田單と孟嘗君

 さて田單でんたんの話は次で最後になります。またのちにも出てきますが、言及はこれほど詳しくはありません。


 田單がてきという齊の地を攻めようとしたとき、往って魯仲連ろちゅうれんという人にあいました。魯仲連は申しました。


「将軍が狄を攻められても、下すことはできません。」


 田單は答えました


「臣は即墨そくぼくの亡びかけの少ない兵卒で萬乘の軍の燕を破りました、そして齊の廃墟をよみがえらせたのです,今、狄を攻めて下せないとは、どういうことですか?」


 そうして戦車にのり、謝礼も言わずに去り、そのままで狄を攻めました。三月たってもてません。齊の小兒こどもたちうたいました。


「大冠(武装)がのようだよ、長剣であごささえているよ、狄を攻めて下せないで,枯れた骨が(積み重なって)るいとなり丘になるよ。」


 田單はそれを聞いておそれました。歌というものは、世相を反映するものですから。魯仲連に問うて言いました。


「先生は、單が狄を下すことができぬと申されました、請うらくはその御説をお聞かせください。」


 魯仲連は申しました。


「将軍が即墨におられるには、坐ればあじか(草の器)を織り、立てばすきで荷を担い、士卒のために歌われました『往くべきところはない!宗廟が亡びようとしている!今日をこいねがおう!何れの党にかえろうぞ!』今回の戦いに負ければ、あなたに行く場所はありませんでした。この時に当たって、将軍には死を覚悟する心があり、士卒には生に執着する気はなく、君の言葉を聞いて、涙をぬぐいひじをふりまわして戦おうとしないものはなかったのです、これが燕が破られた理由です。今になって将軍には東に夜邑えきゆうの奉邑があり、西に淄水しすいほとりあそびがあります、黄金の横帯をしめて淄水、澠水じょうすいの間を馬で駆け回り楽しまれる、生きる楽しみがあって、死を覚悟する心はありません、それが勝てない理由です。」


 田單はいいました。


「單の心がどうであるか、先生これをよく記しておいてください。」


 明日つぎのひ、将である田單がすぐさま気をはげしくして城をめぐり、矢や石の飛んでくる所に立ち、ばちを取りたいこをうちました。狄の人はすぐさま下ったといわれます。


 かつて、齊の湣王びんおうが既に宋を滅ぼしてから、孟嘗君もうしょうくんをのぞこうと望むことがありました。


(二十九年に齊が宋を滅ぼし、その先に宋がせつを滅ぼした、そう『通鑑』の記事は書かれていることを胡三省が指摘しています。ここではそれを措きます。)


 孟嘗君は魏に逃げ出しました、魏の昭王しょうおうは相とし、諸侯と共に齊を伐ちて破りました。


 湣王が死に、襄王じょうおうが国を恢復かいふくして、孟嘗君は中立の立場を取り諸侯となっていました、屬するところがなかったのです。襄王が新たに立ち、孟嘗君をおそれ、孟嘗君と和を保ちました。


 孟嘗君が亡くなるに及び、その子どもたちはあとつぎを争い、齊と魏が薛を滅ぼし、孟嘗君のあとつぎはいなくなりました。


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