228「【神の器】と【運命】の戦い 1」
J.C.さんと別れてから、私は延々と闇の化け物と追いかけっこを続けていた。
お腹が減らないことと眠くならないことがなければ、とっくにやられてしまっていただろう。
時に光魔法で打ち倒し、時に逃げて魔力の回復を図りながら、できるだけ長く耐えられるように立ち回り続けている。
それでも回復と消耗を比較すれば、どうしても消耗の方が大きくて、私は段々辛くなってきていた。
それに……心細い。
闇ばかりの世界で、出会うのは敵だけ。
散々ユウのことからかってきたけど、やっぱり私も根っこは同じみたい。
みんなが側にいないことが、ユウの心の声が聞こえないことが、こんなに寂しいなんて。
けど負けられない。何度も折れそうになる心を奮い立たせる。
「私は……生きるんだ! もう一度ユウに会うんだ!」
もう残り少なくなった魔力を振り絞るようにして、襲い来る化け物の一体を消滅させる。
「うっ」
疲労から身体がよろめいた。一瞬の隙を逃さず、別の異形がぶよぶよした触手のような腕で私の腹を殴る。
「あぅっ……!」
平らな地面を転がった私は、衝撃で息ができず、動くこともままならない。
化け物が牙を剥き出しにして私に迫る。
まずい。このままじゃ……!
動け! 私の身体。動いて!
震える手で指の一本を立て、痛みを堪えながら魔力を指先に集める。
来い。私に牙を突き立てようとしたところを撃ち抜いてやる……!
決死の覚悟で身構えていると。
「自分から一人になるとは。すぐ無茶をしてくれるな。お前は」
聞き慣れた声がして、次の瞬間には辺りの化け物はすべて切り刻まれていた。
「大丈夫か」
倒れた私に手を差し伸べる男の姿は、私の半身そのものだった。
ユウ……!?
――違う。姿形は同じでも、この人は……。
「あなたは……」
周囲の闇よりも濃い黒いオーラ。
私はラナソールに来てから、ずっとこの人の存在を感じていた。
恐ろしい力。得体の知れない力。
ユウだけどユウじゃない。もう一人の「ユウ」というべき存在。
だけど私を助け起こそうとする彼に、悪意のようなものは感じなかった。
私は素直に手を取り、助けてくれたことについては礼を述べた。
「運が良かったな。俺よりもアルが近ければ、今度こそ殺されていたところだ」
素気無くそう言った「ユウ」は、妙にばつが悪そうだった。まるで私と出会うつもりはなかったとでも言いたげだ。
「アルって誰のこと?」
「お前を殺そうとした男だ。表面上はウィルにやらせたがな。お前なら言いたいことはわかるだろう?」
「あ……」
あのとき、私の胸を貫いた彼から感じた底なしの悪意。
元々悪意の強い彼ではあったが、それでもまだ話はできる相手ではあった。
あのときは何を置いても殺す――明らかに常軌を逸した殺意だった。
思い出すだけで身がすくむ。
「その……アルってやつは、今どうして……」
「ウィルから分離してこのアルトサイドのどこかに潜み、自身の完全復活と――お前の抹殺を目論んでいる」
「私の、抹殺……」
言われてぞっとする。あの底なしの殺意がずっと私を付け狙っているなんて。
「ユウはフェバルだから完全には殺せないが、【神の器】の創造物であるお前なら完全に殺すことができるからな」
「でも、どうして私なんか」
「お前は自分の価値をわかっていないようだな。仕方ないとは言え、ウィルに嫌われるわけだ」
私を疎ましそうに見つめて、「ユウ」は深い溜息を吐いた。その瞳はまるでウィルのように深く――曇りなき闇で塗り潰されている。
でも瞳から受ける印象よりも、この男の本質は優しいのではないかと思われた。
「ユウ」は傷付いた私を見かねたのか、無言で回復を施してくれたから。
「あ、ありがとうございます」
「……色々と聞きたいことがあるんだろう? ついて来い。歩きながら話をしてやる」
「はい」
「――大きくなったな」
彼が私を見て小さく呟いた意味は、よくわからなかった。
闇の異形はナイトメアと言うらしい。
道中、あれほど私に群がってきたナイトメアは、「ユウ」と行動を共にするようになってから一体も現れなくなった。殺気を放ち続ける彼に恐れをなして近寄ろうとしないのだ。
約束通り、彼は歩きながら話をしてくれた。
「ユイ。お前は【神の器】がどのようなものだと理解している」
「えっと。心を司る能力であり、あらゆるものを記憶・利用できるストレージのようなものだと理解してるけど」
「遠くはないが、もう少し踏み込んだ話をしよう」
「ユウ」は足を止めて言った。
「一言で言ってしまえば、【神の器】とは星脈のコピーだ」
「星脈の……コピー!?」
とんでもなく大きなものが出て来て、私は目を丸くする。
「星脈とは全宇宙のあらゆる情報を内包するシステムであり、ある意味で宇宙そのものとさえ呼べるもの。そして【神の器】はお前が理解している通り、ただのコピーではない」
「ユウの心のあり方が強く反映されている……」
「そうだ。元の宇宙の単なるコピーではない、言わば『ユウ自身の別宇宙』……【神の器】とはよく言ったものだな」
「私たち、そんなとんでもない能力を……」
「フェバルでありながら、フェバルがフェバルたる源泉と同質のものを内包したポテンシャルの塊。ただ一人にして全宇宙にも比肩する可能性を持つ者。それがお前たち――星海 ユウという存在だ」
『心の世界』は果てしないと思っていたけれど、そこまでとてつもないスケールの能力だとは思わなかった。
驚いた。そして妙に納得した。
今まで散々能力には振り回されてきたけれど、当然だろう。宇宙なんて途方もないものを個人が扱えるはずがない。
完全に使いこなせるならば……神にも近しい力を持つということだから。
「もっとも、そのことを理解する前に、殺意で器を塗り潰してしまった愚か者もいるがな」
そう言った「ユウ」は、明らかに自嘲していた。
「ユウ」がどうしてユウの姿形をしているのか、なぜすべてを知ったような顔をしているのかはわからない。
ただ……わからないけど、もしかしたら。
この人の持つ圧倒的な力は……この人が持っていたすべての可能性を、力のみに注ぎ込んで得たものなのかもしれない。
そして、そうしてしまったことをこの人は強く後悔しているように思えた。
「やはり心の読めるお前にはわかってしまうか」
「何となく、ですけどね」
「……そうだな。俺はとにかく力を求めた。憎悪や殺意、そうした強い感情で心を染めてしまうことが手っ取り早い方法だった。そうすることで器の指向は単純になり、俺個人でも十分に制御できるものになった」
だが、と。彼は後悔を隠さずに続ける。
「代わりに大切なものをたくさん捨ててしまった。よく覚えておけ。心を閉ざし――可能性を閉ざして得た力は、ただ強いだけだ。あらゆる敵を殺すことはできても、本当に大切なものは何一つ守れない……そういう風に世界はできているのさ」
最後、どうしても認めたくないような悔しさを滲ませて、彼は言った。
「……あなたは、守れなかったんですね。それを後悔しているんですね」
「…………」
無言の肯定だった。
「私たちなら、あなたにできなかったことができると。そう考えているんですか?」
「さてどうだろうな。それはこれから次第だな」
「……あなたは、私たちに何を求めているの? 何を期待しているの?」
「――【運命】を」
その言葉を発したとき、「ユウ」は恐るべき憎悪を見せた。
彼が見た目ほど怖くないことを理解していた私が、心底震え上がってしまうくらいに。
「う、ん、めい、って……?」
過呼吸気味になりながら、辛うじて尋ねる。
そんな漠然としたもの、どうしろって言うのか。
「……そうだな。いい加減俺の正体も気になるだろう。少しばかり、昔の話をしようか」
彼は申し訳ないと思ったのか、私が落ち着くまで待ってくれた。
そして落ち着くのを見計らってから、突然、淡々と数字を述べ立てた。
まるで感情のないロボットのように。
「897932384626433832795028841971693993751058209749445923078164062862089」
「えっ?」
急にどうしたの。
ぽかんとしていると、彼は感情を殺したまま続けた。
「俺が生まれてからアルと――奴らと戦い続けてきた回数だ」
「そんなに途方もない回数戦っているんですか!?」
多過ぎて逆に実感がわかない。
「ユウ」は静かに頷くと、衝撃的な言葉を告げた。
「そしてそれと同じ数だけ――宇宙は繰り返している」
「は……!?」
宇宙が、繰り返している!?
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