107「家族に会いたくて 2」
〔ラナソール → トレヴァーク〕
シルを通じて、『心の世界』によく似た薄暗いところを通ってくると、やがて視界が開けた。
よし。着いたみたいだな――あれ?
おかしい。地面の感覚がない。
どういうことだ。
周囲の光景は――何のことはない。ただの道路で。
横に目をやれば、シズハがぎょっとした目でこちらを見ている。入浴中に出くわした際のような怒りなどは一切なく、本当にただ驚いているようだ。
ほとんど同時に、目に映ったものがあった。
彼女はバイクに乗っている。
なるほど。つまり彼女の近くに出てきた俺は、走るバイクのすぐ隣、何もない宙に浮いていると……。
え、マジで!?
事実を把握したとき、既に俺の身体は落下を始め、時速100kmの勢いで道路へ投げ出されようとしていた。
やばい! 死ぬ! 防御しないと死ぬ!
もはや一刻の猶予もなかった。無我夢中で《マインドバースト》までかけて、全力で受け身の姿勢に入る。
直後、アスファルトにぶつかる。衝撃が走った。視界がぐるぐる回る。
息が詰まる。何度も身体が打ち付けられ、跳ねる感覚があった。
はたから見れば、「こいつ大丈夫か」ってくらい激しく転がり回っていることだろう。
でもこれで受け身は上手くいっている。見た目的に派手に吹っ飛んでいるということは、上手くエネルギーを身体に引き受けずに、運動エネルギーとして受け流せている証拠だ。
不意打ちの事態にびびったが、何とか身を守れそうだ。
内心ほっとしたのもつかの間。
一難去ってまた一難。どうやらいつの間にか、対向車線まで弾き出されていたらしい。
うわ。ちょっと。待って!
トラックだ! トラックが目の前に迫っている!
「うわああああっ!」
《ディートレス》!
咄嗟に発動したリルナのバリアが、辛うじて俺を守ってくれた。
直接、正面衝突。
バリアが衝突による肉体へのダメージを防いだ。和らいだ衝撃を受け、バリアごとピンボールのように弾かれて、俺は盛大に吹っ飛んでいった。
また何度かバウンドし、やっと俺の身体は止まってくれたのだった。
身体のあちこちが痛い。いきなりこんなのって馬鹿みたいだ。泣きそうだ。
とても動く気になれないでいると、そのうちシズハが心配した顔で、そろりそろりと近寄ってきた。
「だいじょぶ……か……?」
「し、死ぬかと思った……」
目の端に涙が浮かんでしまったのは、かっこ悪いけど仕方ないだろう。仕方ないよね?
情けないながら、シズハに抱え起こされて、肩を支えてもらう。気力による治療を自身に施すと、やっと一息つけた。
さすがに何もないというわけにはいかなかった。警察もやってきて、適当に事故処理を済ませた。バイクからの落下事故ということにした。
おかげで早く行こうと思っていたのに、無駄にその日を潰してしまったよ。付き合わせてしまったシズハと、ニザリーには申し訳ない。
夜は、シズハの隠れ家にお世話になった。
慰めなのか、温かいトゥカーを振舞ってくれたシズハさんは、やや同情的な反応だった。
「お前。本当に、出る場所……選べないんだな」
「まさかね。走っているバイクの隣にも容赦なく出て来るとは思わなかったよ」
今まで知らなかったけど、危険な事実だ。
最悪、誰かに攻撃されてる途中に出てきたら、いきなりそいつの攻撃くらうってことじゃないか。今度からこっち来るときは警戒しておかないといけないな。
それにしても、よく咄嗟に身を守れたものだ。戦闘経験が生きたな。
人の心を読める【神の器】は不意打ちには滅法強いけど、あくまで人の悪意による攻撃に対してであって、悪意のない不意打ちに対してはまったく万能じゃないんだよな。
今回のことでまた思い知ったよ。やはりいかにチート能力と言っても、頼りきりでは足元を掬われる。ちゃんと自分の目で見て、感じたものも使って判断しなければ。
翌日。シズハは別件の仕事があるため、一人で行動することになった。
旧工業都市マハドラは、トリグラーブからは遥か遠く、ラナリア大陸の南方に位置する。海を渡る必要があった。普通に『世界の道』トレヴィス=ラグノーディスを辿って行けば、数日では済まない時間がかかってしまうだろう。
というのも、トレヴァークにおいては実用的な空路が存在しない。基本的に自動車やバイク、そして船の類が最速の移動手段になるからだ。
実はトレヴァークでは、トレヴィス大陸を取り囲むグレートバリアウォールが世界全体の気流を乱しており、上空の気流が非常に「暴力的」になっている。そのため、航空技術があまり発展しなかったという歴史的経緯があった。
ラナソールには、シュル―という空に浮く乗り物が普通に存在するけど、飛行機は存在しない。
考えてもみよう。金属の翼が空を飛ぶと、それを知らない世界に住む者が簡単に思い付くだろうか。
想像の付かないものは、存在できないということだ。
一応、空を飛ぶ手段もあるにはあって、でもせいぜいが「暴力的な」上空を避けてゆったりと飛ぶ気球船くらいだった。もちろんかなり遅い。
なので、もっぱら交通は陸路か海路になるというわけだ。
とまあここまでが一般的な世界事情だけど、俺には素晴らしいマシンがある。
『心の世界』より取り出したるは、最近殊勲賞のディース=クライツだ。
今回はフライトモードの出番である。かなりエネルギーを食うけど、既にユイに頼んでフルチャージしてもらっていた。
人目に付くとまずいので、十分高度をとって飛ぶことにする。
ブロウシールドのおかげで、飛行は快適だった。マッハを超えたスピードによって、本来は約一カ月もかかるはずの道程は、わずか一日にまで短縮されたのだった。
とは言っても、丸一日飛びっぱなしだったので、さすがに疲労は溜まる。マハドラに着いたら、その日は大人しく宿を取って寝るだけになった。
これで二日。移動で使ってしまった。
ベッドに横たわりながら、ユイとのんびり話す。事故の下りはめっちゃ笑われたけど。
『毎回移動にかなり時間がかかるのは考えものだよね』
『そうだな……』
ユイの転移魔法のようなものは、この世界にはないからな。どうしても移動は地道になってしまう。そもそも、世界間の移動がリク-ランドやシズ-シル任せというのも不安定だ。二人とも、ラナソールでは居場所が不安定な冒険者だからね。
何か上手い方法はないものか――そうだ。
考えているうちに、良さそうなアイディアが浮かんだ。
『一つ考えたんだけど』
『うん』
『リク-ランドやシズ-シルみたいにさ。二つの世界の対応人物がわかっている人たちを増やして、地道に仲を深めていけば』
『あ、なるほどね。言い方悪いけど、ショートカットがたくさん作れるってわけ』
『そういうこと』
例えばマハドラに行きたい場合は、リク-ランドやシズ-シルを経由して、トリグラーブから直接マハドラに向かうのは効率が悪いのでやめる。そうではなく、マハドラに住んでいるトレヴァークの人と仲を深めておいて、その人に対応するラナソールの人から向かうようにする。
ラナソールでの移動なら、ユイの転移魔法を使えば一瞬で済んでしまう。こちらの世界で頑張って直接移動するより、遥かに効率的だ。
ただ問題は、そうそう都合よく対応人物を見つけて、しかも仲良くなれるかってことなんだけど。
『心の世界』の向こうで、ユイが苦笑いしていた。
『ありのまま団とエインアークスの……「アセッド」の連中がいるね』
『ああ……なんてことだ。思い付かなきゃよかった』
さすがに冗談だけど。
……まあ確かに、こっちの世界のお店のスタッフはよく俺のことを慕ってくれているし、あの筋肉どもとは馬鹿みたいな付き合いがある。最近は漢祭りで大暴れして、顔を売ったこともあるし。
あの中から、いくらかはパスが通じる人が出て来てもおかしくはないのか。しかも調査のために世界中にばらけているから、都合はいいな。都合だけは。
『あとはやっぱり地道に依頼で仲を深めていって、って感じだね』
『人を助けて道が繋がるって考えると、とても素敵なアイディアに思えてくるな』
まさに情けは人のためならず。
分断されていた世界が、人の絆によって網の目のように繋がっていく光景を想像して、ほんのりと嬉しい気持ちになった。
そのためには、一つ一つ。まずはこの依頼からだ。頑張ろう。
明日からマハドラの調査に入る。何となく今夜はちょっと良い夢が見られそうな気がした。
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