69「トリグラーブの街へ行こう 2」

 やたらとアップテンポの曲が始まった。

 エミリは諸手を上げて、手拍子を呼びかける。

 へい、へい、へい! 呼びかけに応じてファンが手拍子を始め、ステージも次第に熱気を帯び始めた。

 歌が始まった。エミリはマイクを手に身振り手振りをいっぱいに広げてこちらにアピールしつつ、歌声を響かせる。

 アイドルらしいというか、可愛らしさに溢れていて、耳を溶かしてしまいそうな声だ。

 だが歌詞がひどい。いや、ひどいって言っちゃいけないんだと思うけど。

 過激なワードが並んで、俺にはどうにも刺激が強かった。


「さあ、お前のはらわたをぶちまけろ!」

「「ぶちまけろおおぉおおお!」」


 ステージに、彼女の力強いシャウトが響く。合わせてファンも叫び出す。

 地味にノリがいいリクも一緒に叫んでいる。

 よく聞いてみると、実は魚の捌きなんかを題材にした完全なネタソングらしいということがわかる。

 なるほど。ある意味家庭的……なのか?

 包丁を魚に突き刺して「ぶちまけろおおお!」と狂った高笑いをしながら料理をする主婦の姿が思い浮かんで、いやいやと首を横に振る。

 俺は心の中で『異世界わからないリスト』の一行に彼女の歌をそっと付け加えていた。

 この歌詞の直後、曲はサビへ突入する。自然とそこかしこから彼女の愛称を叫ぶ声が上がる。


「「エミリンーーーー!」」

「おっしゃああああああ! もっと上げ上げでいくわよーーーーっ!」


 アカなんとかさん、やたらテンション高いですね。一人だけ声が埋もれずにすごい勢いで聞こえてくるよ。


 そしてもう一人、違う意味で一際目立っているのがいた。

 その人は彼女風のコスプレに身を包み、黒い髪を肩の辺りまで伸ばして――いや、あれはたぶんカツラかな。

 女の格好をしているけれど、身体の肉付きからするとおそらく男の若い人だ。

 そんな彼が、何度もエミリの名を叫びながら、全力で称えるような感じで踊っている。熱く激しく。

 何と言っても動きのキレが素晴らしかった。本職のアイドル、ステージ上の彼女にだって負けていない。

 見事なオタ芸と感心するしかない。普通のダンスとかやってもとても上手いんじゃないだろうか。

 ただし、扇風機もかくやの手足の動きっぷりなので、彼の近くは立ち入り禁止区域である。

 二度目のぶちまけが入る。


「さあ、お前のはらわたをぶちまけろ!」

「「ぶちまけろおおぉおおお!」」


「ぶちまけろおおおおおお!」「ぶちまけろー」


 リクの叫びが一回目より大きい。超楽しそうだ。

 俺もノッてみたけど、いまいち気持ちが乗り切れていない気がする。

 こういうのってつい圧倒されちゃって、見てるだけになりがちだったりして。そういう人も結構いると思うけどね。


 そんな感じで、最高潮の盛り上がりを維持したまま、気が付いたらあっという間にライブは終わっていた。


「いやあ。楽しかったですねえ」

「楽しかったね」

「でもユウさん、あんまり合いの手入れてませんでしたよね」

「俺、こういうの結構見てるだけで楽しいんだよ。空気を楽しむって言うのかな」

「へえ。そういうタイプですか」


 これは本心だ。

 よく言えば穏やか。流されているだけとも言う。


「よーし。元気出てきた。就活もがんばるぞー」

「その調子その調子」


 ライブの前までは憂鬱気味だったリクも、すっかり元気が戻ったようで何よりだ。


 そのとき、ばらばらになって帰ろうとしていた観客たち――つまり俺たちのところへ、大きな箱を胸に抱えた少女がやってきた。

 病気のハルほどではないが、線の細く頼りなげに見える。年端もいかない少女である。

 彼女は口の端をきゅっと結んで、表情はこの場に似つかわしくないほど硬い。

 箱をきちんと見れば、この世界の文字で募金箱と書かれている。

 きっとライブが終わって気分の良い人がたくさん集まっているところを、狙い撃ちしようという魂胆で待ち構えていたのだろう。


「募金をお願いします! 皆さんのお金が、夢想病で苦しんでいる人たちを救ってくれるかもしれないんです! お願いします!」


 彼女は人の帰る流れの脇に立ち止まって、懸命な呼びかけを続けていた。

 ところが、ライブで手拍子の呼びかけにはあんなにノリノリで応じていた人たちは、こちらの呼びかけには目もくれなかった。

 少女は人々の冷たさにもめげず、健気に声をかけ続ける。

 彼女は見た目も決して悪いわけではないし、声もよく通っている。若干頼りなさそうに見えるところが、むしろ進んで同情を集めそうなものだけど。

 それでもまったく相手にされないのは、募金対象が夢想病だからだろう。

 これが手術をすれば治る難病程度のものであれば、気前良く金を出す人もいたかもしれない。

 しかしながら、不治の病としてあまりに有名な夢想病では相手が悪い。

 少なくともこの場において、万に一つ無駄金にならない可能性に賭けようという酔狂な人はいないようだった。

 俺とリクは、何となくそこから動く気にもなれないで、しばし彼女の様子を見つめていた。


「あの子、ずっと呼びかけてますね」

「そうだな」


 俺と同じく、リクにも思うところはあるようだ。

 俺の次の行動をどこか期待して待っている。


「ちょっと行ってみようか」

「はい。恵んであげるんですね」


 彼の顔がほっとしたようなものになる。期待そのままの答えだったらしい。

 だが俺はやんわりと首を横に振った。


「いや、まずは話を聞いてみて。それからだよ」

「うーん。そうですか」


 募金というものは中々厄介だ。集めている人がまったくの善意でそれをしていたとしても、用途が健全であるとは限らない。

 地球でもよくあるケースとしては、慈善団体とは名ばかりの私欲に塗れた資金集め。知らぬうちに暴力団等の資金源にされていることもある。

 真か偽か。何にせよ見極めは必要だし、一人は治したことのある俺なら、単に金を提供する以上のことができるかもしれない。

 そんなことを考えている隙に、動きがあったらしい。


「彼女、ステージの方へ行きましたよ」


 リクの報告を聞いて目を向けると。

 募金少女は何を決意したのか、無謀にも撤収作業を続けているステージの方へ歩いていくではないか。

 気付いたスタッフに呼び止められても、その足を止めることはない。年の見かけに寄らず度胸が据わっている。

 でもあまり強引だと警備員が飛んできて捕まるんじゃないか。

 既に警戒態勢だ。危なっかしくて見ていられない。

 そうして、予感した通りになろうとしていた。

 二人の男の警備員が、彼女の肩を後ろから掴んで引き留める。

 彼女は身をよじって抵抗したが、男二人に抑えられてはとても前に進まない。

 それ以上の乱暴は何もされていないし、正当な行為なので俺も手を出せない。

 リクは息を呑んで、事態の進行を見つめている。


「お願いします! 夢想病のために、あなたのお心を!」


 取り押さえられつつも、彼女はあくまで必死に訴えかけていた。

 その相手はもちろん、スタッフが壁となっている向こうに佇むステージの主役だ。


「あっ、エミリンが!」


 いつの間にかファンに毒されてエミリン呼びになっていることはさておき。

 アイドルは顔をしかめつつも、「あなたは下がっていて下さい」と言うスタッフを払って、募金少女へ歩み寄っていった。

 髪も服も乱れて、しかし堂々とした態度で改めて頭を下げる少女。

 エミリはそんな彼女に目を細めて、


「ごめん私、次の仕事あるから」


 ステージの上の可愛い笑顔はなかった。

 ぶっきらぼうに冷たく、刺さるような印象の言葉を投げかけて。

 しかしそうは言いつつも、一応財布は取り出して。

 お札を――100ジット札を一枚掴み、箱に放り入れていた。


「ああ。ありがとうございます!」


 終始嫌な顔を向けるスタッフと、もう募金少女には一瞥もくれずに去っていくエミリ。

 結果として、少女はお咎めなしに募金を掴み取ったのだった。

 あくまで歩みを止めず、執念で訴えかけたこと。

 面倒な人だと思わせて、嫌々ながらもアイドルを動かした。彼女なりの勝算だったのかもしれない。


「アイドルの裏顔、見えちゃいましたね……」


 リクは軽くショックを受けたようで、「僕のエミリン……」と小声で肩を落としていた。僕のなんだ。

 そんなピュアハートブレイクな彼の肩を軽く叩きつつ。

 確かに仮面が外れたというか、ちょっとだけ冷たい感じはしたけど。

 アイドルだし、本当に忙しいのだろう。あんな風に押しかけては仕方のない部分もある。

 ただきちんと100ジット札を箱に突っ込んでいった辺り、悪い人でもないのだろうな。

 それより、自分として気になったのは。

 リクやシルヴィアの中の人さんに会ったときみたいにはならなかった。

 生ライブを観ても、さっきのやり取りでも、ピピッと心に来るものがなかったのだ。

 彼女はおそらく「初めて」会った人だ。

 ぱっと見た感じや言葉遣い、歌詞のセンスだけを取ると、もしやミティの中の人なんじゃないかとも思っていたが。

 ここに来て、やはりどうも違うんじゃないかという気がしている。

 まだ気がするだけで確証はないのだけど。はっきりしたことは彼女に直接触れてみないとわからない。

 でもそれは無理な相談かな。男の俺がアイドルにでも触れようものなら、一発で御用だよ。


 エミリたちも去り、人もまばらになって落ち着いたところで。

 俺とリクは頷き合わせて、募金少女へ近付いていった。

 彼女は俺たちに気付くと、また表情を硬く引き締めた。


「募金をお願いします!」

「あのさ。ちょっと君の事情を尋ねたくてね。いいかな?」

「ユウさんって飛び込んでいきますよね」


 さりげなく茶々を入れてくる隣の人は無視して。

 こうして近くで見ると、まだまだ発達途上の身体付きに顔付きであることが明らかだ。

 下手しなくても中学生くらいなんじゃないだろうか。半分中学生みたいな俺と横並びで歩いても、絵的に違和感がない。

 何人もいるのならわかるけど。どうしてこんな未成年の子が、たった一人で募金なんかしているのだろうか。

 きょとんとこちらを見上げる少女に目線を落として、優しく尋ねてみた。


「たった一人だけで募金をしているんだね。理由を聞かせてもらってもいいかい」


 リクに揶揄されたが、こういう物の尋ね方をしてもあまり警戒心を強く持たれない程度には人当たりが良いみたいで。そこは重宝している。

 もう一度言うけど、半分中学生みたいなもんだからね……。


「ええ。それは……」


 いつも一瞥もらうだけで、そこまで突っ込んで聞かれたことがなかったのかもしれない。

 演技でなく、本当に返答に困ってしまったらしい彼女に、俺はゆっくりと言い聞かせるように続けた。


「君は誰で、夢想病のためにどうしてお金が必要で、何に使うのか。きちんと納得できたら、ぜひ募金したいと思うんだ。できることなら協力もしたい」


 俺は黒ジャケットの内側から取り出す真似をして、安心の無料マイロッカー『心の世界』からトレヴァーク紙幣を取り出した。

 100ジット札が30枚。アイドルが突っ込んだ額の30倍。

 少々嫌味たらしい気もするが、このくらいなら簡単に出せるよというポーズを取る。

 目の前に大きな餌をぶら下げれば、100ジットに身体を張った彼女のことだ。

 ぶっちゃけ自分でもいきなり札をちらつかせる奴なんてかなり怪しいと思うのだけど、思っても食いついて来るだろう。そう考えてのことだった。

 予想した通り、彼女の心は揺れて。目の色が変わった。意識が話す方へ傾いた合図だ。

 そこの機微を察して、絶妙なタイミングで名乗り出る。


「俺はユウ。こう見えて、店を営んでいる社会人だよ」


 別に嘘は言っていない。まあラナソールのことだけど。


「君は?」


 先にはっきり名乗ることで、相手も名乗らなければいけない気にさせる効果がある。

 切り出す間と噛み合えば立派な有効打だ。

 彼女も名乗ってくれた。


「私……シェリーです。ピリー・スクールの2年生です」

「どこリーなの?」


 リクが口を挟む。

 今度こそ先輩風を吹かせられる気がしたのか、ちょっといい顔だ。


「ローアンダンですけど」

「おお! オナリーじゃん!」


 ……えーと。

 それを大声で言うのは……何となくやめてくれないかな?

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