国を護った人・田單 (上)

 この人のことを書いておきたい、そう思わせる人がいます。ここからは、田単という人のことを話したいと思います。


 ここまでに楽毅がくきが斉の無道につけこんで、魏、韓、趙、秦、楚らと語らって、斉に攻勢をかけたことはみてきました。


 しかしここに斉を救うために立ち上がった人がいます。それが、田單でんたんという人です。


 田單という人はもともと首都・臨淄りんしの市場の役人でした。市場の役人ですので、燕との攻防戦で活躍したりはしていません。しかし気骨のあり、知略に優れた人でした。


 斉を攻め落とした楽毅は、税金を安くし、乱れた法を整備し、善政を敷きます。多くの斉の人たちが、納得して燕に仕えるようになりました。斉という国は、命脈を燕によって絶たれんとしていました。


 田單は首都・臨淄から、近くの安平あんぺいという城に逃れていましたが、そこから逃れ、即墨そくぼくという街に逃げ込みます。七十城というのは、斉のほぼ全ての城ですが、それが降伏しました。先に述べた齊の前王の息子である法章ほうしょうが立てこもり、燕から遠く離れた莒の街と、この田單が拠った即墨以外は、全部降伏してしまったのです。


 田單という人は知略に優れた人でした。齊のため、田單の活躍が始まります。


 当時の戦いは、四頭の馬が引く戦車に三人の人が乗って戦う戦法がありましたが、燕の軍は北方にあり、楽毅という名将によって戦車の戦いを熟知していたのでしょうか、それとも普通の戦い方だったのでしょうか。すれ違う時に、相手の車輪の軸を攻撃し、戦車を破壊したことが考えられ、安平での戦いにおいて、戦車の車軸が折れ、齊軍は不利となり、燕軍は優位に立ったとあります。


 動いている馬車(戦車)の車軸を壊すのですから、燕軍の馬を操る技術が優れていたこと、馬車に乗って戦う技術に優れていたことが分かると思います。齊軍が敗れるのには、理由があったのでしょう。


 しかし、その燕軍との戦いで、囲みを打ち破って安平から即墨めざして逃げ出していく軍団がいました。齊軍の中に、燕の安平の戦車の囲みを打ち破る人がいたのです。田單です。田單は用意周到でした。鉄で車軸を補強しておいたのです。


 田單という人はもともと人の集まる市場の役人と述べられています。各国から集まる商人や旅人から情報を得ていたのかもしれません。当時の斉の首都・臨淄は世界を見渡しても、先端を行っている文化都市であり、そこで知識を得た田單は、情報をよく集めて、知恵をもった人だったのかもしれません。


 安平から即墨に逃れた田單は、その脱出劇を知った即墨の人から推挙すいきょを受け、守備隊の将になります。もともとの守将だった大夫(城主)は、すでに城を出て戦い、亡くなっていました。


 一つの城を守ることだけが彼の任務ではありませんでした。彼の任務は、齊という国を、他国の支配下に置かれようとする母国を、即墨という一つの城で救うことでした。幸い後継ぎの王子は健在ということがわかっています。田單はその知略をふるおうとしますが、その前に立ちはだかった人がいました。楽毅です。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます