304「夢想の世界を見つめて 7」

「最後は我が家か……」

「随分長いこと空けちゃったね……」

「うん」


 ミッターフレーションの日以来、ずっと休業状態のままこの日を迎えてしまった。ユイに至っては、店に帰ることもあれから初めてだった。

 すっかり夜も遅くなってしまった。家は、二階の一部の個室に明かりが付いている他、一階の食堂には申し訳程度の小さな明かりが付いているだけだ。他は真っ暗である。


「「ただいま」」


 両開きの扉を開けて入る。

 営業中は連日満員で賑わっていたこの場所も、今はがらんとしていた。

 ジルフさんまでがトレヴァークに救援へ向かってしまい、レンクスは今もどこにいるのかわからない。店に残っているのは、ミティとエーナさんの掃除係コンビだけのはずである。

 その二人の活躍のおかげか、店はあの日のまま、ピカピカに綺麗なままであった。


 俺たちが自分であしらえた、温かみのある木製のテーブル。その椅子に二人並んで腰掛ける。

 駆け足で世界を巡った。忘れていた疲れがどっと襲ってきた。身体よりも気持ちの方がずっと重い。


 俺たちの帰りに気付いたのか、上の階からどたばたと足音がする。

 まもなく、エーナさんとミティが一階に姿を見せた。


「おかえりなさい。ユウにユイちゃん。待ってたわよ」

「おかえりなさいですぅ。ユウさん! それにユイ師匠!」


「会いたかったですよぉ~」とユイに思いっきり抱きつくミティ。

 そうだよな。本当に死んだかもしれないって心配してたんだもんな。みんな。

 ユイは優しい微笑みを浮かべて、よしよしとミティの頭を撫でていた。ミティがユイの胸に顔を埋めている間、隠しきれない憂いを俺とエーナさんだけには見せながら。


 ミティとも、これが最後になってしまうんだよな……。


 アニエスは、エーナさんにはすべての事情を話したことだろう。

 エーナさんも、どうしたらいいのかわからない。そんな表情を浮かべていた。

 ただ、俺たちのこれからしなければいけないこと、その重さはよくわかっていて。

「大丈夫なの?」と言いたげに心配な目を向けてくる。俺は首を横に振ってから、しっかりと頷いた。

 大丈夫ではない。でも段々と覚悟は固まりつつある。そういうニュアンスだった。

 エーナさんは、俺の意図を正しく理解したらしい。目を潤ませて、


「そう……。そうよね。それが、フェバルなのよね……」


 俺たちにしかわからない言葉を、重々しく呟く。

 過去、誰一人として殺すことで救えなかったエーナさん。ユイだけがもう一人の「俺」から聞かされた、当人にも決して言えない残酷な真実。

「エーナさんにはフェバルとなる者を絶対に殺せない」という運命。「あらかじめ【運命】によって決まっていることがわかってしまう」という呪い。

 その残酷さを永きに渡り痛感している彼女だから、苦しめられ続けている彼女だから、今の俺たちの気持ちも痛いほどわかるのかもしれない。


 俺たちも、俺たちの運命に向き合わなければならないときが来ている。

 決して受け入れるのではなく、逃げるのでもなく、正面から向き合って、断固として戦わなければならないことを。

 負けたくないけれど。今回ばかりは一定の敗北を認め、決断しなければならないことを……。



 ユイとのスキンシップをたっぷり味わったミティは、今度は俺の方に飛びついてきた。


「ユウさ~~ん!」


 しっかりと受け止め、頭を撫でてやる。

 寂しかっただろう。この数カ月はほとんど相手してあげられなかったからな。

 存分に甘えてきた後、寂しそうな声で彼女は言った。


「また、すぐに行ってしまうんですか?」

「うん。また……もうすぐね。行かなくちゃならないんだ。次の戦いに」

「なんだか最後のケリ付けに行くぞって顔してます」

「……そうだね。わかっちゃうか」


 妙に直感の鋭いこの子は、ずばりと本質的なことを言い当てることがある。


「……それが終わったら、またお仕事に戻れるんでしょうか? またみんなで笑い合って、いっぱいやってくる依頼をこなしていく、あの日常に戻れるんでしょうか……?」

「それは……」


 言い淀んでいると、ユイが横から口をはさんだ。この子に対しては隠し通せないと思ったのだろう。


「ごめんねミティ。お店は……畳むことにしたの。私たちは、これから最後の仕事をしに行くんだよ」

「そう、ですか……」


 意気消沈するミティ。

 俺たちがいなくても、一生懸命掃除係を続けてきた。この子なりの気持ちはわかっている。

 いつもここを綺麗で安心できる家にしておけば、いつかは戻って来てくれる。そう願っていたんだ。

 それを、そんな健気なこの子の気持ちを、俺たちは裏切ってしまうのだ……。


「ごめんな……。本当にごめん。せっかくずっと待っててくれたのにな。俺たち、ひどいよな……」


 ミティは何を想うのか。しばし瞑目し、何かを堪えるように歯を食いしばって、大きくため息を吐いて。

 そして、文句一つ言わなかった。


「……ううん。謝らないで下さい。ある程度、覚悟はしてました。お二人がどこかで頑張っているのを信じてて。それが本当で、私、とっても嬉しかったんですよ?」


 無理に口角を上げて、微笑む。


「今まで、ありがとうございました。本当にたくさんのことを学べました。おかげ様で、故郷に帰っても、今なら腕を上げた料理で万客を呼べそうな気がしてますっ!」

「「…………っ」」


 ああ。どうして。こうも痛いところを的確に突かれてしまうものか――。


 君には、帰るべき故郷は……もうない。

 港町ナーベイは、君だけを残して滅んでしまった。

 それに……君に残された時間すら、もう。


 ――思えば、この子にはどこまで不幸が纏わりついているのだろう。


 ただ、女の子になりたかった男の子であるというだけで。

 本当に何でもない、ただちょっと毒気のあるだけの、根は優しい普通のいい子なのに……。

 両親からは疎外され、誰にも秘密を打ち明けられない孤独を抱えていた。

 必死さから、俺に過剰にアプローチするような過激な行動も取ってしまい、誤解されがちだった。

 繋がって、やっと君の本当をわかってあげられたと思ったら。

 今度は実の両親と分かり合う前に、ヴィッターヴァイツの手で殺されてしまい……。

 ラナソールには、もはや帰るべきところもなく。

 現実の君は、きっと身近な知り合いをすべて失って。

 俺たちももう、どちらの君とも一緒にいられない……。


 この『事態』が解決したら。現実の君はたった一人、アロステップという町で――。



 ――――おい。待て。



 待ってくれ……っ……!


『アロステップって、まさか……』

『……! ミティ!』


 アロステップは……小規模の町だ。

 ハルから、定期連絡は受けていた。

 ナイトメアの大襲撃で、あそこは。あの町は……!


 気の急くまま、俺はミティの顔に手を触れる。


 そして、すべてを悟った。


 あ。あああ……。


 ない。繋がりが――どこにも、ない――。


 彼女の「切り離された魂」の奥に通じているものは、感じられるものは。

 ニザリーと同じ。真っ暗で底冷えするような……死のイメージだけだ。


「あ……う、あ……」


 彼女の片割れ。現実世界のミチオは、もう……っ!


 目の前が真っ暗になり愕然と項垂れる俺の、触れていた手を、ミティは優しく握り返した。


「あはは……バレちゃいましたか。やっぱ、敵わないですねぇ。……最後まで猫被ってようって、そう思ってたんですけどね。得意だったのになあ……」


 無理に作った笑顔のまま、ぽろぽろと涙を零し始めるミティ。

 すべてを察したエーナさんは、もう見ていられなかったようだ。俺を押しのけて、ミティを強く抱きしめていた。


「ミティちゃん……! あなたは……あなたって人はっ!」

「もう。痛いですよぅ……。フェバルってほんと馬鹿力なんですから、ね」

「「ミティ!」」


 俺たちももう、とても涙を堪えられなかった。嗚咽を上げながら、エーナさんの両脇からミティをいっぱいに抱きしめていた。


 どうしてだよ! どうしてこんな健気な子が、死ななければならないんだ……!


 運命のクソ野郎……!


「みんなぁ、泣き過ぎですよぅ……」

「なんで……なんで黙ってるんだよ……っ! わかってるのに、どうして恨み言の一つも言わないんだよ……!」

「バカですね。あんなに頑張ってるの見てて……っ……大好きな人を、恨むわけないじゃないですかぁ……! それに、ユウさんとユイ師匠が、優し過ぎるからですよ? きっとまた、たくさん泣かせちゃうと思って……っ……!」

「バカ……! そんなの、我慢しなくたっていいの……!」


 四人とも、わんわん泣いていた。それ以外に、どうしたらいいのかわからなかった。


「……だったら、一つだけ。最後にわがまま、いいですか?」


 耳元で、俺に向けて囁く声がして。


 頬に手を触れられたと思ったときには――正面から唇を奪われていた。


 無理やりねじ込んで絡みつくような、押しの強い、彼女らしいキス。


 時間にして、ほんの数秒。今だけは自分のものだと、いっぱいに主張して。甘く苦い感触を味わって。


 名残惜しそうに、唇が離れる。


 目を瞬かせる俺に、ミティは涙をいっぱいに溜めて微笑んだ。


「どうかせめて、忘れないで下さい。私という女の子がいたってこと。残念ながら、ハルちゃんには負けちゃいましたけど……私だって、ほんとに好きだったんですよ……?」

「……ああ。ああ……! 忘れないさ。絶対に、忘れない……!」


 そうして、みんなで固く抱き合っていると。




 突然――ガランと、両開きの扉が開いた。



 哀しみの静寂を貫く、快活な声が店内に響く。


「あっ! いたいた! やっといてくれた! ユウお兄ちゃんとユイお姉ちゃんだ!」

「え!?」「ワンディくん!?」


 忘れもしない、記念すべき最初の依頼者である。

 あれから二年以上が経ち、背も伸びて元気な少年になっていた。

 足元には、すくすくと大きくなったモッピーを連れている。


「どうしてこんな時間に……?」

「また来たんですか……」「また来たのね」


 ミティとエーナさんは、そんなに驚いていないようだった。何でも、世界崩壊のあの日から、実はちょくちょく来ていたらしい。


「へへ。ずっと会いたかったんだ。言いたいことがあってさ」「きゅー」

「なあに?」


 優しく尋ねかけるユイに、ワンディは笑顔で答える。


「素敵な時間をありがとうって。これ、夢なんでしょ?」

「な……どうして?」

「知ってるよ。僕、まだ夢見がちな子供だからね。最初は忘れるかもって心配してたけど。案外夢だってことは、よく覚えてるもんだね」


 さも何でもないことのように言ってのけるワンディに、こちらがひどく驚かされる。


「君、まさか。もう全部、知ってるのかい……?」

「うん。モッピー、あっちだともう死んじゃってるんだ。だけどさ、お兄ちゃんとお姉ちゃんが助けてくれたから。だからこうして、一緒に過ごせたんだよね」


 かがみ込み、モッピーの頭を愛おしむようによしよしと撫でてから、彼は決意を込めて言った。


「だけどもう、大丈夫だから。僕たち、こんなはっきりした形なんてなくっても――もう大丈夫だからさ」

「きゅきゅ!」


 モッピーも一緒に、キリッとした鳴き声を上げる。

「ちゃんとここに生きてるから」と、胸を指し示し、にっと笑うワンディ。

 それを見ていたミティもはっとして、途端に元気付いて張り合った。


「私だって……! 私だって同じ気持ちです! さっきしっかりと刻み付けましたからぁ!」

「「ワンディ……。ミティ……」」


 本当はつらくないはずなんかないのに。

 どうして君たちは。そんなにも強く――。


「ここには、依頼をしに来たんだ」


 俺たちの目をしっかり見つめて、ワンディは切り出す。


「もう知ってると思うけどさ。現実ではね。夢想病で苦しんでいる人たちが、いっぱいいるんだ。僕の友達も、知り合いの家族も。みんなやられちゃって。それになんか、怖い悪夢みたいな化け物にいっぱい襲われてて……」


 ぎゅっとリードを握りしめたワンディは、精一杯の勇気で頭を下げる。


「だからお願い。ユウお兄ちゃん、ユイお姉ちゃん。悪い夢なんかみんなやっつけて。みんなを助けてあげて」

「「……………………………………」」

「あっ、報酬は……。いっぱいのありがとうしか、言えないけどさ。……足りるかな?」

「「……………………………………」」


 ――それは、奇しくも最後の依頼と同じだった。

 

 いや、これこそが本当に最後の最後の依頼だ。


 ラナさんに頼まれたとき、俺はどうしても覚悟ができなかった。

 ランドに詰め寄られた後、本当に心が折れていた。


 だけど、よりによってあのヴィッターヴァイツに叱咤激励されて。

 ユイに慰められて。一緒に背負うと言ってくれて。


 みんなと出会って。みんなの想いを知って。


 何も知らないまま、励ましてくれた人たちがいっぱいいる。変わらず続いていく明日を夢見ている人たちだってたくさんいる。

 事情を悟って、あえて恨みを隠さないまま応援してくれた人もいる。おそらく事情を知りつつ、何も知らないふりをして、バカをやって背を押してくれた人たちもいる。

 すべてを知りながら、健気に送り出してくれる女の子がいる。


 そして――。


「大丈夫。ちゃんと足りてるよ」

「ほんと?」


 俺はしっかりと頷いて、丁重に依頼料を受け取った。ワンディの想いを受け取った。


「君の依頼、確かに承った」

「任せて。お姉ちゃんとお兄ちゃんはね」


「「すごく強いんだ」」


 みっともない涙の痕を晒しながら。それでも精一杯笑って。

 力強くサムズアップして、そう答えた。


「うん……! うん! がんばれ! まけるな! ユウお兄ちゃん! ユイお姉ちゃん!」

「まったく。あなたたちって子は……!」

「それでこそ私の一番大好きなヒーローですぅ! 世界を、みんなを頼みましたよ! ユウさん! ユイ師匠!」


 ――――ああ。


 俺たち、行くよ。


 悪夢をみんなやっつけに、行くよ。


 この世界を終わらせて。もう一人の君たちを救うために……行くよ。


 ……でも、その前に。


 一つだけ。大事なケリをつけなくちゃいけないだろうけどさ。

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