2-8
その次の日、殺したリザードマンを食べても前のような漲る感じがせず、きっと生きた状態で食べないと駄目だったのだろうとがっかりしていると、早速子供のワイバーン達が少しずつ帰ってきました。全員きちんと空を飛んでいて、中には去年の私のように全身血塗れになっているワイバーンも居ました。
しかし、それから数日が経ってもその中にマメとアズキの子は帰って来る事はありませんでした。残念ながら、三匹全てが死んでしまったのでしょう。
帰ってくるワイバーンが居なくなってから、私はその試練で子供のワイバーンが彷徨っていたであろう場所とその周辺を結構詳しく探ってみると、大体十か所位にリザードマンの物らしき武器や袋が落ちていました。
やっぱり、盗人は私が殺したリザードマン以外にも居たんだと思いましたが、それ以上に私は本当に成獣したワイバーンの安定した強さを尊敬せざるを得ませんでした。
私の記憶が正しければ、あの夜に飛んで行ったワイバーンの数と帰って来たワイバーンの数は同じでした。
誰も欠ける事なく、子供のワイバーンを盗みに来たリザードマン達を殺して帰って来たのです。誰もリザードマンに殺されはしなかったのです。
盗みに来たリザードマン全てを殺せたかどうかは分かりませんが、複数のリザードマンを相手にして、私のようにリザードマンの剣技、体術を知らずとも、そしてきっと魔法を使ったリザードマンも少なからず居たのにも関わらず、勝ってしまう。その事が私とそのワイバーン達の隔たりを否応でも感じさせてしまいました。母に強くなったな、と言われようともそのワイバーン達とのはっきりとした差はまだまだありました。
そして、それはリザードマンに攫われたワイバーンはきっと居ないだろうという事でもありました。
マメとアズキは悲しそうにしながらも、探すという事はせずに子供が全て死んでしまったという事を受け入れていました。
そうして、二度目の冬は訪れてきました。
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季節の巡りも珍しく思えなくなった頃、私は五歳になっていました。私の中のオチビの存在が更に希薄になった今でも未だに私は誰とも交尾をせず、イとハも違う洞穴に移っていき、共に行動する事も少なくなって、洞窟の中は私とアカだけになっていました。
アカもまだ、私の知る限りは誰とも交尾はしていません。
ただ、強さの点に関してだけ、私はアカに比べて強い変化が起きていました。私は智獣を食べたからか、いつの間にかアカよりも強くなっていたのです。
そして、同世代の誰よりも先に私は本当の成獣になる事が出来ました。私は母に、この前とうとう認められたのです。
しかし、私は今、とても悩んでいました。
四度目の冬に私は母に初めて勝ちました。たった一回勝っただけでは勿論認められませんでしたが、それから勝率は低いものの、母に勝てるようになってきていたのです。なので、それから認められるまでさほど時間は掛かりませんでした。
母に勝てるようになってきた原因は、その前の試練の時に子供のワイバーンを盗みに来たケットシーを倒して食べたからでした。また、ケットシーを倒せた理由も、リザードマンの時と同じく戦い方を知っていたからでした。
ケットシーは猫に似た姿形で、身体能力は大して高くなく体も小さいですが、魔法に長けている智獣です。しかし、ワイバーンは魔法を使えないとは言え、戦い方を分かっているとそんなに苦も無く倒せたのです。
……そして、私はやはり、ケットシーの言葉も理解出来ていました。
今、言語はコボルト、リザードマン、ケットシー、そして私自身の思考している言語で計四つを知っていて、戦い方は少なくともリザードマンとケットシーの二種類を、知っているだけではなく戦いに生かせる程に熟知している事になります。
私は前世でどうやって生きていたのか、全く見当が付かなくなっていました。翻訳を生業としていたなら、四種類の言葉が使えてもおかしくありませんが、それでは戦い方を熟知している理由が分かりません。
何か、各地を放浪していただけだとも思えません。
数奇とか、奇妙とか、そんな言葉では表せない程の生を私は前世で過ごしていたのだと思えました。そしてそれは、ただここを出てあてもなく放浪するだけでは私の前世に関して何も掴めないのではないか、という不安にもなっていたのです。
四度目の発情期も私は疼きをただ堪えて、アカと一緒にただ寝て夜を過ごす毎日を送っていました。
マメとアズキは三年目に生まれた子供が試練を乗り越えてからは交尾は控えめになっているように見えましたが、それでも毎年子供を生み、育てていました。
イもハも番を作り、昨年から子供を育てるようになっています。もう、同世代では番が居ないワイバーンは私とアカと後少し位しか居ませんでした。
その日、私はいつも通りアカと一緒に寝ていました。
アカと私の力量の差は、特にケットシーを私が食べてからはとても大きくなってしまっていて、この頃は仲はそこまで良くありませんでした。
変わらない毎日を過ごすのが一番好きなアカは、私が危険に首を突っ込んでも付いては来ません。
大体の他の同世代のワイバーンと一緒でしたが、アカもまだ智獣を食べた事は無かったのです。その分だけ、差が付いていたのです。
そんな状態だったので、前より少しだけアカと距離を離して私は寝ていました。
洞窟の近くに居ると春の冷たい風が私を撫でていき、それは私の下腹部の疼きを僅かながら抑えてくれています。
それと同時に下から聞こえる喘ぎ声や快楽を喜ぶ声が私に届いているのですが、毎年この季節になって毎日のように聞いていると、それにももう慣れてしまっていました。
私は番を作る事があるのでしょうか。そんな事を何となく毎年不安に思いながらも、自分からは行動も起こさず、いつもと同じように寝ています。
しかし、今日は違いました。
私は近くで聞こえ始めた強い羽ばたきで目を覚ましました。
上で交尾をしていたのでしょうか。岩だらけの固い地面は寝そべったり、押し倒したりするのには余り良い場所ではありませんが。
しかし、そうでは無かったようです。羽ばたきが私のすぐ近くで止まったのを感じ、私は危険を感じてすぐに起き上がりました。
「ウルルル……」
気持ち悪い。とす、と、とても静かに着地して目の前に降り立ったワイバーンを見て、私は真先にそんな感情を抱きました。
目や表情を見て、私はすぐに気付いていました。番になりたいとか、そういうものではありません。目の前に居るワイバーンはただ、交尾をしたいだけのワイバーンです。その証拠にいつもは隠れているソレがすでに出そうにもなっていました。
「ラアアッ!」
私はすぐさまはっきりと拒絶しますが、そんな事も踏まえて私とアカの所に来たのでしょう。
そのワイバーンは私の威嚇に構わず、寧ろ嬉しそうに喉を鳴らしながら近寄ってきました。
私は毒針を放ちながら息を吸い込み、火球を吹こうとします。しかし、そのワイバーンは体を上手く動かし、私の毒針を全て体の硬い部分で弾きながら、歩みを止めずに近付いて来ました。
……敵わない。その動きを見ただけで私は悟ってしまいました。
この、性欲をただ満たしたいだけのワイバーンは私よりも遥かに格上でした。光も殆どないのに、至近距離から放たれた毒針を自らの体のみを使って全て弾くという芸当が出来るワイバーンなんて、本当に成獣したワイバーンの中でも一握りでしょう。
そして、私が火球を放つ前にそのワイバーンは私に組み掛かって来ました。
「ヴア゛、ア」
火球が自分に当たらないように、抱きしめられるように組み掛かられ、私は思わず変な声を出してしまいます。
強いワイバーンとなら良いかな、と私は思ってもいましたが、このワイバーンは絶対に受け入れたくありませんでした。どろどろとした利己的で嫌な感情がそのワイバーンから強く感じられていたのです。
私は必死に足を踏ん張り、押し倒されまいとしますが、それも時間の問題でした。力もそのワイバーンの方が強いです。
アカは何故か、そんな私に加勢してくれませんでした。助けて欲しいのに、と必死に思っていると、後ろから震えが感じられました。……アカは、酷く怯えていました。力任せに私を犯そうとするこのワイバーンに既に負けていました。
どうしようも出来ない。私はとにかく逃れようと頭で考えますが、こんな狭い洞窟でどうすべきかなんて何も分かりませんでした。
私の方が辛い筈なのに、そのワイバーンは息を荒くしていき、生暖かい息が私の首や背中に掛かってきます。気持ち悪過ぎて、頭も回らなくなっていきます。
目が合えば、何故か不思議そうな目で見つめてきました。どうして? と疑問に思うその目はとても吐き気を催しました。
叫んでも、誰も助けてくれません。ただただ、力負けして、押し倒されていくだけです。
更にワイバーンは息を熱く、荒くしていく中、下腹部に突き出してきたソレが当たりました。
……嫌だ。絶対に嫌だ。
「ア゛ア゛ッ」
私の目からはいつの間にか涙が出ていました。そして私は組まれていた鉤爪を力づくで外し、押し倒される前に屈みました。視界はほぼ暗闇ですが、目の前に嫌な温かさのあるソレがあるのが感じられました。
目の前のワイバーンは咄嗟に私から離れます。
どこからか、ばち、ばち、と音が聞こえました。
「ラア゛アアアア゛ッ」
私は泣きながら、喚きながら、屈んだままそのワイバーンに向って走りました。
容赦のない蹴りを顔面に食らって鼻が折れても、毒針が沢山付いた尻尾が私の背に刺さろうと、私は止まりません。私を守る為に、止まれません。
そのワイバーンの腹に私は顔面をぶつけ、どすどす、と両方の鉤爪を足に突き刺しました。
「ヴアッ」
それでも、そのワイバーンは大して怯まずに私を殺そうと翼腕を動かしました。
そうです。私にはもう、これしか手が残されていませんでした。そのワイバーンもそれに気付き、焦っています。倒そうとしているのではなく、殺そうとしていました。
力も技術も何も敵わない。けれども、そのワイバーンは今、とても大きな弱点を剥き出しにしていました。
私は犯されそうになった事に、そしてこんな事でしかこの状況を打開する方法が無い事に泣きながら、頭を下げて翼腕の鉤爪を避けました。躊躇う暇ももう、ありません。私はそして、その雄の象徴を口に入れ、牙を突きたてました。
「アッ…………」
時間が止まったかのように、そのワイバーンは固まりました。
私はそのままそのワイバーンを突き飛ばし、倒れた所を蹴り飛ばし、蹴り飛ばして入り口へと追いやりました。
「アアッ、アア……」
私は泣き叫びながら、そのワイバーンもどうにかしようと悶えながらも何も出来ず、入り口が、崖が迫ってきます。
抵抗が強くなり始め、私は更にそれを踏み潰し、尻尾を突き刺してそして体を捻らせた所をもう一度、蹴りました。
ごろり、とそのワイバーンは逃げるように転がり、最後に私が体で突き飛ばすと、そして崖下へと、あの糞塗れな弔われる価値も無いワイバーン達の死体が埋もれている場所へと落ちて行きました。
私は止まらず息を吸い込み、更に火球を下へと何度も何度も、体の中の燃料が尽きるまで放ちました。どちゃり、と派手に音を立てて墜落したそのワイバーンはもう、何の声も上げません。その代わりに、そのワイバーンに火球が炸裂する音が何度も響き、それは糞尿と共にそのワイバーンを燃やし始めました。
聞こえる音は、燃える音と、私の泣き声、それとばち、ばち、と言うどこかからか聞こえる音だけでした。
それ以外は何も聞こえませんでした。
「アア……ヴ、アア…………」
涙は流れ、私は倒れました。助かった筈なのに、私は泣き続けていました。頭の中は真っ白で、何も考えられずに私は倒れるように膝を着き、と近くから音が聞こえる中、四つん這いに倒れこみました。
終わった事は分かっています。それでも収まらない荒い息を何とか整えようとすると、腹の底から何かが込み上げてきました。
「ヴ……エ゛エ゛ァッ、アアッ、アア……」
大量の胃液が地面に流れていき、私の口の中は骨も溶かすその強い酸によって痺れました。けれども、それは私の口を清めてくれているようにも思えて、私はそこでやっと少しだけでも安堵する事が出来ました。
涙も暫くの間流れ続けていましたが、息が整って来ると自然と収まって行きました。
痺れが回った頃、誰かが来たのを覚えながらも、私はもう動けませんでした。毒が私に回っていなかったとしても、動く気力は無かったと思います。
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