4-10

 五匹中三匹。それは、無事に空を飛んで大地に足を付ける事が出来た、私達の子供の数、割合でした。

 そして、二十八匹中二十二匹。それが族長の子供全ての、その一度の試練を生き延びた割合でした。

 失敗した割合は普通と比べてやや高く、それは確実に、私の最初の息子が失敗した事に起因しているようにしか思えませんでした。

 しかし、誰も私を責める事はありませんでした。仕方ない、というように族長も、族長の番達もそう私を見ていただけでした。

 仕方ない。確かにそうなのでしょう。

 既にもう、子供達は死んだワイバーンの事等忘れたかのように草原でいつも通りのように遊んでいます。

 実際にもう殆ど忘れているのでしょう。

 なのに私は、それにまだ振り回されていました。

 これから毎年、この感覚を味わわなければいけないのでしょう。子を産み、育てる事はとても楽しい事ですし、満たされている気持ちになれます。

 しかしながらやはり、私はワイバーンにはなりきれない何かでした。

 子を崖から突き落とすという事が出来ても、飛べなかった子供を殺す事が出来ても、仕方ないと簡単に片付ける事は私には出来ませんでした。


 私が子を持っても、大して時間の流れは毎年と変わらないように思えました。

 きっと、これから年を経るに連れてどんどん短くなるように感じられるのだろうと、私はぼんやりと考えていました。

 毎年に心身が慣れて行き、それは冬の間のような単調な生活が幅広くなっただけのように生活の循環は自分の中で収まって行くのでしょう。

 しかしそれはつまらない事ではありません。

 ただ家畜のように生きているだけではないのですから。慣れるとは言え全く同じ日々を過ごす訳でも無く、微かな変化を楽しめるのですから。そして何よりも、自由なのですから。

 ……しかしながら、この気持ちには慣れる事は無いのだろうと私は思っていました。

 こればかりは他のワイバーンも一緒でしょう。

 今日は二度目の試練の日でした。

 既に今はもう夕方です。満月が近付いて来るのを心苦しく思いながらもこの日はいつものように来てしまい、夜が近付いて来ないようにその最後の日を出来るだけ長く思うようにしても、その時はいつものようにに来てしまいました。

 これから何をするのか分からない子供達を連れ、私を含む族長の番達は森へ向って飛びました。

 後ろを振り返ると全員付いて来ています。これから何をするのか、その仕草には期待がありました。

 ……二十二匹全員が族長の血を受け継いでいるとは言え、その強さまで受け継いでいる訳ではありません。当然の事です。……ええ、至極当然な事です。

 覚悟をしなくてはいけません。三匹が全て死んでしまうという可能性もあるという事を。

 川を越え、私は他の親達の表情をちらちらと眺めました。

 無表情であったり、最後になるかもしれないと子供の飛ぶ姿を眺めていたりと、色々と違いはありましたが、それら全てには我慢、祈りが見えました。

 森の近くには、老いたワイバーンはそこまでの数は居ません。

 しかし、ワイバーンの数が戻り、循環が正常に戻るまでは森の中の動物は多く居る事でしょう。

 幸か不幸か、試練の質はそう大して変わりません。

 私は大蛇と老ワイバーンと戦いましたが、老ワイバーンが他の猪や狼に変わるだけです。

 ああ、降りたくないな。

 そう思いながらも私は老ワイバーン達の近くに降り立ちました。仕方なく、諦めながら、祈りながら。

 子供達の中でこれから始まる事を予期しているのは少なく、その子供達以外は普通に何も疑問も持たずに着地しました。

 まだ滑空しか出来ないので、そうでない子供達も着地せざるを得ませんでした。


 すぐに遊び始める子供も居れば、あの時の私のように友達や兄弟姉妹を集めて身構えようとしてる子供も居ました。

 生きて、帰って来て欲しい。

 ただ、それだけを私は願いました。他の親も誰しもがそう願う僅かな時間を過ごしました。

 その時間が過ぎた後、一匹が空へと飛び、身を翻して崖へと戻って行きます。私も後ろ髪を引かれる思いを振り切り、無理矢理何かを引き千切るようにして空へと飛びました。

 そして、全ての親のワイバーンが飛び立ち、私が川を越える頃、老ワイバーン達の咆哮が聞こえて私は半ば反射的に振り返ってしまいました。

 ある老ワイバーンが一匹の子供の首に食らい付き、高く掲げて噛み千切った光景が見えました。

 他の老ワイバーンも一番近くに居た子供を蹴り飛ばし、踏みつけ、自分達が敵である事を明示した上で、全員が容赦なく子供達に襲い掛かり始めていました。

 止まりたい。戻りたい。

 そう、強く思いましたが私はその気持ちも振り切って帰らなければいけませんでした。

 ……今年は泥棒狩りは出来そうにありません。

 そんな近くに行ってしまったら、助けに行きたい感情を抑える事は不可能に近いように思えました。

 この気持ちに慣れる事は無くとも、来年、再来年位には泥棒狩りは再開しなくてはならないのですが。


-*-*-*-


 時間は緩やかに、そしてあっと言う間に過ぎて行っているという事はその時間が流れてから気付くものです。十分に知っている事ではありましたが、そうだとしても驚く事でした。

 私自身が何歳であるのかはいつの間にか忘れられる事となり、平穏で悠久な暮らしに私は身を委ねています。

 春は族長と交尾をし、子を産み、夏から秋に掛けて子を育て、秋になれば強い自制心を自分の中で維持しながら泥棒狩りをして、冬には火を眺めたりしながら春が来るのを待ちました。

 大きな変化はありません。私と同じように群れを出るワイバーンが居れば、また群れへ戻って来るワイバーンも居る事や、そうではなく、ふらりとやって来るワイバーンが居たり。

 儀式の厳しさがより一層増すようになったと周知されたのか、儀式に来る智獣が少なくなったり。

 その儀式にアカと、もう一匹の族長候補らしきワイバーンが参加するようになったり。

 赤熊がいつの間にか新しくワイバーンと交流を深めていたり。

 ケルピの番が新たに川の近くに住みつくようになったり。

 その位の事でした。ロは帰って来る事は無く、他のワイバーンの群れが攻めて来る事も無く、天変地異等も無く、悠久と言う言葉通りの暮らしでした。

 そんな長い時を暮らす間にいつの間にか、私は夜になっても頭痛を覚える事は無くなっていました。しかし、今でも姉さんを私が殺したという事を思い出さないという事はありません。

 苦いという単純な言葉では到底形容出来ないその記憶さえもが、オチビの時と同じく、僅かながらも風化し始めているのでしょうか。

 忘れてはいけないとは思いながらも、忘れたくもある記憶です。風化し始めているのかもしれない、と思うと複雑な気分でした。

 そして今、私の子は増え、孫も増え、そしてその子供も今、私の繋がりとして存在しています。今はもう、私と族長からの繋がりはどの位存在しているのか全く分からない程です。

 また、色違いと血が交ったワイバーンも少なからず増えていました。その数はそのまま、色違いとの関係が自然なものへと変わって行く様を現していました。


 他のここに住む皆から見れば、私のワイバーンとしての生は一時期この群れを出た事を除けば他のワイバーンとほぼ何も変わらない生なのでしょう。

 他のワイバーンと変わっている点としては角に腕輪を付け、毎年泥棒狩りに勤しむ点位です。

 アカが智獣を初めて食らったあの時、覚悟して角に嵌めた腕輪も角に馴染み、簡単な事では外れなくなっていました。

 ……そして、春になる直前のその日、とうとう腕輪に頼る時が来てしまったのだろうと、私はその光景を目にして思いました。

 族長は、色違いの族長に押し倒されていました。

 いつもほぼ互角のままに終わっていた喧嘩が、色違いの族長の初勝利となって終わったのです。

 色違いはそのまま族長を食らう事はしませんでした。族長同士とは言えども、それはただの喧嘩であったのです。

 色違いの族長は立ち上がり、そして族長を悲しそうに見下ろしました。族長も倒されたまま空を眺め、少しの間、ぼうっとしていました。

 ……ああ。分かっている。どちらも。

 私もそう、諦めと共に理解しました。

 その時が来てしまったのだと。それが、とても分かり易い形で示されてしまったのだと。


 その夜、族長は私達番と交尾を終えてから、寝る前に色違いの族長とどこかへと行きました。

 何となくそこで少しの間待っていた私は、遠くから泣き叫ぶ声を耳にしました。

「ア゛ア゛ッ! ヴア゛ッ、ヴッ、ア゛ッ……ア゛ア゛ア゛ア゛ッ……ヴッ……」

 それは、紛れも無く色違いの族長の声でした。聞いているだけで胸が張り裂けるような、声でした。

 色違いの族長は、唯一無二の、互角に戦える長年の親友との、来てしまった別れを何よりも悲しく思っていました。

 私よりも。本当に、誰よりも。

 私は待つ事すらしてはいけない事だと思い、待つのを止めて、巣穴へと帰りました。

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