此処は、鑑賞し、観察し、経過を見るための――ただそれだけのために用意した檻。たとえどんな理由があっても行ってはいけない
何があったかは、容易に想像がついた。
工場というのは
判っていたつもりでいた。だけど、その理解すらまだ生易しかったのかもしれない。
この施設を作った人物の思惑を思案しながら、私は長い廊下を突き進み――ようやく広い場所に抜けた時、寸前までの自分が見ていた光景が、如何に生温いものであるかを理解した。
最初に漂ったのは、鉄錆の臭いとそれに混じった腐臭。
ぴちゃり――と。
編み上げ靴が水溜まりを踏んで跳ねる音。
視線を下に向け――息を呑む。
(これは……っ!?)
水溜まり、ではない。
それは
それも靴が浸るくらい満ちた――血の海が延々と、広い部屋に満面に。
この場に広がる尋常ならざる情景に、脳裏で継承が鳴り響く。此処に居てはいけないと、自分の中の何かが警告している。
退くのが最善だということは理解している。
だけど、そういうわけにもいかなかった。引き下がれない理由が、私にはあった。
ぴちゃぴちゃと水音を引き連れて奥へと進んでいく。血の臭いが充満し、腐臭が一層濃厚になる。
ばしゃり……
不意に、前方から何かの塊が血溜まりに落とされる音がした。
銃爪に掛けた指に自然と力が籠もる。私は周囲の気配を探る。いや、探ろうとした。
だが、それよりも早く、
「――あっれー?」
という、疑問の声が耳朶を叩く。
立っていたのは、足元まで届きそうなほど長い白髪の人影。顔立ちは東洋人のそれだった。髪のせいで一見すると老人と見紛うようなその姿だが、声や顔立ちはまだ若い女性のもの。
その女性は驚いたように目を見開き、私たちを見ていた。
「やっほー、
にこりと微笑む女性の科白は、当たり障りのない世間話をするような、あるいは道を尋ねるような、そんな雰囲気だった。
だが、状況を考えればそれは異常だと言わざるを得ない。
何せ此処は、大量の血で染まった場所なのだ。血と腐臭に覆われた、油断すれば嘔吐してしまいそうな異臭の充満した空間である。
そんな中で、女性は平然とした様子で私たちを見据えている。悠然と、あるいは慄然とすら言える立ち姿――その全身を血で彩りながら、女性は言った。
「散らかっててごめんよ。まったく、侵入者が来たって言うから挨拶代わりに出してやったのに、こっちに向かって来るなんてさぁ。困っちゃうよね、ホント」
「なにを……」
――言っているのですか?
そう思って、微笑を浮かべる女性を見据え――その背後に広がる光景を見た瞬間、私は言葉を失ってしまう。
女性の背後に転がっている、大量の肉塊。
千切れた腕が。
捥ぎ取られた脚が
引き抜かれた骨が。
散らばった臓物が。
無造作に転がる頭が。
見渡す限り一面に。
余すことなく全面に。
人であったものが敷き詰められるように転がっていた。
(ああ……ああ! なんてこと!)
自分の足元に広がっている血の海の水源はあれだった。
この部屋を覆う、血と腐臭の原因はこれだった。
そして、
「まあ、なんにしても脆いねぇ。身体の中を幾ら弄繰り回されているって言っても、
そう言って、女性がにぃと歯を剥いて笑いながら手に持っていた何かを放り投げた。
それは――人間の腕だった。
文字通り千切れたような腕が、放物線を描いて血溜まりの中に落下する。びちゃっという水の跳ねる音と共に転がった腕がすぐ近くに転がったのを見て、確信する。
――あの死体の山を築いたのは、この
そう理解したのと同時、私は躊躇いなく銃爪を引く。
躊躇いはなかった。
躊躇う必要を感じなかった。
目の前にいるのが、人間だとは到底思えなかった。
死体の山を背に、楽しそうに笑う目の前の存在は――言うならば怪物だ。それも、とてつもなく危険な、このまま放置していてはいけない。
(今すぐにでも――殺さないといけない!)
そう、思わせるほどの
ぞっとするような悍ましさを覚えながら引いた銃爪。
銃火が薄暗い室内に咲いた。
銃弾が飛ぶ!
彼我の距離はわずか十数メートル。この距離で撃たれた銃弾を防ぐことはまず不可能。吐き出された弾丸は二発。一発は額に。もう一発は心臓を目掛けて撃った。当たれば必死の銃撃。
だが、
「おっと」
女性はまるで羽虫を叩くような軽い動作で、今まさに自分に襲い掛かろうとした銃弾を凄まじい速度で繰り出した平手で叩き落としたのである。
「危ないなぁ。いきなり撃ってくるなんて、吃驚したじゃないか」
そしてあろうことか、まるで何事もなかったようにそう軽口を叩く女性の始末に、
「嘘……でしょう……」
辛うじて、それだけは口にすることが出来た。いや、その言葉そのものすら、意図して口にしたわけではなく、ただ自然と零れてしまった科白だ。
あまりに常識を逸脱したことを平然と遣って退ける
そんな私の肩を誰かが摑む。
いや、誰かではない。この場には――この場で生きている人間は、僅かに三人。私と、目の前の女性。そして――
「逃げるぞ、ミス・リーデルシュタイン」
――伯爵。ヴィンセント・サン=ジェルマンが、これまで見たこともないような表情をしながらそう言った。
強張った表情と、額から零れる大粒の汗。彼らしからぬ焦燥感に満ちた視線に宿るもの。
それは恐怖。
それは恐慌。
それは困惑。
彼は――ヴィンセント・サン=ジェルマン伯爵が初めて見せたその表情から察せられるのは――この上ない絶望感だ。
「まさか彼女が此処にいるとは……しくじった。トバリと別行動を取ったのは失策だったと言わざるを得ない」
「彼女を……知っているのですか?」
私の問いに、彼は視線を女性に向けながら頷く。
「私だけではない。きっと君とて知っている――
夜のお遊び気を付けろ。
夜の出歩き気を付けろ。
《
《心臓喰い》に出会ったらおしまいだ。
心臓盗まれてそれっきり。
心臓食べられそれっきり。
……これが彼女を体現する唄だ。そう、彼女こそが――」
「まさか――」
その唄は私も知っていた。巷では子供も老人も知っている。その存在を、ロンドン警視庁は否定しているけれど、英国――いや、欧州全土できっと誰もが一度は耳にした名前。
「――《心臓喰い》!?」
「だぁぁい、せぇぇぇ、かぁぁい!」
突如女性が――いや、《心臓喰い》が声を上げる。
「よーくできました。そう。ボクがそうだ。ボクこそが恐怖! ボクこそが死! ボクこそが
にたりと、口に端だけを器用に持ち上げて《心臓喰い》が笑い――そして唐突にその表情を豹変させる。
「あーあ、残念。ボクはさぁ。人を待ってたんだよ。ボクを楽しませてくれる、赫い赫い怪物。最近噂の《鮮血の怪物》をさぁ。此処で待っていれば来るって言われたから待ってたのに――なんだいこりゃ。蓋を開けてみればがっかりがっかりの大
肩を落としながら、《心臓喰い》は心底がっかりした様子で溜め息を吐いた。そして暫く項垂れたまま沈黙をしていたのだが、不意に彼女は顔を持ち上げ、私たちを見た。
爛々と。
――そう。
爛々と輝く赫い双眸が、じっとりと私たちを値踏みするように見据え――そして、
「まあ、いいか。代わりにアンタたちで遊ぶことにするよ」
まるで暇潰しの宣言のように口にされたのは、殆ど死刑宣告に等しい言葉だった。
――《心臓喰い》。
それは都市伝説の怪物。
出会った者すべての心臓を奪い去る死神。
逃げなけいと……逃げないといけない!
今更になって、私はこの部屋に辿り着いた時の自分の本能が報せた警鐘の意味を思い知る。
だけど、最早それは手遅れだ。致命的に手遅れだった。
逃げられる機会はとっくの昔に逃していて、私たちに残されている選択肢は二つに一つ――
(――……そうだ。選択肢なんて決まっているでしょう)
何のために此処まで来たのか。それを考えれば、私の取るべき行動なんてものは――それこそもっとずっと昔から、決まっていて。
だから、私は――
「……貴女に用はありません。退いてください。でなければ、実力排除の元に強行突破します」
二挺の小銃を構えて、私ははっきりと敵意を込めてそう言い放った。「止し給え、ミス・リーデルシュタイン!」私の背に声を上げる伯爵。だけど、そう言った時にはもう、すべてが手遅れだった。
《心臓喰い》は数度目を瞬かせた後――にぃぃぃ……と言う悪辣な笑みを浮かべる。
轟――と、殺気が渦巻いたように感じた。
暴風のように、対峙する者すべてを呑み込み吹き飛ばすような、荒々しい殺気。
余りの凄まじさに息を呑む。
《心臓喰い》が――嬉々と吼える。
「いいじゃん、言うじゃん、良い物持ってるじゃん! いやー、こいつら如きじゃ相手にならなくて退屈だったし、ボクの雇い主様は部屋から出てこないから面白くもない。待ち人も全然来てくれなくて寂しくて、暇つぶしにちょうどいいとは思ったけど――かかっ! なかなか面白いオジョウチャンだ」
ぱきっ、と指を鳴らしながら、女性が肉食獣のような形相で言った。
「――簡単には死ぬなよ?」
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