4-9
退屈な時と同じく、楽しい時も早く過ぎてしまうものです。
その、原始的な単純な最高の快楽を覚えていられる時間は冬の一日が過ぎていくように、気付いたら終わりを迎えていました。
そして私はとうとう子を身に宿す事になりました。
しかし、子を産むまでは退屈でした。余り激しく動いてはいけない事は分かり切っている事です。
捕食者の位置を占めているワイバーンにとっては、それが普通の事でもあります。
それにまた、獲物は全ての番、六匹分のを族長が取ってきてくれますし、私が精々やれる事と言えば日向ぼっこ位の事です。
また産卵の準備としてはそれは場所を崖の中で一番上に位置する、族長が住む大きな巣穴に変えるだけでした。
族長の巣穴はやはり群れの長としてか大きさ自体もかなりあり、十匹位までなら普通に住めそうな広さです。また、綺麗好きな番が多くいるのか、臭いが全くしませんでした。それは一瞬戸惑いを覚えた程でした。
因みに隣には色違いの族長が意地を張って作ったであろう、同じ程の大きさの新しい巣穴がありました。
中を覗く機会は今の所ありませんが、同じ複数の番を持つ身としての機能としては不自由していないようです。
待つのは結構時間が掛かるものだなぁ、とのんびりと日向ぼっこ程度しかやれる事がない生活が少しの間続いた後に、産卵の時が来ました。
ただ、意外なほどに呆気ない、というのが率直な感想で、力みは必要だった物の大して痛みもなく、至って順調に産卵は終えました。
六匹分、計二十八個の卵が出来ました。私は五個の卵を産みました。
そんなに長くない期間で卵は孵る筈です。
一日、少しだけ体を動かし、それ以外は卵を温める生活でまた、退屈を覚える日々を過ごしながら私は思いました。
どれだけ、これから子供を産む事になるのだろう。そして、どれだけ二度の試練を越えて生き残ってくれるのだろう。
そこには期待よりも不安の方が大きいです。
どれだけ子を産んだとしても、誰も成獣出来なかった何て事にはならないで欲しい。
しかし、そこに私が介入する事はほぼ出来ません。
この巣穴から飛び降りられるかどうかは私にはどうにも出来ない事ですし、二度目の試練を乗り越えられるかどうかもほぼ同様の事です。
鍛えさせたとしても、必要なのは肉体的な強さよりも精神的な強さです。それは、生まれてから一年では素質でしか期待出来ません。
生き延びさせたいとしても、出来る事は祈る事位しかないのです。
そうしてこの群れはやってきました。これまでも、これからも。
私だけがそれから逃れようとしてはいけません。理由が分かっていても、分かっていなくても、守らなければいけない事なのです。
-*-*-*-
二十日間も経たない位で、どんどん卵は孵化していきました。
最初、私の産んだ卵から小さなワイバーンが殻を破って出て来るのを見ると、何とも言えない感動を覚えました。
また、まだ卵が割れていなくとも中でぴぃぴぃと声が聞こえて殻を叩いているのを聞くと、私はわくわくとしながら自分のその卵を眺め、また私は生まれた時の事も思い出しました。
真っ白な壁。
それが私の、このワイバーンとしての生での最初の記憶です。しかしながらそれはワイバーンとしての、であり私としての、ではありません。
何度、私は転生をして生まれたのでしょう。そんな事、馬鹿げています。この子供を見て、そう強く思います。
コボルトとして、きっと人間として、リザードマンとして、ケットシーとして、他の様々な智獣や、また魔獣として。
本当に、どうして私はこんな体になったのでしょう。
何故か、自分がこうなった方法と、それから逃れる方法は私が自分自身の事を思い出した時に一緒に思い出されました。
自分が死ぬ寸前に、魂を変質させた。
それが出来る程、自分が生に執着していたのでしょうか? そんな事、単なる好奇心、探求心といった興味では出来ないと思うのです。
もしそうだとしたら私は、死に対しての認識を少し間違えていたのでしょう。
死は逃げなければいけないものですが、受け入れなければいけない一面も持つという事をその時の私は分かっていなかったのだと、思えました。
複数回、同じ自我を持って生まれる必要など、どこにも無いのです。こうして、命は繋ぐ事が出来るのですから。
最初の卵が生まれてから数日程の間で最後の卵が割れました。その卵から出たばかりの濡れた体を舐めて綺麗にしてから、私は族長が持ってきてくれた大蛇を咀嚼してから口移しして与えます。
私の子供は、雄が三匹、雌が二匹でした。
ぐぅぐぅと眠っているのやら、活発に体を動かしているのやら、生まれたばかりだと言うのに既に個性ははっきりと分かれ始めていました。
可愛さを感じます。とても、とても。
正真正銘、私の子供なのですから。
しかし、試練が待っている事を思うと私の心境は複雑でした。
いや、分かってはいるのです。試練で命を落としてしまうかもしれないからこそ、生きている間に目一杯愛情を注いでおくのだと。
死んでしまうかもしれないからそっけなく接する何てのは、それは自分の為の保身に過ぎません。
そうしたい気持ちは確かにあります。しかし、それは後で苦しくなる選択肢だとも分かっていました。
ぴぃぴぃと小鳥のように鳴く子供達にはまだ、名前を付ける事はありませんでした。
言葉を喋れない私は自分の中で呼ぶだけなのですが、五匹にどう名前を付けようか迷っていたのとまた、名付けても崖から降りられなくて死んでしまったらとても悲しい、とやはり保身に走っている自分が居る事もその一因にありました。
最後に子が生まれてから数日も経つと、この広い巣穴の中で子供のワイバーン達は皆で遊んだりじゃれ合ったりしています。喧嘩とはまだどう見ても言えない、じゃれ合いです。
しかし、それを見るとワイバーンの中には強い闘争本能が元からある事が分かりました。
そしてまた、強く在らなければワイバーンはワイバーンではないという事も。
なのでワイバーンとして生きたいのならば、今の内から強く在るように生きて欲しいと、私は子供達に願いました。
私自身も強い獲物を狩って、それを示そうと思いました。
-*-*-*-
例年に比べると乾いている夏でした。
とは言え、川が枯渇する等という異常事態にまで陥る事は無く、却って毎年夏になると異臭が酷い事になる崖下の糞尿の臭いがいつも程ではない事や、蒸し暑さもそんなに無い事もあり、例年よりは過ごし易い夏でした。
ただ、初めての夏を過ごす子供達にとってはそれでも辛いものではあるようでしたが。
そんな、子供達がこの大勢でも洞窟内だけで遊ぶには退屈を覚えて来た夏の終わり頃、すぐに一度目の試練はやってきました。
とうとうこの時がやって来てしまったか、と僅かに思いながら私は滑空が出来る程に体が整って来た一匹を呼びました。
私のこの、二番目に生まれた子供がこの巣の中で一番最初に一度目の試練に臨みます。既に崖下では少しずつ子供が見え始めてはいますが、まだまだ少なくはあります。
巣穴の入り口の、崖際の方にはまだ子供達を近寄らせた事はありません。飛べない身としては危険だからです。
私も、良くもまあ、高い所にいきなり居ると知らされて飛べたなぁ、とは思いますが大体のワイバーンは結果として飛べています。
この一度目の試練はそのような、難しそうで簡単な試練です。
言ってしまえば、ただ翼腕を広げて落ちれば飛べるのですから。
崖の近くに来て、私の次男のワイバーンは下を見て震えました。それから私の方を、乗せて降ろしてくれるんだよね? と言うように見てきました。
いや、そんな甘い事はありません。
私は子供から見たら体程もある足で息子を押しました。
ピィ、ピィとまだ声も高く、威厳も何もない声で泣き喚きますが、私は構わず逃げ道を塞ぎ、少しずつ押していきました。
飛んでくれ。
そう、私は強く思いました。特にこの巣での一番最初、この私の息子が失敗してしまったらそれは後々にも繋がってしまうかもしれません。
ずり、と更に私は足で息子を押していきます。もう、息子の足は三分の一が外に出ていました。
そしてまだ、泣き喚いています。
飛んで。お願い。
……そう思いながらも、私はどこかで諦めていました。
ハナミズ、姉さん、ノマル、私、マメ。私達兄妹は全てここまでギリギリになる前に全員空に自らの身を投げ、そして飛ぶ事に成功していました。
カラスは最後まで、無くなっていく地面に足を付けようとしていました。
ここまで来てしまったらもう、駄目でしょう。
私は少しだけ時間を置いてから、瞑りたい目を堪えて息子を押しました。
息子は、次男は、体を縮こまらせたまま落ちて行きました。がん、と一度崖に体を当てくるくると岩の破片と同じように舞い、翼を広げる事も無く、落ちて行きました。
……ああ。
最後、僅かに翼を広げたのが見えたのは私の見間違いでしょうか。
私は振り返る事無く、空を舞って落ちて行った息子の死を確かめに行きました。
よりによって最初から、とそんな風に思ってしまう気持ちがあるのを後ろめたく思いながらも、私はどうかもう、死んでいて欲しいと強く願いました。
血は見えませんが、この高さから落ちたらもう、助からないのは確実でした。
もし万が一助かるとしても、私は殺さなくてはいけないのでしょう。もう、こうなってしまった子供には、資格とは言いたくありませんが、そのようなワイバーンとして生きる何かが絶対に足りないと見なすしかないのです。
ワイバーンは家畜ではないのです。
そして私は、落ちて不幸にも死ななかった子供を親が介錯したのを見た事がありました。そんな事にはならないで欲しいと思いながらも、私は徐々に強くなって行く糞尿の臭いを我慢しながら降りて行きます。
しかしながらびく、びく、と動くその息子の姿を見て私は頭痛を覚えました。
また、殺さなければいけない事になるとは。
私は恨んでも構わないと心の中で叫びながら、一思いに、何も思う間も与えずに、息子を踏み潰しました。
体を突き破り、足の裏に刺さった骨が酷く痛みました。
「ヴッ…………ヴゥ……」
骨を引き抜き、私は少しばかりの間、立ち呆けました。
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