2-6

 どくん、どくんと私の心臓が静かに強く鳴っている音が聞こえていました。

 アカを置いてまでその智獣の居る方向に歩き始めてしまった私ですが、全くの無計画でした。

 もし、本当にワイバーンを盗みに来たとしたと分かってしまったなら、私はどうすべきなのでしょう。儀式を邪魔しに来たその智獣達をどうにかしてでも追い払う、殺すべきでしょうか。それとも、容認してしまうべきなのでしょうか。

 それは今、試練を受けているワイバーンの事を考えるとすぐには決められませんでした。

 この盗みを容認するならば、何もかもが消えてしまう死を迎えるワイバーンは確実に少なくなるでしょう。オチビのような儀式でふるい落とされる弱いワイバーンも、その盗人のおかげで生き残れるのです。その後、どのような生を送る事になるのかは全く分かりませんが、死ぬよりは生きられる方が絶対に良い筈です。

 けれども。

 私は魔獣です。前世はどうだったか分かりませんが、今は魔獣です。その魔獣としての本能が、それを追い払うか殺すべきだと決めていました。

 弱いワイバーンはワイバーンではない。この試練で生き残れないワイバーンは魔獣として生きる事が出来ない。

 その事が、私としてではなく、ワイバーンとして体に刻み込まれていました。

 もし、もっと早くに儀式が行われていたら、私の中のオチビが大きかったら、そうであっても決められなかったでしょう。けれども、理性よりもその本能が私を突き動かしました。

 その智獣が何なのか、どの位居るのか、強さはどの位なのか、全く分かりませんでしたが私は出来るだけ足音を立てずに、そのまま歩いて行きました。


 暫く歩くと、声が鮮明に聞こえてきました。

「腹、減ったな」

 それは、リザードマンの声でした。コボルトが敏捷性に長けた智獣であるなら、リザードマンは筋力に長けた智獣だと私の中の記憶が教えてくれました。

 けれども、私は何なのでしょう。歩きながら、リザードマンの言葉も分かる事に私は困惑していました。その言語は私の思考している言語とも違いました。

 世界は広く、智獣の種類でも、地域でも全て言葉が違う事を私は知っていました。

 合計で二桁、いや三桁、もしかしたら四桁もあるかもしれない言葉の種類の内、私は偶々ここに来たコボルトとリザードマンの言葉をはっきりと理解出来るという事実が私に突きつけられたのです。

「肉、食いたいな。今、無理なのは分かってるけどさ」

「終わったら鱈腹食えるから我慢しろ」

「俺の願望を言ってるだけじゃないかよ」

「俺まで食いたくなってくるから止めろ、って言ってるんだよ」

 前世もこの地域で暮らしていたのでしょうか? この辺りの地理は全く記憶にはありませんが、コボルトも人間もこのリザードマンも遠くから来たのだろうと私は思っていました。

 そのそれぞれの領土を巡って、その領土の言語を全て覚えながら私は前世を生きていたのでしょうか。

 そうなのかもしれない、と私は何となく思いました。


 夜が近付いて来ていました。

 話が聞こえる辺りで私はそれ以上近付くのを止め、ずっと話を聞いていたのですが、やはり彼らは子供のワイバーンを捕えるつもりで来たようでした。

 話を聞いていると、それ以外に入手する方法も多少はあるようでしたが、それらは全て子供の試練中のワイバーンを盗むより難しいか手間の掛かる事のようでした。

 どうするべきか、と私は悩みました。リザードマンは三人のようでした。まともに戦ったら勝ち目は無いでしょう。

 盗みなんかをやっている連中が、試練をしに来るような智獣と同等以上の強さを持っているとは思えませんでしたが、そもそも私は複数を相手に戦った事はありませんでした。

 せめて、アカが居ればなぁ。

 そう思わずにはいられませんでした。このまま何事も無かったように帰る、という選択肢も私の中にはありませんでした。

 そうだ。誰かを連れて来れれば良いんだ。……でも、どうやって?

 言葉を持たないワイバーンは、意志を事細かく伝える事は出来ません。すぐにその考えも無くなりました。

 結局、私は動けないままに夜を迎えてしまいました。


 夜、この日は昨年と同じく、ほぼ満月でした。冬の近付いた、満月に近い日。それが試練の行われる時なのだと、私は気付きました。

 視覚を最も重んじているワイバーンは、夜、月明かりが無ければ何も出来ません。聴覚や嗅覚が少しは優れているとは言え、それは暗闇の中を動ける程に補えるものではありませんでしたし。

 それを考慮して、試練は行われているのでしょう。誰が考えたかは分かりませんが。

 リザードマン達は夜になっても休む事なく、私に気付く事もなく歩き続け、次第に喋らなくなっていきました。

 もう、試練の最中の子供のワイバーンが居る場所に近付いて来ています。

 どうすれば、この三人のリザードマン相手に勝てるのか、まだ私の中で策は浮かんでいませんでした。

 このままだと、試練の範囲に入ってしまう。それは、どんな理由があろうとも私には駄目な事に思えました。

 その時でした。

 リザードマン達が止まったのが感じられました。

「…………」

 私にも聞こえないような、小声で話していました。

 もしかして、私が尾行している事がばれた? 静まりかけていた私の心臓がまた高鳴り始め、念の為に私はすぐに飛べるように姿勢を整えました。

「…………」

 リザードマンは立ち止ったまま、何かを話していました。

 ざっ、ざっ。三人がそれぞれ違う方向に少し歩いたと思ったら、また止まりました。

 ……ばれている、のか?

 何かを警戒している様子でした。それが私なのか、それとも違う何かなのか、判断出来ませんでした。

 私も一応周りを警戒します。狙われているのがリザードマン達ではないかもしれない、という事に気付いたからです。

 …………。

 静寂が辺りを包みました。子供のワイバーンの叫び声も聞こえず、夜行性の獣の動く音も聞こえず、僅かに流れる風の音と、私の鼓動だけが私の耳に届いていました。

 そして、リザードマンの一人が叫びました。

「くそっ、大蛇だ! それも二匹!」

 これは好機だ。

 そう思った時には、私は走っていました。


 ワイバーンは音も無く走るという事は出来ませんが、そこそこ速く走る事なら出来ます。

 リザードマンに気付かれた大蛇二匹が地面を這う音が聞こえました。

「こっちからも何か来る!」

「どうするんだ!」

 一瞬の間が開いた後に、リーダーらしきリザードマンが全く焦っていない声で言いました。

「大蛇は二匹とも俺がやる。お前等、来る奴をやれ」

 ……勝てるのでしょうか。一人で大蛇二匹を捌けるリザードマンなんかに。

 そんな不安が湧きおこりながらも、私はリザードマン二人の姿が視界に入りました。

 二足歩行で全身が青から緑色の鱗に覆われ、ワイバーンと同じような太い尾が生えている、二足歩行の蜥蜴の面影を強く残している智獣です。コボルトよりは敏捷性はありませんが、その代わりに体は智獣の中では大きい部類に入り、筋力も優れています。

 この盗人のリザードマン達は大した防具等は着ておらず、荷物も革製の鞘に入っている刀と、腰に付けている袋だけでした。

 子供のワイバーンを連れ去る為に身軽な恰好をしているのかもしれない、と思えました。

「ラルルルルッ」

 私は宣戦として吠え、走りながら毒針をそれぞれに向けて一本ずつ飛ばしました。毒針は少しずつ生えて来ていましたが、飛ばせるのは後五本位でしょう。

 リザードマン二人はそれを大幅に避けて躱しました。

 アカよりは、弱い。勿論、儀式に来る智獣よりも弱い。その動作を見て私はそう確信しました。魔法も使えなそうでした。

 リザードマンが持っている武器はコボルトが持っていた刀と似たような片手で持つ幅広の刀でしたが、片刃ではなく諸刃で、途中で曲がってもいませんでした。また、コボルトのものより長く、重そうでした。あれがまともに体に当たってしまったら、死なないまでも、戦える体ではなくなってしまうでしょう。

 けれども、それは当たればの話です。

 私は更にリザードマンに向けて更に毒針を一本ずつ放ちました。最初の毒針を大幅に躱した性で、どちらのリザードマンも姿勢を崩していました。走りながらでも、智獣の体の大きさなら、当てられます。

 片方は身を地面に伏せて躱し、もう片方は躱し切れずに腕に毒針が刺さりました。

 後、三本。出来ればこの三本は強そうなリザードマンに取って置きたいです。

 私は駆け、地面に伏せたリザードマンに近付きました。

「くそがっ」

 起きる時間も無いと判断したリザードマンの、咄嗟に出た刀の薙ぎを直前で止まって躱し、私はその刀がまた振るわれる前に頭を踏みつけました。

 下が柔らかい土だったのもあり、頭蓋はすぐには壊れませんでしたが、そのリザードマンの手から刀が離れているのを見て、私はそれを尾で遠くへ弾きました。

 もう、これで怖くない。

「うおおおっ!」

 毒針を腕から抜いた、もう一人リザードマンが私に跳び掛かってきました。

 刀が上から勢い良く振り下ろされ、私は冷静に一歩下がってそれを躱します。リザードマンは自分が動けなくなるまでの時間を分かっているのか、着地して息を吐く間もなく更に私に切りかかってきました。

 私は滅茶苦茶に振り回される刀を体を上手く動かして避けながら、木の後ろに一旦避難しました。

 リザードマンは既に息が上がっていました。

 それに比べ、私は冷静に刀を躱せている自分に驚いていました。一年間、ずっと喧嘩をしてきた成果はリザードマン相手でもきちんと出ているようです。

 遠くでは大蛇が切られる音がしていました。声を発しない大蛇は悲鳴の代わりに、血を盛大に流す音と匂いを私に届けました。

 大蛇二匹では、その強いリザードマンを殺す事は出来ないでしょう。魔獣より強い智獣も居るのに、成獣した魔獣には襲い掛からず、智獣には襲い掛かる馬鹿な獣です。

 リザードマンは息を整えてから木から更に離れる私に向って走り、今度は滅茶苦茶にではなく、正しさを感じさせる動きで私に切り掛かってきました。

 しかし、それは滅茶苦茶に切り掛かられるより、簡単に避けられました。ただそれは、リザードマンの体内に私の毒が回っているからではありませんでした。

 横薙ぎの後、その反動を生かして体を回転させ、もう一度違う軌道でより深く横薙ぎが来ます。その後、右手から左手へ刀を流れるような手つきで持ち替え、今度は下から上へ切り上げが来ました。

 私には何故か、その動きが予測出来ました。まるで自分でその動きを習得した事があるかのように、そして、その動きに応じた戦い方でリザードマンを殺した事があるかのように。

 切り上げを体を反らせて躱した瞬間、私は尾をリザードマンの足に絡め、強く引っ張りました。リザードマンはワイバーンと同じく生えている太い尻尾で倒れないように一瞬だけ踏ん張りましたが、私の方が力は強く、一瞬の後背中から転びました。

 そして刀を持っている左手をすぐさま踏みつけ、そのまま、また頭を踏みつけました。

 びぐ、とリザードマンの体が強く震えましたが、それ以降動く事はありませんでした。死んではいませんが、気絶か、もう動けなくなった事は確かです。

 私は動けなくなった事を確認してから、大蛇と戦っている最後のリザードマンの方を見ました。

 一匹の大蛇の首が、その時リザードマンのその刀によって綺麗に断ち切られていました。

 もう一匹の大蛇ももう至る所を切り刻まれて瀕死です。けれども、十分に役に立ちました。リザードマンは私の方に意識を向けていません。昨年私がされたのと同じように、死なば諸共と必死に絡みつこうとするもう一匹の大蛇を振り払って止めを刺そうとするのに必死で、私の方までは意識出来ていなかったのです。

 私はそこに、首筋を狙って毒針を飛ばしました。

 それは狙い通り、首筋に当たりました。

「なっ……」

 リザードマンが私の方を驚いて振り返りました。もう二人とも始末されてしまったとは思わなかったのでしょうか? 残念ながら首の太い血管や気管には刺さらなかったようですが、頭に近い場所に刺さった性かリザードマンの動きはすぐに緩慢としていきました。

 呆気ない最後だなぁ、と私は思いましたがリザードマンは腰の袋から瓶らしきものを取り出して毒針を抜き、刺さった部分にそれを掛けます。

 ……解毒剤? もしかして、リザードマン達は全員それを持っている?

 二人目に倒したリザードマンも、私に襲い掛かる前に毒針を解毒していたのでしょうか。私に襲い掛かる時には全く動きが衰えませんでしたが、毒の回りが遅いという訳ではなかったのかもしれません。

 けれども、その解毒剤は瞬時に効果を現すものでは無さそうでした。

 がくがくと震えながら、リザードマンは必死に刀に力を入れ、未だに纏わりつこうとする大蛇に止めを刺そうと刀を突きたてました。

 私はその刀を持っている腕に更に毒針を飛ばしました。動かないで狙うならば、その精度で私は毒針を飛ばせるようになっています。

 毒針が刺さり、リザードマンは思わず刀から手を離しました。

 そして、大蛇はその瞬間、最後の力を全て出すかのように動きが速くなり、リザードマンが刀を取るよりも、その完成しつつあったとぐろから脱出するよりも先に、リザードマンを締め上げました。

 こうなってしまえば魔法を使えない限り、もしくは赤熊のような強靭な体を持たない限り、誰も抜け出す事は出来ないでしょう。

 私は悲鳴と共にぼきぼきと折れていく骨の音を確かに聞きながら、やっぱり呆気なかったと思いました。

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