ISSUE #4  ヒロインの証明

 最低限にまで照明が落とされた部屋で、シルクのガウン姿のバイユウはベッドに入ってノートパソコンをいじっていた。レベッカを見ると驚いたようだった。

「ハーイ……」

 とレベッカはぎこちなく笑った。

「どうしましたか? 何か僕に用事ですか?」

「あ、ううん……でも……食事のとき、話していてすごく楽しかったから、もう少しだけ話していたいなって思って……忙しい?」

「いいえ、問題ありません」

「よかった! それに、まだまだ聞きたいこともあるの思い出したし……」

 レベッカは部屋に入り、後ろをむいてドアをあけた。その瞬間、

「あ……」

 と、バイユウがかすかに息をひくのがわかった。

「どうしたの?」

「あ、いいえ……」

「なあに?」

 レベッカはベッドに歩み寄った。バイユウはノートパソコンをゆっくりと閉めた。

「いいえ、なんでもありません……ただ……あなたはなぜズボンを穿いていないのかと思って」

 レベッカはあわててタンクトップのすそを引き下げて足のつけねを隠した。

「ご、ごめんなさい。お尻が隠れるから、いいかなって思って。いつも家でこの格好だから、気がつかなくて……」

「いえ、まったくかまいません。ですが、僕はあなたにとって老人に等しい存在なのかもしれませんが、今後はどんな年の男の部屋を訪問をするときも、ボトムスを穿くことをおすすめします。たとえ点滴を打っている九十三歳の老人の病室であろうが」

「……すみません。わかりました」

 彼の優しいとがめは、しかし、男から少し強めに首を吸われて愛撫されているように、心に痛くて気持ちよかった。だって、まるで、血をわけた父親のようだったから。

「どうぞおかけください」

 彼女はベッドの枕元の、バイユウのとなりあたりに腰かけた。

「それで、僕に聞きたいことというのはなんですか?」

「まずひとつは、……悪いけど、ググっちゃったの。五十歳って、本当?」

 彼はほほえんだ。目尻にしわが刻まれた。

「僕の血の半分は中国人なんです。アジア系は若く見えるといいますから、その血のおかげかもしれませんね」

「そう……ホントに全然、もっと若く見える。中国人は魔術を使えるってホントなんだね」

「そのように受け取ってもらってもかまいません」

「あ、ごめん、いまのって差別発言?」

「僕は気にしません」

 彼はあくまでやさしかった。レベッカは胸の高鳴りを感じた。それは異性に対するときめきでもある。けれど……それとは少し異質でもある。

「じゃあ……もうひとつ質問。わたしがあなたの事務所に電話したら、ヒース・ワインスタインって人が出た。あれはお母さんの家族?」

「彼女はエリカの父親、つまりあなたのおじいちゃんですよ」

「おじいちゃん?!」

「そうです。彼にはエリカと僕の秘書をやってもらっています」

「おじいちゃんがお母さんの秘書なの? 逆じゃなく?」

「はい、逆ではなく。若い頃からずっとそうです。エリカが事務所を持ってから。お互いを信頼しあっている、うらやましい父子です」

「そう……少しでいいから、おじいちゃんとも話してみたいな」

「彼にそう伝えておきます」

「それから、もうひとつだけど、……質問ぜめでごめん」

「いいえ」

 レベッカはロスト・ビーチの海のように青いバイユウの目をのぞきこんだ。そこが真実を映す鏡と信じて。

「……わたしの父親の可能性はないというのは本当? 彼女の恋人でも、ファック・バディでもあったんでしょう?」

「その時期、僕は海外出張でした」

 バイユウはささやきかけるように言った。レベッカの心臓は一瞬止まった。とどめをさされたと思った。

「……そうなんだ」

「僕たちは憎み合って別れたわけではなかった。良好な関係を築いていたと思っていました……だから、まさか父親も教えてもらえないとは。僕だけではなく、周囲のだれにも洩らすことはありませんでしたが、それでも、僕はやっぱりあのとき傷つきました」

「そうでしょうね」

 レベッカはほんの少しの蛮勇を自分に許して、バイユウの手を握った。彼の手は水にひたしていたかのようにつめたかった。

「ええ……でも、僕はそのあと現実を見ることにしました。僕の結婚が決まったとき、エリカはいつもみたいに小生意気にこんなふうに言いました、『元カレの結婚を祝福するような、そんな人間できてる女に見える?』って。僕もまたエリカを傷つけたんです。僕たちの心は元通りにならず、ずっと離れたままです」

「……そっか。あなたは、結婚したんだ」

「いちばん上の子は、いま中学生です」

 レベッカはふと顔をおおった。バカみたい。涙がこみあげてくる。わたしってバカみたい! こんな人が父親だったらいいなんて、陳腐な夢を見ていた。でもそれはありえない。彼は、もうよその家の父親なのだ。

 きのう招待してもらったハリーの家庭を思い出す。ちょうどあんなふうな、ダイニングテーブルをかこんで和気あいあいの、あたたかい家族だんらんが、ユビキュタリで彼を待っているのだ。

「レベッカ、どうしましたか? 大丈夫ですか?」

「ごめんなさい……」

 彼女は軽く嗚咽を洩らした。バイユウは枕元のクリネックスをさっと差し出した。こんなに気のつくところまで、まったく皮肉なことに、何もかも理想のお父さんだ!

「ありがと、バイユウ……」

「すみません。あなたに悪い話をしましたか」

「そうじゃないの。ただ、あなたが父親じゃなくて、わたし、とても残念で……あなたみたいな人がお父さんだったら、どんなにいいかって、はじめて見たときから思ってた」

 レベッカはクリネックスを取り、鼻をすすった。

「わたしもあなたみたいなお父さんが欲しかった。あなたみたいなお父さんにだっこされたり、叱られたり、いっしょに遊んでもらったり、勉強を教えてもらったりしてもらえたら、どんなに幸せだったかなって……」

「僕はエリカの娘なら、自分の実の娘とも同然と思っていますよ、レベッカ」

 バイユウは彼女を抱き寄せ、頭のてっぺんに頬をすりよせると、彼女の髪の毛をやわらかく撫でた。彼女はバイユウに抱きつき、涙をこらえるのをやめた。彼のたくましい体躯は果てしない安心感を与えてくれた。彼の腕に包まれながら、レベッカは泣いて泣いて、ついに泣きつかれてぼんやりするほどになった。

「バイユウ、今夜、寝るまでいっしょにいて……」

 レベッカは彼の胸に顔を寄せた。

「いいですよ。ただし……今度、僕にそういう申し出をすることは、ズボンを穿くこと。いいですね? お父さんとの約束です」

「わ、わかった……ごめんなさい……」

 こうやって軽く叱られるのも快感で、めまいがしそうだった。お尻をペンペンしてくださいと頼むのをこらえるのも、ひと苦労だった。

 二人はいっしょにシーツの中に入り、彼がランプを消した。バイユウの温度の高くない体の、ガウンごしのごつごつとした感触だけが残った。これまでのどんな男のものより甘美でとろけそうな感触だった。静けさが暗闇に溶け、無限に羽根をひらくなか、レベッカはふたたび口をひらいた。

「……ほんとは、もうひとつ、あるの。聞きたかったこと」

「なんでしょうか?」

「……母と、ベイビーフェイスとの関係は?」

 バイユウは一瞬、言葉に詰まったようだった。だがきっぱりと言った。

「宿命のライバルです」

「本当に? アーロンがわたしに言ったの……『さすが、オヤジが惚れた女の娘だ』って。二人は恋人じゃなかったの? わたしがベイビーフェイスの娘である可能性は?」

「確かに二人の間には浅からぬ因縁がありました。ですが、二人が恋人であった可能性は限りなく低いでしょう。エリカは昼は正義の弁護士、夜は正義のスーパーヒロインでした。そして自分の社会的責任を誰より理解していました。反社会勢力のジュード……ベイビーフェイスと関係を持ったとは考えにくい。たとえ……彼らが、誰が見ても、運命の星のもとに生まれていたとしても……です」

 レベッカはうなだれ、彼の肩に頭をのせた。まただ。また、かぼそい線が断ち切られようとしている。マフィアの父ならいないほうがマシ? レベッカはそうは思わなかった。それに……スーパーヒロインだからマフィアと寝ないはずだって? そんなの通らない。だって、そのセックスは合意ではなかったのだ。それに。

「でも……聞かなかったの? ベイビーフェイスの子なんじゃないかって。それとも、聞けなかった?」

「たずねましたよ。彼女は、父親はだれにも明かさない、イエスともノーとも答えない、とだけ……」

「わかった、もう、いい……」

 彼女はバイユウのおなかに手をまわしてすりよった。

「もう、いい。父親なんか。これからはバイユウがお父さんだから」

「はい。そう思ってください」

「おはようございます、ミスター・ボグダーノフ。朝食の用意がととのいました」

 ノックの音が聞こえて、レベッカは目をさました。

「ミスター・ボグダーノフ、お目覚めですか? お尋ねしたいことがあります、お嬢様はそちらの部屋にいらっしゃいますか? お姿が見受けられないもので……」

 ああ、ブラムが呼んでる、ということは頭では理解できる。しかし、お父さんに抱かれて眠っているなんてすばらしい状況では、体を起こすなんて至極たいそうなことに思えた。

「もうちょっとぉ……」

 とレベッカは半分ねぼけながら返事した。

 ドアがあく音がした。

「お嬢様……」

 ブラムはそこで絶句した。レベッカはあらためて自分たちの体勢を確認した。彼女は、ガウンがはだけたバイユウの裸の胸に抱かれていた。おまけに彼は、白いTバックからパツパツにハミ出た生のままのお尻をむにゅっと握りしめながら、気持ちよさそうにいびきをたてていたのだ。

「あ、ブラム、これは……」

「お二人とも、朝食が冷めないうちに下へお越しくださいませ」

 ブラムは無表情できびすを返した。レベッカがあわてて追いかける。

「ちょっと待って! 誤解しないで! ファックしてない!」

「さようでございますか」

 ブラムは歩みを止めない。いつもよりほんの少しだけ早足に思える。

「ホントにいっしょに寝てただけなの!」

「さようでございますか」

「ホントだって! 彼、わたしのお父さんがわりになってくれるって!」

「さようでございますか」

「ヤキモチやかないでったら! おしおきにお尻ペンペンしていいから~!」

「ええ、もちろん。今度の機会に」

「もう、今してよ~!」

 バイユウは昨夜の会話を忘れてはいなかった。目を覚ましてからも、本当の父親のように親しげにレベッカに接してくれた。ブラムの冷たい視線に気づいているのかいないのかはわからないが。彼は午後の便でユビキュタリに帰ると言い、午前いっぱいはここでゆっくりしていってくれるということだった。きょうがちょうど土曜日で学校がないのがレベッカには神がもたらした僥倖のように思えた。

「大富豪たちが若い女性を妻に迎える理由がわかりました。いっしょにいるだけで、若返った気持ちになるのでしょうね。僕もあなたと話していると、新米弁護士だった頃みたいに新鮮で元気な気持ちになってきます」

「ホントに? いるだけでいいなら、いくらでもいっしょにいてあげるよ」

 薄曇に晴れた天気の下、二人は中庭にそなえつけのベンチで紅茶を飲んだ。テーブルに二つなかよく、恋人のようにティーカップが並んでいる。

「想像もつきません。あなたみたいな美しい女の子を持った父親の気持ちなんて。僕ならきっと、あなたに少しも逆らえず、言いなりの犬みたいになっていたと思います」

「やぁだ、わたしは厳しいお父さんがいい。書斎に勝手に入ったら、罰としてお尻ペンペンするような……」

 バイユウはパラダイス・ブルーの虹彩の目を細め、じっとレベッカを見つめた。胸がたまらなくうずく。やだ。もしかして、正式にうちの養女になってほしいなんて言われたら……ユビキュタリ市に来てほしいなんて言われたら、どうしよう?

「レベッカ。……実は昨晩、あなたのお母様と連絡を取りました」

「お母さんと?!」

「ええ。そしてすべて事情を話しました。そうしたところ、けさ、返事が来ていました。エリカは、自分のスカイプ(インターネット通話ソフト)のIDを娘に教えてもいいと言いました」

「……ホントに?! それってつまり、わたしと話してくれるってこと?」

「そうです。エリカは世界じゅうを飛び回ってますから、すぐにはここには来られません。でもスカイプでならきょうにでも顔を見て話せます」

「それで? お母さんのIDは?!」

「いいえ。教えるのには条件があります。それは僕からの条件です。僕はエリカの代理人ですから、エリカは判断を僕に任せると言ってくれました、ですから申し上げます。……スーパーヒロインとしての能力は、今後一切封印し、普通の少女として生きてください」

 レベッカは愕然とした。

「それが、IDを教えるにあたっての、僕からあなたへの条件です」

「……でも、どうして」

「危険だからです。たとえば」

 一瞬、何が起こったのか、わからなかった。

 レベッカは肩をすくめ、目を激しくしばばたかせた。バイユウの拳がすぐ目の前にあった。……彼は、右フックを、レベッカの顔すれすれのところで止めたのだ。

「僕はいま、あなたの可憐な鼻梁を粉砕しようと思えば、できました」

 彼女はごくりと息をのんだ。

「エリカも大けがをしたことが何度もあります。僕はつねに彼女に普通の女性の人生を生きてほしかった。身を挺して守る力もなく、愛する女性が危険に身をさらしているのを指をくわえて見ていることしかできない男の気持ちが、あなたにわかりますか?」

「そんな……そんなこと言われたって……」

「それはあなたを大事に思っている周囲の人間がみな感じていることです」

 レベッカはそばで見守っているブラムに目をやった。彼はそっと目を伏せた。そんな! 味方をしてくれたっていいのに!

「バイユウ……わたし、そんなこと、約束できない。……絶対にできないよ。お母さんからもらった力でしょ? わたしがこの力を持っているのには、何か意味があるはず……」

「では、今度は本当に僕に鼻を折られますか?」

 彼女は唇を噛み、勇んで腰をあげた。

「なんだよ。不意打ちにはどんな強い格闘家にも対応できないってば! さっきのは反則だ! どうせあんな手を使いでもしなきゃ、わたしに勝てないくせに」

「では、試しましょうか」

 バイユウも立ち上がった。彼が麻のスーツの上をベンチに脱ぎ捨てると、赤褐色のサスペンダーがあらわれる。うっ、と思った。サスペンダーはレベッカのちょっとした『弱点』だ。すでに押されている。

「試すって……まさか、あなたも能力を持った『一族』なの?」

「いいえ、ただの一般人です。ただの、四十年間カンフーの鍛錬を欠かさないだけの男です」

 彼はぱぁんと音をたてていちど拱手(片手を握り、もう片手のてのひらを胸の前で叩く動作)すると、深く一礼し、ゆっくりと構えをとった。それだけで、目には見えない空気が彼のまわりでうねりをつくるのを感じた気がした。木々の葉が急にささやき声を押し殺した。ぞくっと寒気がする。このわたしが武者震いなんて。

「僕に『参った』を言わせてください。それができなかったら、あなたがその言葉を言ってください」

「……誰があんたに参るって?」

 レベッカもパーカーを脱ぎ、ブラムのほうへ投げ捨てると、ブラトップつきキャミソール一枚になる。

「お嬢様、ミスター・ボグダーノフ……」

「いいの、止めないで」

 彼女もまた構えをとった。そしたら戦闘開始だ!

 彼女は果敢にパンチを繰り出していった。しかしバイユウはそのどれをもかわすか、小物の位置でも変えるように軽くうしろに受け流した。レベッカは歯噛みした。彼女の拳は強烈だ、一発でも命中できれば勝負は決まったも同然だろう、なのに一発も当たらない。少しのスキもない。常人の反射神経じゃない、さすが鍛錬を積んでいることだけある。

「とあぁぁぁっ!!」

 鋭く回転しながらのハイキックを、バイユウは身をかがめて避けた。彼も真似るかのように足を回転させた。つま先で半円状に芝生を切り裂き、レベッカに足払いをしかけたのだ。レベッカははじかれたように転倒した。

「正中線が乱れていますね」

 ふたたび、構えをとりながら。

「だから重心が安定せず、容易に転倒する。基礎中の基礎です。あなたは生来の才能にばかり頼って、トレーニングには手を抜いていませんか?」

 重心が安定していない。同じことは、ブラムに言われた。ケンポーとカンフーの達人両方に同じことを言われるとは、それはつまりまったくもって正しいって意味だろう。

 確かにトレーニングはきょうには間に合わなかったかもしれない。だったら、その『生来の才能』を使うまでだ。

「はぁっ!」

 泥だらけのレベッカは手を使わずにぴょんと跳ねて立ち上がると、構えなおし、バイユウを睨みつけた。そして彼に向かって体当たりをしかけた……時速九十キロで走って、風のように! バイユウはすれすれで避けた。レベッカは唖然とした。

「そんな! いまのをかわせるなんて……」

「準備動作が大ぶりでしたので、予想がつきました」

 彼女は肩を落とした。手も足も出ないっていうのか、こんな超人的能力を持った自分が、一般人なんかに?

「攻撃が終わりでしたら、僕のほうから行きましょうか?」

 バイユウがすうっと息をひくと、彼の体から殺気のようなものがほとばしった。

「手足の腱を切ってもよいですか? それとも背骨を砕きますか? ビール瓶をプッシーに突っ込んでレイプしますか? すべてあなたに起こりうる出来事です。スーパーヒロインをやるかぎり」

 レベッカは思考した。このままじゃ勝てない。バイユウの四十年の鍛錬には、スーパーヒロイン歴一ヶ月未満のレベッカは勝てない……。それでは、どうするか? 一分のスキもないバイユウに勝つには? どうにかして、スキを作るしかない……。

「バイユウ……、どうせわたしなんか、あんたに勝てっこないって思ってるんでしょうね」

「はい、思っています」

「そう判断する前に、あんたはこれを見るべきね!!」

 レベッカはキャミソールの腹のあたりをつかんだ。そして。

 ぷるるん。

 レベッカはキャミソールを鎖骨までずりあげ、通常時九十五センチ、生理前には九十七センチにもなる巨乳を、バイユウの目の前にさらした。

 バイユウはあっけにとられた。目をひらき、ぽかんと口をあけ、その顔は見ものであったと思うが、しかしコンマ一秒だって見とれてるヒマはない!

 いまだ!

「たぁっ!!」

 レベッカは最小動作の正拳突きをバイユウの喉ぼとけにぶちこんだ。エクセレント!! 大命中だ。

「げほっ、げぇほっ……」

 呼吸困難を起こしたバイユウはかがみこみ、喉をおさえて激しく咳き込んだ。もはやスキだらけ。実戦だったらここでさらに頭をサッカーボールにしてやるところだ。しかしレベッカはそれをせず、女王のように彼の目の前に君臨し、ショートパンツに手をかけた。

「どう? まだやる? まだやるなら、こんどはこっちを見せつけてやるよ!」

 と、少しずり下げて、腰骨のでっぱりを見せてやる。バイユウはまだげほげほ言いながらも、片手をかかげそれを制した。

「それだけは勘弁してください。……申し訳ありません、降参します」

「やった!」

 とレベッカはぐっと拳を振り上げながらも、しかし、あわてて彼に駆け寄った。

「ごめん、息できる? 強すぎた?」

「僕は……げほっ……平気です」

「ねえ、バイユウ、あなたは言った……スーパーヒロインでいると危険だって。それは違う。顔を殴られてレイプされる可能性があるのは、普通の女の子だって同じなんだよ。だからわたしは強くなるの」

「お嬢様、おっぱいが丸出しのままでございます」

「ホントだ」

 レベッカは衣服を直しもせずにそこに目を落とした。

「まさか『ブーティ・マン』(お尻星人)の僕が、こんな負け方をするとは」

 バイユウは立ち上がりズボンの泥をはらうと、礼儀正しくまた彼女に向かって拱手し、一礼した。レベッカも真似した。

「申し上げます……エリカのスカイプIDは、本名そのままです。ericatamiokaweinstein、ハイフンもアンダーバーも一切なし。昼間リクエストを送っても返事はすぐ来ないかもしれません。彼女はいま、確か日本か韓国かどこか、地球の裏側にいますから」

 レベッカはバイユウの手を握った。そして疲労とあきらめの色が見えるのに、なぜだか少しうれしそうでもある目を見つめた。

「ありがとう、バイユウ」

「あなたと一戦まじえたことは内緒にしてください。そんなことが知れたら、僕は殺されます」

「わかってる、わかってる」

「レベッカ……、思った以上にあなたは大人になっていたみたいですね」

 彼女はおっぱいを下から持ち上げ、首をかしげておどけた。

「それって、これが?」

「そうですね、それもです」

「お嬢様、そのそれをそろそろおしまいになってくださいませ」

 ブラムがレベッカにぱっとパーカーを羽織らせた、むっつりと。わお、きっとあとでご機嫌取りにひと苦労だ。

 彼をブラムが車で空港まで送ってあげることになった。レベッカはバイユウとかたくハグし、両方のほっぺにさよならのキスを何回もした。

「時間を見つけて、たまに顔を見にくるようにしますよ」

「ホントに?! すごくうれしいんだけど」

 バイユウは笑った。

「その『ホントに?!』の言い方、エリカにそっくりですよ。遺伝ですね」

 ひとりきりになってから、レベッカは自室のパソコンに向かい合った。スカイプの検索バーに入力してみる……エリカ・タミオカ=ワインスタイン……ericatamiokaweinstein。一件ヒットした! 住所もユビキュタリになっている!

 フレンドリクエストを送る必要がある。でも、メッセージはなんて? デフォルトなら気づかずに蹴られる可能性だってある、スパムと間違えて。彼女は頭を振り絞った。ハーイ、あなたがネグレクトしてる娘よ、なんてジョークでも言えない。考えた末に、彼女はこう送っていた。

「ハロー、こちらはレベッカ・ヴァイオレット・メイヤーです」

 これだけ。

 夕食を食べてから、レベッカはぼんやり本を読んだりネットをして、部屋にこもって返事を待った。宿題をやる必要はない、全部、彼女の崇拝者のナードどもが代わりにやってくれるから。きょうはあきらめて、そろそろ寝ようかな、と思った瞬間、ピポッとまぬけな音が鳴った。

「あなたなのね、レベッカ?」

 返事はその一行だった。

 レベッカはあわてた。何かこちらも返事をしなくては。しかしキーボードに置いた手が動かない。そうこうしてるうちに、ピロリロとまた音が鳴る。『ビデオ通話着信』。

「ブラム、ブラム! 早く来て! 早く来なさいよ、バカ!」

 レベッカは卓上の呼び出しボタンを何度も連打した。着信音は長く続いた。

「お嬢様、お呼びでしょうか」

「遅い! ブラム、お母さんから通話が来てるの! 話すのが怖い、手を握ってて!」

 着信が切れる。

「ああん! 切れちゃった!」

「僭越でございますが、こちらからかけ直せばいいのでは?」

「そうか!」

 レベッカはブラムの手を握り、やっぱり離して髪の毛の乱れをさっとととのえ、アナスイのピンクのリップをよく塗って、もういちど手を握った。そして、『ビデオ通話開始』のボタンをクリックする。

 つながった。画面があらわれた。

 不安げにきょろきょろする女性は、美しいショートボブのブロンドだった。若いとはいえない。四十歳という年齢なりの疲弊が顔の肌にあらわれているが、それでもなお、彼女は後光のさす女神のようだった。国じゅうの熟女マニアの妄想のなかに生きる女王をあわせて平均値をとったら、おそらくこんな顔になるのではないかと思われた。レベッカは彼女の、大ぶりなターコイズをはめこんだような虹彩を見て息をのんだ。わたしとまったく同じだ!

 彼女の第一声は。

「……つながってる?」

 セクシーなハスキーボイスで。

 レベッカの心臓ははりさけそうだった。震える声帯をふりしぼって彼女は言った。

「聞こえてるし、見えてる……お母さんは?」

「私も聞こえてる」

「……ハロー、お母さん」

「ハロー、レベッカ……わたし……ああ……そう、最初に、あなたに謝らなきゃ……。パンたちに襲われたんだって?」

「やだ、そんなこといいの。ぶっつぶしてやっただけだもん」

「あなたを守るために、あらゆる情報はすべて、永遠に伏せるつもりだった」

 母は……エリカは憂鬱げにため息をついた。

「でもね、あなたが二歳のとき、パンがどうしても私の子の顔を見たいと言ったから、あなたのホテルに案内してしまったの。彼はこの情報を利用しないで終わらせてくれると思ってたけど、見込み違いだった。あいつは結局、自分が楽しければなんでもいい男だった……彼とは当時はいい友達だったの、悪いところばかりの男じゃない、いいとこもあったから……でも友情もこれで終わりだけどね。こんなことになった以上、あなたに長年、寂しい思いを強いていた意味もなくなってしまった。私を恨んだでしょ?」

「ううん、そんなことない……わたしにはブラムがいたから。ねっ、ブラム、ブラムも顔見せてあげて」

 彼はかがみこんでウェブカメラを見つめる。

「大変お世話になっております、ミズ・ワインスタイン」

「あら、トシとったじゃない、面接のとき以来? いつもレベッカをありがとうね」

「恐縮でございます」

「あなたもこんなに大きくなって、レベッカ……学校じゅうの男が泣いてるでしょ?」

「わかる? わたしの彼氏はいつもキレてる」

「よかった。そうじゃなきゃ、私の娘じゃない」

 エリカは少し意地悪げに笑った。それは聖母というより、レベッカと同級生の少女がやるしぐさとよく似ていた。

「ねえ、お母さん、ひとつ聞きたいことがある」

「地下のラボでの研究のこと?」

「ううん。そのことはもう知っている。わたしが聞きたいのは……わたしのお父さんは、だれ?」

 エリカは口をかたくむすび、けわしい目でカメラを見つめた。

「ごめんなさい。それは、誰にも言わないって決めてる。それだけは。だから言えないの」

「ベイビーフェイスじゃないの?」

 母は深く嘆息し、モニタの前で手を組んでこうべをたれた。

「あいつも……悪い男じゃなかった。邪悪な男じゃなかった、いいところもいっぱいあったの。でも変わってしまった。ジュードは……、あいつはもうカラッポよ。出世欲と金銭欲だけ中に詰め込まれた、生きた亡骸……!」

 エリカは顔をあげた。その目には涙がにじみ、手ががくがくと震えていた。そしてタバコをとりだし、くわえただけで火をつけなかった。

「でも……でも、彼が父親じゃないの?」

「イエスともノーとも答えられない」

 彼女ははっきりと言った。レベッカがおびえるくらいに。そして、

「ごめんね。もう、父親の話はなしにして」

 と、また謝った。

「……お母さんはもしかして、父親を言えないんじゃなくて、わからないんじゃないの?」

 レベッカは頭に血がのぼっていくのを感じた。十数年ぶりにも再会したというのに、のぞみひとつかなえてくれない母に腹が立っていた。

「ヤリまくってたから。わたしと同じで、ビッチだったから。だれの子かわからなくなっちゃっただけなんじゃないの?!」

 エリカはほほえみをたたえた。その目には、きょうでいちばんの慈愛があった。ぴんと張ったほうれい線も、目じりのしわも、ひとつひとつが神々しいほど美しく、モニタごしだとわかっていてすら、つい手をのばしそうになるほどだった……こんなに頭に血がのぼっているさなかであるのに、あるいは、だからこそ。

 そして彼女は口をひらいた。

「いいえ。違う。そうじゃない」

「そうに決まってる。そして、マフィアの愛人だったんだ!」

「ジュードとはそんな関係じゃない」

「じゃあ、どんな関係?」

「助けたかった。でもいつもすれちがったまま、すべてが終わった」

「まさか、彼を愛してたの? ここの従業員を虐殺したのに? それに、バイユウみたいないい人もいたのに! おまけに、パンみたいなバケモノともファック・バディだったなんて……お母さんに比べたら、あたしは聖母マリアだ!」

 エリカは気にしたふうもなく笑った。

「そうかもね」

「お母さんがいくら隠しだてしても、わたしは絶対お父さんを見つけだすから」

 通話終了のボタンを押して、会話を打ち切る。

 レベッカはブラムに抱きついた。

「わかってる。ブラム、わたし、最低だね」

「わたくしのお説教は必要ありませんね。お嬢様はすべてご承知でしょうから」

「でも……でも……せっかくまた会えたのに……、全部話してくれると思ったのに……」

 彼女はブラムの胸で子供のように泣きじゃくった。

 次の日、レベッカはフィリップの部屋にいた。PC本体どころか、モニタまで何台もあった。コンピュータに囲まれたベッドで彼らはキスをした。レベッカは真っ赤なスケスケランジェリーだった。彼女が『吸い込みプレスマシン』で軽く彼を昇天させたあと、『ベラドンナ・フィンガー』ですぐさまふたたびみなぎらせ、上になって『女神の抱擁』で歓迎した。また『アングリー・ソー』も強烈で、フィリップはあえなく『ツーポイント・フィニッシュ』で終わりを迎えた。汗だくで息を切らす彼にすりよってレベッカは彼の耳を噛んだが、

「もう、勘弁してよ」

 と拒まれて、それが満足だった。

「それで? 今度はいったいなんの調べ物?」

「わかってたの?」

「君がおれに激しいセックスを求める理由なんか、お願いごとがあるときくらいしかないだろ」

「フィリップ、ありがと」

 冷めたようにつんと横をむくフィリップに、レベッカはしなをつくって頬にキスをしてあげた。

「で? 調べたい人物の名前は?」

「通称、ベイビーフェイス」

 レベッカは言った。

「本名はジョシュ・ヘンダースン。ユビキュタリ市のマフィアの幹部。……わたしの父かもしれない男」

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