2「ユウ、リルナに呼び止められる」

 私は人の目が届かない路地裏に隠れて、そこで着替えることにした。

 今の服装は何人にも見られているからまずいし、そもそも女が男装のままうろついていては目立ってしまう。

 幸いにして、私の持っているのと同じような服を着ていた人を逃げている途中で見かけた。着替えれば変に思われることはないはずだ。

 その着替えなんだけど、どこにあるかというと。

 今の私は、身軽に動けるように服とウェストポーチ以外の物は身に着けていない。

 ウェストポーチはかなり大きめだが、服を何着もそのまま入れられるほど大きくはない。

 でも実はこの中にある。

 ポーチから、服が入っている小さな透明の袋を取り出す。

 ミックの発明品『超圧縮袋』だ。

 原理は不明だが、この袋に詰めていくとどんどん中のものが圧縮され、本来の体積よりも十分の一くらいになる。

 これのおかげで軽装のまま、替えの服を上下、下着四セットも持つことができた。

 ちなみにこの四セットの内訳は、魔力で変化するのが二つ、もし何かあったときのためのユニセックスなものが二つだ。

 もちろん今回の着替えで選ぶのは、ユニセックスなものにする。

 ありがとうミック。お前の発明品、最初は下らないとか思っててほんとごめん。さっきから死ぬほど役に立ってるよ。

 遥か遠い地にいる彼への感謝を胸に、私は『超圧縮袋』から服を取り出した。

 ユニセックスの白いTバックに、フリーサイズのカーキのアウトドアパンツ、紺のTシャツ、そして黒いジャケットが、元のサイズにむわっと膨らんで出てきた。

 ブラジャーは……今回はやめておくか。

 いつ男に変身することになるかわからないし。

 ジャケットで隠しておけば、ノーブラでもたぶん透けて見えたりはしないよね。

 誰も覗いていないか周りを確かめてから、今着ているジャケットを脱ぎ、シャツに手をかけてめくり上げる。

 激しく動き回ったために、シャツは汗でびっしょりと濡れていた。

 男のときにかいた汗が大半だからか、少し男臭い匂いがする。

 シャツを脱いだら、素早く紺のTシャツに着替える。

 仕方がないとはいえ、やっぱり外で着替えるというのは嫌なものがある。さっさと済ませてしまいたい。

 下も急いで履き替えると、来ていた服は入れ違いで『超圧縮袋』にしまった。

 これでよし、と。


 路地裏から出ると、なるべく人目に付かないように歩き始めた。

 路地裏に留まっていればそれなりには安全だろうけど、いつまでも立ち止まっていては何も始まらない。

 とりあえず町の様子と、何かのときのために道を把握しておこうと思った。

 能力がきちんと目覚めてからの私には、完全記憶能力がある。

 だから道はすんなりと覚えることができた。


 金属プレートのような地面が、どこまでも続いていく。

 道の左右に並ぶ建物は、どれもこれも地球ではお目にかかれない先端的で立派なものばかりで、その壮麗さにはたびたび心奪われる。

 かつてサークリスにいたときに見た空中都市エデルのような、いびつで急ごしらえな感じもまったくしない。

 いきなり都会に出てきた田舎者みたいに、ついあちこちをきょろきょろしまった。

 それぞれの家は、金属のような光沢を放つ白銀色の素材と、プラスチックのような色とりどりの軽素材らしきものを組み合わせて建てられていた。壁にはガラスのようなものも張られている。

 ほとんどの道は、ずっとほぼ一定の曲率でカーブを描いていた。

 どうやらこの町は、円形状に建物や道が広がっているようだ。

 やがて、「ここから先 第四街区」と書かれた案内標識が目に入った。

 今までは第三街区にいたはずだから、一つ隣まで来たことになる。


 ここまでなるべく人通りが少ない道を選んで進んできたが、それでも時々人とすれ違ってしまうことはあった。

 最初はどんな反応をされるかと内心身構えて、いつでも逃げる準備をしていたけど。

 幸いなことに、誰もヒュミテだとか叫んだりはしなかった。

 どうやら私が生命反応を持たないから、同じ機械人だと思われているらしい。

 今はほっと胸を撫で下ろしている。

 よかった。ずっと逃げ続けなくちゃならないかと思ったよ。

 まあ見た目じゃ判別付かないみたいだからね。

 ここにいる間は、基本的に女でいた方がいいかもしれないな。

 段々と警戒心も解けてきて、ぼちぼち大きな道へ踏み出してみようかと考え始める。


 心にゆとりができると、少し物事を考える余裕も出てきた。

 やはり気にかかるのは、魔法が使えないことだ。

 色んな魔法を試したが、結局使えたのは、以下のものだけだった。


 そよ風を起こすだけの風魔法《ファルリーフ》。

 マッチ並みの火を起こす、着火に便利な火魔法《ボルチット》。

 コップ一杯分の飲み水を作り出す、サバイバル革命の水魔法《ティルタップ》。

 小さな氷の粒を生み出す、冷凍庫で氷を作り忘れたときに重宝する氷魔法《ヒルアイス》。

 照らしたい場所を懐中電灯並みの明るさで照らしてくれる、夜の移動や探し物に使える光魔法《アールトーチ》。


 この五つのみ。つまり極端に弱い魔法だけなら辛うじて使えた。

 どれもそれなりに便利だけど、実戦ではまったくといっていいほど役に立たない。

 魔法を使った戦闘は、残念ながらできないと考えるしかないだろう。

 まいったな。この世界の魔力許容性が、こんなに低いなんて。

 いつかそんな世界も来るかもしれないとは思っていたけど、まさかこのタイミングで来るとはね。

 問題は、魔法が使えないこと自体よりも、リルナに対抗する術がなくなったことにある。

 魔法が使えない上に、気力や物理による攻撃が一切通用しないとなれば、彼女にダメージを与える手段は今のところ存在しないということだ。

 また彼女に会ったら、逃げるしかないか。

 もう『電磁ボール』はないから、次からは大変だ。



「おい。そこのお前」



「はい――はい!?」


 突然背後からかかってきた声に、反射的に返事して振り返ったとき。

 あまりのことに声が裏返ってしまった。

 なんと、話題のリルナが目の前にいるではないか。

 彼女は口元をへの字に引き締め、その透き通るような青い瞳で私のことを見つめていた。


 まずい。見つかった。どうしよう。


 全身が一気に緊張で強張ったとき。

 意外にも彼女は、表情を少し緩めて、事務的な口調で語りかけてきた。


「逃げたヒュミテの男を捜しているのだが。この辺りで見かけなかったか」


 あれ。ばれてない?


 ――ああそっか。焦ってパニックになりかけていた。


 私、今は女だった。雰囲気は似てるけど、一応別人には見えるか。

 安堵から溜息を吐くと、彼女はそれを別の意味で捉えたようだった。

「俺」を睨み付けた際の殺気の篭った目とは対照的な、優しさすら感じさせる穏やかな目を浮かべて、こちらへ歩み寄ってくる。


「どうした。ヒュミテが怖いか」

「怖いですね」


 ボロが出ないように、適当に話を合わせておく。

 すると彼女は、とんと胸を張って堂々とした口ぶりで言った。


「安心しろ。奴は必ずわたしが始末する」


 ああ、うん。

 あなたが始末しようとしてるの、私なんですけどね。

 ぶっちゃけそれが一番怖いんですけどね。

 心の内で突っ込んでいると、彼女は言った手前私を安心させようとしたのか、肩に手を触れてきた。

 あまりに自然な流れだったから、身を引く隙がなかった。


「ん。お前――」


 機械ではあり得ない、私の柔らかい身体に触れたとき。

 彼女が眉根を寄せた。


 しまった! 生身であることがばれた!


 冷や汗がダラダラと流れる。

 顔にこそ動揺を出さないようにしているが、もう無駄だろう。

 今から男に変身して逃げるか。どうやって逃げ切ろうか。

 そんなことを考えていると、彼女はなぜか嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「珍しいな。お前も半生体素材のナトゥラか」

「あ、そうです」


 反射的に話を合わせた。

 半生体素材。身体が柔らかいナトゥラもいるのか。

 よくわからないが、どうやら助かったみたいだ。


「実はわたしもなんだ。手足こそ戦闘用素材だが、この装甲の下は、ほとんど奴らの生身と変わらない。身体の柔らかさも、感触もな」


 そう言って彼女は、ほどよく膨らんだ胸の上の白銀色の装甲を、そっと撫でた。

 それから彼女は、やや顔を落とす。

 その表情は、どこか思うところがあるように見えた。


「わからない。なぜわざわざ、ヒュミテに似せて作られたのか。時々忌々しいと思うこともあるが――まあこれも個性だろう」


 彼女は私に向き直って、微笑む。

 その笑顔は、少々不器用ながら、およそ機械とは思えないような温かみと優しさを感じさせるもので。

 不意にも素敵だと思ってしまった。


「お前もその個性を大事にするといい。別にヒュミテに似ているからと卑屈になる必要はない」

「――そうですね。ありがとうございます」

「礼はいい。同じ半生体のナトゥラ同士、お互い励んでいこう」


 彼女の力強い言葉に、私はとりあえず頷いておく。

 セーフ。セーーーフ。


「そうだ。ヒュミテの男なら、あっちの方に逃げていきましたよ」


 わざと今思いついたように言って、適当な方向を指さす。

 思い切り嘘を吐いたが、こっちも命がかかってる。許してくれ。


「そうか。情報提供感謝する――ヒュミテめ」


 彼女の身に纏う雰囲気が、一気に殺気立つ。

 それまでの穏やかな目から一転して、燃えるような憎悪の激しさと氷のような冷酷さを併せ持つ、恐ろしい戦士の目つきに変わる。

 はたから見ているだけで、身の毛がよだつほどだった。


「絶対に逃がさない」


 次の瞬間、彼女は足のブースターで滑るように加速した。

 女の私では到底追えない鬼のようなスピードで、あっという間に視界から消えてしまう。

 その場にぽつんと取り残された私は、彼女に気圧されて少しの間動けなかった。


 うわー怖い。リルナさんほんとに怖い。

 あれは絶対に地の果てまで追いかけてくるタイプだ。とんでもない奴に目を付けられてしまった。


 だけど、彼女の素も垣間見えた。

 彼女はきっと、ナトゥラにとっては、優しく正義感溢れる魅力的な人物なのだろう。


 できることなら、誤解を解いてわかり合いたいな。


 そんなことを思いながら、私は彼女に教えたのとは反対の方向に、そそくさと歩いていった。

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