307「ユウ VS ランド」
ハルと最後の時間を過ごした後、俺はランドの位置を探るため、リクに触れさせてもらった。
ランドと俺はもう繋がりが切れているが、同じ魂を分けたリクとランドは常に繋がっている、だから調べれば多少のことはわかる。
なるほど。反応の位置的には……ロトー村の方か。
あの村は、どれほど被害を受けているのだろうか。悲惨なことになっているのは想像に難くないけど……。
リクは、どこか確信があるように言った。
「もうすぐあっちから来るような気がします。待っていれば」
彼の言葉通り、間もなく意を決したランドが、シルヴィアを連れて戻ってきた。
彼は険しい顔で俺たちを見回す。シルヴィアはずっと辛そうな顔をしている。
そして俺に向き直り、口を開いた。
「よう。ユウさん」
「ランド……」
「なんだ、ユイさんも来てんのか」
「ユイお姉さん、無事だったのね」
「うん。色々あったけど、何とかね」
「ユイさんがこっちにいるってことは、そこまで崩壊が進んでるってことなんだよな……」
ランドも現状は重々理解しているのだ。深刻な顔で少し考えを巡らせた後、彼は続ける。
「あのときはひでえ面だったけど、今は良い面してるじゃねえか。やっぱ、それでこそあんただよな」
「悪かったな。覚悟を決めるのに、随分時間がかかってしまって」
ここまでの足跡を、それぞれの想いを今一度噛み締めながら、俺はしっかりと彼を見据えていた。
「構わねえさ。むしろ、簡単に覚悟できたなんて言われちまったら、もういっぺんぶん殴ってたところだ」
「「…………」」
重苦しい沈黙が場を包む。
どちらも何をしなければいけないのか、もうわかっている。
先に口火を切ったのは、ランドの方だった。
「……ほんとはよ、こんなことやってる場合じゃねーのかもしれねえ。けどよ。……もう、わかってんだろ? けじめは、付けなきゃなんねーんだ。誰かが、背負わなきゃなんねえ」
「……そうだな。君なら、そう言うだろうと思っていた」
「あんたは、やるつもりなんだろう?」
一言一言が、重く心にのしかかる。
俺は正面から受け止めて、肯定する。
「ああ。俺は……やるよ」
「なら、俺が止める」
彼は、ラナソールに生きる者すべての権利、怒りと悲しみを背負う覚悟をもって、静かにその言葉を告げた。
「勝負しろ。ユウさん」
「……わかった。受けて立とう。ランド」
お互い、対決は避けられないと悟っていた。来るべきときが来てしまった。
ハルもリクも、重圧感に息を吞んでいる。シルヴィアは、もはや後戻りのできないパートナーを悲しげに見つめていた。
ユイは心配して、こちらへ目配せする。
『私が力を貸すのは、なしだよね』
『そうだね。今回ばかりは』
意地と想いにかけて。
ラナソールのすべてを一人で背負おうとしているランドに対して、俺も誠実に応えなければならない。
「約束する。俺は誰の力も借りないと。正々堂々、一対一だ」
「ああ。そうでなくっちゃな」
……実力面で考えれば、世界崩壊が限りなく進んでいる以上、俺はトレヴァークにおいても、一人でラナソールにいるときと近い実力が出せる。
一方、俺との修行を経て、さらに世界の果ての冒険やナイトメアとの戦いでめきめきと実力を上げたランドも、今や単独でレオンに迫る力を得ている。
二年半前は、正直まったく相手にならないくらいの差があった。ランドにとって俺は遠い存在であり、憧れの相手だっただろう。
だが俺は、許容性という縛りによって、通常時の実力はもう何年も足踏みを続けている。対してランドはラナソールという世界の恩恵を一身に受けながら、そのひたむきな努力と冒険心によって飛躍的に実力を伸ばした。
目算で言えば、もはやそこまで大きな実力差はないだろう。
だが今回ばかりは、実力面の問題ではない。
今のランドは、この上ない強敵だ。死闘になる。その確信があった。
「で、どこでやるんだ」
「広くて邪魔にならない場所がいい」
この状況では、トレヴァークでやってもラナソールでやっても、大して違いはないだろう。
候補地としては、トラフ大平原の真ん中辺りか、ラナソールのうち無事な広い大地を見つけて、その辺りか。
問題は、どこでやってもナイトメアや魔獣の余計な茶々が入ってくることだが……。
そこは、エーナさんがドンと胸を張って協力を申し出てくれた。
「露払いと観客の安全の確保くらいは私がするわ。どうせ私の実力じゃ、エルゼムと戦いに行っても足手まといになるだけですもの。このくらいはね」
「ありがとうございます。エーナさん」
ぺこりと頭を下げて、ユイがお礼を述べる。
その間、ランドはリクへ近づき、当人同士にしか聞こえないような言葉を二、三ほど交わしていた。リクはつらそうな顔で頷き、ランドは彼の肩を叩く。
シルヴィアはそんな二人を、いたたまれない表情で見守っていた。そして俺に近づいてきて、小さな声でぽつりと言った。
「本当に……やるのね……」
それは、相方の覚悟をよくわかっていても、それでも心のどこかで止めて欲しいと願ってしまう女の迷いだった。
理屈じゃないのだ。愛するがゆえのことだ。気持ちはよくわかる。
俺だってできることなら、誰も争わずに済む、理想的な解決方法があることを願ってやまない。今もずっと、そう思ってる。
でも、ないんだよな……。
なら、あいつは絶対に止まらない。そういう男なのだ。
「ああ。ランドは、絶対にやるって言ったらやるからさ……。俺も、止めるわけにはいかない。ごめんな」
「そっか……」
仕方ないとも、諦めとも、恨みとも取れるような、そんな複雑で悲しげな視線を向けて、彼女はもう何も言わなかった。震える拳をぎゅっと握って、整理の付かない感情を押し殺して、見守るつもりのようだった。
***
結局、決闘の場所はトラフ大平原に決まった。
ヴィッターヴァイツ戦でも凄まじい規模の戦いで大地を吹き飛ばしてしまったせいで、ラナソールには手近で無事な広い大地がすぐには思い当たらなかったからだ。
ノーマークの新たな土地を探そうとすれば、何度かアルトサイドを経由する必要があるが、言うまでもなく今のアルトサイドの危険度は絶大である。無駄なリスクは取ることはないだろう。
エーナさんにより、敵の掃討が行われ、さらに強力な光の結界が張られた。
そして現時刻は真夜中に差し掛かるところで真っ暗なため、光源魔法まで放ってくれていた。それなりに離れていても相手を視認できる程度には明るくなる。
助かった。これで障害はない。
俺とランドは、互いに声が聞こえる限界のところで向かい合った。
戦いが始まれば、もうゆっくり話すこともない。これが最後かもしれない。
突き刺すような空気の中、ランドは世間話でもするかのように、懐かしそうに語る。
「懐かしいよな。俺が最初にユウさんに剣を教えてもらったのも、そういやこんなとこだったか」
あのときは冒険気分で隙だらけだったランドも、今や口を叩きながら、どこにも隙のない立ち振る舞いをしている。
他ならぬ俺が教えたことを、忠実に実践しているからだ。
「君に教えたことが、まさかこんな形で返ってくるとは思わなかったよ」
こんな哀しい師弟対決になるなんて、な。
「俺もさ――ほんと、わりいな」
一言だけ、心底申し訳なさそうに詫びて。
キッと目が鋭くなる。
ランドは右手に、炎の魔法気剣を創り出した。彼が最も得意とする型を、全力で。しかし技にかまける余り、隙を見せるような失態はもうない。
――本当に、強くなったな。心身ともに一流の戦士になった。
俺も――剣で応えよう。
俺一人の力では、魔法を使うことはできない。魔力も聖剣の力も借りない、純粋な気剣を使うのは久しぶりだが。
左手に気力を集中させ、気剣を創り出す。
「――――」
自分でも思わず目を見張った。
まるで、俺の覚悟のほどを反映するかのように――誰とも繋がっていないにも関わらず、気剣は常に煌々と青白い光を放っていた。さも
この剣と、そこに込められた想いの力――その意味するところを知るランドは、もはや俺にも「リクにも」遠慮する必要がないことを悟った。
世界に挑む男の、哀しくも大胆不敵な笑みが目に映る。
それはほんのわずかのことで、口元を引き締めた彼は、こちらを鋭く睨んで宣言する。
「先に言っとくぞ。俺はあんたを超える。あんたを殺す。だからよ、ユウさん。あんたが俺を止めたいなら――そいつで俺を殺してみせろ!」
彼は剣を構え、猛然と駆け出した。
どれほど強くなっても、この男の本質は前から変わらない。
先手必勝とばかり、バカ正直に一直線に向かってくるランドを、師匠の俺が受け止める。
そんな、いつもの稽古と同じ構図から戦いは始まった。
余計な駆け引きなど、一切要らないと。
互いに足を止め、真っ向から剣を打ち合い続ける。
どちらかの斬撃が綺麗に入れば、その瞬間にケリが着く。
死線に最も近い戦いだ。
――魔力が乗っている分、パワーはやや向こうが上か。
次々と繰り出される素早い剣を、俺は技と経験を駆使して柔らかく受け止め、跳ね返し続ける。
互いに決定打を与えぬまま。音を遥か置き去りにして、意地と意地がぶつかり合う。
打ち合うたび、剣の軌道は、より鋭く。熱く。卂く。
一合一合、まるで会話をしているかのようだった。
だからだろう。戦いに余計な雑念は要らないはずなのに。
俺も、そして間違いなくランドも、修業や冒険の日々――楽しかった、もう戻れないあの日々を、剣の中に思い起こしていた。
――これで最後なのだ。
どちらかが斃れるまで、もう戦いは終わらない。
そして、こんな激しい打ち合いをしていれば、もう長くはない。
いつの間にか二人とも、ぼろぼろ泣きながら剣を振るっていた。
どちらも涙を隠すこともせず。そんな余裕などあるはずもなく。
なおいっそう、剣は鋭く、激しく。
剥き出しになった、互いの譲れない想いを攻撃の形にして。
幾度もの激突の末、ついに剣が同時に大きく弾かれたとき。
ここぞと仕掛けるタイミングも同じだった。
渾身の力を、想いを込めて。
どちらも同じ。ジルフ流気剣術を修める者へ、代々受け継がれるその技は――。
センクレイズッ!
紅炎と青白の閃光が、夜の闇を裂いて迸る――。
間もなく、双方の光が夜に吸い込まれて消えゆくとき、誰の目にも決着は明らかだった。
ランドの剣は、俺の皮膚を焼き、貫いて、内臓の浅いところにまで達していた。
けれどほんのわずか、浅かった。致命傷には至らない。
俺は辛うじて両の足で立ち、倒れたランドを見下ろしている。
――すべては時の運だった。本気で、どちらが立っていてもおかしくない勝負だった。
地にまみれるランドは、静かに悔し涙を流している。
「やっぱ。ユウさんは、つええなあ……」
この期に及んで、敗者にかける言葉が見つからなくて。俺は立ち尽くしていた。
「でもなあ……あんた、やっぱ甘えよ」
ランドは、俺に恨み節を向ける。
互いに殺すつもりで放っていたはずの攻撃。
俺が最後のほんの一瞬だけ、力を緩めたことも伝わっていた。
だからこうして、ランドは即死することなく、最期のひとときに話せるくらいの、わずかな命を残しているのだ。
「人一人殺せねえ奴が……世界を斬るだって? 笑わせんじゃねえ……!」
「…………」
「殺してみせろって……! そう、言ったじゃねえかよ……! こんな中途半端なことで、どうすんだよ……っ!」
命を賭して全力で戦ったからこそ。この結果には、どうしても納得がいかないのは重々承知していた。
覚悟を問うために戦ったのに、ふざけるなと思っているだろう。
それでも。俺は。
「なあ、答えろ……!」
「……君が最後に一言、愛する人にお別れも言えないなんて。それは、寂しいなって思ってしまったんだ」
「…………っ!」
「ランド……ッ!」
シルヴィアは、もう溢れる感情を堪えられなくて、全力駆け出していた。
彼女がランドに抱き着く頃、みんなも少し遅れて、ぞろぞろとこちらへ集まってくる。
「もういいの……ランド、もういいのよ! あなたは十分、立派に戦ったわ! もうこれ以上、自分を傷付けなくていいの……!」
「シル……!」
そして人目も憚らず、熱いキスを交わす。
誰も茶化す者はいない。それぞれが涙を浮かべて、見守っていた。
長く切ない口付けの後、ランドは――どこか憑き物が落ちたような、晴れやかな顔をしていた。
「ユウさん。あんた……人が人を殺そうってときに、なんてこと、考えてんだ。ほんっとに……どうしようもねえ、バカだな。甘ったれだな……」
そしてまた、別の種類の涙を流しながら、続ける。
「あんたは……逃げることなんか、ねえさ。何も……恥じることなんかねえ。ラナソールのみんなだって、裏切りだなんて、思うことねえよ……。だってよ。こんなにも立派に、十分に、応えてくれたじゃねえか……!」
ランドとシルヴィア。二人ともが、懇願するように俺を真っ直ぐ見つめている。
「だからよ。約束してくれ」
「…………」
「どうか、背負ってくれよ。ラナソールのみんなの分の想いもさ、一緒に背負ってやってくれよ。頼むよ……!」
天を仰ぎ、漢泣きに泣きながら。
ランドの、本当に最期のお願いだった。
俺にその資格があるかどうか。できるかどうか。わからないけれど。
「ああ。やってみるよ。できる限りのみんなに届くように……祈ってみるよ」
そう答えると、彼は力なく、満足そうに笑った。
「へへ。どうしても、みんな消えちまうんなら……やっぱさ。あんたみたいな優しい人に、終わらせてもらいたいんだ。俺たちのために、心から泣いてくれるあんたに……」
それだけ言うと、もうランドの目が虚ろになった。
本当に死んでしまうのだ。もういなくなってしまうのだ……。
息も絶え絶えの彼を抱いて、シルヴィアは涙ながらに頼む。
「お願い。ランドと一緒に……私も一緒に終わらせて欲しいの。お願い」
「…………ああ。ああ。わかった」
二人が、ゆっくりと目を閉じる。
震えて狙いが定まらない手を、ユイが黙って支えてくれた。
俺とユイで、剣を構える。
せめて、慈悲の心でもって。
痛みもなく、二人の芯へ差し込まれた刃は、彼らを構成する本源を完全に貫いた。
ランドとシルヴィアは、淡い光に包まれて、溶けるように消えていく。
――不覚にも、とても綺麗だと思ってしまった。
もう喋ることのないランドの代わりに、シルヴィアが最後に笑って別れを告げる。
「先に行ってるからね。世界を――みんなを、頼んだわよ」
そして……二人は完全にこの世から消えた。
リクが項垂れている。すべてを見届けて。嗚咽を上げていた。
「ああ……ああ。わかります――還ってきました。僕の中に……!」
「…………………………………………………………………………………………………………」
俺は、二人のために黙とうを捧げた。
また、これから消えゆくみんなのために、祈りを捧げた。
長い沈黙を経て目を開けたとき、覚悟は完全に決まっていた。
「――行こう。最後の戦いに」
二つの世界を背負う。離れ離れになった魂を繋げる。
夢の世界は、これから消えてなくなってしまうけれど。
もう一人の『君』たちへ。せめてもの想いを届けるために。
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