11「ユウ、魔闘技に向けて準備する」

 入学してから、半年の月日が流れた。星屑祭まであと一か月。

 私はこの日、例の秘密の場所で、祭の前最後となる共同訓練をアーガスと行っていた。


「ま、このくらいにするか」

「うん」


 そして今、ちょうど訓練が終わったところだ。

 私とアーガスは、ほぼ同時に構えを解いた。


「はぁ~」


 私は勢い良く地面に倒れ込んだ。

 仰向けになって鼻から大きく息を吸い込むと、湿った土と木々の匂いが、疲れ切った身体にすうっと沁み込んでくる。最後までやり切ったのだという心地良い達成感を与えてくれる。

 そんな私を見下ろしながら、アーガスはなぜか微妙に顔をしかめていた。彼は頭の後ろをぽりぽりと掻きながら、呆れたように言ってくる。


「お前さあ……。ちょっと警戒心なさ過ぎるんじゃねえの?」

「そうかな?」

「そうだろ。なんだよ、その誘ってるような体勢は」


 誘ってる? 別にそんなつもりはないんだけど。

 下着が見えてしまいそうなミニスカート。全身はじっとりと汗ばみ、顔は紅潮して、服もはだけ気味で色気を漂わせている。

 それが目の前で無防備に仰向けになって、上目遣いで男を見上げている。

 おそらく私は、そんな感じだったのだろう。

 相当に目の毒なことをしていたということを、夜に男になって振り返ったときに気付いたのだが、このときの私はまったく考えが及ばなかった。


「別に誘ってないよ」

「いやなあ……。それに、少し目動かしたら絶対パンツ見えるぞ」

「見るなよ。見たら殺すから」


 私にだって多少の乙女心はある。ほいほいと男に下着を見せてやる気はないね。

 と、素直に思ってしまったことが、ちょっと不思議だった。

 男のときなら、別に女の下着くらい見せてやっても平気だと思うはずだ。なのにただ変身しただけで、こうも心変わりしてしまうのはどうしてだろう。

 わからないけど。とにかく見せないったら見せない。

 両手でしっかりとスカートの端を抑え、じっと睨んでやると、彼は苦笑いして肩を竦めた。


「こえーな、おい。ったく。気をつけろよ。いつか襲われても知らねえからな」


 襲われる。

 アーガスの何気ない言葉が脳内に響いたとき、突然ずきりと頭が痛んだ。

 瞬間、ウィルに激しく乱暴されたときのことが、フラッシュバックしてきたのだった。


『どうだ。身体に力が入らないだろう?』

『僕がお前の変身能力に干渉している間、お前の身体は自由が利かない』

『お前は、泣こうが喚こうが、決してこの僕に逆らうことはできない』

『ユウ。僕はお前が壊れていく様が見たい。擦り切れていく様が見たい。さあ、お前は何を見せてくれるんだ?』


 彼の言葉が。彼のおぞましい手の感触が。

 私を捕えて離さない、あの何よりも冷たい眼が。


 全身に凍えるような寒気が走る。身体がぶるぶると震えて、止まらない。

 思わず、左腕で視界を覆った。


 ――あいつは、またいつかきっと現れる。


 私は、あいつに抵抗すらできなかった。

 この変身能力が、あいつの【干渉】に対しては致命的な弱点になってしまう。

 あのとき私は恐怖のあまり、あいつにすべてを差し出そうとすら思ってしまった。

 今にして思えば、絶対にしたくない選択を取るしかなかった。

 でも、このままなら。何の力もなく、あいつに抵抗できないままなら。

 きっとまたそうするしか……。

 嫌だ。怖い。

 私はあいつのおもちゃなんかじゃない。あんな恐ろしい奴のいいようにされるなんて――。

 いったいどうすれば。どんな力を手に入れれば、あいつから


 逃 れ ら れ る ?


 ……いやいや。何考えてるんだよ。

 私が強くなりたいのは、異世界でちゃんと生きていくためじゃないか。

 そんな消極的な、情けなくて悲しい理由じゃない……。

 でも……。

 遭難して死にかけた、そう――そんな都合の良い言い訳を見つけて、ただ目を背けているだけじゃないのか?

 アリスだって、ミリアだって、イネア先生だって、アーガスだって。

 星を渡る能力のない者は。フェバルでない者は、誰もあいつから私を助けてなんかくれない。

 どこまでもずっと、一人だけであいつの恐怖と戦わなくてはいけないって、心のどこかでそう思ってるから。だから、私はずっと必死になって、一人だけで何でもできるようにって――。

 そこまで考えてしまって、ひどく自己嫌悪に陥った。

 ダメだ。ダメだ! なんてことを考えてるんだ!

 みんな、みんななりに私のことを想ってくれてるし、心の支えにだってなってくれてるじゃないか。

 みんなこの世界で初めてできた、大切な人たちであることには変わりないじゃないか!

 たとえ直接はあいつと関わりがないからって、いずれは別れてしまうからって、そうやって心のどこかで切り捨ててしまっていいはずがないだろう!? いてもいなくても変わらないなんて、そんなひどいこと、片隅でも思っていいわけがないだろう!?

 なのに、どうして……。

 私は誰にも何も言えずにいるのだろう。どうして心から、誰も頼りにできていないのだろう。

 ああ。そうか。

 怖いんだ。何もかも話して、正体をさらけ出して、みんなから嫌われてしまうかもしれないのが。本当に一人ぼっちになってしまうのが。

 そして、自分の心にまで嘘を吐けなくなってしまうのが。

 怖いんだ。

 心の奥底に押し込んでいた感情をはっきりと自覚してしまったとき、私はもうこれ以上考えるのが苦痛で仕方なかった。

 逃げるように思考を反らしてしまう。


 ああ! もう。考えるな。あんな奴のことなんて考えるからいけないんだ。

 もう半年も経ったっていうのに。情けないな。


「どうした?」


 声に反応して腕をどけると、心配そうにこちらを覗き込むアーガスの顔が映った。


「なんでもない……。アーガスは、そんなことしないよな」

「しねえよ。ただ言っとくが、オレも男だからな。あんまり調子に乗って誘ってるとわからないぞ」


 茶化すようなその言葉には、私を安心させようという含みが込められているように思えた。

 それを受けて、私もいくらか落ち着きを取り戻す。


「そういうこと言ってるうちは問題ないね」

「やれやれ。ま、大丈夫だ。お前、タイプじゃないしな」


 む。正直、好みだとか好きだとか言われてもどうしたらいいか困るけど。こんな中途半端な身体だし。 

 でも、タイプじゃないと言われるのもちょっと悲しいかな。


「あっそう」

「オレはもうちょっと女らしい子の方が好きだぜ」

「これが自然体なんだからしょうがないよ」

「まあ、猫被ってるよりはいいけどな」


 ぼちぼち汗も落ち着いたので立ち上がり、服についた土埃を叩いた。

 放っておいても魔法で自動洗浄されるイネア先生お手製の服ではあるが、しばらく土がついたままというのは嫌なので。


「そう言えば、結局一度もまともな重力魔法使ってくれなかったね」


 結局アーガスは訓練の間、一度も本気で相手をしてくれなかった。私に教えてくれたたった一つを除いて、重力魔法も一切使ってはくれなかった。


「当たり前だろ。あれは軽々しく使うような代物じゃねえよ。このオレに使わせたかったら、もう少しマシになるこった」

「わかった。頑張るよ」


 魔闘技のときには使わせてやりたいなーなんて思った。


「おう。ただまあ、最低限の基本はすべて見せたつもりだ。あとは手前で準備して本番に臨め」

「うん。実力じゃまだ敵わないけど、アーガスに負けるつもりはないよ」

「その意気だ。っても、まずはオレと当たるまで勝てないといけないんだけどな」


 それに関しては、まったく自信がないわけでもない。この半年の訓練の甲斐あって、それなりに魔法ができるようになった自負がある。

 良い線はいけるんじゃないだろうか。ここは強気でいこう。


「きっと大丈夫さ。アーガスこそ、うっかり負けるなよ」

「へっ。このオレがそんなヘマするわけないだろが」


 爽やかに笑った彼に、肩をバンバンと叩かれた。


 いよいよ別れ際になって、私は彼に今までお世話になった感謝を述べることにした。


「訓練、色々とありがとう。アーガス」

「おう」


 彼は少し照れたように頭を掻いた。まんざらでもなさそうな様子だ。

 ちょっと言葉に迷うような仕草を見せた後、彼は言った。


「こんなこと言うのは柄じゃないけどよ。まあ楽しかったぜ。魔闘技が終わったら、また付き合ってやっても良いぞ」


 暇だから付き合えって最初に言ったのはそっちのような気がするけど。まあこれも彼なりの照れ隠しなんだろうな。


「うん。楽しみにしてる」



 ***



 それから一か月間、私たちはお互い会うこともなく、魔闘技に向けた準備を進めていった。

 星屑祭は、毎年三日間に渡って催されるサークリスの一大イベントだ。

 魔闘技は町の中心に位置するコロシアムで開かれ、タッグ戦が一日目、個人戦が二日目と三日目にある。

 タッグ戦は個人戦に比べると規模が小さく、個人戦の前菜的な意味合いが強い。

 個人戦は予選が二日目、決勝トーナメントが三日目に行われる。

 予選はサバイバル方式であり、八つのブロックからそれぞれ一人ずつ勝者が出る。その八人で決勝を争うというわけだ。

 で、なんでタッグ戦の話までしたのかというと。

 どうも私が個人戦に出るって言ったら、アリスが妙にやる気出しちゃったみたいで。ミリアと一緒にタッグ戦に出るらしいんだ。

 さらに聞くところによると、カルラ先輩とケティ先輩も、タッグを組んで出場するとのことだ。

 四人とも相当な実力者であることは、私がよく知っている。これは前菜どころか、下手するとメインディッシュを食ってしまうくらいの盛り上がりになるかもしれないなと思った。

 ちなみに魔闘技が行われるのは昼だけなので、夜は時間が空く。その時間にアリスやミリアと一緒に祭りを楽しむ予定を立てた。

 それで、アーガスもいないし、アリスとミリアとは三人で一か月間毎日魔法の猛特訓をすることになった。

 その特訓の場所なんだけど……。


「たーのもー! こんにちはー! イネアさん」


 アリスが、いつものように元気はつらつと中へ入っていく。

 道場なんだよね……これが。

 あの日、この場所がバレてしまってから、二人とも頻繁に来るようになってしまったのだ。

 イネア先生ともいつの間にかすっかり仲良くなってさ。


(ほう。特訓にウチを使うとはな)

(断り切れなくて)

(場所も余ってるし別に良いが、二人とここで一緒に居る時間が増えることで困るのはお前だぞ)

(そうですよね……)


 あれからも、俺と女の「私」は別人ということにしてもらっていた。

 イネア先生の転移魔法の力を借りつつ、時々変身しては誤魔化し誤魔化しやってきたのだ。


「あれ、ユウは?」

「いつも、どちらかいない、ですよね」


 段々その誤魔化しも怪しくなってきてはいたけど。

 ただまあ、まさか男と女が同一人物だとは思わないだろうから、致命的にはなっていないかなというところで。

 苦笑いしていると、イネア先生が耳打ちしてきた。


(いっそのこと、この二人にくらいバラしてしまったらどうだ)

(それはちょっと。だって二人とも俺のことは純粋な女だって思ってるから。一緒にお風呂入ったりとか、色々してるし)

(そんなもの、一発殴られればそれで済む話じゃないか)

(それで済むならいいんですけどね……)

(やはり不安か)

(はい)

(あまり心配ないと思うがな)


 一か月毎日となると、さすがにずっと黙ったままというわけにもいかない。

 俺は男の状態でも、アリスやミリアと話をせざるを得なかった。

 よく知っているのに知らない相手と話しているようにしないといけなくて、妙な気分だった。

 アリスには散々名前を尋ねられた。最初は頑なに答えなかったけど、いつまでもそうしていると、俺のことを追及する目が厳しくなってきた。

 あまりにしつこいので、堪え切れずにとうとう言ってしまった。


「あなた、そろそろ名前教えてくれてもいいんじゃないの?」

「ユウだ。ユウ・ホシミ。偶然だけど、あの子とまったく同じ名前だよ」


 色々悩んだが、俺は結局自分の名前に嘘を吐くことができなかった。

 我ながら不器用だと思う。怪しさは増すばかりなのに、嘘の名前が言えなかった。

 嫌だったんだ。

 この名前は俺が両親からもらった大切なもので、地球との数少ない繋がりだから。それを曲げてしまうのは、自分を蔑ろにしているような気がして。

 俺は地球にはもう帰れない。だからこそ、あの故郷での色んなことを忘れたくないし、繋がりを大切にしたいと思う。

 まだジーンズとかは残っているけど、いずれはそれもなくなって、最後に残るものはきっと名前だけだ。

 それでもこうして名乗っているうちは、まだ繋がりを感じられる。そんな気がするから。


「ユウ・ホシミ……」


 アリスが、俺の名前を唖然とした顔で呟く。

 終わったか。

 覚悟を決めたそのとき、彼女はポンと手を打つと、嬉しそうに大声を上げた。


「ああー、そっか! 同じ名前だから恥ずかしくて言わなかったのね、あいつ!」

「へ?」

「そうよ。あの子、変なところで恥ずかしがるものねー。やっとわかったわ! 言わないでって頼まれてたんでしょ? 女の子の方のユウに」


 どうやら、女の「私」が散々恥ずかしがっていたように見えたのが功を奏したらしい。

 咄嗟に話を合わせる。


「あ、うん。そうなんだ。アリスにからかわれるから言わないでくれーって」

「そっかそっか」


 納得したように頷いたアリスは、私のときにしてくれたのと同じように、俺に対しても右手の指を二本差し出した。


「やっと名前を言ってくれたね。改めまして。あたしはアリス・ラックインよ。よろしく」

「よろしく」


 アリスと握指をした。心なしか、女のときよりも彼女の指が小さく感じた。

 ふと横にいたミリアの方を見やると、彼女は何やら考え込んでいる様子だった。

 やがて、彼女はこちらを見ながら呟いた。


「かなり、引っかかりますね」

「な、何が?」


 内心の動揺を殺し切れないまま、恐る恐る尋ねる。

 彼女はそんな俺の動揺を見透かしているかのように、小悪魔な微笑みを浮かべて、さらりと追及をかわした。


「いえ。まだ確証が、持てませんので。ですが……」


 ミリアの眉間に皺が寄る。何か心当たりがあるようだ。

 ああ。怖い。

 この様子だと、彼女は既に正解に近いところにいるのかもしれない。彼女の人物観察眼は、相当なものがあるから。


 そんなこんなで、かなりひやひやしながらも、なんとか正体はばれずに(と思いたい)、三人で魔法の特訓をする日々が続いた。瞬く間に一月は過ぎ去っていき――。

 ついに、星屑祭が始まった。

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