間話6「オズバイン邸血に染まる」
炎龍襲来事件とほぼ同時刻。サークリスの名家オズバイン邸。
長男アーガス・オズバインは、三年生の行事であるキラソン山脈魔法演習を休み、自宅待機していた。
単純にサボったわけではない。仮面の集団に極めて怪しい動きありとの情報が入ったため、有事の際動けるようにと考えてのことである。
あいにく、首都ダンダーマでまさに今行われている合同軍事演習に参加するため、主だった者はすべて出払っている。
そのため、家は静かそのものであった。
自分の部屋で何となしにくつろいでいたアーガスは、コンコンとドアのノックされる音に気付いた。
「入れ」
ドアが開くと、メイド服を着た妙齢風の女性が入ってきた。
「おぼっちゃま。お父様がお呼びでございます」
アーガスは恥ずかしそうに顔をしかめる。
「ニルハ。おぼっちゃま扱いはよせ。もうガキじゃないんだ」
「わたくしにとっては、おぼっちゃまはいつまでもおぼっちゃまでございますよ」
そう言って穏やかな笑みを浮かべたのは、ニルハという当家一のメイドであった。
彼女はイネアと同じ長命種のネスラであり、先々代からずっとこの家に仕え続けてきた古株である。
「ふん。人より長生きだとそうなるか」
「ええ」
やれやれと肩を竦めた彼は、言葉面ほどまんざらでもない様子だ。
彼女に案内され、アーガスは書斎へと向かう。
広い屋敷を歩くことしばらく、二人は書斎の前に着いた。
まずニルハがドアをノックし、お伺いを立てる。
「おぼっちゃまを連れて参りました」
「どうぞ。ニルハも構わんよ」
許可を受け、まずアーガスから入室し、一歩下がってニルハが続く。
ニルハは、部屋の隅にて静かに佇むこととした。仕える身として当然の節度を、彼女は大切にする。
立派な執務椅子に腰掛ける人物に向かって、アーガスは気安く挨拶を述べた。
「よう。親父殿」
「来たな」
ぼちぼち老境に差し掛かろうかという男は、顎の白髭に指を添えて、にやりと笑う。
いい加減落ち着いても良い歳だろうに。その表情はどこかまるで、いたずら好きの少年のようだ。
いつもながら、そんなことを息子は思った。
彼こそアーガスの実父であり、現オズバイン家当主のグレアス・オズバインである。
魔法の腕こそ息子に遥かに劣るものの、卓越した政治手腕によって、現在のサークリスの『剣と魔法の町』としての地位を確固たるものにした傑物。
身分実績申し分なく、サークリスの顔を張る人物である。
この子にしてこの親ありというか。好奇心優先なところが大いにあるのが玉に瑕だが。
アーガスは、時に舐めた口を聞きながらも、この偉大なバカ親父をひっそりと尊敬していた。
「最近学校はどうだ。お前は女子にモテるだけで、対等に話せる友が少ないからな」
「うるせえな。友達というか、まあ対等に話せるのは一応見つかったぜ。変な奴だけどな」
アーガスはユウのことを思い浮かべて、苦笑いする。
だがそこに嬉しさを隠せていないのを、父は見逃さなかった。
「この辺り妙に楽しそうなのは、やはりそういうわけだったか」
「だからうるせえって」
「好きな子でもできたか? んー?」
「いやちげえし。そんなんじゃねえよ」
「そうかそうか。ニルハから話は聞いているぞ」
「なんだよ」
「うちのベッドは好きに使っていいからな」
グレアスのにやり爆弾発言に、アーガスは顔を真っ赤にする。
「だからちげえって! あれは訓練し過ぎで、あいつがぶっ倒れたからで。おい、しつこいぞ!」
「くっく。家宝の魔法書まで持ち出しおって。よほど楽しい研究パートナーらしいな」
「……ちっ。なんだよわかってんじゃねえか。これだから親父殿はよ」
「青春はいいものだな」
「うるせえ」
談笑を交えつつ、いくつも他愛もない話から始めて本題へ助走を付ける。
これがオズバイン家式コミュニケーションである。
ニルハは黙しているが、この二人の下らないやりとりはいつも楽しみなのだった。
さて。雑談で肩を解した後、いよいよグレアスは本題に移った。
彼の顔つきが真剣なものに変わる。
「仮面の集団のことだが。ついに正体を掴んだぞ」
「本当か!」
アーガスは身を乗り出して、初めて父の言うことに熱心に耳を傾ける。
すべての真相を聞き終わった彼は、腕を固く組んだまま、顔には静かな怒りを滲ませていた。
「ちっ。やっぱりな。怪しいとは思ってたんだよ」
グレアスは肩を落とし、大きな溜息を吐く。
先ほどと打って変わり、紛れもないリーダーの顔をしている。
「魔法産業を売りにしてきたサークリスの信用を地に落としかねない大事件だ。頭が痛いな」
「だがこのまま見なかったことにして、闇に葬るわけじゃないだろ?」
アーガスが父を尊敬するのは、彼が清濁併せ持つ理想的な政治家でありながらも、時に利益よりも真の良心を優先できる人間性を兼ね備えているからでもあった。
「もちろんだ。あと一週間もすれば、首都から我が家の主力が戻って来る。そこで一気に叩き潰してしまうとしよう」
「やれやれ。仮面の集団もあと一週間でおしまいというわけか」
「そうなるな。いや、あの事件以来お前の執心ぶりに心打たれたものでな。力を入れて調べさせてもらったよ」
「ありがとよ。親父」
そのときだった。
親衛隊の兵士の一人が、ノックもせずに死ぬ物狂いで書斎に飛び込んできたのだ。
グレアスとアーガスは、たちまち青ざめた。
なぜならその彼が、今にも倒れそうなほど息も絶え絶えで、全身を血塗れにしていたからだ。
兵士は、最期の気力を振り絞るように叫んだ。
「申し上げます! 敵襲です!」
「なんだと!?」
「なにっ!?」
部屋中が驚愕に包まれる。
ニルハだけは、動揺を顔に出さないように努めていた。
いざとなれば、お二人を何としても逃がすのだと己に言い聞かせて。
「あまりに手際が良く、敵は既にすぐ近くまで迫っております! どうか早くお逃げあへ」
突然、兵士の口から剣が飛び出した。
彼の頬から上は千切れ飛び、おびただしい量の鮮血をまき散らす。
そして頬から下は、糸が切れたようにその場に崩れた。
どくどくと流れる血が、石畳の床を真紅に染め上げていく。
無残にも殺された彼のすぐ後ろから、ぬらりと人影が現れた。
頬に大きな傷を持つ銀髪の大男。
親子が話していた、まさに件の人物で間違いなかった。
突如目の前で起こった惨劇に対し、アーガスは胸中に激しい怒りを燃え上がらせる。
だが一方で、こんなときこそ冷静であるべきだと考えている。
彼は皮肉たっぷりな口調で、男に告げた。
「おいおい。話をしてたら早速お出ましかよ。偽りの英雄さんよ」
そう。
彼の目の前にいるのは、サークリス剣士隊の雄。
クラム・セレンバーグ、その人であった。
クラムは静かに剣を構えると、態度だけは相変わらず英雄然として言った。
「貴様たちは知ってはならないことを知ってしまった。そろそろ年貢の納め時ということだ」
「ほう。このオレがアーガス・オズバインと知っての台詞なら、大した自信だな」
口では軽く挑発しておきながらも、アーガスは決して油断なく身構える。
英雄にはそう呼ばれるだけの何かがあることを、彼は知っていたからだ。
「思い知らせてやろうか?」
「思い知らせるのは、こちらの方だ」
だがそのような心構えも、クラムの前ではまったくの無意味であることを――。
彼は思い知ることになる。
!?
「おい……。今、何かしたか?」
アーガスは、ほんの一瞬だけ意識が途切れたような、そんな不可解な感覚を覚えた。
何が起こったのか判然としないまま、敵から注意を反らさず、周囲の様子を窺う。
すると、彼のすぐ横で――。
父グレアスが、心臓を貫かれて息絶えていた。
即死だった。
「なっ……!」
あまりに唐突な悲劇に、彼は何が起こったのか、一瞬理解が追いつかなかった。
間もなく事実を呑み込んだ――ただわからぬ間にすべてが手遅れになったことを、呑むしかなかった彼は。
我を失うほどの激情に身を駆られ、叫んだ。
「てめえ! よくも親父をっ! 許さねえ!」
クラムは余裕綽々で、不敵な面構えを崩さなかった。
いつの間にか、剣にはさらに血がべっとりと付いている。
「自分の身の心配をした方がいいのではないか? どの道、あとわずかの命ではあるがな」
アーガスは既に冷静さを失っていた。
普段の彼ならば、彼我の実力差はとっくに見えている。その上で最適な行動を選択する頭もあるはずだが。
しかし今の彼には、父を殺されたことへの復讐しか頭になかった。
ゆえに、敵の攻撃の正体すらわからぬまま、自ら死にに行くような無謀な戦いへと、取り返しの付かない一歩を踏み出そうとしていたのである。
そこへ、ニルハが身を呈して飛び込んだ。
必死の形相で、とにかく彼を押し止めようとする。
「お逃げ下さい! おぼっちゃま!」
「離せ! ニルハ! オレはこいつが許せねえ!」
「ですが、あなた様まで――」
!?
「か、は……」
アーガスが気付いたときには、ニルハの胸にも深々と剣が突き刺さっていた。
「ニル、ハ……」
生温い血が、彼の頬をぴちゃりと、容赦なく叩く。
これが無謀への代償とでも言うかのように。
「逃げ……ましょう……」
致命傷を受け、それでも彼女は、アーガスだけは懸命に助けようとしていた。
決死の想いから、最期の執念でネスラの特性を発動させる。
転移魔法。
二人の姿が、一瞬にして消える。
彼らを取り逃がしたことを知り、クラムは忌々しそうに毒吐いた。
「あの女、ネスラだったのか……。まあいい。ネズミ一匹逃がしたところで、運命は変わらんさ」
***
彼らが辛うじて逃れたのは、屋敷からかなり離れた、郊外の静かな場所だった。
追手がかからないよう、精一杯の心配りをして。
「おぼっちゃま……。どうか、生きて下さい……。あなたが、家を……」
それだけ言うと、ニルハは力なく事切れた。
あまりにも突然の別れ。
アーガスは茫然として、何も言葉が出て来なかった。
物言わぬ彼女の亡骸を、ただその目に焼き付ける。
彼女と過ごした数々の思い出が、彼の脳裏に次々と浮かんでは消えていった。
赤子のときからずっと、彼女には散々世話を焼かれてきた。
事あるごとにおぼっちゃまおぼっちゃまと、何度鬱陶しいと思ったことかわからない。
だがもう、彼女に対してうんざりすることはないのだ。
頑固な奴だと、呆れて笑うこともないのだ。
もう二度と。
それから彼は、遥か遠くで我が家が燃えているのを目に焼き付けた。
「ちくしょう……」
情けなさが先に出た。
為すすべもなかった。
何が天才だ。何が開校以来最高の魔法使いだ。
オレは、何も守れなかった……!
「ちくしょうっ!」
悲しみが胸を支配する。
だが、それを超えるものは。
「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーー!」
怒りだった。
ゆらゆらと炎上する家を眺めながら。
彼は自身の心にも、黒い炎が灯っていくのを感じていた。
クラム・セレンバーグ。
奴だけは必ず、この手で。
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