164「Now Mitterflation…」

「何だよ……それって、どういうことだよ……」


 何を言ってるんだよ……。わけがわからないよ……。

 だって、姿も――少し似てるけど――違うし、性格だって、能力だって違うじゃないか。


「まだ至らないのか。お前は、本当に……」


 ウィルは怒りと苛立ち、そして呆れを露わにしながら、なお俺を厳しく責め立てようと、何かを言いかけて――やめた。


「言い聞かせてやりたいところだが……時間がない」


 ウィルは、左手だけ魔法の集中から解き、念じて力を込めた。すると、彼の掌がぼんやりと黒い光を放つ。そして、掌を広げてこちらに向けてきた。


「ここに真実がある。子供だったお前が投げ捨てようとしたもの。お前にとって最も忌まわしい力と記憶だ。あのときのお前には耐えられなかった」

「耐えられなかった……? やっぱり俺は、何かを忘れて……?」


 どこか、変な感じはしていたんだ。

 父さん。母さん。ミライ。ヒカリ。

 なぜみんな、何も言わずにいなくなってしまったのだろうって。

 気が付いたら、父さんも母さんも事故で死んでいて。

 ミライもヒカリも、いなくなっていた。

 覚えているのは俺だけだった。俺だけが、二人がいなくなってしまったことを知っていた。誰に聞いても、二人のことは知らなかった。二人がいた痕跡すらなくなっていた。

 怖かったんだ。思い出したくもないほどに。ひどく孤独だった。

 だけど……もし、根本から違うのだとしたら。

 ウィルの言う真実が、あるとしたら。

 俺が忘れてしまっている大切なことが、あるとしたら。

 俺は、知っていたのか? みんながいなくなってしまった理由を。そんな大切なことを……忘れてしまったのか?、

 それに、どうして君がそれを知っている? そこに、何があるんだ?


「ウィル……教えてくれ。昔、何があったんだ?」

「ふん。勝手な奴だ。手前で忘れようとしておきながら」

「頼むよ」

「……いいさ。きっかけだけはくれてやる。記憶を移しても、経験そのものがお前から消えたわけではない。手前で思い出してみるんだな。今のお前にすべてを受け止めるだけの強さがあるのなら、な」


 ウィルが瞬時に迫る。闇の光を纏う手が、俺に向かって伸びる。

 そして、胸の中心に手が触れたとき、膨大な量の映像が頭に流れ込んできた。


 ――――――――


 母さん。血だらけだ。


 誰かが。嗤って。


 母さんが、銃を向ける。


 俺に。どうして俺に、銃を。


 重い。何かを持っている。


 銃だ。俺、なんで銃なんか、持って……?


 銃声が響く。


 母さんが、倒れていく。


 撃ったのは。


 あ、あ……!


 ――――――――


 ミライ。傷だらけだ。


 睨んでいる。


 どうして、そんな目で睨むんだ。


 また、誰かが。嗤って。


 ヒカリが。冷たい。動かない。


 どうして。嫌だよ。また喋ってよ。笑ってくれよ……!


 ミライ。君は、何を……!?


 やめろ! やめてくれ!


 う、あ……あ……1


 俺は、違う! こんなこと! こんな、はずじゃ……!


 ――――――――


「うわあああああああああーーーーーーーっ! やめてくれええええーーーーーーーっ!」


 身体が勝手に、ウィルの手を弾いていた。


 嘘だ! こんなの、嘘だ! みんな! ああああああ!


 俺は! なんで! どうして!? こんなことに!


 やめて。いやだ。いやだ。うそだ。いやだ。いやだ。いやだ!


 無理だった。すべての記憶なんて、とても見られなかった。ほとんど泣きじゃくる子供だった。こんなときなのに、後から後から涙が溢れて、嗚咽が止まらない。


「無様だな。ユウ」


 衝撃が走る。ウィルに突き放された。

 涙で曇った視界に、光が映る。

 星滅魔法だ。また両手を星滅魔法に集中させていた。心底失望した声が聞こえた。


「力もなければ覚悟もない。そんなお前に何ができる。何もできないのなら、黙ってそこで項垂れていろ!」

「う……く……!」


 頭の中がぐちゃぐちゃだ。俺は、何をした!? みんな……!

 何もかもが嫌だ。怖い。すべて、忘れてしまいたい!

 でも。

 いいのか!? 本当にいいのか? あのまま、あいつにすべてをやらせていいのか?

 ……ダメだよ。ダメに決まっている。みんながいるんだ。約束したんだ。何とかするって。

 俺のことと、この世界のことは関係ないんだ!

 止めなくちゃ。なのに。

 身体が動かない。震えて動かない。動いてくれない!

 頼むよ。言うこと、聞いてくれよ……! 止めなくちゃいけないんだよ!



「待てよ! ウィル!」



 頼もしい声が、聞こえて来た。


「……ちっ。またお前か。レンクス」

「レンクス……!」


 大きな背中が、俺の前でウィルに立ち塞がる。


「おう。急にお前らの力が弱まったから、守りをジルフとエーナに任せて、慌てて来てみたらよ。ユウ。その様子じゃ、元に戻ったみたいだな。ほっとしたぜ」

「う、ううう……!」


 ほっとしたのは、こっちだよ。

 救えなかったこと。ユイのこと。暴れてしまったこと。記憶のこと。

 色んなことが、滅茶苦茶に押し寄せてきて。どれも死ぬほどつらくて。苦しくて。悲しくて。

 だけど。やっぱり、レンクスを見たら、安心して。

 大変なときなのに。どう考えたって、泣いている場合じゃないのに。

 限界だった。せめてあまり声を上げないように、本当の子供のときのように泣きつかないようにと。それしかできなかった。


「おい、ウィル! ユウまでこんなにしやがって! ユイだけじゃ飽き足らないってのかよ!」

「心外だな。こいつが勝手に苦しんで、泣き崩れているだけだ」


 レンクスが心配そうにこちらを見てくるけど、とてもまともに返事ができる状態じゃなかった。


「お前に構っている暇はない。さっさとこの星を消してしまいたいんでね」

「へえ。けど、随分辛そうじゃねえかよ。正直、今の消耗し切ったお前なら、何とか止められそうだぜ」

「……やれるものならやってみろ」


 このままだと、二人が戦い出しそうだった。

 ただでさえ世界は疲弊しているんだ。またフェバル同士が戦えば……!

 ダメだ。それだけは避けないと。話し合いをさせないと!

 辛うじて、涙声を振り絞る。


「やめてくれ! 二人とも! レンクス!」

「どうしたんだ。ユウ」


 レンクスが困惑している。ウィルも動きを止めて、こちらを睨んでいた。俺は、震える全身を押して、何とか言葉を紡いでいく。


「ウィルは……理由が、あるんだ。この世界は……そのままにしておくと、宇宙が消えるって……!」

「何だと!? どういうことだ!?」

「そのままの意味さ。ラナソールは破壊する。しなければならない」


 レンクスは頭を抱えていた。だけど、苦しい顔を見せながら、反論する。


「待てよ。少しだけ事情はわかった。けどよ、今まで大丈夫だったじゃないか。今すぐって必要はあるのか? 他の解決策を探してみる価値はねえのかよ?」

「馬鹿か。お前まで甘さが移ったのか? どれほど猶予があるかはわからない。リスクに比してリターンは少ない。この世界だけだ。馬鹿げている」


 そうだ。ウィルの言うことは……もっともだ。きっと、正しい。

 だけど。諦めたくない。少しでも可能性のある限りは。みんなが、生きられる道を。

 止める力はない。頼むしかなかった。

 なぜか今のウィルは、前より話は通じると感じた。


「お願いだ! ウィル。待ってくれ! もう少しだけ、解決策を探させてくれ!」


 ウィルは当然、良い顔をしなかった。やっぱりひどく怒っている。


「言ったはずだ。何もできないお前が、弱く罪深いお前が、世界を語るな」

「……っ……そうかも、しれない」


 助けられなかった。それどころか、自分の力をコントロールできず、殺してしまったかもしれない。

 記憶からも目を背けて。自分のことさえわからない。自分が怖い。

 後悔だらけだ。滅茶苦茶だよ。最低だよ。自分も、何もかも。

 それでも。俺は。


「けど、俺に資格がなくたって……みんなには、生きる権利があるはずなんだ! 頼む! お願いだよ! もう少しだけ待ってくれ!」

「……お前は」


 ウィルは、黙り込んだ。少しだけ、考えてくれているようだった。

 これで、通じないのなら……。頼む。



 しかし、返答が来る前に、大変なことが起きていた。

 俺たちは、気付く。

 遥か遠くで、浮遊城が、チカチカと光っている。よく見れば、それは戦いの狼煙だった。


 このときはわからなかったのだけど、激しい戦闘の中、『ユウ』とウィルはガーム海域を跨ぎ、ほとんど世界を半周していた。彼らの戦いにとっては、この世界は小さ過ぎた。位置的には、辛うじて浮遊城が見える位置まで来ていたんだ。


「しまった! あの野郎! 動いていたのか!」


 レンクスが事態に気付いて、拳を振り下ろした。


「あのくそ野郎め。いつもいつも下らないことばかりしやがって……!」


 ヴィッターヴァイツのいる方角を睨んで、ウィルは凄まじい目を向けていた。まるで個人的にも、何か嫌なことがあったように。

 俺は、焦った。強い危機感を覚えていた。


「あいつ、ラナを殺すつもりだ!」

「まずいぞ。ラナだけを殺してしまえば、制御が効かなくなる。中途半端が一番まずいんだ。消すなら跡形もなくやらなければ、意味がない」


 ウィルが舌打ちすると同時、瞬間移動で消えた。おそらく浮遊城に向かったのだろう。

 俺も泣いている場合じゃない。今は動かないと! 止めないと!


「レンクス! 俺たちも!」

「わかってる! 掴まれ! 行くぞ!」




 久しぶりに見た浮遊城は、激しい戦火に包まれていることを除けば、変わらず綺麗だった。

 城を守るバリアも、既にまともに機能していなかった。だが、侵入者を迎撃するシステムは自動で発動していた。

 先に着いたウィルが、すべての攻撃を一手に引き付けている。ちらりと俺とレンクスを見た。行けということなのだろうか。

 意を汲んで、正面ホールから進入する。城の中には誰もおらず、驚くほど静かだった。前と変わらず、開かれた空間の向こうには、左右両側に上へと続く白い階段が見える。

 ホールを抜けると、白い丸柱が立ち並ぶ廊下へと出た。こちらも左右対称的な形で向こうまで伸びている。

 前に通ったことがあるから、道はしっかり覚えている。レンクスとともに、階段からさらに上へと進んでいく。

 彼女の私室へ続く、最後の渡り廊下を走っているとき――。


 視界が、割れた。


 六角晶の規則正しい模様が。青く細かな模様が、次々と展開されて、視界を埋め尽くしていく。


 この変な割れ方は、ラナが乱れたときの――!


「ラナッ!」


 私室のドアは、乱暴に開け放たれていた。

 逸る気持ちのまま、駆け込んだとき――目にしたものは。


「よう。一足遅かったな。また――オレの勝ちだ」


 目を驚愕に見開くラナと。勝ち誇るヴィッターヴァイツだった。


 ヴィッターヴァイツの拳が、ラナの胸を貫いていた。


 ラナが血を吐く。目を切なく細める。何かを言おうとして、声が出ない。彼女は、喋れない。


 そして、力なく項垂れた。


 哀しみの感情が、憂いが、俺を貫いた。なんて強く、悲しい。


 君は、死にかけてまで、世界のことを……。


 六角晶の規則正しい模様に、次々とひびが入っていく。ヴィッターヴァイツの嗤い声が耳に響く。


 足場が崩れた。主を失った浮遊城が、崩壊していく。


 突然、目の前に暗闇の穴が開いた。俺を吸い込もうとしている。


 横から、誰かに体当たりされた。レンクスだった。


 俺の代わりに、レンクスが穴へと吸い込まれていく。声を上げる暇もなかった。


 ――空の上で、俺は見た。


 世界の地形が、バラバラのピースに切り取られて、離れていく。隙間から、いたるところに闇が現れる。


 次々と、闇から何かが大量に飛び出してきた。一つ一つが、奇妙な形をして――あれは、あのとき見た化け物じゃないか。


 それらは、我が物顔で砕けた世界を闊歩し始める。手当たり次第に、木を、草を、山を、そして生き物を襲っていく。


 おぞましい光景だった。無事な場所など、どこにもない。


 みんなは、どうなるのだろう。どうなってしまうのだろう。


 空間の繋がり、位置関係すらもあやふやになっていく。砂漠の隣に町が現れ、山の隣に海が現れる。


 遥か先、誰かが落ちていくのが見えた。


 ああ、ユイだ。ユイも落ちているんだ。意識がない彼女は、飛行魔法で抗うこともできない。


「ユイーーーーーッ!」


 必死に手を伸ばす。もう動かなくても、せめて君に触れたくて。抱き締めたくて。一緒にいたくて。


 だけど、届かない。


 落ちる。落ちていく。ユイが。もう一人の自分が。深淵に覗く闇へと。


 俺は、泣き叫んだ。無力を叫んだ。


 やがて、闇が意識を包んでいく。


 俺も落ちていく。どこまでも。




 この日、世界は壊れた。

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