A-14「ウィルと赤髪の少女」
絶海の孤島に位置する、ルイス・バジェット研究所。
先日まで、二千年の時を経てなお現存していたその場所は。
宇宙へ繋がる唯一の希望は――。
見るも無残に破壊し尽くされていた。何者かの手によって。
その前で、黒のローブを着た一人の少女が、憤慨した様子で立っていた。
歳のほどは、十代後半というところだろうか。
茶色がかった明るい赤の長髪は、毛先にくるくるとカールがかかっている。
何か意志を秘めた茶色の瞳は、どこか人を食ったような挑発的な印象を与える。が、さほどきつさを感じさせるものではない。
感情豊かに振る舞う顔の全体が、むしろ人当たりの良い柔らかさすら感じさせた。
「あー。やっぱり滅茶苦茶になってる。まったくもう。誰の仕業かしら」
赤髪の少女は、右手を前にかざした。
「修正をかけてあげなくちゃ。ありし日の姿を呼び起こせ。《クロルハウスト》」
瞬間、魔法のほとんど使えないはずのこの世界で、世界の枠を遥かに超える絶大な魔力が解き放たれ――。
研究所は、まったく元通りの姿に戻っていた。
「ついでにもう一つ。ありし日の記憶を呼び覚ませ。《クロルマンデリン》」
再び絶大な魔力が行使される。
今度の魔法は、一見何の変化も及ぼしたようには見えなかったが。
彼女は魔法の結果に満足して、うんうんと頷いた。
「これでよし、と」
直った建物にテコテコと歩み寄っていき、懐からペンのようなものを取り出して、研究所入口の壁の目立つところに何かを書いていく。
書き終えると、それを見つめてしみじみと言った。
「ユウくん。今のあたしができるのはこれくらいだけど……あとは頑張ってね」
「女。そこで何をやっている」
「なに!?」
突然生じた異様な威圧感に赤髪の少女がはっと振り返ると。
そこには、静かに彼女を睨むウィルが立っていた。
すると、驚くべきことに。
彼女は、彼を警戒するでも恐れるでもなく。
ぱあっと花のような、はつらつとした笑みを浮かべたのだった。
「って、なんだ。ウィルお兄さんじゃないですか。ちーっす」
「おに……」
いきなりフレンドリーに話しかけられて、さしもの氷の瞳も揺らいでしまう。
「待て。そもそも、お前に会った記憶がないんだが」
「あたしは初めてじゃないので。まだ破壊者なんてやってたんですね」
その思わせぶりなニュアンスに、ウィルは引っ掛かりを覚えた。
「どこまで知っている?」
「おおよその事情はすべて知ってます。前から、一言お礼が言いたくて」
「この僕に、礼だと?」
すっかり虚を突かれて戸惑うウィルに面と向かって、彼女は微笑みかけた。
「うん。ありがとね。あなたが残してくれたもの、ばっちり使わせてもらってます」
「――ああ。なるほど。そういうことか」
その言葉で、ウィルもようやく合点がいった。
「まさか、役に立つ日が来るとは思わなかったな」
「あなたの布石も無駄じゃなかったってことですよ」
「だと思いたいな。どうだ。宇宙の様子は」
「変わったものもあれば、変わらないものもある、かな。あんま答えになってないかもですね」
「どうやら現状維持程度はできているらしいな。ユウは――いや、やめておこう」
「――大丈夫。大丈夫ですよ。何とかなってますから」
安心させるように、赤髪の少女が胸を張ってそう答えた。
それを見て、ウィルも少し表情を和らげた。
「で、そこに書いてあるのはなんだ」
「あ、これは」
誤魔化すように「てへ」と、彼女は舌を出した。
「ちょっとしたメッセージですよ」
「あまりやり過ぎるなよ」
「もちろんわかってますって。私は本来ここにいるべきじゃない人間ですから」
「それは僕もだがな」
「お互い様ってことで。勘弁して下さい。ね?」
「……ふん。まあいいだろう。しかし、あんな男のどこがいいんだか」
肩を竦めたウィルに対して、彼女は真剣な目で答えた。
「あたしは、誰よりもユウくんを信じているんです」
「……ほう」
「何たって、あたしの救世主ですから」
「まあ、そういうことになるのか」
「そういうことです。それに、もしそうじゃなかったとしても……」
赤髪の少女は、何かを想って目を瞑った。
再び目を開けたとき、彼女の瞳には決意が満ちていた。
「あたし、そろそろ行かなくちゃ」
彼女は、その場で膨大な『魔法式』を展開した。
彼女を取り囲むように、大量の光の文字が浮かび上がっては消えていく。
術式魔法。
頭でイメージを練り、脳内発声もしくは直接発声をして発動する『宣言魔法』よりも、遥かに緻密で複雑な構成を編むことができるものだ。
その腕前は、ウィルですら少しは関心を覚える程度のものだった。
「またいつか会おうね。ウィルお兄さん」
「そのいつかが来ればいいがな」
「絶対に来ます。待ってますからね」
光に包まれて、赤髪の少女はその場から忽然と消えた。
それからしばらくの間、ウィルはその場に立ち尽くし、物思いに耽っていた。
「……少しは、報われたということか」
らしくもなく感傷に浸ってしまったことに、小さくかぶりを振って。
ユウがやって来る前に、自分も姿を消すことにした。
色々と予定外のことはあったが。
もう何も手を加える必要はない。あとは勝手に事が進んでいくだろう。
唯一、残っている後始末があるとすれば――。
「いいさ。僕は僕のすべきことをやるだけだ」
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