レベッカ・メイヤー:ショウ・ミー・ザ・ヒロイン

とよかわ

ISSUE #1  ヒロイン誕生

 ガリフォームス高校のランチ・タイムに、カフェテリアで三人の女生徒がひとりを取り囲むように席をとっている。三人は全員が化粧が濃く、ぴったりしたTシャツかキャミソールを着て、それぞれ赤毛とブルネットと金髪。ただし囲まれたひとりのほうは根元やおくれ毛まで金色だったから、ニセモノではなく、正真正銘のナチュラルブロンドだ。彼女もまたごってり化粧をし、露出度の高い服を着て、ミニスカートから生えた健康的に太い脚を組んでいた。

「わたしの考えは変わらない」

 と、追いつめられたブロンドは憮然と言い放ち、サンドイッチをほおばった。

「まだ言うの? もうみんな知ってるのよ。体育の時間の、あのバスケの……」

 ブロンドは……レベッカ・ヴァイオレット・メイヤーは、九月の新学期早々まずいことをしたと思っていた。二チームに分かれてバスケットボールをやっていたとき、つい本気で大ジャンプをして、ダンクを決めてしまった。自分は生まれつき超人的に運動能力がすぐれているけど、なんだかそれってバカっぽいから、レベッカはずっと隠してきたのだ。

「ぜんぜんわからない。チアリーダーに憧れない女の子なんているの?」

 赤毛が言った。

「だから、そういう選民意識がキモいって言ってんだよ」

 レベッカは返した。

「だって実際、チアリーダーになりたくてもなれない子はたくさんいるのよ。小さな頃からチアリーダー養成塾に通って、何回もオーディションに挑戦しても! チアリーダーに勧誘されるっていうのがどういうことか、あなたわかってるの? それに、部に入ったら、ロバートとの交際だってきっとみんな認めるようになる」

 レベッカは、さっきから遠くで友達とランチをとりながらちらちらとこちらをうかがっている男を横目で見た。ロバート・プルマン。バスケ部のリーダー。ってことは、この学園の王者も同じ。頭カラッポのジョック(体育会系)なんて嫌いだけど、わたしに丁重にデートを申し込んだお目の高さから、最近つるんでやってる、とレベッカは思っている。彼女は彼をハリーと呼んでいる、映画『スパイダーマン』のハリー・オズボーンに似ているから。もちろん旧三部作のね。彼は友達と話してるときも、ふとひとりだけ遠くを、ここではないどこかを見つめてるときがある。主に好きなところはそこくらい。

「誰にも認めてもらう必要なんてない。わたしは好きなときに好きな男と寝るだけ。誰にも関係ない!」

 ブルネットがはっと息をひいて口に手をあてた。まあ、なんてことですの、ってわけだ。

 レベッカは九十八センチのお尻を浮かせ、ランチ入りの紙袋にサンドイッチを入れてつかむと、ポケットからM・A・Cのリップグロスを取り出して直し、ストレートのブロンドを風にたなびかせながらホールを出た。セルジオ・ロッシの十一・五センチヒールがコツコツ鳴る規則的な音に、聞こえよがしなささやきがいりまじった。

「……売春婦」

 しばらく体育館裏の階段でメシを片付けていたら、後ろから人物が近づいてきた。人の気配には昔からするどい。なんとなく申し訳なさそうな顔をしたハリーだった。

「ハイ」

「ハイ。謝るよ、さっきは、チアの子たちがごめん」

 ハリーはレベッカの隣にすわった。

「『謝るよ』? 何それ? あの子らはあんたの持ち物でもなんでもないじゃん」

「でも、責任を感じる」

 男前のハリーが、眉を寄せて物憂げな顔をつくる。だけどけして、彼はわたしのために部活をやめようとはしないだろう、とレベッカは思った。彼はいま間に挟まれてるけど、わたしみたいなはぐれ者のヨゴレ女をとることはしないだろう。

「だからさ……きみも依怙地にならないで、少し真剣に考えてみない? 確かにあいつらはムカつく女だけど、それときみが才能を持ってるってことは違う」

「はあ?」

 レベッカはおおげさに顔をゆがめてハリーを見た。

「だって君は反対側のコートから、何メートルも空中をジャンプしてダンクを決めたっていうんだろ? すごい力だ。それを何かに活かす気はないのかい? もったいないよ」

「ジョックどもの腐った根性は大嫌い。仲間になんか入りたくない」

「腐った根性で悪かったな。ぼくたちが努力してもできないことを、きみはすんなりやってのけたんだぞ! チアがイヤならサッカーでもバドミントンでもなんでもいい。自分の力を活用しないなんて、ぼくにはすっごくバカげてるように見える」

「そう、じゃ、バカだと思ってれば?」

「レベッカ、だから意地になるなって。ベッキー……」

 ハリーはレベッカの腕をとった。彼女はそれをふりはらった。

「『ベッキー』なんて頭悪そうな名前で、二度と呼ばないで!」

「あのう、レベッカ……」

 体育館の隅から、ひとりの黒人の少年がこちらをのぞいている。コンピュータ・クラブのフィリップ・ウィルソンだ。

「フィリップ、待ってた!」

 レベッカはわざとらしく喜んだ顔で立ち上がり、彼に駆け寄った。

「あの、おれ、邪魔だったかな」

「ぜんぜん。あんたを待ってたの。行きましょう」

 ハリーが背後で腰をあげた。軽蔑した顔で彼はひとこと吐き捨てた。

「終わりだな」

「先に言われた」

 レベッカはつんとすまし、フィリップの腕を組んで、わざと大きなおっぱいに押しつけるようにしながら、彼をひっぱって歩きだした。

 彼女はフィリップに、放課後に家に来てくれるよう頼んだ、ほかのあまたの男子生徒たちにそうしたように。フィリップはノーなんて言わなかった、ほかのあまたの男子生徒と同じように。

 そして待ち合わせて、生徒たちを吐き出す放課後のガリフォームス高校正門前に停まる、黒塗りのリンカーン・タウンカーをめざした。車の後部座席前にはひとりの色白で長身のスーツの男が、白い手袋をはめた手をおごそかに体の前で組んで待っていて、レベッカを見ると深く一礼し、後部座席のドアをあけた。

「彼はブラム、ウクライナ人。ブラム・ストーカーと同じスペル、道理で吸血鬼っぽいでしょ? 三十六歳、ボーン・トゥ・ビー・ア・執事。朝、わたしがハダカでスムージー飲んでても目もくれないけど、ほんとはわたしのお尻を思い出していつもヌイてる」

 しゃべっている間に、二人は車に乗り込み、ブラムはシートベルトを締めながら、およそ二十回めの、

「わたくしについてのご想像はご自由でございます」

 を言った。そして発進。

「ホントだよ、だって、あんたの部屋にブリジット・バルドーのポスターが貼ってあるのを見たもん。ここに同じものがあるのに、内心気にならないわけがある? ロンドンの執事専門学校で勃起を自由にコントロールする術を学んできたから、前がふくらまないだけ」

「わたくしについてのご想像はご自由でございます」

 彼は繰り返した。フィリップは困った顔でうすら笑いを浮かべた。ここまで、どんな男を車に乗せても、テープを何回も再生したように同じだ。

 レベッカの邸宅は、なんでもかんでも新しいロスト・シティでもめずらしく歴史があるものの、残念ながら廃業になった小さなホテルの内装を少々改装した建物だ。

 むかしはたくさん人が住み込みで働いていた。家政婦も乳母も使用人もいて、両親のいないレベッカをさみしがらせることはなかった。しかし、レベッカが小学校にあがる前に、不思議な事件が起きた。レベッカを残して、ひとり残らず彼らは消えうせたのだ。

『レベッカ、レベッカ! 大丈夫?! ケガはない?! どこもなんともない?!』

 不気味な出来事は新聞にも載り、労働者は寄りつかなくなった。いま住んでいるのはブラムともうひとり料理人だけで、ほかには週に一度、このミステリーハウスに掃除婦がやってくるだけ。月に一回、どこにいるかもわからない母親は代理人を通して生活費を振り込んでくる。B&W事務所という無機質な名前の振込み元が通帳にずらっと並んでる。レベッカが十七歳になっても。母はたまに絵葉書をくれて、消印は世界じゅうから。内容はいつもなんでもないこと……風邪をひいてないかどうかとか、あたりさわりのないことを。署名はいつもE・T・Wとだけ。レベッカは母親のファースト・ネームも知らずに育った! 人生こんなものだとなんとなく子供の頃から悟ってたから、寂しいと思ったことはない。

 だけど。

 元グランド・サイブリー・ホテルの正面玄関に車が停まり、レベッカとフィリップが下りる。

「少し、埃っぽい部屋に入るかも。あまり手をつけないようにしてるから」

「埃っぽい部屋?」

 ロビーからすぐ横に入ると、もともとバーだった一室。年代ものの酒瓶でいっぱいのバーカウンターの裏の床に、はね扉があった。たぶん本来、ワインセラーに使っていた部屋らしい。二人は地下室に入った。

 レベッカが電気をつける。フィリップは息をのんだ。ワインは一本もないと思われた。

 部屋の両側には膨大な量のファイルと本。床にまでファイルやノートが溢れている。部屋の中心には机が何本も置かれて、ここにもまたぎっしりと、試験管、試験管スタンド、攪拌器のようなもの、天井まで届きそうに積み上げられたノートが身を寄せている。

「これ、何言ってるかわかる?」

 レベッカは無作為にそのうちの一冊のノートを拾って、フィリップに渡した。表題には、『α型遺伝子の非定型化について』とあった。フィリップはびくびくとページを繰った。

「さあ、何かの実験結果がえんえんと……ジャーゴンが多いね。それも、たぶん、既存の専門用語じゃない。何か狭いグループで新語を作って使っているような、そんな印象だ」

「それ以外は?」

「遺伝子工学についての研究だと思うけど、それは専門じゃないから……ハッキングについての話とかだったら、もっとよくわかったと思うけど」

「そう、やっぱりフィリップにもわからないよね。こんなこと、頼んでごめん」

 レベッカは彼からノートを取り上げ、もとどおりに机に置くと、彼の唇を奪った。フィリップはびっくりして後ろずさった。

「な、なんだよ。どうしてキスするんだよ」

「だってこんなことのためにわざわざ家に来てもらったんだよ、何かしてあげないと悪いじゃん」

「……君、学校ではひどい言われようだよ。誰とでも寝るとかさ。それって、こういう真相だったの?」

「誰とでもじゃないよ。ここに来て、この部屋を見てくれて、それでさらに気に入った男にはわたしの部屋に来てもらってるだけ」

 彼女は無邪気に笑った。

「そんなにこの部屋の研究のことが気になるの? 何も知らないの? そもそも、この部屋ってなんなんだよ?」

「昔だけど、住み込みで研究者がいっぱいいて、ここで何かを研究してたみたいなの。でも、ある日、いっせいに失踪した。だとすれば、原因が何か、ここで行われてた研究にあると考えるのがふつうじゃない?」

「なるほど。謎を明かしたいんだね?」

 レベッカは彼の手をとり、唇の両はしをもちあげた。

「そんな感じ。小さい頃の話だけどね、みんないい人だった。わたしと遊んでくれた人も多かった。あの人たちは、もう生きてはいないだろうね。だとしたら、じっとしていられないって、そう思ったの。それにお母さんもここに寄りつかず、わたしは彼女の顔も名前も知らない。何かお母さんについてのヒントも見つかるかもしれないって思って」

「じゃあもし、研究の意味がわかったら、おれにも命の危険がふりかかるわけだ」

「そう。それの危険手当も含めて、わたしの体が与えられるわけ」

 と、彼女はフィリップの耳に口をつけた。彼は真正面から彼女を見据えた。

「やっぱり、売女だ」

 二人は熱く口づけをかわした。その後の出来事は、これからのフィリップがこのままモテないナード・キャラを続けるとしたら、確実に人生のハイライトとなるようなものだった。

 もとのインペリアル・スイートの部屋を改装してできたレベッカの私室で、彼女は寝室の上で全裸のまま、呼び出しボタンを押した。

「はい、お呼びでしょうか」

 ブラムが来た。フィリップはびっくりしてシーツで腰を隠した。レベッカは何も隠さなかった。

「アッサムを冷やして。二人ぶんね」

「かしこまりました」

「……彼とは長いの?」

「うん、例の集団失踪のときにはまだいなかったから、わたしが小学校にあがるときくらいかな、来たのは……ブラムのしつけに比べたら、普通の家庭の両親はどんなにやさしいかって思う」

「ハダカで命令してるのに?」

「ブラムはわざと注意しないで、わたしの挑発を無視して心を折ろうとしてるのよ……ま、いつか寝てやるけどね」

「君にも思いどおりにならない男がいるんだね」

「わたしにも信じらんない」

 夕食前に、フィリップはブラムに車で送られて自宅に帰っていった。二人はどんな会話をしただろうか。ブラムはレベッカに都合の悪い話をしなければ、都合のいい話も、しないだろう。

 こんな調子でレベッカはその後二ヶ月で五六人もあの謎めいた地下室に入れた。成果ははかばかしくなかった。ハリーは、いや、もはやただのロバート・プルマンは廊下ですれちがっても目をそらし、レベッカを見ようともしなかった。ひとりきりで体育館裏の階段でランチをとるレベッカのとなりに、ときたまフィリップが座り、あの地下室について最近何かわかったか、進捗をたずねてきた。二人はとくに何かそれ以上しゃべるわけでもなくいっしょにメシをぱくついた。

 ハロウィンパーティーの夜がやってきた。

 パーティーなんてバカバカしいし、大嫌い。でもレベッカにも好きなことがある、普通の女の子と同じような。それは自分を美しく着飾ること。そういうわけでレベッカはこの日のためにわざわざあらかじめなじみの仕立て屋を呼んで採寸させ、ピンク色のバニーガールに変身した。網タイツもピンクにした。鏡で見てほれぼれする。ああ! わたしよりピンクが似合う女の子なんて、このロスト・シティにいる?

「ブラム、このコスチュームをどう思う?」

「大変よく似合っておいででございます」

「お尻のシッポをよく見ていいんだよ」

「お気遣いをまことにありがとうございます」

「これでまた男を一晩で何人もつかまえられる!」

 二次会のクラブでレベッカは何杯かカクテルを飲み、コップを片手でいい気分で踊っていたところだった。

「よう、ホット・バニー。おれと踊らないか?」

 肩をつかまれる。くるくるの黒い巻き毛の男で、背は低い。ヒゲが濃い。中南米あたりからの移民だろう。知性のかけらもない粗野な瞳だ。うちの地下室には似つかわなくない。すぐに手を振り払った。

「触らないで。近づかないで。ついでに見つめもしないで」

 二階席に行く。とたんにまた男が寄ってくる。

「ヘイ」

 彼女の腰をいきなり包むように抱き、笑いかける男がいた。またか。高校生じゃない。三十くらいだろうか。酔いでぼんやりした目で見ても、ずいぶん仮装の化粧が濃い。顔から首まで真っ白だ。

「ヘイ」

 レベッカは彼の徹底した仮装が少し気に入って、笑い返した。髪の毛は真緑色。カツラじゃない、きっと染めている。着ているスーツはやせぎすの体躯にぴったりで、そのピタピタぶりとショッキングピンクのネクタイにカラーシャツといういでだちが、なんだかちょっとゲイっぽかった。『バットマン』のジョーカーのコスプレかな? そう思ったけど、違うと思った。顔の左半分は真っ白じゃなく、牛みたいに黒いまだらの斑点があったからだ。どこかで見たことがある。何かのPVか?

「……『ブレイク・フリー/自由への旅立ち』のフレディ・マーキュリー?」

 耳元にささやくと、相手もクラブの大音量に負けじと耳元でしゃべった。

「正解! よく知ってるね。気に入ったよ。飲み物足りてる? 一杯おごるよ」

「あ、ううん、まだ買ったばっかり……ねえ、名前は?」

「名前? 僕はね、ピーター・パンだよ」

 レベッカはのけぞって笑った。

「じゃ、わたしはウェンディだ」

「いいや、君はレベッカ・メイヤーでしょ? 君の話をみんなから聞いたよ。君、ガリフォームス・ハイではちょっとしたイット・ガールなんだって?」

「だれがそんなこと言ったの? わたしはただの売女」

「違うね、そんなことない。そう言うには、きみはあまりにも美しすぎるよ」

「ちょっと、ルーク!」

 謎の男……ピーター・パンだかルークだかはいきなり背中を蹴られてよろけた。そこには憤懣やるかたないといった顔で震えるワンダー・ウーマンがいた。ブスではないが、老いて落ちぶれた女優が厚化粧をしたらちょうどこんな顔をしている。

「ちょっと目を離したらこう! あんたっていつも、いったい何股かけたら気が済むわけ?」

「わたし、邪魔だったみたい。失礼」

 と逃げようとするレベッカの腕をピーター・パンが握ってひきとめる。驚くほど強い力だ。

「誤解するな、パメラ。彼女は昔からの友達の娘なんだよ。子供のころから知ってるんだ。せっかく再会したときくらい、ゆっくりしゃべらせてくれよ」

 救いを求めて周りを見回すと、遠くで目が合った男がいた。ゾンビのメイクをしたロバート・プルマンだった。彼ははらはらとこちらのなりゆきを見守っていた。

「もう知らない。勝手にして。あんたなんかバケモノ……」

 パメラ・ワンダー・ウーマンは涙をぬぐいながら退場していった。レベッカも正直言って彼女を真似したかった。

「やれやれ、ねえダーリン、邪魔が入らないようにVIPルームに行かないかい? サーブしてあるんだよ」

「えっ?」

 まさか、ホントに? 『ウッドペッカー』のVIPルームを?

「ホントホント、そら、行こう」

 腕を引かれて奥に行く最中、ゾンビのロバート・プルマンはまだレベッカを見つめていた。彼女はまつげを伏せた。

 分厚い防音の扉を閉めて、ピーター・パンは彼女にソファをすすめた。これで彼は合法的にわたしをレイプできるってわけだ、とレベッカは思ったが、別にいまさら何をされたってかまわないし、素直にソファにかけた。

「それで、だれが子供のころからの知り合いだって? ミスター・ピーター・パン」

「僕のことはパンでいいよ。やっぱり君はとても小さかったから覚えてないんだね。君と遊んであげたこともあるのにさ」

 パンはソファにどっかりと腰を下ろし、余裕めかして流し目を使った。

「……それって本当に?」

「ホント。でもま、君はまだこの世に登場したてって感じだったしね」

「お母さんと知り合いだっていうのも、本当?」

「おっと。僕ね、ムダなおしゃべりが嫌いなんだ。僕から情報をもらおうとするなら、そろそろ代金を請求しようかな? 払う覚悟はあるかい?」

 レベッカは即座にパンのベルトに飛びついてバックルを外そうとし、彼はあわてて股間を守った。

「ちょっとちょっと、気が早いな」

「しゃぶればいいんでしょ。早く出してよ」

「どっちかっていうと、僕がしゃぶりたいなあ」

 パンはレベッカの足首をつかみあげ、ハイヒールを脱がせた。そして網タイツをはいたままのつま先を口につっこみ、深くねぶりはじめた。

 彼女はパンを喜ばしてやるために二三回鼻を鳴らし、よがっているように見せかけた。でも本当は心ここにあらずだった。彼は母を知っているという人物なのだ。いますぐにでも彼女の話を聞きたかった。

「うぅん、これは最高のカーブだ」

 とパンは動物じみた長い舌でレベッカの足のうらをぺろりと舐めあげた。

「君のお母さんそっくりの、美しい土ふまずだよ」

「……母の名前は?」

「彼女の? うーん、忘れちゃったな」

 レベッカはけわしく彼を睨んだ。

「忘れた? 土ふまずを覚えてるのに名前を忘れるの?」

「まあね、だって彼女のこと、ずっとダーリンとかハニーとかスウィーティとかって呼んでたし、なにせもう十五年くらいも前のことだし……」

「……パン、わたし、父親の顔や名前も知らないんだけど、もしかしたら、」

「ないない」

 パンは笑った。

「先に言っとくけど、僕は君のお父さんじゃないよ。見た目にも明らかだね。まるで遺伝形質を受けついでない」

 言葉の意味がわからない。もう片方の足もパンのひざの上に乗り、ヒールを脱がされる。彼の舌が、足の親指とひとさし指のあいだに差し込まれる。その念入りな舐めように、酔いも手伝って頭がしびれ、背もたれから体がずり落ちて気がつくと横になっている。

「教えて……あなたはお母さんの恋人だった?」

「そんなに深い関係じゃない。名前を忘れるくらいだ。お互いに単なるファック・バディ(セックスフレンド)のひとりだった」

 ああ、やっぱり、この男は母と寝たのだ。

「ねえ、パン……」

「うん?」

「いい気分になってきちゃった。抱いてくれる?」

 そうすることで、母と近づけるような、そんな気がした。顔も覚えていない、遠い存在となってしまった母と体験を共有することで。

「いいよ。でも、僕、自然派なんだよね。何もつけないでいいかな?」

 レベッカはレオタードの胸もとから、体温ですっかりあたたまった一枚のデュレックスを取り出した。

「……ラテックス・アレルギーなんだよ」

「これはポリウレタン製」

 パンは舌打ちし、それを受け取った。

「かわいくないとこまで似てるよ、僕のハニー・バニー」

『レベッカ、レベッカ! 大丈夫?! ケガはない?! どこもなんともない?!』

 ふだん家をあけていたはずの母が、従業員集団失踪の朝にだけ、一目散に駆けつけて、レベッカを抱いてくれた。あの甘いにおいと体温が、ずっと心の芯に残っている。わたしと同じ、光にすかしたトウモロコシの房みたいにきらきら煌めくナチュラルブロンドの輝きも。だから本当は、あれを悪い思い出とだけには、けしてとらえていない。

 パンがシャツを脱いだとき、夢見ごこちが吹き飛ばされた。彼は体まで白と黒の、牛そっくりのまだら模様を描き、胸毛まで緑にしていた。狂気的なほどの念入りな仮装だった。

「気合入ってる」

 とレベッカが恐怖をごまかすために笑った。

「そう、僕、徹底的にやるタイプなんだ」

 ズボンのジッパーから突き出したペニスだけは赤褐色だ。でも、頭を見せた陰毛は、やはり緑色だった。やはりこの男は少しおかしいのだと思う。そして、母はきっとパンのそういうところを愛していたような気がした。

 レオタードを脱いだレベッカの姿を見て、パンは感嘆の声をあげた。

「遺伝子は不思議だな。まるで同じだ。自分がポルノの国に迷い込んだって気にさせられるとこがね」

「母もわたしみたいにセクシーだった?」

「セクシーだったなんてもんじゃないよ……そうだね、もうひとつ情報を教えてあげる。ひとつだけ思い出したことがあった。君は、不慮の子だった。計画的に妊娠した子じゃないと言ってたのを覚えてるよ」

「えっ……」

 レベッカは、かたく体をこわばらせた。寝耳に水だった。

「とにかく、合意でないセックスで生まれたんだ。お母さんは迷ってたよ。産むかどうかね。僕は産むよう薦めた。だから君にはたっぷり感謝されないとね」

 彼とのセックスは格段よくも悪くもなかった。緊張していたんだと思う。こんな話を聞かされたあとだったから。

 わたしは、合意でないセックスで生まれた……。

 親を知らない十七歳のただの少女を、これほど動揺させる言葉なんか、ある?

「どう? ガキとヤるより大人のセックスのほうがいいだろ?」

「……まあまあかな」

 終わったあと、彼は紳士的にレベッカの着衣の乱れを直してくれ、手をつないでクラブの外まで送ってくれた。ブラムに連絡したから、もうすぐ迎えに来てくる。

「今度は、うちに来て。歓迎する」

 彼ならきっと、地下室の研究についても何か知ってるんじゃないかと思った。

「ありがとう。必ず行くよ、約束する。あのホテルだろ?」

「知ってるの?」

「君に会いにいったことあるもん。それじゃ、おやすみ、僕のダーリン・バニー」

 クラブの入り口で、フレディ・マーキュリーとバニーガールが熱いキス。マーキュリーはバイバイと手を振って消えていく。とたんに、目の前に男が立ちはだかった。

「あんなバケモノのホモとヤレて、オレとは無理なのか? バニーちゃん」

 先ほどフッた、巻き毛の移民系だった。

「そうだよ。それで悪い?」

「こっちに来い」

 レベッカは手首をつかまれてひきずられていった。

「ちょっと……」

 先ほど言ったとおり、レベッカの運動能力は超人的だ。こんな男、その気になればギタギタにのしてやることくらいできるだろう。だけど、先制攻撃が来た。

「……っ!!」

 彼はレベッカの顔面を殴りつけたのだ。ガキッといやな音がした。鼻の奥に血のにおいを感じた。じんじんと顔の半分が痛みでうめき声をあげ、それでレベッカの戦意はすっかり喪失してしまった。

 ビルとビルの間の路地裏に連れ込まれ、組み敷かれる。セックスなんていつものことだ、余裕だ、なんて顔をしたかった。でもそうしたらまた殴られると思うと身がすくんだ。体が動かなかった。レオタードを引き下ろされる。レベッカは反応しない。

「なんとか言ったらどうだ、ビッチ!」

 また殴られた。屈辱と痛みに、彼女はすすり泣きをはじめた。それで満足したようで、男はレベッカに覆いかぶさり、レオタードをひきちぎるくらいの勢いで下げた。

 バッグの中のモバイルフォンが鳴る。ぴろりろり、はロバート・プルマンの着信音だ。むろんとることなどできない。男がむりやり侵入し、荒々しい律動をはじめる。鼻血が頬の下をつたうのを感じる。こんなのセックスと同じだ、たいしたことじゃないと思い込んで無表情を決め込んでいたら、

「反応がないのはつまらねえな。泣き叫べ!」

 ともう一発顔面に来た。レベッカはしかたなくみじめなすすり泣きを再開した。そうすると本当に自分がみじめな女になった気持ちになるから不思議だった。

『レベッカ? 聞こえてるのか?』

 留守電がロバートの声を再生しはじめる。

『なあ、無事でいるのか? 変な男とVIPルームに入っていったろ? あれ、うちの高校の男じゃないよな? まともに見えなかった。心配だよ。心配で心配で……気づいたよ。やっぱり、ぼくはきみが好きだ。忘れられない。きみみたいな女の子は、ほかにいない。電話をくれ。頼む。もう一回だけでいい、ぼくと話してくれ』

 レベッカは泣きわめいた。それは媚びだった。男の望む反応をしてやったのだ。早く終わってほしかったから。もう殴られたくなかったから。男はうめき声をあげ、体を密着させて射精した。

『レベッカ。あの男といるのか? 聞こえてるなら、返事してくれ。レベッカ……愛してる。誰がなんと言おうと、きみのいいところは、ぼくだけが知ってる』

 レイプ犯は逃げるように去っていった。

 レベッカはしばらく動けなかった。電話でブラムを呼ぶことを思いついたのも、ずいぶん、ずいぶんな時間がたってからだった。ブラムは半裸のレベッカを見て言葉を失い、しかしすぐに救急車を呼んだ。レベッカは気絶した。

 次に目がさめたのは病室。血相を変えたブラムが、自分の手を握っていた。包帯と、目が腫れているのでよく見えないが、ブラムはたしかにいつもとまったく様子が違っていた。いつも顔色がなく、吸血鬼のように酷薄な無表情を崩さないブラムがこんなに手に汗をかくのが、レベッカには驚きだった。

「お嬢様、モーニング・アフター・ピルをお飲みください」

 彼はまず、そう言った。

「警察に告発しますか?」

 彼女は答えられなかった。そんなことはなんの意味もないような気がした。レイプ事件なんて毎日起こってる。パーティーで浮かれたティーンがしっぺ返しを食らうなんて、ステレオタイプもいいとこ。気がすすまなかった。全部、自分が悪かった気がした。

「お嬢様は、何ひとつ悪いことをしておりません」

 心を読んだようにブラムが言った。やっぱりブラムは、この世界でただひとりのレベッカの理解者だ。だけど……。

「ここの市警は腐敗してる。言っても意味ない。早く忘れたい。それだけ……」

 レベッカは、次の日、学校を休んだ。次の日も、また次の日も。トイレ以外に、ベッドから出ることはなく、食事もベッドに運ばせた。あとは何もせず、シーツにくるまって、ぼうっとしていた。モバイルフォンの電源も切った。そうしたら、ブラムが来た。

「お嬢様、この自宅へ電話が来ております。ミスター・フィリップ・ウィルソンです」

「電話は全部取り次がないで、あとでメモだけ渡して」

 電話はフィリップとハリーから来た。ハリーは家に直接来ることもしたが、会うことはせず、ブラムに自宅に送らせた。

 夜に、ふと思いつきで、ブラムに頼んでみた。

「朝、あんたが身支度をする前に起こして。それで、ヒゲをそってるとこを見せてほしい」

「かしこまりました」

 朝の六時に、まだナイトガウン姿のブラムが部屋まで起こしにきた。ブラムは使用人室のシャワーで体を洗うと、鏡の前でシェイビングクリームを顔の下半分に塗り、すっすっとかすかな音をたてながら安全かみそりでヒゲを剃っていった。洗い流したあとは、ジョルジオ・アルマーニのアフターシェイブローションを塗る。

 ひざを抱いて座り込み、一部始終を見つめていたレベッカは、それを見たとき、泣いていた。強姦されて以来、はじめて涙を流したのだ。

「何か、お気に召さないことがおありでしょうか」

 ブラムはめずらしく感情を見せてはらはらと言った。彼女は人形のように首を振った。

「ううん。わたし、男がヒゲそるとこ、見るの好きなの。見ると、男って最高って思える。いま見たら、やっぱり、男って最高って思った。……そう思えたの」

「そのとおりです。男のすべてが、あなたを襲ったような男ばかりではございませんよ」

「そう、そうだよね。あんたみたいないい男もいる。忘れなきゃ……」

 レベッカは洗面台にうしろ手に手をついた。ブラムはいつも黒髪をヘアオイルで後ろでなでつけて固め、日中一回も髪に触れない。その髪がまだやわらかいのが新鮮だ。いつもの自分だったら、また、懲りずにせまっていたと思う。

「きょう、学校行こうかな」

「ご無理をなさらなくてもよいのですよ」

「んーん。気が向いた」

 ブラムの運転する車のなかで、レベッカはふと、顔をおおう包帯をすべて解き、ばんそうこうもはがした。手鏡を見る。バケモノのように腫れあがった顔。なぜかそうしたかはわからない、みんなの反応を見たかったのかもしれない。バカで哀れな女のありのままを。

 正門前でブラムの車から下りた瞬間に視線が集まる。周囲がしずまる。レベッカは胸を張って歩いていった。ひそひそ話が耳に入る。自業自得じゃない? 女の子がささやき、押し殺したように笑う。

 ロッカーの前で、ハリーが飛んできた。

「レベッカ! 心配したよ、会えなかったから!」

 その動揺しきった様子に、レベッカは心からすまないと思った。

「ごめんね。誰とも話したくなくて」

「警察には言ったの? 事件のこと」

「ううん……よく相手の顔も見れなかったし、私も隙があったし……」

「そんなことなんて関係ないよ。許せない。よりによって女の子の顔をこんなふうに……」

 ハリーはくやしげに拳を固めた。

「女の子の顔をこんなふうにするなんて、許せない。顔は女の子の命なのに」

 レベッカは、その言葉を聞いてなんとなく力が抜けた。そして、少しいらついてもいた。

「よくある話でしょ。調子に乗ったビッチが制裁を受けるなんて」

「よくある話かそうじゃないかだなんてどうでもいいよ」

「そうやって周りが騒ぎ立てるのがウザくて、学校に行きたくなかったの」

「騒ぎ立てる? こっちは心配して……!」

 レベッカは一方的に会話を打ち切り、教科書とノートだけ取って、教室へ移動した。

「Bマイナス。実力じゃないね」

 答案を取りにいくと、数学のハミルトン先生が、いたずらっぽくレベッカに笑いかけた。レベッカがまるで普通の顔をしているみたいに。ハミルトン先生はブラウンの髪をふわりと分けて、極端にイマ風でもなければ古臭すぎる髪形でもない。顔もまだ学生のように幼くかわいげがあって、よく女子生徒からはからかい半分に『プリンス・チャーミング』なんてあだ名で呼ばれてる。

「いえ。わたしはこんなものです」

「そうとは思えない。もっといけるよ。ねえレベッカ、何かあったらすぐオレに相談してくれよ。いつでも時間を作る」

 彼は笑った。黒ぶちめがねがいつもより光って見えた。

「……ありがとうございます、サー」

「サーなんてやめてよ。アーロンでいい」

 ハミルトン先生の優しさだけが身にしみたが、あいかわらず廊下ではレベッカは針のむしろだった。自分以外のみんながうわさ話に夢中のような気がした。何もかもわずらわしくて、レベッカは帰ろうと思った。ブラムに電話するのも面倒だったから、歩いて。

 そういうことで、レベッカは勝手に早退することにした。ハイヒールでどこまでも歩いた、自宅をめざして。足ががんがんに痛くなりながらも、旧グランド・サイブリー・ホテルにはなんとかたどりつけた。

 ふと、思いついたことがあった。

 レベッカは助走をつけると、ホテルの車どめのあたりから地を蹴り、すると、ホテルの二階のテラスのシンプルな木の欄干に手が届き、彼女はぶらさがった。そんなことあるわけない! でも、できた! 彼女は体操選手のように体を一回転させてテラスにどさりと倒れこんだ。

 わたしは、ちゃんと体を鍛えれば、もっともっと強くなれるのでは?

 彼女は外側から窓ガラスをどんどん叩いてブラムを呼んだ。気づかなければ下りて帰ろうと思ったとき、彼がドアから顔を出し、驚いて鍵をあけてくれた。

「お嬢様、いったいどういうことですか。こんなところに……」

「ブラム、お願いがあるの。客室をひとつ改造して、トレーニング・ジムにして」

 やぶからぼうの要望に、彼は目を白黒させた。

「無理なら、ランニングマシンをひとつだけでいい。それくらい、いいでしょ? 来月のおこづかい、いらないから」

「体を鍛えたいのですね?」

「そう、つまりそういうこと」

「そういうことでしたら、お母様もいくらでも出費をお許しになるでしょう。蓄えは充分あります。おそらく、このときのために使うものでした」

 ブラムは神妙に言った。ライトブラウンの虹彩が少しにじんで見えた。彼はレベッカが強姦の傷に立ちむかうのを、心から歓迎しているように見えた。

 次の日すぐに、ランニングマシンが届いた。レベッカは学校にも行かず、タンクトップとパイル地のショートパンツに着替えて、それを使った。

 最初は時速二十キロ。ボタンを押して、どんどん速度を上げていく。三十。四十。五十。ちっとも苦しくない。足がしぜんに動く。六十。七十。

 時速八十キロ。

 それ以上にすると、やっと息が切れた。スイッチを切る。レベッカは疲れではなく驚きでその場にへたり込んだ。

 次の日搬入されてきたのは、ベンチプレス。レベッカは負荷をだんだんあげていったが、その作業ももどかしかった。五十キロからはじめた。自分の体重に少し足りないくらいの重さだ。どんどん増やしていって、最終的には、彼女は二百キロを上げていた。

 そのバーベルを持ってのスクワットやデッドリフトも、数十回もこなしてやっと薄く額に汗が浮いた。

 夜になると彼女はデスクに向かい、ノートを開いて、テクニカル・ペンシルと消しゴムで何度もスケッチを描いては消しをした。

 一週間して、少し体型が変わった。自慢の爆弾おっぱいやお尻がちぢまないかと心配だったが、それは懸念だった。むしろ腕や足はカートゥーンのキャラクターみたいにメリハリがつき……つまり二の腕やふくらはぎはお肉がついてるのに肘やひざはきゅっとしまって、ついでにお腹のくびれもますます鋭角になったというような具合で、いっそうセクシーに見えた。

 ある日、トレーニングを終えたレベッカは、ブラムを呼びつけた。

「そこに立ってて」

 彼女はブラムの正面に立ち、彼を見据えた。そして突然、空気を切り裂くようなハイキックを彼に浴びせた。

 かと思われた。それはかなわなかった。その足首を、ブラムは差し出されたものを受け取るようにやさしく握ったのだ。レベッカは驚いた。

「……どうしてわかったの?」

「準備動作が多すぎます。それから視線」

「驚いた。あんたって何者?」

「誰でもございません」

「何か格闘技やってた?」

「はい、四歳のころからチャイニーズ・ケンポー、並行して六歳からはコリアン・テコンドー、八歳からはさらにジュージツです」

「じゃあ、教えてよ。ブラム・ケンポーのすべてをさ」

「かしこまりました」

「あんたって最高」

「しかしながら、学校にはぜひ通ってください。それが条件でございます」

「わかった、わかった、オーケー」

 ブラムの教え方はすばらしかった。なにせきかん気のつよいレベッカを一から育て上げた根気の持ち主だ。

「ヘイ、最近なんか元気に見えるけど、無理してない?」

 歴史の授業でいっしょだったフィリップが声をかけてきた。心配していたのだろう。すまなく思う。

「無理してない。平気。最近、わたし元気なの」

「顔ももうずいぶんきれいだね」

「ありがと」

「でも、ケガしてても、君はきれいだった。いつもよりずっと、女王様みたいに堂々としてたよ」

「当然」

 二人は笑った。

 レベッカの反射神経も動体視力もすばらしく、ブラムとの特訓でいっそう磨きがかかった。彼らはいつも道着姿で稽古をしたが、あるとき彼女はブラムのすきをついてみぞおちに右アッパーを入れた。ブラムはぶっ倒れた。

「ご、ごめん。本気でやっちゃった。大丈夫?」

「はい、腹筋でガードしました……筋肉がない人間は、ひとたまりもないでしょうが」

 倒れながら、ブラムはあえぐように言った。このぶんだと、彼を逆レイプしようと思えば、もうかんたんにできるだろう。

 玄関の呼び鈴が鳴った。

「申し訳ございません。行きませんと……」

 レベッカはブラムを支えて立ち上がるのを手伝ってやった。そして彼は『スター・ウォーズ』のジェダイみたいな格好のまま呼び出しに出ていった。

「仕立て屋からお届け物でございます。お嬢様にです。新しいドレスをお作りになりましたか?」

「あ、ありがと」

 彼女はぴかぴかの箱をひったくるようにブラムから受け取り、自分の部屋にこもり、内側から鍵をかけ、ふたをそっとあけて、中を見てみた。

 夕食をすませたあと、レベッカはフィリップに電話した。

「ヘイ。どうしたの?」

「ハーイ。突然なんだけど、フィリップ、あんた、警察のデータをハックできるんだったよね? 誰でもいいから、過去に強姦の前科があって、この近辺に住んでるヤツのデータ、何個か送ってくれない? 本当に誰でもいいの」

 そして彼女は自分の部屋で、自分がスケッチを書いてデザインし注文したものを、いよいよ着てみた。

 黒いラバーのレオタードは、腰の部分がプリーツの超ミニスカートになっている。下がTバックだから、スカートが揺れたら男たちの目を幻惑できるだろうから。白いつけえりにこれまた黒ラバーの蝶ネクタイ。黒い網タイツ。凶器のようにとがった十センチ・スティレット・ヒール。仕上げに白いカフスを手首につけ、黒の革手袋をはめて、最後に……夜闇を切り裂く、真っ白なバニーの耳カチューシャと、ファーつきの白いフェイスガード。

 呼び出しボタンを押す。ブラムが扉をあけて入ってくるとき、彼女は腕を組んで立って待っていた。

 ブラムは驚かなかった。ただ、これだけ言った。

「出動はいつですか?」

 パランとモバイルフォンの音が鳴った。フィリップは三つの住所氏名を送ってくれた。

「いま、これから」

「ほんの少しだけお待ちください。あなたに贈り物がございます」

 贈り物? 武器でもくれるのだろうか。

 ブラムはたいして待たせはしなかった。ふたたび現れた彼の姿を見てぶったまげた。全身体にフィットしたラバースーツに、黒いフェイスガード、それにマントまで!

「あなたがそのコスチュームを発注したとき、わたくしのも一緒にお願いしました。こう見えてもわたくしは幼少のみぎりは、コミックブックのたいそう熱心な収集家でした」

「……わたしといっしょに戦ってくれるっていうの?」

「足手まといにならないよう、持てる力のすべてを使って努力いたします」

「あんた、やっぱり最高!」

 ブラムに飛びついてハグして、横っつらに熱心にキスばかりしていられない。記念すべき初出勤が待っている……パワーバニーガール・レベッカの復讐が。

 最初のひとりは、フラットの二階に住んでいた。バニーは跳躍してなんなく窓ガラスをぶちやぶり、すぐに玄関の鍵をあけた。カウチでテレビを見ていた男はぼうぜんをそれを見守るしかできなかった。

「あんたが、ウィリアムスン? フランシス・ウィリアムスンね?」

 男はどこにでもいる平凡な中年男にしか見えなかった。

「五人をレイプして暴行したフランシス・ウィリアムスンだ」

「そ、そんな。過去の話だ」

 レベッカは背中につけた特製の隠しポケットから折りたたみナイフを出すと、彼の首に押しつけた。

「教えて。E・T・Wを知ってる? E・T・Wというイニシャルの女に心あたりは? あんた、そんな女を犯さなかった?」

「知らない! まったく知らないよ、そんな女」

「刑罰はしょせん、社会のために行われる見せしめよ」

 レベッカは雪の女王のように冷酷に言い放った。

「だったらわたしは、ただ女のためだけにあんたを罰する」

 そして、目にもとまらぬ速度で、彼の顔面に靴底をめりこませた。メガネが割れ、フランシスは気を失っていた。ドアからブラムが入ったときには、すべてが終わっていた。

「殺したのですか?」

「ううん。気絶しただけ。もういい。彼はE・T・Wを知らなかった……次いこ」

「それは、あなたのお母様のイニシャルですね?」

「ある男が言ってたの。彼女は合意でないセックスでわたしを身ごもった。……レイプ犯を捜していけば、わたしの母親や父親についての情報を得られるかも」

「気の遠くなる話ですね」

「何もしないよりいい。……何もしないのはもうやめたの! わたしは自分の生まれつきの能力を活かす! そのときが、いま来たのよ」

 ほかの二件も同じような結果だった。最後の男は妻とおさない子供までいた。子供は泣きわめいた。しかし、レベッカは心を鬼にして、元レイプ犯をぶん殴ってその場から逃げた。本気で走ろうと思えば車より速く走れたが、ブラムがいる。

「わたくしはすぐにバイクを注文しようと思います」

 と彼が言った。そうしたほうがいいだろう。

 家に帰ってシャワーを浴びても、興奮でなかなか寝つけなかった。

 翌朝、目が覚めてすぐモバイルフォンでニュースを見た。

『元レイプ犯襲撃 バニーガールの逆襲』

『バニーガールがレイプ犯殴打、制裁か?』

 ロスト・シティにおいて、一晩で三人の元レイプ犯が奇妙なバニーガール姿の少女に暴行を受けたというニュースは、どのサイトでも掲載されていた。ローカル新聞社ではトップ扱いしているところもあった。E・T・Wのことはどこも書かれていない。

「レベッカ! 君なのか?!」

 朝食を食べている最中、こんなメッセージまでモバイルフォンに飛び込んできた。フィリップだった。

「何もレイプ犯に復讐するためだけってわけじゃない」

 その日の体育館裏のランチで、レベッカはフィリップに自分の母親のことを話した。

「そうか……お母さんがレイプ・サヴァイヴァー(レイプ被害者)だったのか。よかったら、この市の過去のサヴァイヴァーたちのデータもあらかた警察から抜けるけど」

「ありがと。でも成果は期待できないと思う。わたしを堕胎しないで産んだくらいよ。加害者を告発したとは思えない。わたしみたいに、告発しない女性はいっぱいいる……」

「警察に言わなかったこと、後悔してる?」

「ううん。きっと、警察のやり方じゃ、わたしの気は、最後まですまない」

「でもだからって……レベッカ、無理だけはしないでくれよ。君に限ってそれはないと思うけど、相手が銃かなんか持ってたら、いかに『バニー・ザ・リヴェンジ』でもケガくらいするかも」

 レベッカは笑った。

「何それ。もう名前ついてるの?」

「ネットであれこれみんな勝手に名前をつけてるよ。でもいちばんいいかなって思ったのが、これ」

「そうだね、なかなかいいんじゃない。フィリップ、ありがと、気をつける。また、夜までデータを送って」

「うん。……これ、君とおれだけの秘密だよね?」

 レベッカはうなづいた。

「もちろん。絶対に口外しないで。わたしとあんたと、それからね、記事には載ってないけど、ブラムがサイドキック(相棒)なの。彼のケンポーは最強!」

「じゃ、おれらはスペシャル・チームだ」

 二人は、ぱん、ぱん! とぎこちないハイタッチをした。

 その日帰ってきて、がらんとした元レストランで夕食を食べながら、レベッカはブラムに言った。

「わたし、『バニー・ザ・リヴェンジ』だってさ」

 ブラムは最後にデザートのジェラートを運んできたときに、つぶやくように言った。

「わたくしは、『リヴェンジ・バトラー』(復讐の執事)でしょうか」

 レベッカは吹き出した。

 そして一日三人のノルマで二人は元レイプ犯を絞めあげ、E・T・Wの情報を聞き出そうとした。最後の一件は、バニーを警戒して、犯罪者たちで寄り集まっている家だった! バニーは五人いたうち、流星のような飛び蹴りと側転からのフックと、派手な動きで翻弄し二人を倒し、アゴへのキックと金的でもう二人も転倒せしめたが、残る一人に後ろから抱きつかれ、動きを封じられた。すると、『リヴェンジ・バトラー』が音もなく背後に近づき、首に手刀を入れて彼を気絶させた。いいコンビネーション!

 こんな調子で何日も彼らは続けて『女のための』制裁をくわえ、母親の情報をさがしていた。そんなときだった。

 レベッカがベッドに入り、電気を消して、眠りに入ろうとすると。

「最近、活躍しているようだね」

 窓のほうから声がして、レベッカはあわてて電気をつけた。

 出窓に足を伸ばしてすわっている男がいた。彼の姿をどこで見たかをようやく正確に思い出した。ニジンスキのバレエ、『牧神の午後』の牧神だ。

 彼は全裸だった。緑の体毛と、白黒まだらの牛もようの全身を隠しもしなかった。

「元気そうで何よりだよ」

 ピーター・パンは、いたずらめかしてウィンクを送った。

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