3-9

 咄嗟に身構えると、ドラゴニュートも眠たげな目を見開いて私に構えました。

 武器は持っておらず、ただ素手で私と戦おうとしていました。

「素手だからって舐めるなよ?」

 私が言葉を理解している事も理解した上でのその発言の直後、いきなり私に向って走ってきました。

 スピードはとても速く、身体はほんのりと赤く光っています。魔法による身体強化をしていると一目で分かりました。

 ワイバーンの膂力にも拮抗出来る力があるに違いない。そう思い、一旦私は空に逃げます。

 瞬間、ドラゴニュートは私に向って高く跳躍しながら拳を私に向けて放ち、思わず蹴りで迎撃します。

 ばん、と私に足の骨に直接響く衝撃が来て、ドラゴニュートも地面に叩きつけられました。

 しかし、何事も無かったかのように体を反らせてすぐに立ち上がりました。

 久々に味わうこの足のびりびりとした痛みは、微妙な懐かしさがありました。こんな痛みを味わったのは、あの色違いとの戦い以来でした。

 ……やはり、私は戦う事が好きです。

 飛びながら、私は興奮を覚え始めていました。


 ばさり、ばさり、と滞空しながら私は深く息を吐きました。

 族長と喧嘩をする時は必ずやっていた行為でした。頭の中が喧嘩だけに集中出来るようになる、その感覚が私の中を占めて行きます。

 このドラゴニュートは、族長よりは弱いでしょう。しかし、この前戦った三人の智獣よりは遥かに手強い事は分かりました。

 そもそも、魔法での身体的補助があるとは言え、素手で魔獣と立ち向かおう等という事、普通は考えられません。

 それが出来る自信がある時点で強いと確信出来ていました。

「降りて来いよ、臆病者め」

 ドラゴニュートが私に向けて身振りも込めて挑発をし、ロが私を心配そうに見ていました。

 凭れ掛かられていた大狼は眠たげなまま、私達を観察しています。

「ヴル」

 そんな、心配そうな顔しなくても、大丈夫。

 ロにそう言ってから、私はゆっくりと降り立ち、もう一度構えます。

 そして今度は私から仕掛けました。


 毒針を放ちながら、やや低めの体勢で私はドラゴニュートに向って走ります。

 ドラゴニュートは放たれた毒針の一本をあろうことか掴み、他の数本を躱してから嘲笑うかのように私に投げ返してきました。

 私はそれを額で弾き、ドラゴニュートに肉薄します。

 そんな弾き方をされるとは思わなかったのか驚いた顔でドラゴニュートは私を見ますが、焦りはしていません。

 ドラゴニュートの体が僅かに前に出て、私は恐怖を覚えて咄嗟に急停止し、目の前を高速の蹴りが飛んで行きました。

 威力自体はワイバーンの蹴りと変わらないでしょうが、当たる面積の大きさが全く違います。同じ威力でも、殴られるのと刺されるのが全く違うように、直撃したら骨を砕かれてもおかしくない気がしました。

 そして、直後にその振り上げられた脚が同じ速さで踵落としとして振り下ろされ、同時に私は突っ込みます。

 また、脚で見えなかった部分から正拳が飛んで来るのが見えました。

 その速さを見る事が出来る目があっても、流石にこの距離では躱す事はもう出来ません。

 しかし、全ての威力を私に伝えなくする事だけは出来ます。

 拳が額に当たり、衝撃が全て私に伝わる前のその瞬間、私は頭を右に振ってその衝撃を逸らしました。

 逸らしたとは言え、痛いものは痛いですが、我慢出来る痛みまでには和らげられ、そのまま私は体を回転させます。

 鉤爪は刺せなかったものの、翼腕はドラゴニュートの脇腹にぶつかり、そのまま吹っ飛びました。

「うおっ」

 けれども、そこまで痛そうな声ではありませんでした。

 その声で、私は体の回転が完璧ではなかった事を悟り、また体がぐらついて、自ずとがくりと膝が折れて翼腕を地面に付けました。

 ……ずらしたと思ったのに。

 平衡感覚がおかしくなっていました。

 ドラゴニュートは既に体勢を立て直し、淡い緑色の光を脇腹に当てながらまた走って来ています。

 身体強化だけではなく、治癒も出来るのか。

 かなり恵まれているドラゴニュートだと私は思いながら、毒針を足元に目掛けて飛ばし、息を吸い込みました。

 ギリギリまで引き付けられれば、私の勝ちです。族長程の威力ではありませんが、音の大砲は私も使います。そして、初見ならまず気付けません。

 ワイバーンと言ったら、常識では口から出すのは火球のみなのです。

 だん、とドラゴニュートが強く地面を蹴り、私に向って跳び掛かってきました。毒針はその足があった空間に虚しく刺さりました。

 ドラゴニュートの右の拳は強く握られて、体の後ろにありました。左手は私に照準を合わせるかのように前に突き出されています。

 まだ、私は立ち上がれない事を見越しています。ここで私が火球を飛ばしたら、跳び掛かられた私も一緒に燃えてしまう事、そして自分だけが魔法で回復出来る事も見越しているでしょう。

 けれども、私は火球は出しません。

 ドラゴニュートは腕を引き、拳を私の脳天目掛けて突き出そうとしています。引き付け過ぎれば、体が狂う前に私の脳天にその拳が炸裂し、そうでなければやはり同じく、私の脳天に拳が炸裂してしまいます。

 絶妙のタイミングが必要です。しかし私の目はそれをしっかりと捉える事が出来ました。

「ルアアアッ!」

 自分の耳もびりびりと痺れる咆哮をして、空気も揺れ、ドラゴニュートの体がぶれるのが見えました。

 しかし、拳は握られたままでした。目が揺れながらも、私をしっかりと見据えたままでした。

 早かったのか? そんな筈はない。いや、違う。……気合で耐えている。

 私以上に平衡感覚は酷く狂っている筈なのに、赤い、身体強化の魔法が掛けられた拳は握られたまま、私の脳天に目掛けて飛んで来てしまったのです。

 私は、眼前に迫った拳をもう避けられません。

 酷い衝撃が、私を襲いました。


「ヴ……」

 ……酷く頭痛がする。

 はっ、と目を覚まし、私は起き上がろうとしましたが、上手く動けずにまた崩れました。

 目の前にはドラゴニュートが、私と同じく倒れていて頭に緑の光を当てていました。

 やばい。

 気絶していたのは一瞬でした。しかし、動こうにも全く動けません。

 流石に私の咆哮は少しは効いたのか、頭蓋を破壊されるまでは至らなかったようですが、その衝撃は私を動けなくするには十分過ぎる程でした。

 体感としても、ドラゴニュートが自分を治して起き上がれるようになるまでには到底立ち上がれないと思えました。

 尻尾を動かそうにも、私の思うように動きません。

 毒針を数本撃ちましたが、倒れていて的の広いドラゴニュートにも当たらず、変な場所に刺さるだけでした。

 ……このままだと、食われる?

 体が震え、縋る思いで私は毒針を口に持ってきます。

 しかし、尻尾を咥え、先をどうにかしてドラゴニュートに向ける前に、ドラゴニュートは立ち上がってしまいました。

「ヴ、アアッ」

 死にたくない。何もまだ、やってない。

 ただ、何も出来ずに、何も知らないで死にたくない。殺されたくない!

「……おい、知らねえぞ、こんな奴」

 ドラゴニュートが何故か動けない私から距離を取って構えました。

 毒針を放つと、何故か当たりました。

「くそっ、何なんだ、お前?」

 今しかない。私はドラゴニュートの脳天に狙いを定めます。


-*-*-*-


 気が付くと、もう夜でした。

 焚火が目の前で焚かれていて、ロが私を心配そうに、そして僅かな困惑の目で見ていました。

 ……毒針を飛ばす直前、何かにまた殴られて気を失ったような、そんな記憶が最後にありました。

 大狼かロが私を気絶させたのでしょうか。

「おい、お前」

 呼ばれて、私はその方を向きました。

 ドラゴニュートはファルと同じような訳が分からないと言う顔をしながら、続けて言いました。

「どうして、魔獣なのに魔法が使えるんだ?」

 やっぱり、あれは偶然じゃなかったのか。

 私はそう思いながらも、分からないと首を振るしか出来ません。

 そもそも、あの時私は魔法を使おうとしていたのでしょうが、私は魔法を使おうとも思っていないのです。

 族長が殺されそうになって雷を落とした時、そして今回の事を考えてみると、多分、感情が昂った時に魔法を使っているのだろうとは思えましたが、どうして私だけそうなっているのでしょう。

 魔法は肉体と魂に依存するものです。

 そして、私は自分で魂を操作したのかもしれないと思った事を思い出しました。

 …………魂が、違う? ワイバーンの魂の形と、私の魂の形が違う?

「お前、分かるか?」

 ドラゴニュートは大狼にも話しかけましたが、大狼も分からないと首を振りました。

「お前は?」

 ロも同じでした。

「……ったく、難しい事は嫌いなんだがな」

 そう言ってから腕を伸ばし、背伸びをしてからドラゴニュートは小屋の中に入りました。

 大狼はそのドアの前にゆっくりと歩いて行って番犬のように眠り始め、ロがそれを見てから焚火を体を上手く使って消すと、細い月の光だけが残りました。

 ……私はそれを見て、魔獣として不完全な自分を、完全に自覚しました。

 無意識であれ、魔獣として定められた魔法以外を使えるというのは長所でしたし、それによって族長を助けられ、私自身も生き延びられたのですが、それは私が完全なワイバーンでないという事でもありました。

 今までそれは、もしかしたら、位の気持ちでした。けれども、今その事実はドラゴニュートと言う第三者からはっきりと示されてしまいました。

 ……前世を持っている以外は、完全なワイバーンでありたかった。

 そんな気持ちが不意に湧いて来て、何かにきつく締め付けられるような、唐突に落とし穴に落ちたような、酷くどうしようもない感覚が私を襲いました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る