65「破壊者再臨す」

「ウィル……!」


 いずれまた対峙することになるだろうと、覚悟はしていたけど。

 いざ彼を目の前にしてみると、身体ががくがくと震えて仕方がなかった。

 女のときに刻み付けられた恐怖が、脳裏に蘇る。

 そればかりではない。

 初めて出会ったあのときと違って、今では彼の気を感じ取ることができた。

 彼から放たれる気の強大さと不気味さが、わかるようになってしまった。

 格が違う。あまりにも。

 中途半端に手に入れた力が、かえって彼の恐ろしさをより鮮明に浮かび上がらせてしまっていた。

 その場に貼り付けられたように、動くことができない。


「彼が、ウィルなの……?」


 横から尋ねてきたカルラ先輩に、俺は絶望的な予感を覚えながら、こくりと頷いた。

 先輩たちも、彼のやばさを何となく感じ取っているのか、身体がわずかに震えている。

 俺たちが戦慄している背後で、無様な格好で倒れているトールが、喜びの声を上げるのが聞こえた。


「おお! 神の化身よ! この私に、救いの手を――」

「黙れ」


 ぴしゃりと制したのは、他でもないウィルだった。

 彼は、一目でわかるほどに不機嫌な顔をしていた。


「僕は今、非常に不愉快だ。なぜだかわかるか?」


 次の瞬間、俺の前方にいたはずの彼が――消えた。

 はっと振り返ると、彼は既に俺のいる場所を通り過ぎ。

 後ろで倒れているトールのすぐ横に立っていた。

 時間を止めたわけじゃない。辛うじて動いたという事実を感じることはできた。

 でも、動きは何も見えなかった。

 信じられないが、本当に一瞬だけで移動したのだ。何の能力も使わずに。

 ウィルはどうやってか、手も触れずにトールの身体を浮き上がらせた。

 空中に吊り上げた状態でそのまま止め、晒し者のような格好にする。

 地に足が付かないまま、金縛りにあったように身動きが取れないトールに、彼はドスの効いた声で言った。


「お前だ。お前がもっとしっかりやっていれば、僕がわざわざ出張ってくることもなかった。よくも下らないものを見せてくれたな。おい」


 身の毛もよだつ氷の眼が、トールのみに向けられる。

 さしものマスター・メギルも、ただただ震え上がるしかないようだった。

 その顔には、これまで見たこともないような、あからさまな恐怖の色が浮かんでいる。


「いいか。別に負けてもいいんだよ。だがなあ。もう少し面白いものを見せろよ」


 彼が睨みを強めると、トールは急に息苦しそうにし始めた。

 実際、息ができていないようだった。

 しばらく「おしおき」は続く。俺たちはそれを、ただ黙って見ていることしかできなかった。

 やがて彼が少しだけ威圧を緩めると、トールは激しく咳き込んだ。


「ごほっ、ごほっ……!」

「不甲斐ない様ばかり晒しやがって。お前はまさにクソの役にも立たない屑だ」


 さすがにこの言葉に対しては、プライドが許さなかったのだろうか。

 トールはわなわなと身を震わせて、憤慨した。


「なっ……! この私を――」


 トールが言い終わる前に、ウィルは再び威圧を強めて彼の言葉を遮る。

 そして真顔で、恐ろしいことを告げたのだった。


「圧死。窒息死。身体をバラバラに引き裂かれて死亡。好きな死に方を五秒以内に選べ」

「は?」


 あまりの唐突さに一瞬呑み込めなかったのか、トールは呆気に取られていた。

 ウィルは顔色一つ変えないまま、無慈悲なカウントを始める。


「5、4、3、2……」


 ようやく言葉の意味するところを理解したトールの顔が、みるみるうちに青ざめていく。


「待て! 待ってくれ!」

「時間だ」

「ひ、ひいっ!」


 トールは必死に逃げようと、懸命に手足をばたばたしたが、ただ空しく宙を仰ぐばかりだった。

 彼の左手の指が、小指から順番に一本ずつ引き千切れていく。


「いぎぃいいい!」


 今度は、足のつま先から肩までにかけて、血肉がぶちりぶちりと毟られていく。

 徹底的にいたぶるように、少しずつそれは行われていった。

 目を覆いたくなるような、あまりにむごい処刑だった。


「あぎゃああああ!」


 声にならない悲鳴を上げ、のた打ち回ることすらも許されず、ひたすら宙でもがき苦しむトール。

 憎むべき敵とはいえ、さすがにもう見ていられなかった。

 俺は恐怖に震える身を押して、やっとのことで声を張り上げた。


「やめろ! ウィル!」


 ウィルはちらとこちらへ振り向くと、ほんのわずかだけ、だが確かに笑った。

 次の瞬間、トールの眼球が弾け飛ぶ。

 それが最期の合図だった。

 身体の内側から弾けるようにして、彼のすべては一瞬にして飛び散った。

 びちゃびちゃと、彼だったものの肉片が地面に撒き散らされる。

 あまりの凄惨さとおぞましさに、吐き気を催すほどの光景だった。

 もはや物言わぬ肉の細切れとなり果てた彼に、何の感情も見受けられない冷たい眼差しを向けて。

 そしてウィルはこちらへと向き直った。


「さて」


 その場に凍り付いたように固まったまま、言葉を失い震える俺たち三人を視界に捉えて。

 彼は事もなげに自己紹介を始めた。


「そこの二人ははじめまして。こいつから名前だけは聞いていると思うが、僕がウィルだ。そして――」


 また、彼が消えた。

 ほんの一瞬で、俺のすぐ背後に回り込んでいた。

 同時に、身体に電流が流れるような感覚が走る。

 気付いたときには、私は女に「されていた」。

 女になって背が縮んだ私よりも、少し背の高くなった彼は。

 後ろから肩に腕を回して、強引に引き寄せてきた。

 振り払いたいほど嫌だったが、身体は石像になったかのように動いてくれない。

 本能がわかっているのだ。下手に逆らわない方が身のためだと。


「こいつは、僕のおもちゃのユウだ」


 それでも、この言葉には我慢ならなかった。

 振り向いて、彼をぎろりと睨み付ける。

 お前にいいようにされて、すべてを差し出そうなんて。もう二度と思うものか。

 精一杯の抵抗だった。

 そんな私の内心を見透かすかのように、彼は挑発的な態度でさらに顔を寄せてくる。


「相変わらずの良い目だな。そんな目をしてる奴は――叩き潰したくなる」


 彼の瞳に宿る闇が、さらに濃く鋭くなったような錯覚を覚えた。

 ほんの一睨みされるだけで、あらゆる生きとし生ける者が、己の尊厳の一切を投げ出してしまうだろう。

 そう思わせるほどの恐ろしい眼光が、私を容赦なく突き刺してくる。

 ますますいっそうの恐怖が込み上げて、ささやかな抵抗心すら折れてしまいそうになる。

 震える私を見て満足したらしい彼は、一旦私から視線を外し、先輩たちに向けた。


「まあいい。それでだ。そこの二人には、少し黙っていてもらおうか。僕はこいつと話があるんでね。もちろん一言でも喋れば、殺す」


 普段ならば、生意気な相手ほどずかずかと物を申すタイプなのに。

 カルラ先輩もケティ先輩も、この場限りにおいては、ヘビに睨まれたカエルのようになっていた。

 だがそれが最善だった。

 先輩たちの反応にとりあえず合格点を与えたらしい彼は、彼女たちには何もしなかった。

 後ろから耳元で囁くように話しかけてくる。まるで世間話でもするかのような口ぶりで。


「どうだユウ。もう異世界には慣れたか」

「……まあまあね」


 辛うじて搾り出した声は、情けないほど弱々しく震えていた。


「そうか。何しろお前にとっては、記念すべき最初の異世界だ。剣と魔法の世界なんてお誂え向きだろうと思って、わざわざ選んで飛ばしてやったんだぞ。感謝しろよ」


 天地がひっくり返るような衝撃だった。


「お前が、私をここにやったって言うの?」


 彼は何でもないことのように頷く。


「お前の行き先に【干渉】することなど、わけはないさ。おかしいと思わなかったのか? 世界はまさに星の数ほどある。そうそう都合良く僕が関わった世界に行けるわけがないだろう?」


 はっとした。言われてみればそうだ。

 そんな当たり前のことに、どうして気付けなかったんだ。

 じゃあ最初からずっと、私はこいつの掌の上だったっていうのか!?

 驚愕する私をよそに、彼は幾分楽しそうに次の「予定」を立て始めた。


「次はどこに飛ばしてやろうか。まあ今回はサービスだったからな。もっと厳しいところにするか。ここからなら――暗闇の星『ポリウス』。凍結世界『キューベルサ』。この辺りが直で送れて、面白そうだ。何なら手間はかかるが、戦乱の世界『アウスランダー』でもいいぞ」


 まるで私の都合など考えない、一方的な提示だった。

 こいつのことだ。どの世界を選んだところで、きっとろくなことがない。


「全部嫌だと言ったら?」

「お前に選択肢があると思うのか」


 有無を言わさぬ圧倒的な威圧に、私はそれ以上の反論を喉の奥に詰まらされてしまった。

 そんな私を一瞥すると、彼はやっと私の肩から手を離してくれた。


「まあその話は、今は置いておくとしよう――」


 前に回り込んで、話題を変える。


「ところで、僕が用意したものは楽しんでくれたか」


 こいつが用意したもの?

 意外な質問だった。

 心当たりがなかった私は、きょとんと尋ね返す。


「何のこと……?」


 すると彼は、まるで外見相応の少年であるかのような、裏のない得意顔で答えた。


「バリアにオーブに、魔導兵にスカイチューブ。他にも色々だ。まるでゲームの仕掛けみたいだっただろう?」

「あれを全部、お前が?」

「そうだ。この国は元々、僕が創り上げたようなものさ」


 またも衝撃の事実だった。

 だが言われてみれば納得がいく。

 そもそも、これだけ文明が異常発達した国がたった一つだけある状態は、明らかに不自然なのだ。

 本来ならあり得ないことだと、ずっと思っていた。

 でも、異世界から技術を持ち込んで創り上げたというのなら、簡単に説明が付く。

 そうか。急に発展したものだったから、至る所が妙にちぐはぐだったのか。


「ゲームを盛り上げるために、わざわざ僕が用意した特製の舞台だ」

「ゲームだと!?」

「そうだ。世界を賭けたゲーム。お前が勝つか、汚い人間の欲望が勝つかのな」


 その言葉を聞いたとき、私の中で怒りが爆発した。

 相手があのウィルであることなど、もう関係なかった。


「ふざけるな! お前の下らないゲームに、一体どれだけの人たちが巻き込まれてると思ってるんだ!」


 許せない。暇潰しのために世界を弄びやがって!


 意外にも、彼は否定はしなかった。


「そうだな。確かに下らないお遊びだ」

「だったら、どうしてわざわざこんなことを!」


 彼はなぜか、その問いに一瞬だけ眉をしかめた。

 だが結局答えてはくれなかった。

 代わりに、やや憮然とした顔で言葉を続ける。


「だがお前の言い分は、なお僕には理解できないな」

「なんだと!」


 そしてこいつは、とんでもないことを言い出したのだ。


「なぜ、その辺の塵など気にするんだ?」

「な……!」


 塵だと。みんなのことを塵だと!

 あまりの言いように言葉を失った私の肩を、彼は痛いほど強く掴んできた。

 再び顔が迫り、凍てつくような瞳が覗き込んでくる。

 感情の見えないこの瞳が、私は何より恐ろしくて仕方がなかった。

 高ぶっていた心は一瞬で冷え切り、のっぴきならない恐怖が押し寄せてくる。

 彼は私に、諭すような口ぶりで言ってきた。


「いいか。僕らはフェバルだ。僕らは、世界を覆すだけの力を持っている。その辺の存在など、すべて塵に等しい。レベルが違うんだよ。指先一つで消し飛ぶようなものを、一々気にする必要がどこにある?」


 こいつの言葉には、一切の感情の動きも誇張も感じられなかった。

 ただ事実としてそう思っている。それも心の底から、本気で。

 彼は私から視線を外すと、至極残念そうに呟く。


「ああ。せっかく少しは面白いものが見られると思っていたのに。あの屑では、到底役者不足だったな」


 次の瞬間、彼は私の目の前から忽然と消えた。


「このまま終わってしまうのはつまらない。そうは思わないか?」


 声のした方を見上げると――。

 彼は再び、青い月を背にして浮かんでいた。

 まさか――。


「本来、僕の主義ではないのだが――」


 彼は、私が最も恐れていた言葉を告げた。




「この僕自身が、世界を滅ぼすとしよう」




「やめろ……やめてくれ……」


 ウィルは懇願する私を見下ろし、悪魔のような笑みを浮かべて宣言した。


「月を落とす」


 彼の背後で、闇夜に浮かぶ月が急速にその大きさを増し始めた。

 見るも恐ろしい速さで地表に迫ってくる。


 星全体が、震えていた。


「やめろおおおおおおおおおーーーーー!」


 無我夢中で、全力の魔法を放つ。


《ラファルスレイド》!


 特大の風刃が、彼に向かって一直線に飛んでいく。

 だがそれは、彼に当たる直前で――跡形もなく消し飛んでしまった。


「今、何かしたのか?」


 彼が一瞥した途端、身体中を燃えるような熱さが襲う。

 息が苦しくなり、胸が一気に張り裂けそうになる。


「うああっ!」


 私は立つこともままならなくなり、その場に倒れ込んだ。

 この感覚は――。

 また、私を【干渉】で弄って――。


「ああっ!」


 こんなときに、私は喘いでるのか――!

 身体に力が、入らない――!


「そこで眺めていろ。世界の終焉をな」


 月が大気圏に突入する。

 それはこの世の終わりを告げる業火の球と化して、空のすべてを覆い尽くそうとしていた。


 世界が、終わる。


 みんなが――。


 ちくしょう――ちくしょうっ!


 絶望に伏せ、目を覆ったそのとき。

 

 奇跡が起こった。


 今にも世界を押し潰そうと迫っていた月が――その場に押し留まっていた。


 月の落下が、止まった……?


 見上げると。

 あのウィルが、こんな顔をするのかと思うほど嫌な顔をしていた。


「ちっ。お前は――」

「やれやれ。ギリギリで間に合ったか」


 それは、聞き覚えのある懐かしい声だった。


 間もなく。

 私の横に屈んで、顔を覗き込んできたのは。

 金髪で、旅人みたいな変わった格好をしていて。

 あのときと、ちっとも変わらない姿で――。


「よう。大きくなったな。ユウ」

「レン、クス……?」


 彼は相変わらずの、調子の良い笑顔で鼻をさすった。


「おう。俺だ」

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