287「ヴィッターヴァイツと黒の旅人」

 ユウとアニエスが記憶の回収を進めている頃。

 ヴィッターヴァイツは、休むことなく薄暗闇の世界を進撃していた。一般のナイトメアなども、彼の前では敵のうちに入らない。【支配】は使えなくなったが、光の魔力を纏った拳がたちはだかるものを打ち砕いていった。

 そこまで急いでいたのは、彼もまた世界の終わりまで時間がないことに気付いていたのと、ユウにくらった心の力の灯火が消えないうちでなければ、目標が掴めないと考えていたからである。

 数日をかけて、ヴィッターヴァイツが辿り着いた場所は――。


「わっ!? ヴィッターヴァイツ!?」


 驚く少女と、あらかじめ接近がわかっていたのか、静かに彼を見つめる少年。彼女には心を読む力があるが、全速力のフェバルに対しては、認識するより最接近する方が早かったようだ。

 そう。ヴィッターヴァイツは、ユイと『ユウ』に会いに来たのだ。


「どうしよう。まさかこっちへ来るなんて。あいつが相手でも大丈夫だよね? ユウ」


 事情がまったくわからないユイは、不安でヴィッターヴァイツと『ユウ』へ交互に視線をきょろきょろさせていた。ただ、どうもヴィッターヴァイツに悪意がないことを妙だなと思いながら。

 そんな彼女を手で制し、『ユウ』は一歩前へ進み出た。

 ヴィッターヴァイツは、神妙な面持ちで切り出した。


「何となくだがな。ここへ来れば会える気がしたのだ」

「わざわざ私たちに会いに来たっての?」


 さすがに今までのこともあって警戒を緩めないユイに対し、おおよそ事情を知っている『ユウ』は動じることはなかった。


「なるほど。俺とあいつの力が思わぬところで副作用を起こしたわけか」

「らしいな。よりによって、このオレにだけ貴様らの居場所がわかってしまうとは」


『ユウ』が送りつけた記憶と、ユウにくらった心の力。どちらも源は同じものであるために、共鳴したのだ。

 そのことが彼と二人を結びつけた。

 ヴィッターヴァイツは、目の前のユウにそっくりな人物こそ、ミッターフレーションの日に世界が滅茶苦茶に壊れる規模の戦いをした人物だと確信していた。そしてまた、『ユウ』との間に最悪な因縁しかなかったことも、その具体的内容まではわからずとも、薄々ではあるが察していた。

 ――自身がどれほど罪の深いことをしたのであろうかを。

 だからヴィッターヴァイツは、『ユウ』に対して深々と頭を下げた。


「すまなかった」

「…………」


『ユウ』は、黙ってその一言を受け取った。しばし何かを思い瞑目し、そして目を開けて告げる。


「今さらだ。それに……お前だが、お前じゃない」

「そうか……」


 言葉尻は冷たかったが、『ユウ』は確かに謝罪を受け入れた。その事実だけで十分だった。


「え、え? あのヴィッターヴァイツが謝った? どういうこと?」


 一人蚊帳の外であるユイは、何もわからないまま、きょとんと二人を見つめるばかりだった。

 そんなユイを見て、『ユウ』は二人に気取られない程度にかすかに笑い、ヴィッターヴァイツも曖昧に笑った。張り詰めた空気も和らぐ。


「よくわからないけど、あなたどうしちゃったの? まるで別人みたいだよ。いや、うん。全然いいと思うけど」


 心の読めるユイは、ヴィッターヴァイツの変化を好ましいものに捉えている。


「貴女の弟にコテンパンにやられてな」

「そっか。ユウすごく頑張ったんだね」


 何となく察した。ユウはこれまでも、敵対した者を改心させてしまったことがある。

 この男を心変わりさせるほどの戦いがあったのだ。ユイは愛する弟の奮闘を想い、嬉しくて微笑んだ。

 まさかその戦いが、弟の肩を抉り、腕を吹っ飛ばし、腹パンでど真ん中をぶち抜いて完全に殺しかけた壮絶なものだったなどと、そんなことを耳にすればものすごく怒るに違いない姉の前では口が裂けても言えず、ヴィッターヴァイツは苦笑いを浮かべるしかなかったが。

 そんな彼に『ユウ』は尋ねる。『ユウ』にとっては、過ぎたことも大事ではあるが、今の方がより大切だった。


「そんなことよりだ。お前はわざわざこんなところまで、ただ俺に謝るためだけに来たのか?」

「無論違う。そこのユウ、でいいのか?」

「一応、ユウはユウだな」

「……そのユウはともかく、なぜユイがずっとこんなところに留まっているのかと思ってな。あの甘ったれの方のユウも貴女も、お互い会いたがっているはずだからな。何かあるのだろうと不思議に思い、様子を見に来たというわけだ」

「じゃあなに? まさか私とユウを引き会わせるために来てくれたっていうの? あなたが?」


 ユイは驚き尽くしだった。本当に何がどうなるとこんなミラクルが起こるのだろう。不倶戴天の敵同士ではなかったのか。


「貴様らがアルトサイドを呑気に散歩している間、世界情勢にもユウの奴にも色々あってな。奴は我慢しているが、相当まいっているのは間違いない。姉の顔でも見せてやるのが良いだろうと勝手に判断した。……奴には言ってくれるなよ。言えばどうなるか、わかっているな?」


 最後はドスを利かせたが、会わせたい気持ちが嘘でなく、照れ隠しであることは、ユイから見れば明らかだった。

 彼女は思わず笑いそうになってしまう。まさかこの男に小娘でなく名前で呼ばれ、しかも喜ばせられる日が来るとは思わなかった。


「で、どうなのだ。オレは役に立てそうか」

「うん。ナイスタイミングかもしれないよ」


『ユウ』といるためにアルトサイドから出られないと聞かされていたユイは、素直に頷いた。


 こいつ――もう普通に話し始めていやがる。


 星海姉弟のお人好しさ具合、心の本質を見て応じる態度に面食らうヴィッターヴァイツであったが、こういう奴らだからオレも変えられてしまったのだろうなと、どこかで納得もしていた。


「俺の考えでは、エルゼムを倒さない限り二人が会うのは無理だと思っていたが……想定外続きだな。面白い」


 はたから見るとくすりとも笑っていないように見えるが、実際はかなり面白がっていると、付き合いもそこそこになってきたユイにはわかった。

 そして『ユウ』には、想定外が生じた理由も察しが付いていた。

 トレインがラナの力を受けて「異常」化したように、ヴィッターヴァイツもユウの力を受けて「異常」化したというわけだ。だからアルの想定を超えた行動を取り始めたのだ。

 今のヴィッターヴァイツは、【神の手】の影響の外にある。こいつにユイを託せば、二人を引き合わせることも可能かもしれない。

 自分が離れたところを狙われる危険もあるが、そこは自分がしっかり目を光らせておけば良い。幸い、エルゼムはウィルとレンクスが釘付けにしているようだし。

 しかし、まさか仇敵と普通に語らい、もう一人の己の片割れを任せることになるとは。『ユウ』は奇妙な巡り会わせを感じた。

 いや――ユウの意志が作り出した新たな道か。


「あ。でもそうなるとここ、どうしようかな。私がいなくなっちゃって、もしユウも動いたら、またわからなくならない? だって私、目印なんでしょ?」


 目印呼ばわりされてすごく微妙な気持ちにならなくもなかったユイは、『ユウ』を軽く小突きながら聞く。『ユウ』は事もなしに答えた。


「問題ない。お前にこの場所がわかるよう、【神の器】に記録させておこう」


『ユウ』が手をかざすと、ユイはあっさりとこの場所が知覚できるようになった。


「ありがと。なんだ。こんなことできるなら言ってよー。私、目印になる必要なかったじゃん」

「どの道、お前とユウが会うことと、エルゼムを倒すことが肝要だからな。同じことだ」

「うーん。それもそうか」


 それから三人は、情報交換をした。

 ヴィッターヴァイツは現在に至るまでの状況を語り、『ユウ』とユイは、アルトサイドでの出来事やフェバルに降りかかる【運命】を語る。

 これまではどんな真実を語ろうと聞く耳を持たなかったヴィッターヴァイツであるが、【運命】の影響力が薄れた今、彼は素直に『ユウ』の話を聞き入れることができた。

 そして、ヴィッターヴァイツは激高した。


「なんだと……【運命】だとッ!? オレは何も知らぬまま、ずっと掌の上で踊らされていたというのかッ!? ふざけやがって……ッ!」


 衝撃の事実に、ヴィッターヴァイツはこの上ないほどの怒りを見せた。あまりの迫力に思わずユイがびびり上がり、『ユウ』の袖を掴んでしまうほどだった。


「ユウッ! そのアルとかいう奴はどこだ!? 絶対に許さん! よくも……よくも、イルファンニーナを! この手でぶち殺してくれる……ッ!」

「よせ。気持ちはよくわかるが、お前には無理だ。俺と同等以上の強さと言えば理解できるか?」

「なにい!? ぐ……ちくしょう……!」


 ヴィッターヴァイツは悔しさのあまり、自分で自分の側頭を殴りつけた。

 ラナソールが壊れたあの日の戦いを見て、またトレヴァークにいるユウが発した黒の力を体感もして、まるで次元が違う――勝負にすらならないことはわかっていた。

 一矢も報いることはできない。無駄に散るだけだと理解できてしまうのだ。

 無力を嘆くヴィッターヴァイツの肩を叩き、『ユウ』は囁く。同じく【運命】に翻弄され続けた身としては、見過ごせなかった。


「焦るな。希望はある。お前はもう知っているはずだろ」

「そうか……! それで、あいつなのか……!」


 ヴィッターヴァイツの心の内に、希望の灯がともった。

【運命】への対抗者になり得る者は、確かにいるのだ。己ができなかったとしても、あいつならやってくれるかもしれない。

 彼は密かに決意を新たにする。これからは己の意志で旅をまっとうすることを。そして希望を守ることを。




 ***




 ユイは『ユウ』と別れ、ヴィッターヴァイツを新たな護衛として、ラナソールを目指すことになった。

 当人たちすらまるで予想していなかった、何とも奇妙な二人旅である。


「よろしくね。おじさん」


 ユイはこれまでの諍いへのささやかな復讐も込めて、ややじと目で「おじさん」の部分を強調して言った。


「おじ……おい待て。さすがに聞き捨てならんぞ!」


 容姿は完全にいかついおっさんなのであるが、身体は若いままでいるつもりだった。


「マジでおじさんなの。これがね」


 ユイはJ.C.に聞いた話を引っ張って説明する。


「おいおいおい……マジかよ。オレら、そんな関係だったのかよ……」


 さすがのヴィッターヴァイツも頭を抱えた。

 宇宙は広いはずなのに、なんと世間の狭いことか。ある意味身内同士で死闘を演じていたわけだ。


「そうだよ。今までたくさんひどいことした分、ちゃんと守ってくれないとJ.C.お姉さんに言いつけちゃうからね。お・じ・さ・ん」


 ユイはにっこり笑顔でそう言った。得も言われぬ威圧感がある。


「ぐぬぬ……心得よう」


 それから、ヴィッターヴァイツの献身ぶりが光り、ユイは傷付くことなくアルトサイドを進んでいった。改めてヴィッターヴァイツの強さを知るユイだった。

『ユウ』が側にいなくなったことで、再びアルトサイドに穴が出現するようになった。トレヴァークへ通ずる穴を避けつつ、ラナソールとアルトサイドを行き来すること数度、ついに人里へ至る。

 そこへユイを預ける(また目印になるようにと、彼による気力強化を付与したら、頬を膨らませて文句言いたそうな顔をされてしまった)と、ヴィッターヴァイツは、ユウに彼女の無事を知らせ、再びあいつと彼女を引き合わせるため、またアルトサイドへ潜り、トレヴァークへの移動を開始したのだった。


 ――ちょうどその頃、トレヴァークに大変なことが起きようとしていた。

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