145「とてつもない来客者」

 今、『アセッド』は未曽有の危機にあった。


「ホシミ ユウ、だったな」


 燃えるような金髪。全身に漲る力。眼つきは剣のように鋭く。

 その姿は直接見たことはないが、心に触れたときに知っていた。


 ヴィッターヴァイツ……!


 まさか。直接乗り込んでくるなんて……!

 この野郎。終末教対策に追われて、レンクスとジルフさんもエーナさんもいないわずかな隙を狙って来やがった!

 まずい。早く。助けを呼ばないと!

 しかし、機先を制されてしまった。


「おっと。下手に応援を呼ぼうなどとは思わんことだ。念話も一切を禁ずる」

「……なにしに来たんだよ」

「なに。少しばかり挨拶をしてやろうと思ってな」


 カウンターのユイは、突如の来襲者に目を見開いて、肩を小さく震わせていた。脅威を知らないミティが余計なことを喋らないようにと、懸命に口を手で塞いでいる。


「座るぞ」


 ヴィッターヴァイツは、一番近くにあった客用のテーブルに、我が家で勝手にくつろぐかのごとく、足を乱暴に投げ出して座り込んだ。

 俺も奴の動きに注意を払いながら、慎重に向かい側にかける。


「…………」

「…………」


 お互い不愉快な面で、無言で睨み合う時間が続いた。


 この状況。どう乗り切る。

 こいつは、何を考えている?

 心を入れ替えに来たわけではないことは明白だ。

 あんなことがあって、反省も後悔もなしに仲良くしようだなんて、そんなのは土台無理な話だ。


 焦りと緊張と怒りと。様々な感情が洪水のごとく渦巻いて、頭は沸騰しそうだった。

 今のところ何もして来ないけど、一手間違えば、フェバルの暴力的な力がレジンバークを破壊する。

 極限の威圧感が、全身の穴という穴から汗を吹き出させてくる。冷や汗が熱い。手の震えは止めようもないが、テーブルの下に隠して、誤魔化せているだろうか。


 それと。やっぱり気のせいじゃない。


 ただこいつを見ているだけで、こうして向かい合っているだけで、心の内から、まるで自分のものではないような、強烈な殺意が沸き上がってきて、胸を締め付けて仕方がない。

 今すぐにでもこいつのむかつく面をぶちのめせと、気の済むまで殺せと、黒い力がしきりに囁きかけて、迫ってくる。

 そいつにさえ身を任せれば、あるいは本当にできてしまうのかもしれない。現状の圧倒的な力の差をよくわかっているはずなのに、なぜか俺には確信に近い予感があった。


 ……だけどきっと、そいつに心を明け渡してしまえば、今の自分には戻れなくなる。まともな人ではなくなってしまう。力を得たとしても、きっと後悔する。これも確信に近い予感だ。


 自制するのにも必死だった。

 ユイがいなければ。ユイが歯止めになってくれなければ。いつ俺を狂わせてしまってもおかしくはない。それほどに強力で、心を揺さぶる誘惑だ。


「おい」

「なんだよ」


 本当に自分の声かと思うくらい、不機嫌な声だった。

 ヴィッターヴァイツは嘲るように言った。


「ここは来客に茶の一つも出さんのか?」

「客? お前が客だって?」


 寝言は冗談で言えよ。


「客でないのなら、オレは殺戮者ということになるな。それでも構わんが」

「お前……」

「どうぞ」


 予め用意していたのか、ユイがすっと進み出て、極めて事務的な笑顔でお茶を置いていく。念話も禁じられているので、目で俺に『ここは抑えて』と訴えかけている。

 諭されて、俺もいくらかは冷静になることができた。


「小娘の方は聞き分けが良いな。少しは見習ったらどうだ」


 望む通りのものが出て来て多少は機嫌が良くなったのか、奴には不遜な笑みが戻っている。

 そして、ユイの全身を、特に突き出した胸の辺りをしげしげと眺めて言った。


「抱けば良い声で啼きそうだな。小娘」

「誘いならお断りだよ」


 さすがにこれにはユイも乾いた笑顔に怒気が張り付いている。今度は俺が『ここは抑えて』と目くばせを送る番だった。しかし、自分が女のときに言われていたら腹の立つ台詞だ。

 ヴィッターヴァイツは、断られたことなどまったく気に留めずに、自分が抱きたいと思えば当然のように―――無理やりか【支配】して抱けると言わんばかりに、一方的な感想だけ述べた。


「もう少し熟してくれば、一番の頃合いになるだろうにな。くっくっく。もはやなることもできんかな?」


 その言葉から、こいつは俺たちのことをフェバルか何かだと推測しているに違いないと踏んだ。この店にはフェバルが揃っているし、しかも最後に能力を使って撃退したから、当然の推測だ。


 一触即発の緊張の中、ズズ、と厳かな音を立てて、茶が啜られる。


「うむ。中々良い茶葉を使っているな」

「用件は何だ」


 呑気に世間話をしに来たわけではないだろう。問うと、奴は眉をしかめた。


「急かすな。それに、口の利き方には気を付けろと言ったはずだぞ。小僧」

「……嫌だね。お前は尊敬するに値しない男だ」


 少しは心に触れたからわかる。こいつはそんなことを言いながら、おそらく自身を恐れて媚びへつらうだけの人間が最も好きではない。

 下手にへりくだって見せたりなんかしたら、その瞬間に不興を買って、殺されてもおかしくはない。


「本当に生意気な小僧だ。まあよい」


 軽口の水面下で、ギリギリの舌戦だったが、どうにか賭けには勝った。


「言っただろう。少しばかり挨拶をしに来てやったと。貴様自身にも、ほんの少し興味がある」


 この男から興味があるという言葉を引き出せたことが、どれほど大きなことなのか。性格的にほとんどすべての人を人とみなしていない節のあるこいつが、少なくとも俺のことは話すに足る相手だと認めている。

 先の戦いで一泡食わせた事実は、決して小さく受け止められなかったらしい。

 ……おかげで、こうして対面することになってしまったわけだけど。


「挨拶にしては、随分と喧嘩腰じゃないか」

「貴様に人のことが言えるのか?」

「…………」

「…………」


 再び、意地の睨み合いが続く。

 ダメだ。腹が立つ。こいつ、嫌いだ。

 抑えようとしても、内から沸き上がってくる敵意は、隠せようもなかった。

 こんな態度でいれば、いつ襲い掛かってきてもおかしくない。なのに、なぜかこいつはすぐには手を出して来なかった。

 奴の心から肌で感じ取れる悪意は、絶え間なく満ち満ちているというのに。

 俺のことなど、取るに足らないと断じていたはずなのに。どういうわけか今は、いくらか警戒もしているようだ。

 俺がなぜか、この男に並々ならぬものを感じているように。いざ本体で対面してみれば、奴も俺に何か感じるところがあったのか。わからない。


「よく見れば、星瞳孔が開いているな。その程度でフェバルなのか。貴様」


 なるほど。気付いたのか。先ほどからそれを見ていたのか。

 見た目だけでは区別が付かないので、よほど意識して、注意深く瞳の奥を観察しないとわからないが。フェバルをはじめ、素質のある者の一部は、星瞳孔と呼ばれる、星脈エネルギーを視るための特殊な孔が備わっているらしい。レンクスが前に教えてくれた。


「だったらなんだよ」

「謎が解けたぞ。貴様自身がフェバルというのなら合点がいく。最初からこの『アセッド』とやらは、外れ者のフェバルが身を寄せる場であったというわけか」


 事実関係は逆だ。本当に『何でも屋』で、偶然と縁でそうなっただけのことだけどな。こいつに説明してやることでもないので、黙っておく。


「能力はなんだ」

「敵に手の内を明かすとでも?」

「つれない奴だな。だが推測は付く。おそらくオレの【支配】と同じ、精神接続に関わる力だろう」


 ……さすがに見抜かれている。お互い、あの戦いでカードは切ったってわけか。


「いくつか、質したいことがある。答えてもらうぞ」

「断る」


 自分でも驚くほど、冷たい声だった。


 次の瞬間、頭に割れるような激痛が走っていた。何をされたのか、まったくわからなかった。


「ユウ……!」


 ユイが悲鳴を上げる。

 遅れて、やっと気付く。

 テーブルに叩き付けれられていた。

 木製のテーブルは簡単に割れて、俺は、無様に地面に這いつくばっていた。

 ヴィッターヴァイツの厳しい声が、上から嫌に響く。


「あまり調子に乗るなよ。わかっているのだぞ。貴様はフェバルと言っても、ろくに力を使いこなせておらん。そこらの有象無象と変わらぬ。実に情けないあり様よ」


 突然、激痛が走る。骨が折れた音。たまらず、声を上げた。


「う、あ゛ああっ……!」


 踏みつけられていた。


「オレと貴様は、対等ではない。力なきは、それだけで罪と知れ」


 何もできない。抵抗することも。助けを呼ぶことも。

 屈辱的だった。

 こんなにも簡単に。人という存在は、踏みにじられる。


「一つ、賢くなっただろう。小僧。貴様に選択肢はない。言うなりになるか。させられるか。好きな方を選べ」

「くっ……げほっ……」


 言われなくても、わかっているさ。俺が自分の能力をコントロールできず、散々振り回されていることくらい。

 いつかはと思っている。

 そのいつかが今であれば、どれほどいいか。お前に特大の灸を据えてやりたい……!


 乱暴に蹴転がされて、仰向きにさせられた。


 震える足で立ち上がる。痛みで視界が揺れている。

 なのに不思議と、思考はクリアになっていった。心が冷えていく。

 辛いが、辛うじて喋れる程度のダメージだ。拷問の巧い奴だと思った。


「おいおい……なんだ。その目は」


 果たして俺は今、どんなに冷めた目をしているのだろう。

 こんなにも冷たくなってしまえる自分がいると気付いて。自分で自分が怖かった。


「まだ立場をわかっていないようだな。手始めに、そこの女二人を殺してやろうか」

「ひっ……!」


 ミティが小さく悲鳴を上げて、ユイがかばうように一歩、前へ進み出るのが見えた。


 ――またか。こいつは。何度やっても変わらない。


 何かの思考が混じる。こいつと向き合っていると、ユイとは別の――自分の声が聞こえてくる。

 この上なく危機的な状況だというのに。恐れなどよりも、憤りと殺意が勝っていた。

 心が冷え切っていく。


 ……いけない。このままじゃ。


「帰れ」

「ん?」


 頼む。帰ってくれ。


「何もせず、このまま帰れと言ったんだ」

「……ほう」


 このまま、直接お前と向き合い続けていたら。


「お前と話すことは何もない」


 おかしくなりそうだ。


「舐められたものだな。力の差をよくわかっていないようだ。トレヴァークとは、わけが違うのだぞ?」

「やってみろよ。お前は一々人質を取らないと、たかが小僧一人に言うことも聞かせられないのか?」


 挑発して、強く睨み返す。せめて二人から気が逸れればと。それが返答だった。


「まったくもって、見下げ果てた馬鹿だな。気が変わったぞ。やはり――一度殺しておくか」


 これまでは、他のフェバルに悟られないよう、抑えていたのだろう。

 本物の《剛体術》が、眼前で解き放たれる。

 圧倒的な気力が――オーラが、奴の全身に漲り渡っていく。

 おおよそ、想定した通りの力だ。

 ラナソールの恩恵なんて、気休めにしかならない。

 どれほど控えめに見積もっても、こちらの実力の優に百倍はあるだろう。

 まともな戦いになんてならない。とても敵うはずもない。


「ユウ……ッ! やめて!」


 ユイの叫びが、近いのに、やけに遠くから聞こえる。

 振り返る暇もない。でもわかった。泣いていた。

 こちらに向かって身を挺してかばおうとするのを、必死に心で制する。


 いいんだ。これなら――まだいい。殺意が俺だけに向くなら。

 これだけ力を出してくれるなら、レンクスもジルフさんもエーナさんもきっと気付いてくれる。


 俺は、辛うじて俺のままでいられる。人をやめるよりは、人として死にたい。


「未だ宇宙の広さを知らぬ小僧よ。身に刻め。そして畏れよ。これが本物のフェバルの力だ」


 それ以上は、覚悟を決める暇もなかった。


 初動さえも見えない。


 ただ、衝撃があった。


 蹴りだろうか。思ったよりも、痛みはなかった。


 視界がめまぐるしく回る。浮いていた。


 眼下に、雑然とした街並みが映る。


 俺はどうやら、ものの一瞬で、レジンバークから弾き飛ばされていた。


 ――ああ。どこかで、俺はこんなとてつもない蹴りを喰らったことがあるような気がする。


 ――あのときも、何もできなくて。悔しくて。


 やっぱり、死ぬのかな。フェバルは死んでも生き返るって言うけど、ウィルには何度も仮に「殺された」ことはあるけど。


 本当に死ぬのは……苦しいな。


「死ね。小僧」


 止めの一撃が迫る。それは確実に、俺を肉片に変えるだろう。



 ――しかし、それが俺を貫くことはなかった。



 頼もしい背中が見えた。剣が、拳を受け止める。



「遅れてすまなかったな。坊主」

「ほう。貴様は……」

「お前がヴィッターヴァイツか。会いたかったぞ」



 ああ。来てくれたんだ。ジルフさん――。


 安心した瞬間、辛うじて残していた意識が、離れていった。

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