90「夢想病調査部結成 2」

「私がボスにしては若いと、そう思われたことはありませんか?」


 打って変わって、穏やかな物腰だ。心の状態を観察しても、強張りが取れてより自然な状態に近いように思われる。

 元敵とは言え、年上の相手がこれだけ下手に出ているのだから、こちらも一応は礼儀をわきまえるべきだろう。

 少し言葉遣いを柔らかくすることを意識する。


「確かに思いましたよ。大組織のトップなのだから、普通はあと二十歳かそこらは年上の人がなるものかと。あなたはどちらと言えば、若頭と言った方が相応しい年齢だ」

「ええ。確かに、私は若頭でした。あの日までは……」


 シルバリオは何かを思い出したのか、沈痛な面持ちをしている。

 隣のシズハも、あの日というのを思い返していたようだった。


「五年前にボスが変わった……あまりに不自然なタイミング、だったわ。まさか」

「ええ。先代のボス、私の親父――ゴルダーウ・アークスペインは、夢想病にかかっています」


 そうか。それで……。

 先日の仕打ちを忘れるわけではないが、いくらか同情の気持ちが芽生えた。


「色々と苦労したんじゃないですか?」

「おっしゃる通りです。突然の世代交代は、組織に重大な問題が生じていることを印象付ける。私は、部下にも、他の組織にも、舐められるわけにはいかなかった。強くあらねばなりませんでした」


 そう言ってから、改めて深く詫びられた。

 隣で目を光らせるNo.1の存在がないということも、素直な態度の要因ではあるだろう。


「なるほど。事情は理解しました。俺に対する態度としては間違えていたけれど、組織の長としては正しい対応だったと認めましょう」

「かたじけないことです。私はあなたという人物のスケールを見誤っていたようだ」

「いやいや、そんな持ち上げるような人じゃないですよ」


 恥ずかしいので謙遜するが、シズハも同意見のようで、しきりに頷いた。


「私も……あんな馬鹿みたいに強いとは、思わなかったわ。一撃よ。一撃」

「それはあいつが大したことなかったからで」


 結構昔に苦戦したヴェスターってやつがいたけど、世界差による調整を考慮してそいつと同じくらいじゃないかな。そういや、あいつもひどい悪だったな。


「そう言えるのが、大したことある証。彼、うちで三番目の実力者よ……。私より、二段は……強いのに……」


 妙に恨めしさすら滲ませて、彼女は拳を震わせていた。

 いや、言いにくいんだけど……。踏んできた場数がちょっと違うだけだよ。

 人外連中はさておき、クラムやリルナやガランドールみたいなのと戦ってきたからね。

 時間操ったり、無敵だったり、防げなかったり。

 それに比べたら、ただ弾きとワイヤー遊びしてるだけの奴なんて……。

 あんな生易しいもんじゃなかったよ。今まで。


『胸刺されたり、腕斬り落とされたり、足千切れたり、首折れかけたり。大変だったよね』

『思い出すと痛いからやめて』

『ごめんごめん』


「真の強者とは、あなたのように強さを感じさせないものかもしれないですね」

「はは……」


 それ言ったら、遥かに強いのなんていくらでも知ってるしなあ。

 あの人たちが強さ隠してるかっていうと、そうでもないような……。うん。

 わかっている。比較対象がおかしいだけで、この人たちにすれば俺こそがおかしいレベルなわけでね。

 さながらフェバルと対峙したときの俺の気持ちを、そのまま味わわせてしまっただろうな。

 あの何をやってもどうにかなる気がしない絶望感。俺もそうするしか思い付かなかったとは言え、お気の毒に。

 けどどうせならもっと強ければ楽だったかな。この世界じゃ頭打ちだし。何とも中途半端な強さで止まってしまったものだ。

 そろそろ話を戻そう。


「それで。あなたのお父さんを助けたいという話ですか」


 なら当然の話だ。

 ラナソールの対応人物を探し出すのは大変な困難を伴うだろうけど。

 しかし、シルバリオは静かに首を横に振った。


「もちろん、親父には助かって欲しいと思っています。しかしそれでは全く足りない。私情で親父を優先しては、起きた親父に怒られてしまいますよ」

「先代……厳しい人だった」


 シズハもまた何かを思い出したのか、苦々しい顔で同意する。


「世界に暗い影が差している。我が組織の人員にも多大な犠牲が出ています。根本的な解決が必要です」

「ですね。俺も何とかしたいと強く思っています」

「私も……できるなら」


 こと重大な危機に関しては、三人の意見は一致したようだった。

 シルバリオは一呼吸置いてから、熱のこもった瞳でこちらを見据えて言った。


「そこで、新たに夢想病調査部を立ち上げたいと考えています」

「夢想病、調査部……」


 シズハがぽつりと呟く。何となく話の流れが見えてきたぞ。


「俺にそこのリーダーをやってもらいたいと?」

「はい。元々夢想病の研究には、年間百億ジットもの巨額を投じてきました。うち10%――十億ジット。そして世界各地の人員三千名をあなたに預けましょう」


 うわ。小さな国家の予算クラスじゃないか。

 とんでもない大事になってきた。

 元々世界を覆う問題を解決しようって話だから、生半可なことじゃ済まないとは思っていたけれど……。

 これは責任重大だな。しかし願ってもないことだ。


「謹んで引き受けましょう」

「お願いします」

「すごい……ことになったわね」

「シズハ。他人事じゃないぞ。君にも協力してもらうからな」

「……やばい」


 これからのことを想像したのか、彼女はそわそわと落ち着かない様子で、つま先を床にとんとんしている。

 とにかくそうと決まれば話が早い。色々と情報連携しておくことにしよう。

 まずは世界の現状について、尋ねてみる。


「世界における病の進行度は、どのくらいなんですか」

「およそ三千人に一人が発症しているのは知っていますね? しかも年々割合が上昇している。患者の増加速度から、専門家グループが弾き出した予測によると――」


 出てきた数値は、あまり思わしくないものだった。


「およそ五百年後。世界は眠りに包まれるでしょう」

「まあ。大変……」

「緩やかに滅びへ向かっていく世界、ですか……」


 今までにありそうでなかったパターンだ。

 たぶん俺のいる間は放っておいてもすぐにってわけじゃないけど……後味が悪過ぎる。


「あなたは唯一、夢想病を治した事実を持つお方だ。何か、知っているのではないですか?」

「……とても、与太話としか思えないような話をしますが。信じてもらえますか?」

「銀バッジにかけて」


 それは、最上級の誓いだった。

 俺は意を決して、詳細を話すことにした。

 元々誰に話したところで、嘘と笑われるか、手の出しようのない話だ。もし裏で彼が何を考えているとしても、デメリットはなかった。

 一通り話し終えて、シルバリオもシズハも、雷に打たれたような顔をしていた。


「ラナソール……ラナクリムそっくりの世界の、夢を見ている、ですと……?」

「とても、心地の良い夢のはずです。その世界は無尽蔵のエネルギーと希望に満ちて、大抵の人は望むままの暮らしができる」

「そんな理想郷が、あるのですか……」

「どこまで本物かはわかりませんけどね」


 確かに実体はある。

 なのにはっきり言ってしまえば、ひどく現実感がない。まるで理想ばかり集めた――ゲームのような世界。


 シズハが、顔を青くしているのに気付いた。


「どうした。シズハ。大丈夫か?」

「私……見てた。よく、見てる。ゲームの夢。でもよく考えると……少し、違ってた」

「君も見たことがあるのか?」


 こくんと、震える肩で弱々しく頷く。


「楽しかった。リクも、隣で。ずっと、このままいられればいいと……」


 そこまで聞いて、なぜ彼女が突然震え出したのかがわかった。

 自分が「いつそうなっていたかもしれない」という可能性に、気付いてしまったんだ。


「違う。わかってる。あんなの、私、じゃない。私は、あんなに……笑えない。泣けない。話せない……」


 どんな恐ろしいことを思い出したのか。ぶつぶつと、呼吸も荒く。目も焦点が合っていない。

 心配になった。

 放っておけなくて、肩に触れる。さすりながら優しく声をかける。


「大丈夫。落ち着いて。大丈夫だから」

「私の戦場は、ここじゃない、から……でも、私は……」

「心配するな。もしそうなっても、俺が助けてやる」

「え……?」


 不意を突かれたように、きょとんとこちらを振り返った。

 その目をしっかり見て、答える。


「言っただろ。君の心を見てきたんだって。君は大丈夫。いつでも帰って来られる。どこに迷っても必ず俺が見つけてやる。だから安心して」

「お前……もしかして。ユウ、なの……?」

「そうだよ。ユウだ。ずっとユウだったさ」


 はたから見れば意味不明の会話。しかしどうやら、俺と君の間では通じていた。


「そう……。道理で……敵わない、わけ……ね」


 乱れた呼吸を整えるように、肩で大きく息をして。


「少しは落ち着いたか」


 こくん。無言で小さく頷く。

 弱シルヴィアを続ける元気は、もうないらしい。

 でも肩に触れていた手をぱしっと振り払われたので、たぶんもう大丈夫だろう。


「驚いたよ。血斬り女がこれほど取り乱すなんて……」

「案外普通の女の子ですよ。彼女は。冒険と噂話の好きな、ね」

「そんなこと……ない……」


 じっと睨まれてしまった。

 あはは。ほらね。こんなに感情豊かだ。


「ただ……」

「なに」

「夢、居心地……良い。確か。現実……戻って来ない、としても……不思議では、ない……?」


 ――ああ。そうか。なんてことだ。

 今、はっきりわかった。夢想病の最大発症要因が。

 思えばシンヤもそうだった。ケース2で裏付けが取れたよ。

 同じタイミングで気付いたシルバリオも、相槌を打つ。


「夢想病の原因は、現実逃避だと言うのですか……?」

「そうなのかもしれない……。だとしたら」


 あまりにも。ひどい。

 例えば、現実が嫌になったとき。少し疲れてしまったとき。

 目の前にある現実とは、違う可能性を想うことがある。

 もし、ここにある世界と違う世界に行けたとしたら。もし、ここにいる自分とは違う自分があるとしたら。

 きっと誰もが一度は思うことだ。

 そうだ。誰もが夢を見ている。誰もが妄想を広げ、他愛のない空想や、理想を思い描く。

 人は夢を見る生き物だ。心の中にある夢幻のキャンバスに、好きな絵を描く。疲れたときやふとしたとき、いつでも自由な世界へ行ける。

 夢があるから。空想があるから。

 人は、時に辛く苦しい現実でも、向き合える。戦える。希望が持てる。

 そんなありふれた、ささやかな権利が。当たり前の営みが。明日を生きるための力になってくれるはずのものが。

 ただそれを強く願っただけで、餌食にされてしまう。

 そうして夢に囚われた者は、二度とは目覚めない。

 希望の源であるはずの夢が、醒めない悪夢に変わる。

 なんて恐ろしいことだろう。

 向こうの世界――ラナソールに、どれだけの人が囚われたままでいるのか。自分が囚われていることにさえ気づかないまま。

 理想郷だって。まるで心の牢獄じゃないか。

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