186「ダイゴとシェリー、出会う」

[ミッターフレーション翌日 トレヴァーク 聖地ラナ=スティリア跡地]


 昨日まで聖地があったその場所は、今やほとんど焦げついた大地と化していた。

 地上は爆発で吹き飛んだ建物の残骸が無残に転がっている。溶けた焼け跡からは有害な黒い煙が燻っている。地下は大部分が崩落しており、どれほどの数の人間が潰されたか、あるいは生き埋めにされているかわからない。

 少なくとも、地上に無事な人間は誰一人としていないようだった。


 ――いや、男が一人倒れている。


 だが彼は被災者ではない。むしろ加害者である。


 ダイゴだった。


「くそ。痛てえ……」


 脇腹から血が滲んでいる。

 すぐに死にはしないが、放っておけば致命傷になるかもしれない。

 ろくに動けなかった。ゾルーダが気付かない限りは、アルトサイドに帰って治療することもままならない。


 なぜ彼は動けないほどの大怪我をしているのか。

 彼自身が受けたわけではないが、もう一人の彼が受けたダメージが甚大だったためである。

 二体接続は極めて強力な恩恵をもたらすが、重大な副作用もある。

 それは、一方が受けたダメージをも接続して、もう一方にも与えてしまうことだ。


 フウガはあのとき、終末教の用心棒として剣麗レオンと互角の戦いを繰り広げていた。

 そして……運が悪かったとしか言いようがない。

 くらってしまったのだ。

 あの天を穿ち海を割り地を砕く謎の化け物どもの戦いの――その余波で飛んできた見えもしなかった何かを。一発を。

 不幸中の幸いだっただろう。急所への直撃は免れていた。その攻撃がもし体の中心を貫いていたら、彼は確実に絶命していたに違いなかった。

 だが脇腹を掠っただけで深く抉られてしまった。

 何が起こったのか理解できないまま、突如走った激痛のせいで戦闘継続は不可能になった。

 その場で倒れ込んでしまうと、まるで追い打ちのように足場としていた大地が崩れ出す。動けない身で墜落から逃れることはもちろん叶わなかった。

 レオンは敵だというのに手を差し伸べようとしていた。馬鹿かとフウガは、そしてダイゴは思った。本気でこちらを心配するような目も、どこか憐れむような顔も気に食わなかった。

 そして――フウガとは繋がらなくなった。アルトサイドに落ちてどうにかなってしまったのかもしれない。だとして、なぜ自分に未だ意識があるのかもダイゴにはわからない。

 重傷を負ったとき、ちょうどダイゴは目を覚まして自分のしたことの影響を確かめるためにここ聖地跡まで来ていたのだ。


 苦痛に顔を歪めながら、荒れ果てた世界を見せつけられる時間だけはたっぷりとあった。


「俺は……」


 一人呟くダイゴに、いつものフウガのような覇気はない。


 現実はクソだ。彼にはそんな思いがあった。

 退屈な世界だと思っていた。つまらない世界だと思っていた。

 世間の大勢がやりたくもない仕事をして。ラナソールという夢みたいな世界に逃避してお茶を濁す奴も多い。夢想病に倒れる奴もたくさんいる。

 ゆっくりと死んでいくことを自覚しているのに、あえて何もしない。できない。腐ったぬるま湯のような仮初の平和だけがあって、誰もが薄ら寒い演技をしながらさも大切そうに日常を演じている。上手くやれない自分のような演者は弾き者にされるか蔑まれる。ストレスばかりが溜まる。実に下らない世界だ。


 ならいっそ壊れてしまえばいいと、どこか投げやりに思っていた。

 いっそラナソールが現実になってしまえばいいのだ。それも大切に管理された安全安心なファンタジー世界としてではなく、力の論理によって支配される世界として。

 彼はフウガの力をよく知っていた。強者であることを自負していた。フウガとしての力を存分に発揮できるような世界が現実になるならば、さぞ楽しいだろうと思っていた。


 強い者が得て。弱い者が失う。

 世界はもっと単純なはずだ。殺伐としてスリルに満ちているはずだ。そうあるべきなのだと思っていた。

 その方が自分にとって都合が良かったから。身勝手な理由だ。つまみ者の小市民の理想なんてそんなものだ。

 だからあのアルトサイダーとかいう連中の計画に乗ったのだ。状況に流されるまま。あまり深くは考えずに。


 何のことはない。来るものが来てみれば、実際に単純だった。単純になってしまった。今やかつてないレベルで。


 彼にとって望むべき世界は到来したのか。否。


 同時に嫌というほど思い知らされた。自分も結局は弱い者の方だということを。

 本当の化け物は、フウガごときなどまったく問題にしないということを。

 ラナソールを壊した者たちの力を体感して、もう一人の自分を容易く貫いたものを痛感して、恐怖に震えてしまったのだ。

 力の論理は、まったく自分の都合の良いようにはできていない。自らも虫のように殺されてしまうやもしれない事実に。


 目を背けていたのは、実際に覚悟ができていなかったのは、自分の方なのではないか?


 下手に中途半端な力を得たことで、調子に乗って奴らに手を貸して。結果がこれだ。

 ラナソールはぶっ壊れて、トレヴァークも地獄に変わろうとしている。

 殺伐としてスリルに満ちた? 馬鹿なのか。

 そんなもので喜ぶのは、根っからのフウガや倫理観の壊れたゾルーダたちくらいのものだ。

 ダイゴは、彼らのようになり切れない自身の小心者加減にうんざりしていた。彼はいかに夢想の世界で無頼の暴れ者でも、現実ではまだ人間だった。


 彼自身が手を貸して生み出してしまった凄惨な光景を目の当たりにして、後悔し始めているのだ。ないと思っていたなけなしの良心が痛むのだ。

 もしかして自分は、取り返しの付かないことをしてしまったのではないかと。


 やがて、遠くから獣の唸り声が聞こえてきた。

 ラナクリムをやり込んでいた彼にとって、そしてアルトサイダーの狙いを知っており、起きてしまった事態の当事者であるダイゴは、唸り声がラナソールの魔獣のそれだと悟るのにさほど時間を要しなかった。

 獣は血の臭いを嗅ぎ分けているのか、唸り声は着実にこちらへ迫って来ている。


「……ちくしょう」


 自分はろくに動けないまま、ここで魔獣に殺されるのだろうか。自分が加担して皆殺しにしてしまった都市で、当然誰にも気づかれないまま。

 とんだ報いだなと思う。



「大丈夫ですか……!?」



 不意に鈴を振るような女の声が聞こえてきた。

 まさか。こんなところに人がいるはずがない。


 だがそのまさかだった。近寄ってきて彼の顔を覗き込むのは、年端もいかぬ少女だった。


「被災者の方ですね! よかった。もう誰も生きていないのかと。でもひどい怪我を……」


 違う。この娘は誤解している。自分は加害者だ。被災者ではない。

 だが手当しようとしている健気な少女に対して、違うのだと突っぱねるには彼は弱り過ぎていた。

 だがまともに顔を見ることもできず、目を背けてダイゴは言った。


「おいガキ……」

「シェリーです」


 凛とした声で咎められた。


「獣が来てる……危ないぞ……。俺みたいなおっさんなんか……放って」

「嫌です! ちょっと大人しくしてて下さい!」


 彼女が手をかざすと、温かな光が溢れる。

 すると、ダイゴの傷が少しずつ塞がり始めた。


「これは……!?」


 ダイゴは驚き言葉を失った。

 これは……ラナソールの回復魔法ではないのか!?


「おいガ……シェリー、なんでこいつを」

「わかりません」


 彼女自身戸惑っているようだった。


「ただ……こうしたら治るような気がしたんです」


 気にはなるが、ゆっくりと考えている余裕はない。世界の境界が壊れて繋がった影響かとひとまずダイゴは結論付ける。

 まだ本調子ではないが、立ち上がることはできる程度にはなった。どうやらなくしたと思った命を拾ってしまったようだ。

 自分を助けてくれた小娘は何者だろうか。よもやあの爆発テロの生存者ということはないだろう。外から来たに違いない。他に同行者がいないのも気になるところだった。


「一人でこんなところまで来たのかよ……。またどうして」

「はい。少しでも被災者の手助けになれないかと思いまして。あなたしかいませんでしたけど……」


 悲しげに目を伏せるシェリー。

 とんだ行動力だなと彼は感心する。

 子供らしい無償の思いやりや青い正義感からの無鉄砲な行動なんだろうが……タイミングが最悪だ。魔獣がすぐそこまで来ている。

 よく見ると、彼女はしゃんと立ってはいるものの、魔獣の声に怯えてわずかに肩が震えていた。この体たらくでよく今まで襲われずに生きていたものだ。

 さてどうしてくれたものか。ダイゴは考える。

 勝手な善意で助けてくれただけだ。礼を尽くす必要はない。助かった以上は捨て置けばよい。もう一人の自分――フウガならまずそう考えるだろう。


 だが……。


 扱いに迷っているうちに、事態は差し迫っていた。

 彼女の背後から犬型魔獣トベイロスがとびかかる。

 さほど強くはないが、動きだけはやけに素早い奴だ。

 そして間抜けな彼女は接近に気付いてすらいない!


「ちいっ!」


 考える前に体が動いていた。

 本物には及ばずとも、二体接続によって著しく強化された肉体と戦闘センスは、並みの魔獣ならば一撃で葬り去る。

 気を纏った拳の一振りが、魔獣の肉体を爆散させた。


「あーなんだってんだよ……くそ!」


 ダイゴはむしゃくしゃしていた。なぜ助けたのか自分でもわからなかった。

 一方、シェリーは始め何が起こったのかまったくわからなかった。振り返ってようやく、危うく殺されようとしていた事実と、乱れ散った魔獣の血肉に気付いて怯えた。

 だがここで泣き喚いても相手が困ると、着丈に堪えている。

 そんな彼女を見ていると、また無性にいらいらしてならなかった。


「おい」

「……え?」

「おい、シェリー!」

「は、はい!」

「……お前んちはどこだ」

「えっと。トリグラーブの西地区、ですけど……」

「遠いなちくしょう」

「ごめんなさい」


 よほど怖い剣幕なのだろう。シェリーは押されがちにすごすごと謝っていた。

 ダイゴは深く溜息を吐く。


 知らない奴に脳内で話しかけられたと思ったら馬鹿にされ。

 将来安泰だと思っていた同期は家族ごと無残に殺され。

 好奇心で飛び込んだライバル社はいきなり死地で。怯えていたらアルトサイダーの奴らに見い出され。

 流されるままついていったらいきなりフウガと繋がり。

 フウガになった自分は最強だと思っていたらとんだ雑魚で。

 世界の境界を壊せば自由になれると思ってやったのに後悔し。

 死んだと思ったら助かって。


 そして今度は、名前しか知らない小娘のお守りか。


 ――ああ。ままならない。人生ってやつは。偶然と理不尽に満ちている。

 つくづく馬鹿だな。何を嘆いているんだ。退屈じゃない人生を望んでいたのは自分だろうに。


「……行くぞ。化け物がたくさんいるんだ。離れないように付いてこい」

「えっ。あ、ありがとうございます……?」


 こうして状況に流されるまま、少女とおっさんの奇妙な二人旅が始まった。

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