ISSUE #2  復讐人

「パン……!」

 レベッカは上体を起こしたまま動けなかった。彼の月光に照らされた不気味なにやにや笑いが部屋じゅうを支配していた。

「名前、覚えててくれたんだ。うれしいね」

「どうやってここに入ったの?」

「窓からだよ」

 まさか! レベッカは耳を疑った。ここは五階だ! わたしのような大跳躍能力でもなければ……。いや、まさか……。

「……飛び乗って?」

「いいや。だってここの外壁には上までツタに覆われてるでしょ? 親切なツタさんがここまで運んできてくれたんだよ」

 何を言ってるんだ? どんなに密生していようが、よじのぼろうとしたって、植物のツタに人間ひとりを支える強度なんかない!

「ところでダーリン、最近、バニーガールの格好の女の子がレイプ犯を制裁して回ってるってね? 僕、その子について心当たりがあるんだ。そんなことする子はひとりしかいない。特にその子はここ最近、急にトレーニング用品屋からたくさん道具を仕入れてるって情報もある。自宅にジムでも開業するみたいにね」

 パンがくるりと手首をまわすと、その手に白いマーガレットの花があらわれた、手品のように。その花を投げてよこす。受け取ると、かぐわしい香りが鼻をつく。造花じゃなかった。

「……わたしだって言いたいんだ?」

「安心して。僕は味方だよ。口外もしない。むしろ、あなたに協力しようって思って今夜は来たんだ」

「協力って何?」

「あなたが本当にブチのめしたい相手は、顔も知らないその他大勢のレイプ犯じゃない。あの夜あなたを犯したあの男だろ?」

 レベッカは心臓を刺されたような気持ちだった。

「あ……あんたは、何が起こったか、知ってたの」

「うん、うわさでね……そして僕、あの男を知ってるよ」

「本当に?!」

「そう、でも彼は逮捕されてない。いまのところは無実の一般市民だ。ヤツに手を出すんなら、ここからは本当に私刑だよ。警察のマークも厳しくなるかもね。その覚悟はあるかい?」

 レベッカは答えられなかった。ガラのよくない男だった。フィリップの言うとおり、銃で武装しているかもしれない。ここ最近のニュースで警戒しているかもしれない。そして、もちろん、法律には反する……。

「……いい。責任は全部わたしがとる。教えて」

「彼の名前はデクスター・ルイス・ウルフ。二十歳だ。これでもう充分だな? 捜し出せるだろ? じゃ、判断は君に任せたよ、また会おう、ハニー・バニー」

 パンはファッションモデルがランウェイを歩くように優雅にベッドに近づいて、レベッカの唇を奪った。そして窓から身を乗り出し、かと思うと、消えた。

「あっ……!!」

 レベッカは放心しかけたが、あわてて窓に駆け寄ってその下を見た。パンは平然とホテルの敷地を横切って、テクテクと歩いて帰っていた。

「パン。パン、待って! あんた、なんでこんなこと……!」

 彼は振り返らなかった。本気で追いかけようと思えばできる。でも、彼が質問に答えるように思えなかった。

 レベッカは片手でマーガレットの花をいじくりまわしながら、もう片手でモバイルフォンを操作した。フィリップあてだ。

『デクスター・ルイス・ウルフ。二十歳。これを調べてほしい。ただし、前科があるかは不明』

 三分でIDの顔写真つきで居住地が返ってきた。黒の巻き毛を、このあいだ見たときより長く垂らしている。間違いない。こいつがウルフだ!

『彼は誰?』

 とだけ、フィリップはつけたしてある。だが、彼にもうすうすわかっているだろう。

 彼に襲撃をかけるか? それが正しいのか? 一晩かけてそれを考えようとした。

 息ができなくなるような恐ろしい夢で夜中に目を覚ました。彼女は汗びっしょりだった。

 朝、レベッカは一階の旧レストランで朝食のフレッシュ・オレンジ・ジュースを飲みながら思った。

 今夜、決行しよう。

「ブラム……、ううん、リヴェンジ・バトラー。今夜の相手は、前科があるかどうかわからない。わたしは警察に検挙されてない件で、彼に制裁を与える」

 その夜、バニー・ザ・リヴェンジの衣装に着替えてから、レベッカはブラムを自室に呼び出した。

「あんたについてきてほしいとは言わない。わたしは犯罪すれすれ……いや、れっきとした犯罪に手を染める」

「恐縮ながら、着替えてくる時間をいただけますか?」

「ついてきてくれるの?」

 晩餐の準備が整いました、と言うようになにげなく、それでいて、凛々しく。

「わたくしにはお嬢様をお守りする使命があります、最後の瞬間までも。お嬢様が正義を遂行なされるときも、地獄に落ちるときでも、わたくしはつねにおそばにおります」

「やだ、ブラムったら……」

「それに」

 彼は隠しきれない劫火を瞳の奥に見せながらつけくわえた。

「顔面が崩壊するまで殴りつけたい男なら、わたくしにもこの世にひとりだけ存在いたします」

「あん! あんたって最高! 昔みたいにわたしのお尻をペンペンする権利をあげてもいい!」

「またの機会を楽しみにしております」

 ハグをしたかったが、ブラムはそれを避けるように引っ込んだ。

 後ろにバニーを乗せたリヴェンジ・バトラーの大型バイクの運転は初心者と思えないほどたくみで、すいすいと車のすきまを縫って何台も抜かしていった。めざすはスパロウ通りの三十一番地。フラットの一階だ。窓をぶちやぶってもいいが、バニーはまず、礼儀正しく玄関の呼び鈴を押した。

 不思議そうに出てきた男はブラウンの髪の白人だ。こいつじゃない。

「ストリッパーかい? 間違いだ、呼んでないよ」

「デクスター・ルイス・ウルフは?」

「は?」

「デクスター・ルイス・ウルフを出せ!」

 バニーは男のTシャツの胸倉をつかみあげた。彼はあわてふためいた。

「ま、待て、待て。デクスターはいない。オレはただのルームメイトだ」

「じゃあ、いまヤツはどこ?」

「『ウッドペッカー』だ! 毎週金曜の夜は、あいつはいつもあそこらへんに行ってウロウロするんだ」

 人間は恐怖にかられると逆に饒舌になるらしい。それにしても、『ウッドペッカー』といったら、あのときと同じクラブじゃないか!

 二人はクラブに向かい、売人やヤク中、売春婦、ナンパ師どもがうろつく入り口付近に降り立った。

「よう、いくらで踊ってくれるんだい?」

 彼女をストリッパーと間違えた、目の焦点のあわない男がすれ違いざまに肩を叩いてくる。バニーはモバイルフォンの画面を見せた。

「あんた、こいつを知らない?」

「うん? こいつぁウルフじゃないか? デクスター・ウルフだろ? 今夜はこいつの客なのかい?」

「そう、彼はわたしの大事な大事な上客」

「わお、今夜はツイてる! ウルフの客なら、オレもいっしょに観覧させてくれよ、割引料金でさ!」

「オレがどうしたって?」

 ヤク中の男の肩を後ろから組んで、バニーの目をのぞきこむ男がいた。心臓が一瞬高鳴る。褐色の肌に黒い巻き毛、デクスター・ルイス・ウルフ!

「やあ、かわいいバニーちゃん、オレと会ったことあるのかい?」

 バニーは拳を固め、彼の頬を思いきり殴りつけた。デクスターは歩道のコンクリートに叩きつけられた。周りをたむろする男女が息をのみ、そして必死に無関心をよそおう。

「そうだよ。面識ある。思い出せない? せっかく、あのときと同じかっこうで来てあげたのに」

 彼女はデクスターの髪をつかんでひきずって歩いた。ぶちぶちと髪の毛が抜ける嫌な感触はしたが、まったく重いと感じなかった。そして、狭い裏路地に高く放り込む。

「はぁっ!」

 投げた瞬間地面に落ちそうになったのを、いつのまにか後ろにまわっていたリヴェンジ・バトラーが腕を肩の下に入れてキャッチする。

「ううっ……」

 デクスターはシャツの中に手を入れた。そして黒いものをバニーに向ける。電光石火! バニーは難なく拳銃をつまさきで叩き上げ、ビルのむこうまでブッ飛ばす。やった! 恐れていたが、銃なんてぜんぜん敵じゃなかった!

 そしてバニーは彼の顔を殴り、殴り、殴り、殴りまくった。特大ディルドーかペニスバンドを持ってくりゃよかった、ケツの穴にぶちこんで、同じ目に遭わせてやれるから。手袋にべったりと血が付着していた。血にまじって、抜けた歯のかけらも。

「お嬢様、わたくしにもひとつ許可を下さい」

「どうぞ」

 リヴェンジ・バトラーは彼を地面に落とし、彼にしてはめずらしく感情をこめたそぶりで、光の速さで落下するかかとを彼の鼻柱に命中させた。

「違う、違う、違うんだ」

 デクスターの声は不明瞭だが、どうもそう言っているらしい。

「違う? 何が違うの? あんたは手馴れてた。どう見ても常習犯だ。あんたはいつもここで女をレイプしてたんだ、それが違うのっ?!」

「違う……オレは頼まれただけだ……前金で五十ケツァル(約五千円)、成功報酬でもう百ケツァル払うって言われて……」

 バニーは驚愕した。

「……依頼人は?」

「な……名前は知らない。でも、あんたも知ってる。緑の髪の……」

 彼女は思わず息をひいて口をおおった。

「そ……そんな……そんなことって……そんなことって!!」

「お嬢様、緑の髪の人物とは?」

 バニーはその場に両ひざをついた。涙で視界にぼんやりと薄もやがかかった。

「彼が言ったことが本当なら……本当なら……お母さんの……昔からの友達」

「本当に名前は知らないのですね? その他の情報は?」

「ほんとうに知らない、あのハロウィンの夜、知り合ったばかりだったから……あのジョーカーみたいな男……前金をポンとくれたから、信用して、ピンクのバニーガールを……」

「そんな、そんな、そんな!!」

「お嬢様、落ち着いてください」

 リヴェンジ・バトラーに助け起こされ、ふらふらと立ち上がる。足に力が入らない……。

「彼から聞き出せる情報はこれくらいでしょう。デクスター、余罪があるのなら早くに警察に自首したほうが無難です。最近はバニーガール姿の『リヴェンジャー』が闊歩しているという噂ですから、刑務所行きのほうがマシと思える目に遭うかもしれません。もう遭ったかもしれませんが」

 旧グランド・サイブリー・ホテルに帰って、熱いシャワーを浴びたレベッカは、自室で紅茶を飲みながら、あらためて、パンに吹き込まれた情報をすべてブラムに話した。母親の愛人だったこと、レベッカを抱き上げたこともあること。そして先日、レベッカの私室に侵入して、デクスターの情報を教えて去っていったこと。

「彼、このホテルに来たこともあるって言ってた。面識はある?」

「残念ながらございません。ですから、わたくしがここで働く前の、まだお嬢様が小さいときにでしょう」

「……ブラム、告白する。あたし、クラブでパンとヤッた」

「驚くにはあたりません」

「だったら、他の男にレイプさせる必要なんてないはず! しかも、かつての愛人の娘なのに! 子供の頃から知ってるのに……! そしてもっとわからないのは、わたしにデクスターの情報を与えて復讐させたこと。彼は何がしたいの? ゲーム? 人間たちをあやつって、チェスみたいに戦わせて楽しんでるの?!」

「できれば、彼ともう一度、話をしたいところでございますね」

「無理。彼は連絡先も教えてくれなかった……」

 レベッカはその夜ベッドで電灯を消したあと、前日のように、音もなく窓からパンが入り込んできてくれないものかと願ったが、それは起こらなかった。じりじりと待っているうちに、眠りに落ちていた。

 次の日、ランチ・タイムに体育館裏で、フィリップに事のあらましを話した。フィリップは彼らしく、

「その男の情報は? どんな小さなことでも」

 とメガネをずりあげた。

「情報なんて、ないに等しい……わたしには『ピーター・パン』だと名乗ったけど、偽名に決まってる。ハロウィンパーティーでは、バットマンのジョーカーか、フレディ・マーキュリーか、ニジンスキのコスプレをしてた。年は三十くらいに見えたけど、母のファック・バディだったっていうから、きっと四十は行ってるんじゃないかな……それから、髪と体毛を緑に染めて……あっ! 思い出した。恋人みたいなヤツが、彼をルークと呼んでた。本名かもしれない」

「ルークか。それも偽名かもしれないけど、まあ手がかりだ。でも、それくらいじゃ、おれも捜すのは難しいな。この市にルークは何千人もいる」

「そうだよね、ゴメン。あんたに頼ってばっかりで」

「いいや、力不足でごめん」

「そんなこと」

 レベッカはフィリップの唇に吸いついた。ペプシ・コーラの味がした。視線を感じて振り向く。ランチの紙袋を持ったハリーが二人を恨みがましく見つめていた。彼は口をひらいた。

「ビッ……」

「なんか用? ビッチ」

 レベッカは言われる前に言ってやった。ハリーは歯を噛んで走り去っていった。

 午後の最初の授業は数学だった。授業が終わって、小テストを返却してもらってから、生徒たちが教室を出ていく。レベッカも教壇で答案を返してもらった。だが。

「Bプラス。あとで生徒指導室へ」

 ハミルトン先生のにこやかな台詞に、レベッカは言葉を失った。

「ウソ。Bプラスなんて平均じゃない! 呼び出しなんて不当です!」

「だって、君はがんばればもっとできるでしょ? この機会に、レベッカ、少し話し合わないかい?」

 ハミルトン先生の澄んだブルーグリーンの瞳に、ほんの少しの色が混じる。レベッカを性的な対象として見る男の下心の色だ。いま、彼らは教師と生徒ではなく、男と女だった。

 そういうことなら。レベッカはにんまりと唇のはしを上げた。

「わかりました、……アーロン」

 放課後、レベッカはいそいそとアーロン・ハミルトンの生徒指導室に出向いた。彼は窓の外を見下ろし、下校中の生徒の様子をながめていた。

「それで?」

 彼女は後ろ手に生徒指導室のカギをかけた。

「先生はどんな魔法を使って、わたしの成績をAプラスに変えてくれるのかしら?」

 アーロンは笑いながら振り向いた。

「オレは買収には応じないよ。ただ君と仲良くなりたかっただけだ」

「あら、そう? じゃ、生徒も仲良くなる先生を選ぶ権利があると思いますが?」

「それじゃ、少ないけど」

 彼はポケットから封筒を取り出した。なんとまあ。金を出すより成績を書き換えたほうがよっぽどローコストだと思うのだが。

「成績は自分で上げるものだ。でも、君はきっといまこれを欲しがってるって思ってね」

「もちろん、欲しくない人間なんていないけど……」

 アーロンは封筒を二つに折りたたみ、彼女のTシャツのすそをわずかにめくると、レベッカの肌とスカートのウエストのあいだにさしこんだ。そのごつごつした手が腰を抱く。もう片方の手が彼女の頬に添えられる。アーロンは百七十センチくらいしかなく、顔と顔が近い。愛嬌のある童顔。こんなかわいらしい、毒のなさそうな男が胸をスケベ心でみっちみちにして、ヨダレたらして女生徒を金で買うなんて最高! 唇は磁石のように引き寄せあい、ねっとりとした激しいキスにつながる。

「あん」

 お尻を揉まれてレベッカの体に電撃が走る。

「先生、わたし、いけない生徒なの……お尻を叩いて……」

「オレが欲しいの?」

「はい……」

「セックスはこんどだ。お預けも燃えるだろ?」

 アーロンは彼女をやわらかく引き離し、耳元にささやいた。

「次は存分におしおきしてやるよ、この売女」

 次に顔を合わせたときには、もうみんなが知っている優しいハミルトン先生の顔に戻っている。

「ひとりで帰れる? 送っていくかい?」

「う、ううん、執事が迎えにきてますので。それじゃ……」

 レベッカはあわてて部屋をあとにした。

 はっきり言って、濡れたし、燃えた。でも、アーロンの別の顔を見たことが、とてもいけないことをしてしまったようで、気分がざわざわした。複雑だ。セックスするにしたって、お金は受け取らないほうがよかったかもしれない。本物の売春婦の気持ちになるのは、たしかに、なんだかうっとりするけども。

 レベッカは廊下を歩きながら、スカートから封筒を抜き取った。きちんとのりづけして封をしてあるのを手でびりっと破く。中身を取り出して、驚いた。紙幣ではなかった。それは走り書きのメモだった。


 ホワイトパロット通り三百九

 サイレント・スプリング・タワー PH(ペントハウス=最上階)

 ルーク・セス・ガーンズバック


 レベッカの足は止まった。

 ルーク……ルークだって! レベッカの知ってるルークは、ひとりしかいない!

 なぜアーロンがパンを知っている?!

 彼女はあわてて、廊下を走って引き返した。

「アーロン!!」

 しかし、生徒指導室にはもう誰もいない。いや、まだ近くにいるはず……!!

 レベッカは廊下を走り、階段を駆け下りた。

「アーロン……ハミルトン先生!!」

 そのとき電話が鳴った。そんな場合ではないのに! 液晶の表示を見る。フィリップだった。

「フィリップ! まだ学校?! ハミルトン先生を見なかった?!」

「そんな場合じゃないよ、メッセージを見てくれてないの?」

「こっちだってそんな場合じゃない! メッセージって、何?」

「画像を送ったんだよ!」

 電話を保留にしておいて、モバイルフォンを操作する。確かにメッセージが二件届いている。一件めはこう。

『こいつかい?』

 もう一件は、画像だった。見間違えるはずもない! 緑の髪で服を着ていないパンが、カメラに向かって挑戦的とも狂気的ともとれるほほえみを見せながら、名前と番号を書いた看板を持って写っている、鮮明な逮捕写真だった。

「こいつ! こいつだよ! こいつがパン!」

「やっぱり。緑の髪の犯罪者でサーチしたんだ。でもかなりの重罪累犯者だったから、セキュリティがカタくて時間がかかったよ。彼の名前はルーク・セス・ガーンズバック。四十五歳。出身はユビキュタリ市だ」

 ユビキュタリ? 国の反対側の海岸の都市だ。ずいぶん遠いところから来たものだ。それにしてもかなり若く見える。二十代と言われたらそう信じるだろう。

「自然保護のNPO団体の代表をしているが、金集めに使ってるだけで、実態はない。団体の登録住所もストリート・ビューで調べてみたらただの野っぱらだった。パンは彼の使ってる通名で、意味はギリシャ神話の牧神。彼を本物の牧神と崇めてる連中からの献金で食ってるらしい。それから……ここからが重要だ。彼のこの外見はボディペイントじゃない、生まれつきだ。警察にそう記録されてある。それから、もっと大事なのが……」

 もっと大事? あの外見が生まれつきだなんてこと以上に大事なことなんてあるのか?

「……『人智を超えた超能力を見せる場面、度々あり』という記録があるんだ。つまり、彼は外見も異常だが、異常な能力をも持ってる可能性がとても高い。まるで……たとえば、そう……」

「……わたしの運動能力みたいに?」

「ああ」

「フィリップ……まだ学校にいる? コンピュータ・ルーム?」

「うん」

「会って話しましょう。そこにいて」

 レベッカはコンピュータ・ルームに行き、何かの部品や基盤の山をかきわけ、フィリップのとなりに椅子を持っていって腰かけた。

「彼が何かの能力を持ってるってこと、信憑性はある。わたしも見たの。わたしの五階の部屋の窓から、彼が侵入したところ」

「五階に? 何かのトリックじゃないのかい、あらかじめ部屋にいたとか……」

「入ってくるところは見なかったから、そうかもしれない。でも……わたしは帰るところははっきり見た。五階から一瞬で下まで降りて、ゆうゆうと歩いて帰っていくその姿をね。そして彼はこうも言ったの……『親切なツタさんが、上まで運んできてくれた』って」

「とても信じられないけど、君が時速八十キロで走れるって話を信じて、パンの話を信じないのも筋が通らないね」

「……どちらにしろ、わたしは今夜、確かめに行くつもり。確かめるだけじゃなく、同時にブチのめすんだけどね」

「ブチのめしに行く?! どうやって? 団体の住所は架空だったんだぞ。彼がいまどこで何してるのかもわからないじゃないか」

 レベッカは黙ってアーロンのメモをフィリップに渡した。フィリップはごくりと息をのんだ。

「ハミルトン先生が、わたしを誘惑するふりしてこれを渡した」

「……ハミルトン先生が、パンとつながってる?」

「そうとしか思えない。先生がわたしにこれを渡した意図はただひとつ……会いに行けってことよ。目的はわからないけど、利用するしかない」

「待って、でも、パンは相当の悪者だ。ほら、前科を見て。強盗、殺人、殺人未遂、窃盗、強姦、放火、犯罪教唆……つかまるたびに精神病院に入れられて、うまいこと正常のお墨付きをもらって脱出してる。そんなヤツと渡り合えるっていうのか? それに、ワナかもしれない」

「でも、黒幕はパンかハミルトン先生、どっちかだ。だったらわたしは、順番につぶす。勝てるか勝てないかとか、ワナかどうかなんて関係ない、わたしはブッ倒すだけ!」

 フィリップはこれ以上止めても無駄だと気づき、肩をすくめた。

 長いことブラムを正門前で待たせていた。彼女は帰り道、車を運転させるブラムにきょうのことをすべて話した。話が終わったあと、彼はまっさきにこう返事した。

「それでは、今晩何時にお出かけになりますか?」

 二人は夕食後、そろって軽くヨガをやって(これもブラムに教えてもらった)ウォーミングアップし、コスチュームに着替えた。

 そして、ホワイトパロット通りへ。

 サイレント・スプリング・タワーは高級マンションだった。ドアボーイに開けてもらって中に入ると、受付の老人が、

「バニー・ザ・リヴェンジ様ですね?」

 と、何ひとつたじろくことなく対応した。

「……知ってるの?」

「ここをお通しになるよう、パン様におおせつかっております。どうぞ、ペントハウスへお上がりください」

「あんた、パンがどういう人間だか知ってるの?」

 立派にスーツを着こなした老人は首を振った。

「いいえ。人間ではありません。あの方は神です」

 バニーはゾッとして、逃げるようにエレベータホールに走った。

 エレベータに乗ってPHのボタンを押すと、リフトはどんどん上昇していく。ドアがあいたら、廊下はなく、そこはもう彼のだだっ広い部屋だった。電灯はついておらず、窓からの光でかろうじてモダンシンプルのインテリアがわかる。足を踏み入れて驚く。カーペットではない。

「芝生……」

 床はすべて本物の芝生で、やわらかい土の感触すらした。話には聞いていたが、その触覚をもって、バニーは真に彼が狂人であることを実感した。

 電灯のスイッチは見当たらなかった。

「気をつけてください。どこに潜んでいるか」

 リヴェンジ・バトラーが腰に装備していたマグライトを逆手に持ち、部屋の中を照らす。そして二人は中へと進んでいく。

 ドアが少しひらいていて、中から明かりが洩れている。

「寝室かな? もしかして、あそこに……」

 バニーは声を低くし、バトラーにささやいた。

「危険かもしれません。わたくしが先に行きます」

 息を殺してドアに近づくバトラーの後ろ姿を見て、バニーは叫びそうになった。

 バトラーの背後すぐの芝生がうねうねと盛り上がり、あっというまに二メートルほどの土の巨人になったかと思うと、バトラーに巻きついて彼の動きを封じたのだ! 明かりはワナだった!

「ブラム!!」

 しかし、彼に飛びついて助けようとしたバニーの動きもまた封じられた。彼女は気がついたら、両腕をそれぞれ二人の土巨人にむんずとつかまれていた。

「やあやあ、やっぱり来てくれたね、おふたりさん」

 後ろから声がした。パンは天井から登場した。それも、美しい乙女が乗っているような、植物のツタでできた優雅なブランコに持って、地上まで降りてきたのだ。

「パン! あ、あんた、いったいどういうつもり?!」

 二人の土巨人は、すさまじい怪力で、供物をささげるように、パンの面前へバニーを運んだ。パンは最後に見たときのように全裸で、おまけに、細長い角笛を持ち、自己陶酔的に足をのばしてブランコの上でうっとりポーズをとっていた。

「どういうつもりって? 見たまんまだよ。こういうつもりさ」

「あっ、あんたはデクスターにわたしを襲わせた!」

「そのとおり」

「そして次はわたしにデクスターを襲わせた。いったい何がやりたいわけ?!」

「そうだね、ダーリン、僕ってね、強いスーパーヒロインが見たかったんだ」

 バニーはきょとんとした。意味がわからない。

「あなたの母親はそれはそれは美しかったよ。美しく戦い、たくましく悪者を退治した。でもあなたは自分の遺伝子に無自覚なようだったからね、ちょっと背中を押してやったってわけ」

「ちょっと待って。わたしの母親も、わたしと同じ能力があったの?!」

「そうだよ。ユビキュタリ市のバニー・グラヴィを知らないのかい? 知らないのも無理はないね、二十年も前の話だ。帰ったらググってみなよ。彼女は老いて引退した。もういちどあの美しかったバニーを見るために、ちょっと能力を覚醒させてやっただけだ。デクスターの情報はごほうびみたいなもんだよ。僕の計画どおり、あなたがスーパーヒロインとなってくれたことへのね……僕のダーリン」

「あんたのダーリンじゃないし、あんたのために戦ったわけでもない! こいつらを離して、正々堂々と戦え、この変態!」

「イヤだね。そいつらは僕の一部だよ。……これもね」

 そのときレベッカは脚に奇妙な感触をおぼえた。脚をそれぞれ、植物のツタのようなものがどんどん生長していき、からまりながら上へかけのぼっていくのだ。

「な、何これっ……」

「美とは自然」

 とパンは歌うように言った。

「植物はすべてこの牧神の思いのままさ。さて、ロスト・シティのバニーちゃん、戦うヒロインはたとえようもなく美しいが、もっと美しいのは、そのヒロインが敗れる姿だよ。バニー・グラヴィにはついに僕は歯が立たなかった……その子供に恩返しができるとはね。知ってた? 本当の『リヴェンジャー』は、僕ちゃんなんだ~あ」

「あっ……」

 意志を持っているように動くツタが、ビリッ、ビリッと、バニーの網タイツをひきさいた。パンは露骨に舌なめずりをした。

「お嬢様から離れろ!」

 バトラーの叫びもむなしく宙に吸い込まれる。ウネウネと生長をつづける悪魔のツタは、いまやバニーのスカートの中や、胸の谷間にまでしのびこんでくる。あまりの不気味さと恐怖に力が入らない。

「おとなしくなったね。そうそう、あなたみたいなかわいい女子高生は、いつでもかわいくニッコリして、男のズリネタになってりゃいいのさ」

 このまま、この変態にいいように犯されるしかないのか? 目をギュッと閉じた……そのとき。

「その女を逃がしな、ルーク」

 ガチャリと撃鉄を引く音がした。全員がいっせいにその方角を見た。エレベータから下りた若い女は、パンに拳銃を向けていた。

 この黒髪の女をどこかで見たことがある……あっ! ああっ!

「……『ワンダー・ウーマン』」

「ぱ、パメラ。落ち着けよ。そんなもん下ろせ」

「この浮気男! きょうもこんな女連れ込んで! あたしの気持ちを考えたことある?! あたしはあなたさえいれば、何もいらないのに!!」

「わかった、わかったから、それをこっちに向けるなっ!」

 ぼとっ、と音がした。土巨人のうちひとりの頭が落ちたのだ。体にからまるツタも勢いとみずみずしさをいっぺんに失い、まるで普通の植物のようだ。ひょっとすると、パンの集中力が乱れているからか? それなら、もしかして……いまなら!

「はぁああああっ!!」

 バニーは勢いをつけて跳んだ。

 巨人もツタも振り切った!! バニーが跳んだ方角は、パメラの銃。彼女から体当たりをかけざま、銃をもぎとった。引きつづきパンをホールドアップしながら、パメラの様子を見る。彼女はぐったりと倒れ、意識を失っているようだった。同時に、土巨人たちがボロボロと全身を崩壊させるのが見えた。

 パンはぶるぶると震えながら両手をあげ、そうしながらも余裕めかしてぎこちなく笑んだ。

「あれ、あれ、あれ? スーパーヒロインが銃を使うの? そいつぁ反則じゃないかな? 美学ってのはないの?」

「そうね、わたしぐらいに強ければ、銃は反則かもね」

 と言いつつ、バニーは銃を構えたままパンに近づいていく。パンのブランコも崩れ、彼はドサリと床、いや、芝生に尻をつく。

「だから、銃はなし。……ひとりでカイてろ、オナニー野郎ッ!!」

 バニーはパンのこめかみめがけて回転蹴りを食らわせた。彼の顔が芝生に思いきり叩きつけられ、ボグッと鈍い音がする。

 パンは口をおさえながら、よろよろと体を起こす。

「……差し歯を新調しなきゃ……」

「いいっ? 今後わたしにまた手出ししたら、そんときゃまたこうする!!」

 バニーは容赦なくもういちどキックを浴びせた。

「お嬢様、恐縮でございますが……」

「どうぞ」

 バトラーがパンのみぞおちに蹴りを入れた。パンは気を失い、のびてその場にあおむけに倒れふした。

「ブラム、ケガはない?」

「わたくしは問題ございません」

「あーあ、パメラちゃんに助けられたな。わたしたち、こんな勝ち方でいいのかな?」

「運も実力のうちでございます、お嬢様。とんだ助けが入ったこともスーパーヒロインの証です」

 バニーはその言い草に呵々大笑した。

「よし! それじゃあ、もういっちょ、始末をつけなきゃね。今夜はダブルヘッダーだよ」

「どなたか目当てがおありですか?」

「決まってるでしょ」

 銃を捨てた彼女は拳を固めて、ぱんぱんとてのひらで打った。

「仮面をかぶった、偽善者の教師だよ」

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