間話5「仮面の女、動く」
オーリル大森林魔法演習初日の深夜。ユウが眠れずに夜空の青い月を眺めている頃。
仮面の女は、野営地からやや離れた位置で、五人の部下に指示を飛ばしていた。
「1番から4番。各自例のものを、ライノス計二十頭に取り付けに向かいなさい」
指示された四人は頷くと、手に丸い機械装置を持って散開していく。
しばらくすると、遠くでライノスの暴れる声が聞こえた。部下たちが仕事をこなしているのだ。
仮面の女が彼らに持たせたのは、洗脳魔法装置であった。
ライノスのような比較的単純な知能を持った生物であれば、意のままに操ってしまう恐るべき代物である。
やがて一頭、二頭と、彼女の元へ従順になったライノスが歩いてくる。
どうやら滞りなく作業が進んでいることを確かめた彼女は、残る一人に声をかけた。
「5番はわたしと一緒に来なさい」
「はい」
彼女らが向かった先は、森の奥深く。
そこだけ切り立った崖があり、その上部には巨大な穴が開けていた。そして側面には、ぽっかりと洞窟が口を開けている。
仮面の女と5番は、互いに頷き合うとそこへ足を踏み入れていった。
空洞の幅は相当に広く、人が歩くのに困ることはなかった。
陰湿さに混じって、どこか張り詰めた身を刺すような空気が漂っている。辺りでは、石の氷柱から水がぽたぽたと滴って、所々に濁った水たまりを作っていた。
光魔法で辺りを照らしながら奥まで進んでいくと、突然一気に開けた場所に出た。
そこに佇んでいたのは、三十メートルはあろうかという巨体を誇る森林最強の生物。
ボルドラクロン。炎の龍であった。
「いたわね。本命が」
侵入者に気付いた龍は、無遠慮に縄張りを侵されたことに怒った。
彼女らを睨み付けて、強烈な火のブレスを吐く。
炎は瞬く間に広がり、逃げ遅れた5番と呼ばれていた男を簡単に焼き殺してしまった。
男は焦げた肉も骨も残さぬほど、完全に燃え尽きる。彼がこの世に存在していた証は、もはや彼がいた場所から立ち上る蒸気のみだった。
それを一瞥した炎龍は、残る一人、岩肌に身を隠していた仮面の女に鋭い眼を向ける。
彼女は咄嗟に退き、辛うじて難を逃れていたのだ。
仮面の女は魔法の腕には自信を持っていたが、それでもまともに戦えば決して敵わない相手であることを悟った。
何しろ相手は人ではなく、あの強大な龍なのだから。
本来であれば、絶体絶命の窮地である。
だがあえてそのような相手に挑みに行った彼女が、無策であるはずがない。
彼女にはとっておきの武器があった。
「おっと。あなたはわたしのペットになるのよ! 我に従え。《スコルテペラ》」
ロスト・マジックの服従魔法が炸裂する。
これは使用者と被使用者の一対一でしか効果がない魔法だった。その分装置よりも使い勝手は悪いのだが、より高度な知能を持った生物にも効くという強力な利点を持っている。
龍は必死に抵抗していたが、やがてまともな理性を失ったかのように瞳から光が失せていった。
ついに仮面の女へ頭を垂れる。
それに満足した彼女は、通信機のようなものを取り出した。
実際、それは通信機であった。
これもかつて失われたエデルの遺産の一つであり、仮面の集団でも幹部にしか持つことを許されない貴重品である。
かける相手はあのマスター・メギルだ。
『マスター。ライノス二十頭と炎龍の確保完了いたしました。予定通り明日の深夜に決行いたします』
『うむ。御苦労』
『オズバイン邸の方は誰が向かうのですか』
『セレンバーグ氏を始めとした精鋭だ。心配はあるまい』
『なるほど。計画の完成も目前に迫り、彼もついに表の顔を捨てて動く時期になりましたか』
『ああ。後は足を断つ必要があるな。エデルさえ復活してしまえばどうということはないが、その前に万が一首都の連中に来られては厄介だ』
『そちらは既に手を回してあります。サークリス-オルクロック間の鉄道を爆破いたします。サークリスは一週間前後、孤立無援の状態に陥ることでしょう』
『そうか。それだけ時間があれば十分だよ。君は実に優秀だな』
『はっ。光栄です。しかしわたしどもよりも、計画の完成を前に邪魔な芽をしっかり潰しておこうというマスターの深慮、心服いたしました』
『それはどうも。どうせなら何者にも邪魔をされず、すっきりした身で空へ行こうではないか』
『もうすぐわたしの夢も叶うのですね』
『もちろんだとも。心配は要らないよ』
『では、まだ仕事が残っておりますので』
『うむ。サークリスでまた会おう』
通信を切った彼女は、装置を懐へしまう。
それから、目を瞑ってこれまでの足跡を振り返った。
マスターに命じられて、本当に色々なことをやった。決して許されない悪事にも手を染めた。
そして、今からやることもそう。
彼の非道なやり方に、最初は疑問に思わなかったわけではない。良心の叱責がなかったわけではない。むしろ相当にあった。
それでも。彼女にとっては既に引き返せない道であった。
今やめてしまえば、これまで殺めてきた人間の命も無駄になってしまう。
何より、そこまでして叶えたかった願いも、叶わなくなってしまう。
いつしか彼女は、自分の行っていることが正しいのだと思い込むようになった。そう思わなければやっていられなかった。マスターの忠実なる僕としての役割を演じるようになった。
仮面を被っているときだけは、本性をその下に隠すことができる。
目を開けた彼女は、静かに口を開いた。
「今まで散々我々の邪魔をしてくれたわね。ユウ、アリス、ミリア」
彼女は一つ一つの名前を噛み締めるように呟き、ぎりぎりと拳を握り締める。
仮面の奥の表情は、哀しげな決意で満ちていた。
「わたしの行く手を阻む者は、たとえどんな者であっても消す。あなたたちの命も、この森の木々と一緒に燃え尽きてしまうがいいわ」
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