163「The Day Mitterflation 14」

 何が起こっているんだ。俺の姿をしたあの人は……一体……。

 彼の言葉が、やけに重く心に残っていた。とても大切なやり取りだったような、そんな気がする。

 身を焦がすほどの殺意の衝動はすっかり消えていた。代わりに、心にぽっかりと穴が開いてしまったようだった。


 そして、世界は壊れかけていた。


 激しい雷雨が鳴り止むことはない。周囲のいたるところに、アルトサイドへ通ずる暗闇の穴が開いて、暴風をまき散らしている。

 下一面、大荒れの海だった。遠目から見てもはっきりわかるほどの巨大な波が常時発生している。

 エディン大橋が……跡形もなくなっている。海に沈んでしまったのか?

 無事な場所なんて、どこにもなかった。なんてひどい有様なんだ。まるで本当に、世界の終わりだ。

 みんなは……どうなったんだ? 無事なのか……?

 一体、どれだけの人たちが……。犠牲に……。

 これを……全部……俺がやったのか……? 俺が……。


 俺が、殺したのか?


「あ……あ……」


 事実を認識した途端、全身がわなわなと震えた。寒気が止まらない。歯がガチガチと震える。自分を抱き締めた。気持ち悪い。自分が怖くて仕方がない。

 涙で視界が滲む。吐きたくなるほどの後悔が襲ってきて、とうとう堪え切れずに吐いた。


「嫌だ……違う……俺……そんな、つもりじゃ……!」

「またそうやって現実逃避か。弱い」


 目の前で、あいつが蔑んだ目で睨んでいた。不思議なことに、その瞳からはいつものあいつらしくない――人間らしさを感じた。


「ウィル……」

「よく見ろ。紛れもなく僕らがやったことだ。お前にはそれだけの力があった」

「う……う……!」


 本当に、俺と……お前が戦って……滅茶苦茶なことに……!?

 やめてくれ。悪夢だ。最悪だ。世界を守るはずだったのに、こんなこと……!


 はっ――そうだ。ユイは!? ユイはどうなった!?


 最後に胸を刺し貫かれたユイの姿が、心にこびりついていた。

 いや、でも。レンクスやジルフさんが、きっと! そうだよね?


『ユイ! 俺だよ。ユウだよ。返事をしてくれ!』


 …………。


 心の声が、聞こえない。


 そんな……。どうして、だよ。なんで聞こえないんだよ……! いつもなら「どうしたの?」って言ってくれるじゃないか。笑って話を聞いてくれるじゃないか。


 嫌だ。嫌だよ……。頼むよ。お願いだよ。ずっと一緒だったじゃないか。


 置いてかないでくれよ……。俺を一人にしないでくれよ……!


 だけど、いくら声をかけても、返事は来なかった。


 あ、あ……やっぱり、ユイは……!


 もう耐えられなかった。人目も憚らずに、泣き崩れた。


「ユイ。ごめん。ごめんよ……! 俺、君に助けてもらってばかりだったのに……! 俺……何にもできなかった……! 君を、助けてあげられなかった……! 君は何度も身体を張って、止めようとしてくれたのに……! 俺、止まれなくて……世界まで、滅茶苦茶にして……馬鹿だよ……最低だよ……!」


 ユイとの数々の思い出が蘇る。初めて出会った幼い日から、一緒に旅を過ごした今日までの日を。

 すべてが、涙で滲んでいく。


「う……う……いやだ……いやだよ……。君がいなくなったら……俺は、どうすればいいんだよ……。俺一人じゃ、何にもできないよ……いやだよ……寂しいよ……」

「……情けない奴め」


 ――目の前に敵がいる。平然と殺した奴がいる。お前が。


「ウィル……お前……! どうして、ユイを……! どうしてユイを殺した!」

「…………」


 ウィルは答えない。ただ不機嫌な面で、押し黙るばかりだ。

 我慢できるわけがなかった。力の差なんてまったく考えず、思い切り胸倉を掴んでいた。


「ふざけるなよ! 言えよ! どうしてユイを、世界を! 何が楽しくて、お前は……っ!」


 腹に拳がめり込んでいた。息が詰まる。

 咳き込む暇もなく、逆に胸倉を掴み返された。ウィルの瞳には、明らかな憎悪と怒りがあった。


「……お前こそふざけるなよ。どの口が言うんだ。散々逃げ続けてきたお前が!」

「なんだよ……! なんだって言うんだよ……!」

「確かに僕がやった。だが、お前もだ。この現状は、お前自身の弱さが招いたことだ。違うか?」

「…………っ!」


 そう、だ。俺が、弱いから。

 守ることもできず。自分を律することさえも、できない。

 俺が、悪いんだ……。


 乱暴に突き放された。抵抗する力も起きなかった。

 項垂れる俺に向かって、ウィルは告げた。


「色々と予定は狂ったが……世界は消させてもらう」

「まだ、やるつもりなのかよ……!」


 ウィルは、手を掲げた。掌に力が集中していく。あのとてつもないプラズマの技を再び放とうとしているのは明白だった。

 だけど、様子がおかしい。思うように力が入っていないようだった。

 技の展開が見るからに遅い。何度もふらついている。明らかに疲労困憊している。しでかそうとしていることを除けば、見ていられないほど痛々しい姿だった。

 それでも、撃とうとしている。

 何がお前を、そこまで……。

 俺は、たまらず叫んでいた。


「やめろ! どうして、そこまでしてこだわるんだよ!」

「わからないのか? ……まあ、わからないだろうな」


 ウィルは、改めて蔑むような視線を俺にくれた。少しずつ、着実に力を溜めながら、説明を始めた。


「ラナソールという世界は――本来あってはならない世界だ。この世界で何が起こっているか、知らないだろう?」

「普通の世界じゃないってことは知ってるさ! けど……」


 わからない。エーナさんは『事態』だと言っていた。何が起こっているんだ……?


「許容性無限大。異常に高まったエネルギーが、星脈に穴すら開けている。これが何を意味するか、わかるか?」


 ブラックホールみたいなものか? 重力場の穴。けどそれなら、現に宇宙にたくさんあって何の問題も……。

 俺の考えていることを見透かしたように、ウィルは続けた。


「ただのブラックホールなどと同じと思うなよ。放っておけば、宇宙の存在そのものに穴が開く。いや、既に開き始めている。ちょうど今、限界を迎えつつあるこの世界が、そうなっているようにだ」

「なん、だって……!?」


 こんな滅茶苦茶な状態に、宇宙そのものがなりかけているって言うのか……?

 ウィルは、きっぱりと言い切った。


「宇宙崩壊現象の端緒さ。『失敗した』宇宙は、丸ごと星脈に呑み込まれて――消えるだろう」

「そん、な……!」


 馬鹿な。途方もない話だ。話が、でか過ぎる。

 でも、それが本当だとしたら……。


「最も避けるべき最悪の『事態』だ。お前の故郷である地球も、これまで辿ってきた星々も、みんな仲良く消し飛ぶぞ。それでもいいのか?」

「……っ……それ、は…………」


 いいわけがない。だけど……。だけど!


「星一つで済むなら安い。違うか?」

「う……!」


 選べない。選べないよ。選べるわけがないじゃないか……! 


「割り切れ。理解しろ。この星は消え去るべきなんだ」

「……待ってくれよ。わからないよ! わかりたくないよ! だって、この星のみんなだって、生きてるんだ!」


 ちっとも論理的でないのはわかっていた。感情だけの言葉を振り絞っていた。

 俺は知っている。二つの世界に生きる人々の、笑顔や涙を。生きる姿を。ずっと隣で見てきたんだ!

 それを見殺しにしろだなんて……できるわけが、ないじゃないか……!


「他に何か、方法はないのか? もっと穏やかな方法が……みんなが助かる方法が……! それだけの力が、あるなら……!」

「ない。だからお前は甘いと言っているんだ!」


 ウィルの激高に、身じろいだ。ひどく驚いた。こんなに感情を露わにするような奴だったか?


「人は大なり小なり、何かを犠牲にして生きている。お前も選択してきたはずだ。現実に、見殺しにした命があるだろう?」

「あ……」


 ある。あったばかりだ……。俺は、救えなかった。

 反論できない。力なく項垂れる俺に、ウィルは追い打ちをかける。


「同じことさ。何が違う? すべてを救うことなど、できはしない。そんな都合の良い方法があると言うのなら、お前が示してみせろ! お前は、昔からそうだ。誰かが尻拭いをさせられるんだ。喚いてばかりのくそガキめ!」

「っ……!」


 動けない。何も言い返せない。ただ、心が苦しくて、溺れそうだった。

 ウィルもやけに辛そうだった。肩で激しく息を切らしている。一度大きく息を吐いて、彼は言葉を続ける。


「……そもそも、許容性の高い世界はすべて存在そのものが悪だ。宇宙の安定を危うくする。奴らの力の源でもある」

「奴ら? 奴らってなんだよ……!?」


 頭が混乱してばかりだ。さっきから何なんだ。次から次へと! わけがわからないよ!


「そんな大切なことまで忘れてしまったのか。……だろうな。すべての破壊行為を僕に押し付けて、手前で創った女に甘えて、逃げ続けてきたお前にはな」


 どこまでも見下げ果てた目だった。皮肉ったような口調だった。


「逃げ続けてきた……? 俺が、何をしたって言うんだよ……?」

「……本当に、何も覚えていないんだな」

「わからないよ。もう何がなんだか、わからないよ……!」


 お前は、何を知っているんだ!? そんなに大切なことがあるなら、なぜ俺はすべて忘れてしまったんだ?

 完全記憶能力じゃないのか……?


「ああ――そうか。やっとわかったぞ。思い出したくない記憶と最も忌まわしい力ごと、『切り離して』僕に押し付けてくれたのか。お前自身の中には、残滓だけしか。だから、お前は……」

「押し、つけた……?」


 言っていることの、何もかもがわからなかった。

 ただ、不気味だった。目の前の人物が、いつもと違う意味で恐ろしかった。

 ぞっとするような予感しかしなかった。

 俺は、もしかしたら、とんでもないことを……。


 確かめるのが怖かった。震える口が、それでも、勝手に問いを紡いでいた。


「ウィル……。お前は、誰なんだ? 何者なんだ?」


 ウィルは、心底呆れていた。盛大に嘆息した。


 そして、言った。




「まだわからないのか? 僕は――お前だ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る