68「剣と魔法の世界で ユウ VS ウィル」

 ウィルがその凍てつく瞳で私を見つめると、また身体が急に熱くなり始めた。

 心臓の鼓動が恐ろしい勢いで早くなる。


 この感覚は――まずい。


 また【干渉】で身体のコントロールを奪う気だ。そうなったら戦いどころじゃない。

 だが、何も抗う術がなかったさっきまでとは違う。

 私はもう一人じゃない。中にいる「私」が助けてくれる。


『【反逆】。【干渉】に対抗して』


 身体の自由を奪う【干渉】の効果を打ち消す【反逆】の使用法。

 先ほどレンクスから身に受けたことで、ラーニングしていた。

「私」がそれを使うと、たちまち胸の疼きと熱は沈静化した。


『大丈夫だよ。私がいる限り、もう身体は好きにさせないから』

『サンキュー。助かった』

『しっかりサポートするから、暴走は気にせず思い切りやって』

『了解』


 私はウィルに面と向かって言ってやった。


「もうそれは効かないよ」

「へえ。さすがに覚醒状態では通用しないか」


 これでもう好き勝手に身悶えさせられることもない。ようやくスタートラインに立つことができた。


「ふん。まあいいだろう。さて――始める前にこいつをかけておくか」


 ウィルは私に向けて手をかざすと、宣言した。


《|世界封鎖(ワールドブロッケード)》


 その瞬間、次々と私の中で何かが閉じられていく感覚が生じた。

 何が閉じられているのかまではわからないが、とにかくそれだけは何となく肌でわかった。

 締め付けられるような嫌な感じが、全身を襲っている。


『急に息苦しくなってきた』

『大丈夫?』

『なんとかね』


 やがてその感覚が落ち着いたとき、彼はご丁寧に説明してくれた。


「外界からお前の『心の世界』へと向いているチャネルを、一時的に封鎖させてもらった。戦いの最中に僕から何かを取り入れて、妙な成長されてしまっては厄介なのでね」


 そういうことか。やはりこいつは私の能力を熟知しているようだ。

 何も学習させるつもりはないらしい。

 となると、手持ちの武器は今までこの世界で身につけてきたことすべて。

 それからレンクスの能力【反逆】と、こいつの能力である【干渉】か。

 このうち、【干渉】はおそらくまともに使えないだろう。

 私が扱うには強過ぎるというのもあるが、本質的な問題は別のところにもある。

 私の能力では、『心の世界』に取り入れたものは何でもそのまま使うことができるらしい。

 一見便利なようだが、裏を返せば、取り入れたものはそのままの形でしか使えないということでもある。

 奴から食らった【干渉】は《強制変身》の効果だけ。こんなものなど何の役にも立たない。

 こいつはおそらくそれを知った上で、私にとって要らない能力をプレゼントしてくれたわけだ。

 だけど、まったく意味がないわけでもない。

 一度食らった《強制変身》の情報は、しっかりと記憶されている。だからこそ、「私」が【反逆】を使って対抗することができた。

 それはさておき、とにかくあいつの気を惹く必要がある。少しでも時間を稼ぐために。

 あわよくば一発当ててやるつもりでやろう。

 あいつはあくまで遊びにこだわっているようだ。なら攻撃さえ当てれば、案外素直に引いてくれるかもしれない。

 彼我の圧倒的戦力差を鑑みて、そんな風に冷静に考えながらも。

 私自身の感情としては、できることならあいつを倒してやりたい気持ちで一杯だった。

 もちろん知っている。

 あいつはフェバルだから、殺したって死なないことくらい。

 お互い真の意味では死なない以上、どうしてもこの戦いは「死闘」にはなり得ないことを。

 それでも、一矢報いたいと思うのだ。

 だって悔しいじゃないか。このままいいようにやられっ放しなんて。


《ファルスピード》

《クロルエンス》


 二種類の加速魔法を同時にかける。

《クロルエンス》は何度も見たことがあるから、もう「知っていた」。

 爆発的に膨れ上がった魔力は、同じ魔法であってもレベルを数段変えてしまうらしい。

 羽のように軽くなった身体は、もはや私ではない別の何かのようにさえ思われた。


 魔法を使った私を見て、ウィルはにやりと悪だくみをするような笑みを浮かべた。


「そうだな。せっかくの魔法世界だ。趣向を凝らして、魔法対決というのはどうだ」

「拒否権は?」

「あるわけないだろう」


 彼は両腕を広げて、さも機嫌良く語る。


「この世界には、初等から超上位まで、五段階の魔法があるとされている。だが実は、もう一つ上があるのを知っているか」


 もう一つ上だって。そんなものがあるのか!?


 驚く私をよそに、彼は得意顔のまま続ける。


「人はそれらの魔法を恐れ、こう呼んだ――禁位魔法と」


《フレア》


 彼が直立不動の姿勢のまま、たった一言唱えると。

 途端に爆発的な勢いで、煌々と閃光を放つ猛炎――いや、もはや炎と呼べるものですらない。

 超高温のプラズマが迫ってきた。


《飛行魔法》!


 慌てて宙に飛び上がる。すんでのところで避けることができた。

 魔力の上昇に伴ってスピードが上がっていなければ、間違いなく今の一発で終わっていただろう。

 彼の撃ったそれは、通過するものすべてを一瞬にして溶かし尽くした。

 丸い民家も高層ビルも区別なく、次々と一直線上に呑み込んで、綺麗な焦土に変えていく。

 その勢いはどこまでも留まることを知らず、やがて魔法は見えない彼方まで飛び去っていった。

 恐るべき魔法の威力に肝を冷やした私だったが、すぐさま攻撃に転じる。

 アリスから見て『心の世界』では学び取っていた、雷の超上位魔法を放つ。


《デルバルティア》


 上昇した魔力は、雷撃の威力も当然遥かに向上させていた。

 絶縁体たる大気の電気抵抗によって、雷魔法は無数に枝分かれする。

 その末端の一つ一つでさえ、本物の雷の主流と比べて遜色がないほどだ。

 私単独で、あの合体魔法《デルレインス》を悠々超える威力の雷が生じている。

 彼に襲い掛からんと向かっていったそれは。

 しかしすべて、彼の目前で何もなかったかのように掻き消えてしまった。


【干渉】で打ち消したのか!


「雷魔法は、こうやって撃つんだよ」


《デルボルトグレス》


 再び直立不動のまま、彼は魔法を「唱えた」。

 無詠唱じゃない。完全に舐められている。

 ウィルの魔法はまるでレベルが違った。

 もはや現実の雷では例えようもないほど極太の雷が生じる。

 それはまるで生きている大蛇のように激しくうねりながら、次々と周囲の建物を破壊していった。

 こちらがまったく反応できないほどの凄まじい速度で動き回り、時折私のすぐ目の前を挑発するように横切るも、決して当たることはなかった。

 彼は愉しんでいるのだ。

 あえて私に力の差を見せ付けるように、魔法を使っている。

 本当に悔しかった。


 一方的な戦いは続く。いや、戦いと呼べるものかどうかも怪しかった。

 いかなる属性魔法を使っても、どんなに工夫を凝らしても。彼を何一つ傷付けることができない。

 返しの魔法は、すべて当てつけのように同属性の禁位魔法だった。

 それも、簡単に当ててしまえるはずなのに、わざわざ博覧会のように見せ付けるばかり。

 もがけばもがくほど、私は惨めなほどに力の差を思い知らされた。

 使う魔法も身体能力もすべて、彼の方が遥かに上なのだ。それこそ比べものにならないくらい。

 彼が少しでもその気になれば、そもそも魔法すら必要ない。

 私など、ほんの一睨みで消し飛んでしまうだろう。


《キルフェントライバル》


 ウィルがその魔法を唱えると、宙には無数の闇の刃が浮かぶ。

 一つ一つが人ほどの大きさもある氷柱状のそれらは、ざっと見ただけでも数百を超える数があった。


「どこまでかわせるかな」


 弄ぶ言葉と同時、次々と刃が襲い掛かる。

 私は持ち前の身体能力と《飛行魔法》を上手く使いながら、それらを必死に避けていく。

 ただ避けることしかできない。

 あんなもの、一発でもまともに当たればおしまいだ。

 極限の緊張が、神経をすり減らしていく。


「よそ見をしてはいけないな」

「なっ!」


 飛び上がった私の横に、彼が一瞬で回り込んでいた。

 彼が手をかざすと、凄まじい衝撃波のようなものが巻き起こる。

 私はガツンと殴られたような衝撃を受けて、瞬く間に後方へ吹っ飛んだ。


「きゃああっ!」


 目まぐるしい勢いで、高層ビルの外壁が迫る。


 このままでは死ぬ!


 咄嗟の判断で男に変身し、気力強化をかけて全力で守りに入る。

 二棟、三棟と、次々に身体がビルの壁に叩きつけられては、簡単に突き抜けていった。

 ぶつかったビルは、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

 やがて、もういくつ目になるビルの壁に激突したところで、やっと勢いが衰えてくる。

 俺は無様に地面へと投げ出された。


「げほっ! ごほっ!」


 うずくまった俺は、真っ赤な血反吐を吐き出した。

 どうやら内臓をやられたらしい。


「おいおい。こんなのでへばるなよ」


 はっとしたときには、もう俺のすぐ真正面にウィルの影が映っていた。

 胸倉を無理矢理掴み上げられる。

 宙に吊るし上げられた俺は、胸がきつく締め付けられて、さらに息が苦しくなる。

 だが俺は――。

 この状況を、逆にチャンスだと捉えた。

 形はどうであれ、「届いた」と。


《センクレイズ》!


 完全に油断している隙を突いて、気剣による全力の一撃を叩き込む。

 威力も普段のおそらく数十倍に上がっているそれは、間違いなく必殺の一撃の名にふさわしいものだった。

 しかしそれは、相手が普通の人間ならばの話。


 渾身の力を込めた剣は――ぴたりと彼の肌で止まっていた。


 わずかな傷一つさえ、付けることなく。


「弱い。舐めてるのかお前」


 驚愕する俺に、馬鹿にするような冷たい視線が突き刺さる。

 胸倉から手が離れた瞬間、顔面を殴り飛ばされた。

 視界が、滅茶苦茶に回る。

 地面を何度もバウンドして、転げ回る。

 いつまで続いたか。

 やっと落ち着いて、よろよろと立ち上がったときには。


 既に彼の反応は、上空へと移動していた。


 せめて威勢だけで見上げると、彼は俺を試すような口ぶりで言った。


「さあ、止められるか。避ければ、サークリスが無事では済まないぞ」


《メティアム》


 彼が右手を天に掲げると、掌の上にほんの指先ほどの小さな火の玉が現れた。

 だがそれが小さかったのは、一瞬だけのことだった。

 シュイイイイン、と高速回転音を上げながら、それは急速に大きくなっていく。

 間もなく、激しく燃え盛る絶大な球体となって、空の視界を覆い尽くした。

 まるで小さな太陽そのものだ。

 今まで見たどんな魔法も、比にならない。まさしく天災と言うべき代物だった。 

 俺は心底ぞっとした。

 あんなものが当たれば、エデルなど簡単に溶かし貫いて、下にあるサークリスに直撃してしまうだろう。

 町中が火の海に包まれる。

 月はまだ重力圏を脱していない。レンクスは作業にかかりっきりだ。

 この場で何とかできるのは、俺だけしかいなかった。

 意を決すると、女に変身して魔法を構える。

 

 今までやろうとしても、魔力が足りなくて使えなかった魔法。

《ラファルスレイド》は、確かに威力は上がったが、刃が一本に減ってしまっていた。

 今、私は、《ラファルス》と同じ六本の「巨大な」風の刃を作り出していた。

 だけどまだダメだ。これでは全然威力が足りない。


【反逆】。

 さらにリミットを外し、出力を上げろ。


 すると再び、みるみるうちに魔力が上昇し始めた。

 代わりに身体が耐え切れず、ミシミシと全身が軋む。

 ただでさえ度重なるダメージで弱っていた内臓は悲鳴を上げ、口からはさらに血反吐がこぼれた。


『これ以上は危ないよ!』

『でも、こうするしかないよ』

『……そうだよね。なんとか抑えるから、終わったらすぐに解除して』

『うん。頼む』


 ついにウィルが、手を振り下ろす。

 エデルに影ができるほどの大きさの超高熱球が、都市の最上部からじわじわと焦がしつつ、ゆっくりと落下を始めた。

 地にいても熱いと感じてしまうほどの、凄まじい熱だ。

 限界を超えた最大級の風魔法で、それを迎え撃つ。

 威力は到底及ばないが、ある一点のことのみに集中して狙いをつける。


《ラファルスレムリア》!


 私の両手から放たれたそれは、《メティアム》に真正面からぶつかっていった。

 六本の刃が互いに協力し合い、獄炎の超大型火球を、こじ開けるように斬り裂く。

 その様を見て、私は狙いが成功したことを確信した。


 よし。上手くいった。


 直接消し飛ばすことができないなら、せめて軌道を反らす。

 その役目をどうにか果たしたところで私の魔法は力尽き、魔素に戻って消えた。

 いくつかの破片に斬り裂かれた《メティアム》は、それぞれあさっての方向へ飛び散っていく。

 これでサークリスに被害が及ぶことはないだろう。

 自分で上乗せした分の【反逆】を解除すると、すぐに激しい反動が来た。

 身体中ががくがくして、立っているのも辛いほどだった。


「ほう。あれを防ぐか」


 いつの間にか地面に降りてきていたウィルが、感心したように言ってきた。

 私は無理にでも強がって、彼に言ってやった。


「言ったよね。お前にだけは、負けるわけにはいかないって」

「本当に生意気だな、お前は――少しお仕置きしてやるか」


 彼の眼光鋭い瞳が、私を突き刺した。

 ぞくりと寒気が走る。これだけはどうしても苦手だ。


「そうだ。僕が作ったあの魔法は、もう体験したか」

「何のこと?」


 そこで彼は、衝撃の一言を告げてきたのだった。



「時間操作魔法さ」



「なに!?」

「くっくっく。わざわざ僕の名前を付けておいてやっただろう。気付かなかったのか?」


 確かに、言われてみれば。

《クロルウィルム》という名前だと、ミリアが言ってた。


 ならこいつが、あの凶悪な魔法の産みの親だっていうのか!?


 すると彼は、さらにとんでもないことを言い出したのだ。


「まああれは、ゴミでも使えるよう大幅にグレードダウンした劣化版だがな。あんなものなど、ただの余興に過ぎない」

「なんだと!?」


 あの恐ろしい魔法が、余興に過ぎないだって……!?


「オリジナルは、僕の【干渉】によるものだ」


 そして彼は、自身の言葉を証明する。

 衝撃の能力を発動させる。

 私にとって、本当の地獄が始まった瞬間だった。



《|時空の支配者(スペースタイム・ルーラー)》



 ウィルは、絶望を私に告げる。


「今から約十分間。この世界の時空はすべて、僕の支配下に置かれる」


 な――。



 !



 身体が、動かない!


 毛先一本たりとも、ぴくりとも動かなかった。

 まさにクラムにあれを使われたときと、まったく同じ状況になっている。


 手始めの挨拶とばかり、ウィルは余裕たっぷりに言う。


「時間停止だ。どうやら【神の器】に目覚めたお前は、《アールカンバー》なしでもこの世界を認識できるようだな」


 くっ! 動け! 早く!


 必死に動こうと足掻く私に、彼は止めを刺した。


「ああ――もちろん、2.1秒などというつまらない時間制限はないぞ」


 ――目の前が、真っ暗になる。


 彼は動けぬ私に悠々歩み寄ると、お腹に手を据え当てた。


「一回」


 その言葉が聞こえた瞬間。

 私の腹部を、波動のような衝撃が突き抜けた。

 一瞬の激痛が走った後、むしろ次第に痛みは鈍っていく。


 見下ろすと――。


 お腹には、見たこともないほど大きな風穴が開いていた。

 明らかに致命傷だった。


 身体の力が、抜けていく。

 意識が、遠ざかっていく。


 私は、死――



 ――――――



 気が付くと、私は何もなかったかようにその場に立っていた。

 意識ははっきりしている。身体も自由に動く。


 ――どうして。

 私は、殺されたはずじゃなかったの?


「時間逆行」


 はっと前を見ると、相変わらず私の目の前にいたウィルが、さらりと答える。


「お前が死んだという事実を、なかったことにした」

「な……!? どうして、そんなことを……?」

「言っただろう」


 ウィルはその氷のように冷たい眼で私を見据えたまま、恐ろしく残忍な笑みを浮かべていた。


「圧倒的な実力の差を、思い知らせてやると」


 愕然とする私に、残酷な処刑宣告が下される。


「お前、今から――何回死ぬことになるだろうな」


 私は、心の底から震え上がった。

 今から始まるのは、戦いではない。


 一方的な殺戮だ。


 こいつが満足するまで、私はひたすら殺され続けて――。


 身体がわなわなと震える。

 全身から、嫌な汗が一気に噴き出すのを感じた。

 喉がカラカラした。

 ついさっき、身をもって死の恐ろしさを体験した私は。

 これまでどうにか押さえ込んでいた彼に対する恐怖を、もう抑え切れなくなっていた。


 嫌だ。嫌だ――!


 男に変身し、無我夢中で彼に斬りかかる。

 立ち止まっていては、彼に呑まれてしまいそうだった。

 とにかく動くことで、恐怖を振り払いたかった。


 彼は微動だにしない。

 そのまま気剣が、彼に当たるかと思われた矢先――。


 ――気付けば、俺は元の場所に戻っていた。


 すると、どういうことだろう。

 なぜか俺は、自分の意志によらず、勝手に前へと足を踏み出していた。

 そして、何もない場所に剣を振り下ろす。


 なにを、やっているんだ? 俺は!?


 激しく混乱する俺の真横から、嫌味な声がかかる。


「タイムループ。同じ状況はそのまま再現される。たとえわかっていても、お前にはどうしようもない」


 隙だらけで虚空に剣を振るう俺の頭に、彼の手が迫る。

 突然目の前が光ったかと思うと、俺の意識は途切れた。



 ――――――



 再び生き返った俺の前には、やはりウィルがいた。


「二回」


 彼は無表情で、淡々と死亡回数を告げる。


「っ……りゃああっ!」


 俺はただ、剣を振るうしかなかった。

 たとえそれが無駄だとわかっていても。



 !



「時間消去。消し飛ばした時間の中で、僕だけが自由に動ける」


 彼がそう告げる声だけが、手遅れになってから聞こえた。


 え――――?


 気が付いたとき、俺は――。


 真っ赤な血を、噴水のように撒き散らす――。


 自分の首から下を、見上げていた。


 生首が地面に転がる。


 ウィルの靴底が、顔に迫って――。



 ――――――



 はあ……っ! はあ……っ!


「三回」


 ウィルは、また無機質に死亡回数を告げる。

 俺はもう怖くて仕方がなかった。この死神よりも恐ろしい男が。

 足が震えて、動けない。

 まだ心そのものが折れたわけではなかった。

 身体に恐怖を染み込まされていた。中々動こうとさえしてくれないのだ。

 生まれたての小鹿のように心許ない足を殴って、無理にでも落ち着かせようとする。


 だが俺は、やはりその場から動けなかった。

 今度は、違う理由だった。


 おかしい。

 まるでそこに壁があるみたいだ。

 空気がぴたりと張り付いて、動けない!


「空間切断。切り取った部分は、異次元へ消し飛ばすことができる」


 次の瞬間、俺は真っ暗闇の空間へと放り出された。


 身体が、スパゲティのように引き伸ばされて、捩じ切れていく。

 手足がぶちぶちと引き千切れ、脳がぐちゃぐちゃに掻き回されて――。


 うわああああああああああああああああああああああああ!



 ――――――



 ウィルは、死亡回数を告げた。


「四回」


 う、くっ!


 俺は震えが止まらない身体に鞭打って、女に変身する。


 あの魔法なら――!


 すると今度は、周りの空間がいきなり縮み始めた。

 私を中心に視界が球形に歪み、ぎゅうぎゅうに押し潰されていく。

 影響の外側に立つ彼が、嘲るような説明口調で言った。


「空間圧縮。中にあるものは、たった一点まで圧縮される」


 潰れる空間に合わせて、腕が、足が、メキメキと音を立てて歪んでいく。

 想像を絶するような激しい痛みが、ありとあらゆる箇所を襲ってきた。


 いたいいたいいたいいたい! やめて! 助けて!


「ああああああああああああーーーーーーー!」


 最後に聞こえたのは。


 私の顔面が、ぐちゃぐちゃに潰れる音だった。



 ――――――



「五回」

「ひっ……」


 私は思わず、後ずさってしまっていた。


 いやだ。もういやだ。怖い。怖いよ……!


 そんな情けない私を見つめながら、彼は眉一つ動かすことなく、挑発的に問う。


「どうした。これまでの威勢は。もう終わりか」

「う……わああああああああああっ!」


 無理に恐怖を押して、全力を込めたその魔法を放つ。


《アールリバイン》!


 だが――。

 対時空操作に絶対的な信頼を寄せていた、この光の矢すらも――。

 彼の目の前では、ぴたりと止まってしまった。


「下らん。こんなものが『本物』に通用するとでも思ったのか」


 気付けば。

 今、私が撃ったものとほとんど同じ光の矢が――周りを無数に取り囲んでいた。

 恐ろしい予感に、気がおかしくなりそうになる私に向けて。

 彼は愉しげに死刑を宣告した。


「おかえしだ」



 ――――――



 私は、ただひたすら殺され続けた。

 殺されるたびに時間を巻き戻されて。何度も何度も殺された。

 何もできないまま。

 ありとあらゆる死を。ありとあらゆる痛みを。

 この身に刻まれ続けた。



 ――――――



「あ、あ……」


 幾度とも知れない死を繰り返したユウは。

 既に言葉を失い、目の焦点も定まっていなかった。


「そろそろ死に過ぎて、壊れてきたか」


 力なく、女の子座りをしたまま項垂れるユウ。

 そのうなじまで伸びた黒髪を掴むと、ウィルはぐいと顔を引き寄せた。


「いいか。所詮お前は、僕のおもちゃに過ぎない。身の程知らずの反抗心を抱くことが、どれほど愚かなことか。よくわかっただろう?」

「う、う、ぐ……」


 ユウは、涙を流していた。

 だがそれは、決してあのときのように彼に屈したからではなかった。

 今ユウは、はっきりと彼を睨みつけていた。

 頭などまるで回らなくても。恐怖に呑まれそうになりながらも。

 ユウは一筋の、決して折れない強い意志を残していた。

 泣くほど悔しかったのだ。何もできない自分が。

 結局は、彼にいいようにされてしまっているだけの自分が。


 あくまで反抗的なユウに、彼の内心は面白くなかった。


 そうだったな。

 こいつは、奥底に秘めた負けず嫌いだけは髄一なのだ。

 完全に心を折ることは、いくら痛めつけて殺したとて不可能だろう。

 その忌々しい事実を再確認すると。


「つまらん。本当に殺してしまうか」


 彼はユウを浮き上がらせ、最も凄惨な形で止めを刺そうとした。




「そこまでだ。月はとっくに戻したぜ」




 ウィルがその声につい反応し、振り返った一瞬の隙を突いて。

 レンクスは【反逆】を用いて、【干渉】による浮上効果を解消した。

 落下するユウを抱きかかえ、急いで彼から距離を取る。

 レンクスは、腕の中にいるユウに優しく声をかけた。


「遅れて本当にすまなかった。よく頑張ったな。あとは任せとけ」


 頼れる助っ人の登場に安心したユウは、まだ声を出せる精神状態ではないながらも、小さく頷いた。

 そして助っ人は、彼だけではなかった。

 そこには、ジルフの【気の奥義】とレンクスの【反逆】の重ねがけによって、大幅に強化されたみんながいた。


 アリスが小さな胸を張って、彼に指を突きつけた。


「今度はあたしたちが相手よ!」


 ミリアはいつものじと目よりも、ずっと鋭くウィルを睨み付ける。


「あなたが私の大事なユウをいじめるウィルですか。許しません」


 ジルフに腕をくっつけてもらい、すっかり全快となったアーガスは、不敵な笑みを浮かべた。


「お前がすべての元凶だってな。ぶっ倒す」


 ジルフはかつて破れた仇敵に、並々ならぬ思いで気剣の刃先を向ける。


「この世界は色々と大切な思い出があるのでな。これ以上好きにはさせんぞ」


 その横でイネアもまた気剣を構え、静かな怒りを見せた。


「あのときのリベンジを果たしに来たぞ。よくも私の可愛い弟子に手を出してくれたな……!」


 ディリートは控えめに気剣を構え、しかしその目は鷹のように力強く敵を見据えていた。


「微力ながら、私も助太刀させていただこう」


 彼の恐ろしさを目の当たりにして、最初は震えて動けなかったカルラとケティも、今は闘志に満ちた目をしていた。


「わたしたちだって、もう黙って見てないわよ!」

「きっちりツケは払ってもらうわ!」


「これはこれは。全員お揃いで」


 言葉面の余裕は見せながら、ウィルはその光景に苛立ちを感じていた。

 彼にとって、こういう下らない結束は、最も嫌忌するものの一つだからだ。


「お前たち。全員でかかれば何とかなるとか、そんな甘い考えでも持っているんじゃないだろうな」


 この世界に生きとし生ける者たちを代表して。

 アリスは一歩進み出ると、これまで抱えていた思いの丈を彼にぶつけた。


「あたしたちだってね。みんな必死に生きてるのよ! それをあんたの勝手で踏み潰そうなんて、絶対させないんだから! 世界を舐めんな! 人間を舐めんなっての!」

「ふん……。雑魚がどれだけ集まったところで、何の価値もない」


 そのときウィルは。

 初めて明確に、彼らに対して人並みの感情を見せた。


「粋がるなよ。僕はそういうのが、大嫌いなんだ!」



 ***



 戦っているみんなの心が、流れ込んでくる。想いが伝わってくる。

『心の世界』が、みんなの心で満たされていく。みんなとの思い出で満たされていく。

『心の世界』は今、満天の星空のような輝きに満ちていた。

 かつてないほど凄まじい力に、満ち溢れていた。


 ――そうか。そうだったのか。


 俺(私)の能力の本質は、まさしく心なんだ。

 思い出がそのまま、ここでの力に変わる。みんなの心が力に変わる。

 より情報が繋がれば。より心が繋がれば。それだけ大きな力になる。

 だからこそ、俺(私)はどちらの性でもあることを選択した。

 男として。女として。

 より誰とでも繋がることができるように。より誰をも受け入れることができるように。

 俺(私)は、二つの身体を持った。

 あらゆるものを受け入れる――【神の器】となるために。

 それがこの能力にとって最善であることを、俺(私)は知っていた。


 みんなが苦戦している。このままではやられてしまう。

 俺(私)が本当にフェバルだというのなら。

 この世の条理を覆す力があるというのなら。

 たった一度だけでいい。

 あいつを止めるだけの力を。運命を覆す力を。

 みんなの心が、力になる。すべての力を解き放ってくれる。


 俺(私)のすべては今――一つになる。



 ***



「なんだ。その姿は……?」


 たった一人で、全員を相手に優勢に戦っていたウィルは。

 ここに来て、初めて心の底から驚いていた。

 ユウの能力に、まさか自分も知らないことがあるとは思わなかったからだ。

 あれは自分の知っている、本来のユウが持つ能力の深奥ではない。

 しかし別の形ではあるが、それに匹敵するほどのものを、ウィルは確かに感じ取っていた。


 突如ふらりと立ち上がったユウには、明らかな異変が起こっていた。


 ユウの全身は、淡く白い光に包まれていた。

 それは、『心の世界』における精神体が放つ光と、まったく同質のものだった。

 背のほどはちょうど男と女の中間であり、顔つきは男のようにも女のようにも見える。

 元々可愛らしい顔をしている分だけ、女寄りだろうか。

 胸の膨らみは、女の身体のそれよりも幾分小ぶりであり、滑らかな髪の長さも女のそれよりは少し短い。

 女のように滑らかな肌を持つ華奢な身体の中に、男らしい力強さが感じられて。

 完全とも言うべき、調和の取れた肉体バランスを備えていた。


 なるほど。素晴らしい力だ。


 ウィルはだが、喜びと落胆の入り混じった奇妙な感情を抱いていた。

 だが。違う。これ・・ではない。

 やはりただ、強いだけだ。

 そこに理性の光はなく。【器】を用いる人の意志が感じられない。

 ただ想いの集合体によってのみ動く、ほとんど自動的な存在。


「…………」


 ユウは物言わぬまま、力強い目でウィルを見据えると。

《ファルスピード》《クロルエンス》《身体能力強化》を「同時に」かけた。

 そして左手から、眩いばかりの黄色い光を放つ――特殊な気剣を放出する。


《光の気剣》。


 絶大な魔力と気力を兼ね備えた、凄まじい力を誇る属性付与気剣だった。


 次の瞬間、ユウは消えた。


 ただ三人。

 レンクスとジルフ、そして剣を向けられたウィルだけが、その姿を辛うじて捉えていた。

 それは、今この瞬間だけは、ユウが三人のレベルに到達していることを意味していた。


「なに!?」


 ウィルは驚愕した。その動きにではない。


「お前、一体何をした……!?」


【干渉】が一切効かなかった。

《|時空の支配者(スペースタイム・ルーラー)》を再び発動させたのにも関わらず、まったく効果がないのだ。

 こんなことは、彼にとっても初めてだった。


「ちいっ!」


 奇しくも、彼が創り出したのもまた《光の気剣》であった。

 このとき。彼はこの世界で初めて、自分から本気で動いた。

 それほどまでに、彼は焦っていた。

 なぜなら。

 今彼の目前に迫る剣を、まともに食らったならば――。

 彼ですらも、おそらく断ち斬られてしまうからだ。


 二つの剣が、激しくぶつかり合う。


 大気が揺らぐほどの衝撃とともに、火花を散らす両者の剣は。


 互角――かと思われた。


 ウィルは、驚きで目を見開いていた。


 ユウの想いが届いたのか。

 紙一枚の差で、彼の防御が間に合わなかったのか――。


 ウィルの頬には、一筋の傷が付いていた。


 そこから、彼の血が流れる。

 この世界における――初めての負傷だった。


 ユウはそれを見て、ふっと微笑むと。

 意識を失って、その場に崩れ落ちた。

 身体を包んでいた光も消え失せて、変化前の女の姿に戻る。


 ウィルは呆然としたまま、空を見上げた。


「この僕が、負けた……」


 ほんの少しの傷に過ぎなかった。

 だがそれは、彼にとっては立派な敗北を意味していた。

 彼には、ユウと交わした約束を反故にする気はなかった。


「くくく……」


 彼は俯き、肩を震わせる。


「はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!」


 彼は笑った。狂ったように笑い続けた。

 こんなに笑ったのは、いつ以来のことだろうか。

 ともかく。想定していた形とは違うが、こいつは一応示したのだ。

 自らの可能性と、力を。

 その「ふざけた能力」のままで!


「ユウ。僕に勝った褒美だ。この世界は、お前にくれてやる」


 彼は満足していた。もう世界などどうでもよかった。

 気分を良くした彼は、もう一つプレゼントを贈る。


「それから、お前にはしばらく自由を与えよう。精々異世界旅行を楽しむといい――次は、こうはいかないからな」


 それから、油断なく警戒していたレンクスに向かって、彼は言った。


「レンクス」

「なんだ」

「エデルの後処理は任せたぞ」

「そんなことか。言われなくてもやるっての。さっさと消えろ」

「……ふん。一つだけ言っておく。あまりユウを甘やかすなよ」

「どういうことだ」


 ウィルは、その場では答えなかった。

 最後に。

 傷だらけの全員に向き直り、彼は演者らしく手を振って別れを告げた。


「では。ごきげんよう」


 彼は一切の躊躇いなく、自らの頭と心臓をその手で消し飛ばした。

 物言わぬ屍となった彼は、薄れるようにして消え去っていく。

 彼にとっては死ぬことなど、もはや息をするに等しかった。


 こうしてすべての決着はついた。

 多くの犠牲を払ったが、世界とサークリスは守られたのである。

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