96「めげるな! エーナさん 3」
二人で軽く話し合い、無限迷宮攻略に向けたシンプルな作戦を固めた。
1.「奈落」の罠を探して踏みまくること
2.それなりに進んだら『休息部屋』を見つけて一度帰ること
1.については、道中のサポートはルドラがメイン、踏んでからの対応はエーナがメインとした。
2.については、一度に攻略するのは無理なので、何度にも分けて少しずつ攻略していこうというルドラの発案だった。
「暇つぶしにしては長くなりそうねえ」
「暇つぶしで最難関ダンジョンに挑むとはね……。だがこれでも裏技のおかげで劇的に楽になったはずだ」
落ちっぷりから判断して、一度に数十フロアは落ちているだろうと踏んでいた彼が、面倒そうにぼやく彼女を窘めた。
即死トラップを逆手にとって一気に進めることがどれほどやばいことなのか、彼女はまったくわかっていないようだと彼は思った。
たった一つの階層の攻略にも数日~数週間単位でかかるのが普通である。ルドラは一階層につき二、三日とここまでは順調に来た方であるが、元々付き合いで攻略済みのフロアがあったので、一から始めたわけではない。
「まあいいわ。私に任せなさい。このドジな足がきっと罠を探し当ててくれるわよ」
「誇らしく言うことじゃないよなあ」
二人は、もし下の階層への道が普通に見つかったらとりあえず下りておこうくらいの気持ちで、もっぱら罠を探してフロア中をうろうろした。
しかしである。
元々「奈落」の罠は非常に珍しいものだ。そうそう引っかかるようなものではない。
三回も連続で速攻「奈落」を踏む奇跡を起こしたエーナであるが、四度目の奇跡は中々起きてくれなかった。
物欲センサーというか、罠欲センサーでもあるのだろうか。二人が探し始めた途端、ぱったり「奈落」の罠は見つからなくなった。
時折現れる魔獣の対処を適当にこなしつつ、しらみつぶしに歩き回ったが、気が付けば収穫のないまま数時間は経過していた。
そうなれば、元々初対面で気が合うわけでもない。次第に退屈してきたエーナと、疲労の隠せないルドラの間の空気も悪くなろうというものだった。
「欲しいときには見つからないものなのよねえ。こういうのって」
「なぜ急に見つからなくなるんだ。都合の良いときに使えない女だなあ」
「うるさいわねえ。私だって一生懸命やってるわよ」
配慮のない発言に、彼女がいらいらしていい加減にその場を踏んだとき。
カチリ。何かが動く音がした。
「お」
ルドラが反応すると同時。
ばしゃあ。
上から大量の水が降ってきた。
残念ながら落とし穴でなく、水の罠だった。ルドラはさっと回避し、エーナだけがもろに被った。
地下の泥水をそのまま利用したものなのか、汚い。
「うう……」
汚水も滴るいい女になったエーナは、怨霊のように長い金髪を垂らして、またしくしく泣いていた。
しかも、それだけでは終わらなかった。
そこになぜか――魔獣の使っていたものだろうか――追い打ちで金棒まで降ってきて、脳天に直撃する。ダメージこそないものの、ガンと鈍い音がして、より惨めさが増す。
ルドラもさすがにこのミラクルぶりには同情的な気分になり、慰めるように言った。
「まあ、なんだ。いいことあるさ」
「ううう」
泣きながらも、エーナはしっかり魔法でお湯を出して身体を綺麗にしていた。透けない服でよかったと彼女は思った。
彼女が落ち着くのを待ってから、また探索を再開する。
すぐ後ろから添いつつ、ルドラは彼女を何となしに観察していた。
色々と残念なクオリティを見せつけてくれる彼女ではあるが、見てくれは決して悪くない。むしろ残念なところに目を瞑れば、見た目は好みの部類に入る。
襲い来る魔獣への対処も彼女一人でさくっとやってしまうので、男として全く頼られ甲斐がないという最大の問題はあるが。
気が付くと、彼の軽い口は勝手に浮いた台詞を紡ぎ出していた。女好きという病気である。
「どうだろう。攻略が落ち着いたら、食事でもいかがかな」
「おあいにくさま。十分間に合ってるわ」
「男がいるようには見えないけどねえ」
枯れた感すら漂わせる見た目はアラサーの女性に、男はあくまで見たままに言った。
「失礼ね。夫もいるし子供も三人いるわよ」
実際は「いた」である。それだけでなく、孫もひ孫もその先々もいたし、とっくの昔にみんな自分だけ遺して死んでるんだけどね、とは言わなかった。
「なんだい。使い古しかい。でも物足りなさそうに見えるけどねえ。夜、上手くいってないんじゃないかい?」
「ほんと、デリカシーのない男ねえ」
「ああ。よく言われるねえ」
思いやりの少ない男なので、女性には不評だったりするのだが、本人も自覚しているのか、さして気にしていなかった。
そんなやり取りで軽く流しながら、さらにしつこく練り歩くこと数十分。
まだ「奈落」は見つからない。
楽をしようなんて甘い考えだったかと、二人が自分の過ちを認めかけていたそのとき。
カチリ。
ついに床が消失した。
「当たったわ!」
「よーしでかした!」
前に落ちたときとは一転、二人は大歓喜して「奈落」の底へ飛び込んでいく。
しかし忘れてはならない。「奈落」は罠なのである。決してショートカットのための便利装置ではない。
長い落下の後、底が近付いてくる。
トゲもなければ、カニもいないが……。
今度の今度こそ完璧な着地を決めた二人の眼前に、一匹の何かが飛び込んできた。
「ぷきゅー」
かわいらしい鳴き声。丸みを帯びた半液状の姿。大きさも人の腰より下ほどしかない。
「あら。かわいい」
「待て。こいつは……」
女性らしい反応を示したエーナに対し、ルドラは身構える。
なぜこんなところにこんなやつが。彼は訝しんでいた。
見る人が見ればわかることだが、それはラビィスライムと呼ばれる、スライムの変種と思われた。
ルドラなんか目じゃないくらいの女好きで、見境なく飛びついてはすりすりもぞもぞしていくという、もっとや……実に救いがたくけしからん性質を持った生物であった。
しかし、普通のラビィスライムは水色なのであるが、今二人の眼の前にいるそれは紫色をしていた。
ただのラビィスライムではなさそうだ。
変種の、さらに変種。もしかすると上位種。
ともかく新種のスライムを前にして、エーナはあまりに無防備だった。ユイからちょっとでも話を聞いていれば、汚物を見るような目になっていたかもしれないが、とにかく対応が遅れた。
枯れていても、女は女。ラビィスライムの本能が呼び覚まされる。
「おい、そいつは。気をつけ――」
「え?」
動く。
優にラビィスライムの三倍はあろうかという素晴らしい速度。
電光石火の勢いで、油断し切っていたエーナに飛び付いた。
「きゃああっ!」
すりすり。もぞもぞ。
くすぐるような動きでエーナを堪能する。
「あ、やめっ!」
「だから言ったぞおおお!」
言いながら、ルドラも男だった。
三十路だが許せる。
一秒ごとに進んでいく事態に、目が釘付けになっていた。
さて、これがただのラビィスライムなら、粘液塗れにされるだけで済むところ。
さすが上位種は一味違った。
なんと飛びついたところから、酸が発生。
肌は一切傷付けることなく、器用に服だけを溶かしていく。どんな酸だ。
ローブがぼろぼろに溶け落ちていき、粘液塗れのブラが顔を覗く。
頑張れ。あと一枚だ。
ルドラは固唾を呑み、手に汗握りながら見守っていた。
「このっ! 何すんのよ!」
焦ったエーナは、常人にはとても出せないレベルのチートじみた魔力を解き放つ。
体表を乱暴な風が吹き荒れる。
その勢いたるや彼女の焦りや怒りを体現するかの如く、ラビィスライムなど簡単に引き剥がして、それが出せるスピードをさらに上回る速度で岩肌に叩き付けた。
さすがの上位種も、この勢いで叩きつけられてはくたばるしかなかった。液状の身体がぐずぐずと溶けて、地面に消えていく。
「ぜえ、ぜえっ! なんて、奴なの!」
「惜しかったな」
いいものを見たルドラは、しみじみと一言。
「あなた、どっちの味方なのよっ!」
「挑む者の味方さ」
あけすけに言う彼に、エーナは呆れて物も言えず、ただじろりと睨んだ。
いやしかし、見た目に油断していた。とんでもない罠だった。
まあローブは魔法で直せるしと、彼女はほっと一息吐こうとして。
「ぷきゅー」
「「ん?」」
もうしないはずの鳴き声に、二人は同時に反応して振り返る。
またいた。紫色のラビィスライムだ。
「さっそく新手というわけね。もう油断しないわよ」
彼女が怒気を含んだ恐ろしい笑みを浮かべて、打ち倒すべく手を構えたとき。
「ぷきゅー」
別の方向からも、同じ鳴き声が追加される。
「あら。まだいるわけ?」
「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」
「おい。どうも様子がおかしいぞ」
一匹ではなかった。あちこちから、次々とラビィスライムの変種たちが姿を現してきたのだ。
「え、ちょっとお!?」
「多過ぎないか!?」
戸惑っている間にも、みるみるうちに取り囲むそれらの数は増えていく。
二人は知る由もないのだが、ラビィスライムが死んで溶けるとき、匂いで仲間にメッセージを伝える。
臆病な普通のラビィスライムだと「逃げろ」になるが、ここは無限迷宮の深部である。紫色の変種が発する遺言は、そんな生易しいものではなかった。
「溶かせ」。
しかも二人のいるその場所は、よりによってラビィスライムの巣だったのである。「奈落」に落ちた者を歓迎する特別仕様だ。
「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」
一匹見かけたら百匹いると思え。その百匹がいっぺんに飛び出てきたような、そんな感じだった。
既に辺り一面は、紫色で賑やかな状態になっている。それらは全て一様に、知性の感じられない魔獣の目で二人を見つめていた。
「そう。全員まとめて殺されたいようね」
あまりの光景に内心びびりながら、エーナは辛うじて強がってみせた。そして、ルドラに注意を呼び掛ける。
「死にたくなかったら側にいなさい」
「そうさせてもらおう!」
情けないだとか何だとか考える余裕もなく、ルドラは即答して彼女の影に入った。彼の足はひな鳥のように震えていた。
鳴き声が揃ったのを合図に、大量のラビィスライムがなだれ込んでくる。
エーナは落ち着けと念押ししながら、両手を構えた。
最初の一匹が到達する前に、放つ。
《アプンディスト》
通成魔法による雷が発動。
二人の全方位を結界のように守り包みながら、正確にはエーナを中心に半球状に広がっていく。
やはり威力は素晴らしいもので、フェバルの魔法を前にたかが小魔獣などひとたまりも――
いや、動いている!
いくらかやられたものの、大半の個体が割と平気で飛びかかり続けていた。
「何やってるんだ! 大して効いてないぞ!」
「うそ!? そんなはずはっ!?」
痛恨の選択ミス! ラビィスライムは雷魔法に絶大な耐性があるのだ!
期待が完全に外れて、エーナは少しの間パニックになった。
その隙にスライムの第一波、到達。
「うおおおおうっ!」
「きゃあああああっ!」
満員電車もかくやという状態で、二人は圧倒的物量に揉まれた。
飛びつかれた先から、酸が発生。
エーナの服はもちろん、ルドラの服まで溶けていく。
「もっ、いや、やめてえええええ!」
「オレに、需要があるかあああっ!」
どれほど怒り猛ろうとも、ラビィスライムは紳士である。
女の身体を傷付けるようなことは決してしない。薄皮を剥ぐように丁寧に剥かれて、最悪気の済むまで慰み者にされるだけである。
ただラビィスライムは野郎には容赦しないので、彼については殺す気満々だった。
「あっづうっ!?」
ルドラが顔をしかめ、痛々しい声を上げた。少しずつ皮膚がただれてきている。
彼は自分が何か恐ろしいことをされていることに気付いて、しかし大量のスライムにすりすりされる混乱の中、実際何が起こっているのかよくわかっていなかった。
「あああああああ!」
よがり狂うエーナは、無我夢中で叫び、身を守るための魔法をほぼ無意識に使っていた。
彼女に張り付いたラビィスライムから、さーっと溶けるように崩れ去っていく。
効果範囲は先の雷魔法よりさらに広く、あわや殺されかけていたルドラに取り着いていた連中はもちろん、これから第二波としてねっとりプレイを楽しもうとしていた奴らもみんな形を失っていった。
使われたのは、《ティラードム》という魔法だった。
狙った対象の細胞に直接作用してどろどろに破壊するという、まったくもって凶悪極まりない効果を持つ魔法である。消費魔力も馬鹿げていて、なんと同威力の《アールリバイン》の約十倍である。ほとんどフェバル専用魔法だ。
余裕がなかったので、むしゃくしゃしてつい使ってしまった。たぶん後悔はしてない。
群れが溶けてなくなったので、二人の ※見せられないよ! な姿が露わになった。
エーナもルドラも、互いの ※見せられないよ! な姿を確認する余裕もなく、目に涙浮かべて、肩で必死に息を切らしていた。
「助かった、のか……?」
「ふっふっふ。ざまあ見なさい! 私にたてつくとこうなるのよ!」
エーナは拳を突き上げ、高らかに勝利宣言。
……した瞬間に、素敵な合いの手が入った。
「ぷきゅー」
「「なっ!?」」
ほら二人でそんなことを言うから、フラグはすぐに回収された。
またもエーナ、痛恨の選択ミス。
ラビィスライムは死んで溶ける際に、さらに仲間を呼び寄せるのだ。溶かすような魔法では逆効果である。
奴らはまだまだいた。中途半端な攻撃をしたばかりに、指数関数的に数が増えていく。
「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」「ぷきゅー」
もはやどこに連中がいないのかを探す方が難しいレベルだった。
ルドラが持ち込んだ明かりの届かない向こうにも、数え切れないほどの奴らが待ち構えている。
そして床だけでなく、側面や天井までにもびっしりと張り付いている。壁を成して、不埒な侵入者を押し潰そうとしているのだ。
冷静であればまだまだ対処できたのかもしれないが、数千、いや数万はいようかという異常な軍勢に、エーナの腰はすっかり引けてしまった。
そして、下手を打てばそれらに我が身が蹂躙されることを思うと……恐怖でしかない。
「もういやああああああああっ!」
エーナは泣きながら、がむしゃらに風魔法を撃ちまくった。
ただ一方向に魔法を集中し、強引に道をこじ開ける。
「逃げるわよおおおおお! 撤退! てったいよおおおお!」
「おい! 待てえええ! 置いてかないでくれえええええ!」
ルドラとエーナは、涙と鼻水をみっともなく垂らし、泣き喚きながら全力でダンジョンを駆け出した。
制覇などと豪語していたのはどこへやら。ただ上を目指して、ひたすら走る。
二人の行く道をすぐ後ろから、紫色の波が塞いでいく。
――無限迷宮シャッダーガルン。
そこは「ただ強いだけ」では進むこともままならない魔のダンジョンである。
ことにズルをしようという者には、容赦のない罠が待ち構えている、と言われている。
今日も一組の冒険者が挑み、そして夢半ばに散った。
GAME OVER
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