第五話 虎口へ飛び込む

  第五話 虎口へ飛び込む


 一方そのころ、名古屋市内のホテルの一室では、立派な寝台に寝かせられている一人の青年が、青ざめた顔で苦しげな息をしていた。その上半身は裸に剥かれており、全身に冷や汗を掻いている。ロランだ。

 寝台の傍らには瀟洒な椅子があり、それに腰掛けているデュランダルがロランの右腕に手をあてていた。その唇は歌っている。

「La...La...」

 あの手痛い敗北から根城としているこのホテルまで逃れてくるや、デュランダルはロランを寝台に寝かせると泰一に切り落とされた右腕を傷口にあてがい、四つの魔法の最後の一つ、聖光回復歌による治療を始めたのだ。だがその歌はかれこれ六時間も続いていた。

「本当に、くっつくのかよ……」

 うなされたようなロランの言葉に、デュランダルは歌うのを止めて冷淡に云った。

「くっつくはくっつく。が、元の機能を取り戻せるかはわからん。我は聖剣であって聖人ではないからの。戦さで負うた手傷を応急処置する程度のことしかできぬわ」

「くそ……」

 ロランの目に涙がにじんだ。痛みで気が狂いそうである。果たして今夜は眠れるのか。目を閉じると、あの男の姿が瞼の裏にありありと思い描かれ、目尻から涙が溢れて耳を濡らした。

「デュランダルを持っていて負けるなんて」

「武器の性能だけで勝てたら誰も苦労はせん」

 澄まし顔でそう答えたデュランダルが歌を再開しようとしたとき、続きの間の扉が開いて一人の女が部屋に入ってきた。ロランはたちまち胸をときめかせた。

「エレオノール」

「具合はどう? って、いかにも苦しそうね」

 そう片眉をあげて皮肉に笑ったのは、先日二十歳になったばかりの美しい白人種の女である。名前をエレオノールと云って、腰まである金髪に碧いエメラルドの瞳を持っていた。背丈はすらりと高く一七五センチ、乳房の張りと腰の稔りは大したものだ。それが黒い半袖のシャツにブルージーンズという姿である。ジーンズのベルトには一口の西洋剣が吊り下げられていた。それは彼女が覇剣戦争に参加していることの証に他ならない。

 だが二人は敵同士ではなく、パートナーであった。ロランがこの調度品のことごとく豪華な部屋数三つのスウィートルームに滞在していられるのも、彼女のおかげである。

「エレオノール……」

 ロランは枕から頭を起こし、憧れのまにまにエレオノールの方へ左手を差し伸ばした。けれどエレオノールはその手を取らず、ただロランを軽侮けいぶの目で見つめ返している。

「知ってるでしょう? 私は強い男が好き。弱い男は嫌い。弱い男は嫌いよ、ロラン」

 ロランは差し伸べていた左手をぎゅっと握り締めた。

「今度は勝つさ……」

「そうあってほしいものだわ」

 エレオノールはつんと顔を横向けると、堪えきれなかったようにうっそりと付け足した。

「本当、がっかりさせないでちょうだい」

 それきりエレオノールは黙り込んで、金髪の一房を人差し指に巻いたり解いたりしていたが、やがて長引いた沈黙にけりをつけるように云った。

「じゃあ寝るわ。明日は私、忙しいから。『買い物』をして、そのあとはデート」

 エレオノールは『買い物』と云いながら指で『銃』の形を作ったのだが、デュランダルはロランを見ていたし、ロランは、デートという単語にこそ激越な反応を示した。

「デートだって?」

「ええ。例の、このあいだ知り合った日本人の参戦者よ。彼は三十歳も年上だけど、でも強い男はそれだけで魅力的だわ」

「そいつと、デート?」

「そうよ。私は日本語もできるしお金持ちでもあるけれど、日本のことはよく知らないから、彼に色々と教えてもらうの。もちろんそれ以外のことも期待してるけど」

「くっ」

 気色ばんで体を起こそうとしたロランを、エレオノールがせせらわらう。さらにデュランダルがロランの体を押さえて低声こごえで叱責した。

「動くな、うつけ。腕が落ちる」

 それでもエレオノールに食ってかかろうとしたロランを、第三の少女の声が救った。

「心配しなくていい。全然相手にされてないから」

「ジュワユーズ!」

 エレオノールは目に角を立てて自らの佩剣はいけんを見下ろした。柄が黄金で拵えられている細身の西洋剣が、白い鞘に収まってエレオノールの腰に吊られている。これこそは勇者ローランが忠誠を誓ったシャルルマーニュその人、すなわちカール大帝の佩剣ジュワユーズである。

 そのジュワユーズの一言で、ロランはすっかり安心して肩から力を抜いた。

「ま、そうだよな。相手にされるわけがない」

 その男から見れば、三十歳も年下のエレオノールなど子供でしかないのだろう。しかしそれならそれで、また別の危惧はあった。

「その男、信用できるのかい?」

「あなたよりは頼りになりそうだわ」

 その辛辣な言葉にロランは閉口しかけたが、エレオノールを案じる心の方が勝った。

「でも幼馴染の僕たちと違って、そいつは出会ったばかりじゃないか」

「だからなんだというの?」

 エレオノールは後ろ髪を掻い遣ると、癇を立てたように早口で捲し立て始めた。

「序盤は共闘しようというのが彼との約束よ。もらった情報だって正確だったでしょう? 今日、ある剣道場に使い手の決まっていない名剣が二口やってくるって。計算違いなのは、あなたが返り討ちに遭ったことだけよ」

「ぐっ!」

 面目を傷つけられ、ロランは低く呻いた。右腕の痛みが屈辱を倍加させる。だのにエレオノールは高慢な女神の顔をしてロランをわらっているのだ。このときロランは、エレオノールへの愛情が黒く染まって、この女が憎いとさえ思った。それでもやはり愛していた。

「僕は君を裏切らない。最後の最後には、デュランダルを君に捧げて、君のジュワユーズを究極の剣にするよ」

「そのときは約束通り、あなたのものになってあげるわ」

 エレオノールは少しだけ嬉しそうにわらうと、波にさらわれるようにして自分の部屋へと帰っていった。ロランはそれを見送ると枕に頭をつけ、徒然なるままに追憶に耽った。

 ロランとエレオノールはともにパリで育った幼馴染である。それが二十歳を迎えたころ、二人揃って名剣に選ばれ、覇剣戦争に参加することになった。だがロランには実のところ、叶えたい願いなどない。ただエレオノールが強い男に身を任せたいというから、この戦いの最終勝者になろうとしただけである。究極の剣を至高の鞘に収めるときの願いは、エレオノールに気前よくくれてやるつもりであった。

 だからロランの願いとは、ただ勝つこと。どうあっても勝つこと。それだけだ。そのためにはなんとしてもあの二刀流の剣士を倒し、この失点を取り返さねばならぬ。ロランがそう決意を燃やしていると、傍からデュランダルが低声こごえで云った。

「おんし、このままだと想い人にふられるの」

「うるさい!」

 ロランはかっとなって寝台を右手で叩きつけた。たちまち二人は目を丸くした。

「動いた」

 デュランダルがそう云いながらロランの右腕を撫でた。くすぐったい感触がたしかに伝わってくる。ロランは安堵して枕に沈んでしまいそうになった。

「どうやら最悪の状態は脱しそうだな」

「まだ元通りになるとは限らんがの」

「あの男と戦うのに、右腕が使えなきゃ話にならない……」

 三日後の午前零時に、あの男とは再戦を来すことになっている。デュランダルが勝手に約束したことだが、エレオノールの手前、逃げるわけにはいかない。

「なんであんな、無銘の剣に負けたんだ……」

「だから、武器の性能だけで勝敗が決まるとは限らんと云っておろう」

「うるさい! だいたいおまえ、デュランダルだろ? 岩に打ちつけても折れるどころか刃毀れ一つしなかったっていう聖剣だろ? それがあの二刀流どころか、頭を叩き割ってやったはずのガキさえ殺せてないってどういうことだよ! 僕はあのガキを一刀両断してやるつもりだったんだぜ? それが急になまくらみたいになりやがって! 手ぇ抜いてるのか?」

 するとデュランダルはすっくりと立ち上がって胸を張り、その顔を剣呑にした。

「ああ、抜いた。抜いたとも。あの子供についてはいかにも我が手加減した」

「な、なに? なぜだ?」

「なぜと問うか、この大うつけ。いやしくもこのデュランダルは聖剣ぞ。なんで無辜の子供を斬らねばならん? 本当はそもそも斬りとうなかったものを、おんしがまさかあのような暴挙に出るとは思わなんだゆえ、対処が遅れたわ」

 口吻をとがらせてロランをそう詰ったデュランダルであるが、ため息を一つつくと椅子に座り直し、顔つきをやや和ませた。

「が、まあ過ぎたことを云っても仕方がない。あの男にどうやって勝つかを考えよう」

 それはロランには想像もつかない。まるで巨大すぎる壁が目の前に聳えていて、その壁を切り崩そうにも、どこからどう手をつけていいのかまったく判らない状態なのだ。

「くそっ、無理だ」

「無理ではない。考えろ」

「うるさい! だいたいあいつはずるいだろ。一人で二本の剣と契約するなんて、そんなのありかよ!」

「うむ、それはそうだな」

 意外にもデュランダルが同意を示したので、ロランは軽く瞠目した。目顔で続きを促すと、デュランダルは考え考えといった様子で語り出した。

「二刀流の剣士が覇剣戦争の最終勝者になるということは、究極の剣を完成させるというこの戦さの意義に悖る。ゆえにあの男には敗退してもらわねばならん。いやさ、せめてどちらか一本、へし折れるなり献上してもらうなりせねばならん。……いや、あるいはあの娘ら、最終的にどちらかでどちらかを叩き折る気なのかもしれんが」

 そこでデュランダルの声が不意に途切れた。ロランがどんな顔をしているかに気づいたからであろう。果たしてロランは舌なめずりでもするように云った。

「つまり、ルール違反ってわけだ」

「そうだな。おまえも開戦の日を待たずして仕掛けたわけだから人のことは云えんが」

「うるさい。とにかくだ。あいつに勝ってもらっちゃ困るってことなら、他の剣士たちの協力も得られるんじゃないか?」

 ロランはその思いつきに、ついに活路を見出していた。

「そう、そうだよ。ネットで仲間を募るんだ。一人で二本の名剣と契約し、覇剣戦争を台無しにしようとしてる奴がいるって。一対一じゃ勝てなくても、多対一ならなんとかなるだろ」

「ロラン」

 デュランダルは威ある声をロランの額目掛けて放ち、ロランの右手を双の手で包み持った。

「よう聞け。まだ約束の刻限まで五十時間ある。そのあいだに技を鍛え、戦術を練るのだ」

「無駄だよ!」

 ロランはやっと血の通ったばかりの右手でデュランダルの手を振り払うと、顔を横に倒して壁の方を向いた。

「たった五十時間でなにができる? この右手だって指が動くかどうかわからないのに。そんな不確実性に賭けるより、数をたのみに叩いた方が確実さ」

 ロランは拗ねたように唇を尖らせていたが、自分の張り巡らす罠のことを考えていくうちに、自然と笑みが浮かんできた。あの男は双剣を手に一人で来るだろう。一騎打ちをするつもりでやってくるのに違いない。ところがそこには大勢の敵が待ち構えているというわけなのだ。

「ふ、ふふ。ふふふふふっ」

 とうとう笑い声を抑えきれなくなった。右腕の鈍痛が少しだけ褪せていく。あの男が吠え面をかくところを想像するだけで、こんなにも楽しい。

「思い知らせてやる」

 苦痛のあまり面やつれしたロランは、憎しみに酔いながら壁に向かってそう呪いの言葉を吐いた。

 だからロランは気づかなかった。デュランダルが椅子から立ち上がってロランを見下ろしながら、憮然たる表情で首を傾げていることに。

「これは、使い手を見誤ったかの」

 そんなデュランダルの独り言も、今のロランには聞こえていなかった。


        ◇


 翌朝午前九時三十分、朝飯を掻き込んで腹のくちくなった泰一は、私室として使っている八畳の和室のなかにいた。その部屋には昔のままの学習机や箪笥や本棚のほか、座卓が据えてあり、そこにデスクトップ型のパソコンが設えられている。

 泰一はその座卓に向かって胡座を掻くと、両脇に侍るソルとルナに促されるままパソコンの電源を入れてインターネットに接続していた。泰一とて現代を生きる三十四歳の男であるから、インターネットくらいはもちろんやる。しかし名剣であり、どちらかといえば霊的な存在であるはずのソルとルナがインターネットをやるというのは、泰一には意外であった。

「おまえら、ネットをやるのか?」

「やりますとも」

 右手で勢いよく首肯うなずいたソルの尾について、左手からルナも云う。

「こんな便利なもの、利用しない手はありません」

 ルナはそう云いながらも座卓に身を乗り出して、マウスやキーボードを占有しながらどこかのサイトにアクセスしている。泰一が画面にじっと視線を注いでいると、やがて目的のサイトが呼び出された。そこには英語でこうある。

 ――覇剣戦争公式サイト。

「おまえら……!」

 泰一は思わず唸り声をあげた。こうしたことは、普通秘密裏に行われるものではないか。それを堂々と、インターネットを通じて情報をやりとりしているなど信じられない。

「名剣千口ということは、契約者となる剣士は単純に考えて千人。しかるに戦場は日本国全土。これは全然、釣り合いません。盲目にやっていては、戦って覇を競わねばならない私たちが、そもそも遭遇できないという事態になってしまいます。それで情報の交換と共有を目的にみんなで用意したサイトです。もちろんパスワードがなければ中を覗くことはできませんが」

 ルナがそう話す傍ら、パスワードを軽快に入力していく。

 サイトは、ツリータイプの掲示板であった。英語がほとんどだが、日本語やそれ以外の言語も散見される。泰一はルナからマウスを受け取ってスクロールバーを動かし、タイトル群だけをざっとて云った。

「掲示板だけか」

「はい。情報交換が主ですので、それ以外は必要としません」

「ふむ」

 泰一はそれから徒然に掲示板の内容を検めていった。自己紹介をしている者、時間と場所を指定した出現予告、あるいはこの覇剣戦争にどんな願いを懸けているか教えてほしいという主題のスレッドまである。

 そのうちに泰一はふと心づいて傍らのルナに訊いた。

「おまえたちが昨日剣道場で襲われた一件、このサイトで誰かがあやつに場所を教えたのではないのか?」

「私たちとてそこまで間抜けではありません。この掲示板の書き込みには逐一、目を通しております。もしも私たちの足取りがここで曝露されていれば、相応の対処をしておりました」

 してみると、ロランはネットを通じてではなく、直接に、あるいは第三者を介してルナたちの居場所を割り出したことになる。

「……まあ、今さら詮索したところで益体もないことか」

 泰一はそう独りごちて掲示板を閉じようとしたが、上から二番目のスレッドが、英語ではなくフランス語で書かれていたのがふと気になった。

 そのスレッドを呼び出し、三人で中身を読み込んでいくうち、ソルは目を瞠り、ルナは顔を強張らせ、泰一はわらった。

「泰一様!」

 ルナが耳元で甲走る声をあげたのを少しうるさく思った泰一は、右の掌を向けてルナを制しながら、また視線を画面に戻した。

「どうやら、これはあのロランが書き込んだものらしいな」

「迂闊といえば、迂闊なやつ」

 ソルはそう云うが、泰一としては迂闊というより大胆不敵な奴だと感じていた。

「よほどおめでたいのか、あるいは俺がこの記事を覧ても逃げるわけがないと高をくくっているのか」

 泰一は問題の書き込みにもう一度目を通した。それにはフランス語でこうある。

 ――五月一日深夜零時、覇剣戦争開戦の瞬間に岐阜県A山の展望台に一人の剣士が現れる。その者、覇権戦争の主旨を理解せず、一人で二口の名剣と契約せり。この者が最終勝者になれば究極の剣は決さず。さればまず力をあわせてこの男を倒すべく、我はここに同志を募るものなり。詳しいことはメールで……。

「面白い」

 泰一はじっとしていられず、すっくりと立ち上がって部屋のなかを歩き始めた。そんな泰一の方へ、ソルが膝を乗り出して云う。

「如何なされますか?」

「どうせ遅かれ早かれ戦わねばならん相手。ついでにぶった切ってやろう」

 すると今度はルナがやはり泰一の方へ身を乗り出した。

「しかし、敵は多数。なにか策はあるのでしょうか?」

「策か」

 泰一はぴたりと足を止め、勿体ぶるようにためを作ってから云った。

「策はない」

 泰一はわらって断じたのだが、ルナとソルはたちまち顔を曇らせてしまった。そんな二人の頭を、泰一はその大きな掌で撫でてやった。

 あ……とため息とともに、二人の少女が顔をあかくする。

「案ずるな、俺は負けぬ」

「しかし、それでは……」

 ルナがまだ反駁をしようとしたが、泰一はねじ込むように云った。

「負けぬ」

「はい」

 ルナとソルは二人揃ってそう返事をすると、それきり胸に迫るものがあるかのように黙り込んでしまった。

 尋常に考えれば、多数の敵が待ち伏せているただなかに一人で斬り込むなど自殺行為である。まして策らしい策もないという。それでもこの鬼丸泰一という男は勝つのではないかと、二人は胸をときめかせて期待しているのだった。

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