279「ラナの記憶 14」

 トレインの暮らす魔法都市フェルノートにも魔の手は伸びてきていた。

 すべてのワープクリスタルが砕け散った直後、あらゆる角度からナイトメアの軍団が押し寄せる。

 首都を襲う敵の規模は、トリグラーブやラナ=スチリアに差し向けられた軍勢に比べても桁違いである。

 その原因は、軍勢を率いる統率者らしき一体の存在だった。


「なんだあいつは!?」


 ナイトメアゆえ強さは表面化しないのであるが、リーダーと思しきのっぺらぼうの一体に、トレインは得体の知れないやばさを感じていた。


「それにどうなっている」


 妙だ。ワープクリスタルが壊れただけではない。こんなときのため、ラナと二人で創り上げた防御システム『ラナの護り手』がまったく発動しないのである。


「まずいな」


 トレインは危機を感じていた。

 フェルノートにも冒険者はいるが、トリグラーブと比べれば質も数も劣る。戦力に数えるには心許ない。しかも街中がパニックになっている状況のようで、期待はできそうもない。

 トレイン個人の強さと『ラナの護り手』が頼みであったが、後者が使えない以上、己の力を唯一の頼りとするより他はない。

 彼はフェバルではあるが、戦闘タイプではない。【創造】も戦闘にはろくに使えないため、フェバルなら誰でも備わっている高い身体能力だけが武器である。それだけで、異常生命体の力の暴走が生み出した強力な怪物相手にどこまで通用するかは未知数だった。


「それでもやるしかない」


 トレインは敵を倒す意志を固める。

 ラナの命が危ない。一刻も早く敵を殲滅し、彼女を助けに行かなければ。


 雑兵は後でどうにでもなる。まずはのっぺらぼうに狙いを定め、空を飛んで迫る。

 彼には自負があった。いかに相手が正体不明の怪物であろうとも、フェバルがそう遅れを取るはずがないと。


 そんな自負を粉々に打ち砕くほど――そのナイトメアは速かった。


 何かが自分の脇を通り抜けた――寒気を感じて振り向いたとき、既にのっぺらぼうは彼の背後にいた。

 そいつの右腕は、いつの間にか鋭利な刃物のように変形している。それを目にしたときには。


 トレインの右腕は宙を舞っていた。あまりの早業に、痛みを感じる暇さえもなく。


 のっぺらぼうのナイトメアは、《命名》こそされていなかったが、エルゼムに準じる実力を持っていた。戦闘タイプ、それもそれなりに実力を持ったフェバルでやっと互角に打ち合えるのだ。非戦闘タイプの彼には、到底手に負える相手ではなかった。


 一瞬の出来事に戸惑う彼に、悪意の塊は追撃を加える。

 のっぺらぼうの顔面が大きく裂け、その中央から闇の光線が放たれる。トレインに避ける術はなく、光魔法で防御結界を張るのが精一杯だった。

 だがそんなもので防げるほど甘い攻撃ではなかった。結界の上からでも彼の身体を押し込んでしまうほどに威力は高い。フェルノートから数キロほど離れた岩山に叩き付けられた彼は、なおも持続する闇の光線によって深くまでめり込んでいく。結界もほどなく限界を向かえ、剥がれ落ちる。闇のエネルギーが彼をめった刺しにしていった。

 やがて岩山を貫通したところで、運良く光線の軌道と彼の押し出されるベクトルが逸れた。

 全身裂傷だらけになったトレインは、受身を取ることもできず地面に叩きつけられる。

 咄嗟に結界を張ったおかげで、辛うじて彼は生きていた。もはやとても戦える状態ではなく、意識を保つのがやっとであったが。


 のっぺらぼうのナイトメアは、そんな彼を一瞥すると、すっかり興味が失せたように背を向けた。


「ま、て……!」


 息も絶え絶えな声で引き留めようとするも、怪物が振り向くことはない。

 トレインはトレヴァークの部外者である。ナイトメアを構成する悪夢の要素に、彼自身は入ってはいなかった。

 そしてのっぺらぼうは単純にアルに生み出されただけであり、彼に特定の人物を始末するよう命令されてはいない。

 ゆえに、トレインは憎悪の対象ではなく、単なる障害物と見なされた。障害にならなくなれば、捨て置くだけのこと。


 彼に目もくれず、闇の異形が目標にしたものは、もちろん大量の人間どもが住まう魔法都市である。

 刃状にした腕を元に戻すと、のっぺらぼうは高々と手を掲げた。掌の上にブラックホール様の球体が現れ、それはみるみるうちに巨大化していく。


「やめ、ろ……!」


 人々が。ラナと創り上げたかけがえのないものが――!


「やめっ……ろぉ!」


 口の端から血を零しながら、トレインは動くことままならぬ身体を起こそうと、必死に足掻く。

 だが、悪意と殺意と憎悪だけに満ちた化け物には一切響かない。


 やがて空に影を作るほどに膨らませたそれを――容赦なく放り落とした。


 浮遊城に闇の端が触れる。それが始まりだった。

 高い建物の先端から順に、破壊がすべてを包み込んでいく。

 老若男女。ありとあらゆる人間の恐怖と悲鳴が、闇に呑み込まれて消えていく。


「あ、あああ……あああああああああああ!」


 間もなく、夢と栄華に満ちた魔法都市は。


 フェルノートは――そっくり削り取ったような巨大なクレーターを残して、跡形もなく消えた。


 まるで最初からそこには何もなかったかのように。



 カカカカカカカカカカカカカ……!



 のっぺらぼうは、笑い声のような、嘲り声のような、そんな奇妙な音を高らかと空に打ち鳴らし続けている。

 ややもして、不意に不気味なほど黙り返ると、そいつは空のある方角を睨み付けるように振り向いた。


 そして、姿を消した。つられて闇の軍勢も姿を消す。


 滅びの静寂だけが残った。一人取り残されたトレインは、涙で顔をぐしゃぐしゃにして打ちひしがれていた。


 何もできなかった。留守を任せろと、いつも自信たっぷりに約束しておきながら!


「くそ! くそうっ!」


 投げやりに拳を叩きつける力さえ残っていない。悔し涙だけが頬を打っていた。


 あいつはどこへ行った。次は何をするつもりなんだ。


 ……待てよ。まさか。


 トレインは気付いてしまう。あの化け物が睨んでいたのは――あの化け物が向かったのは――聖地ラナ=スチリアの方角ではないかと。


 自らを生み出した根本。奴らにとって復讐の本丸は誰なのか。そこに至れば、答えは自ずと明らかだった。


「ラナ……! ラナあぁぁぁ!」


 それだけはさせてなるものか。それだけは!

 彼女だけが僕の希望なんだ。この世の唯一の救いなんだ!

 それを! それをお前たちはッ!


 地を這ってでも進もうと、ずたずたに切り裂かれた五体を無理に動かす。

 とっくに限界を超えていた身体は、随所からだらしなく血を垂れ流し続けていた。

 ほんの二、三メートル。執念で進めたのは、それだけだった。

 ついに出血多量が、彼の意識を刈り取ってしまう。

 引きずるように作られた血の川が、彼の無念を物語っていた。

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