姉編

姉ぷろろーぐ

「こらっ、恭くん! 全身が泥だらけじゃない?」


 公園で泥んこ遊びをして帰り、玄関で靴を脱いでそのまま上がろうとすると、お姉ちゃんに呼び止められ、そう咎められた。


「そのまま家に入っちゃダメよ。待ってなさい」


 お姉ちゃんはそう言うと、洗面所からタオルを手に戻ってきてくれた。


「ほら、これで足だけ拭いて。そしたらお風呂場ね?」


「はーい」


 渡されたタオルで足の汚れを落とすと、とたとたっと廊下を駆けてお風呂場に向かう。


「よいしょっと」


 そして脱衣所で泥だらけになった服を脱ぎ捨てる。


「一人で脱ぎ脱ぎできた?」


 後から来たお姉ちゃんが確認し、


「あ、おちんちんにまで泥つけて……泥んこ遊びした手でおちんちん触ったの? バイ菌入っちゃうよ? ほら、お姉ちゃんが洗ってあげるからこっちにきなさい」


「うん……ありがとう、ねぇね……」




 今から思えば恥ずかしいことだが、僕は幼い頃、姉と一緒にお風呂に入って、身体を洗ってもらっていた。


 あの頃の僕は、姉と一緒にお風呂に入ることに何の違和感も覚えていなかった。

 いつから姉とお風呂に入ることをしなくなったのか、おそらくは姉を意識し始めたあの日の出来事からだろう。


 姉はその日、居間のテレビで数年前にヒットしたラブロマンスものの映画を見ていた。

 横で僕も姉と一緒に見ていたが、子供の自分には退屈な内容で部屋に戻ってもう布団に入ろうかなと思っている時だ。主人公がヒロインといい感じになり、ラブシーンを始めたのである。


「ねえ、恭くん? 恭くんはキスとかしたことあるの?」


 姉がラブシーンを食い入るように見詰めながら、訊いてきた。


「ううん、ないよ」


「じゃあ、お姉ちゃんとしてみようか?」


「えっ? 何で?」


「仲のいい姉弟は普通、するんだって? それにキスすると気持ちいいらしいよ? ちょっと試してみようか?」


 僕は姉の誘いに特に考えもなく頷いていた。

 そして姉が僕にちゅっとキスをした。


「どうだった恭くん? お姉ちゃんとのキスは気持ちよかった?」


「う~ん……よくわかんない」


 と、僕は首を傾げつつ答える。


「じゃあ舌をベーって出して」


「? 何で?」


「いいから」


「うん、わかった」


 姉の言われたようにすると、姉は僕の顔に再び近づいてきて、べーっと出していた僕の舌を唇で挟み込み、吸い付いてきた。


 そして僕たちは、べちゃべちゃと音を立てキスをした……




 翌日から僕は姉と距離を取るようになった。それがいけない行為だと子供ながらに気付いたからだ。


 僕は実の姉に邪な感情を抱く変態であったのである。


 そして成長し、このままではいけないと思った僕は、沢山の彼女を作って姉への想いを断ち切ることにした。



          ◆



 種田櫻子は東雲高の教師だった。


 休日、映画鑑賞の帰りにショッピングモール歩いていると、見覚えのある少年の姿を見つけた。

 瀬奈恭介。櫻子が副担任として受け持つクラスの生徒である。成績は並。容姿も並。しかし彼の隣を歩く女の子は並じゃなかった。とても可愛かった。見覚えがない。

 おそらくはうちの学校の生徒ではない。


「デート……かしらね?」


 互いに顔を赤くした恋人繋ぎの初々しいカップル。中学時代の同級生で、卒業式に告白をして付き合いだしたカップルとかであろうか?


「ああ……わたしもそんな青春送りたかったな……」


 櫻子はもてないわけでなかったが、何となく告白されても断り続けていたらこの年まで誰とも付き合うことなくここまできてしまった。


「大体、最近の男どもは推しが弱いのよね……」


 一度断ったらもう二度とは来ない。二度目も断り、自分もちょっといいかなと意識し出して三度目を期待していたらいつ間にやら他の娘と付き合っていたり……


「はぁ~……わたしが受身なのがいけないのか……」


 とにかく櫻子はそんな初々しい高校生カップが羨ましく思うのだった。




 次の休日、偶然にも再び瀬奈恭介の姿を見かけた。

 公園のベンチに腰掛けており、デート中のように見えた。

 しかし隣にいるのはあの可愛らしい彼女さんでなく、巨乳メガネの艶っぽい美人であった。


「お姉さんかしら?」


 彼の彼女は間違いなく先週みかけた可愛らしい女の子だろう。そもそも彼女としては年の差が開いているように思った。

 それにこのメガネの巨乳美女は、ごく平均的な少年である恭介が相手にできるような女性とは到底思えなかった。


 そもそもこの美女と付き合っているなら、あの初々しい反応を示していた同世代の彼女と二股になってしまう。


 よって実の姉とかちょっとした知り合いのお姉さんとかなのだろう。


「うん。きっとそうよ……ね?」


 自分の生徒を信じてあげようと独りごちたその直後である。


「恭介くん? ちょっといい?」


 巨乳美女は、恭介にそっと耳打ちするように耳元に顔を近づけて、ぺろっ。


「ひゃいっ!」


 恭介は舐められた耳を押えつつ身体を引いて、


「い、いきなりなにしてくれてるんすかリオ姉!」


 リオ姉と呼ばれた巨乳メガネは面白そうに恭介の反応を窺いつつ、


「あら、カップル同士のスキンシップよ? わたしたちは付き合っているのだもの。耳くらい舐めて当然でしょう?」


「と、当然じゃないでしょ! びっくりしますよ!」


 どきまぎとしながら答える恭介。

 完全に年上の女に手玉に取られる少年な絵ができあがっていた。


「そう……耳はいけなかったのね? じゃあどこを舐めればいいの? というか恭介くんはどこを舐めて欲しいの?」


「ど、どこって……」


「はっきりと言ってごらんなさい? そうすれば舐めてあげないこともないわよ?」


「ま、マジで……!」


「ええ……だからどこを――」


 その瞬間、ハッとして振り向く彼女に、慌てて身を隠す櫻子。


「――誰? 誰かいるの?」


 彼女はベンチから立ち上がり、こちらに問い掛けてきた。

 櫻子は木の陰に隠れ、息を殺し続ける。


「ど、どうしたんすかリオ姉?」


「いえ、気のせいだったみたい……」


 そう答えて彼女は再びベンチに腰掛ける。


 櫻子はホッと胸を撫で下ろし、彼らから距離を取ってその場を離れることにしたのであった。

 しかしあの二人はどういう間柄であるのだろうか? あのいちゃこら加減はどう見ても付き合っているように見える。


 恭介が弄ばれている風ではあったが、カップル同士という言葉を否定しなかったし、おそらくは間違いないと思われる。


 だったら先週見たあの可愛らしい彼女さんはなんだったのか……?


「……もしかして二股……?」


 いや、勘違いなのか? 何となくカップルと思い込んでしまったが、先週の娘は妹とか遊びに来ていた従妹とかそういう間柄で……


「そ、そうよね……きっとそうだわ」


 まさかうちの生徒に二股をするような悪辣漢はないと、自身を納得させるように独りごちる櫻子であった。




「えっ?」


 野暮用にて、普段は通らない夜の道を通った時である。

 櫻子はまたまた瀬奈恭介の姿を見つけてしまった。


「こんな夜中に……」


 人通りの少ない天狐神社の前の通り。

 恭介は見覚えのある女性と腕を組んで歩いていた。


 先々週見た可愛らしいお嬢さんでも、先週見かけた巨乳美女でもない。

 しかし櫻子はその女性を知っていた。

 彼女が恭介と同じ櫻子の副担任として受け持つクラスの女生徒――志田色葉だったからである。


 これはさすがに見過ごせなかった。もしかしたら恭介は、彼女たちを騙して三股を掛けているかもしれなかったからである。


「教師として、彼女たちを救う義務がある……」


 そして何より女の敵である恭介を正しき道に更生させる義務がある。


 櫻子はそう思った。




「ごめんなさい。志田さん。こんなところに呼びつけてしまって」


 恭介と色葉を天狐神社の前で目撃した翌日、櫻子は進路指導室に色葉を呼び出していた。


「い、いえ……そ、それで種田先生? わたし……何で呼ばれたんでしょうか?」


 志田色葉は教師の中でも評判がよく、優等生として通っている。そんな彼女であるからわざわざこんなところに呼びつけられた理由に心当たりがないだろうし、困惑するのも当然であった。


「ごめんなさい志田さん。二、三、聞きたいことがあって。とりあえず腰掛けてもらっていいかしら?」


「は、はい……」


 色葉は緊張した面持ちで椅子を引き、腰掛ける。

 櫻子は一息ついてから、


「昨夜のことなんだけどね、わたし見ちゃったの」


「見た? 何を……ですか?」


「あなたが瀬奈くんと腕を組んで歩いているところを、よ。あなたたち、付き合っているの?」


「えっ? は、はい……で、でもそれは責められるべきことだと思いません」


 と、大きな胸を張って言う色葉。


「ええ、わかっているわ。男女交際について否定をしようっていうんじゃないの。ただ、彼は……瀬奈くんは止めた方がいいんじゃないかしら?」


「な、何で恭ちゃ……瀬奈君と付き合っちゃダメ……なんですか?」


「そうね……理由を話さなきゃあなたも納得できないわよね? 志田さん? ショックを受けずに聞いてちょうだい? あなたたちは瀬奈くんに二股……いえ、おそらくは三股をかけられているのよ?」


「えっ?」


「ごめんなさい? 信じられないかもしれないけど、わたし先週と先々週に、瀬奈くんが別の女性と歩いているのを偶然目撃してしまったの。あの雰囲気……瀬奈くんはあの二人とも付き合っていたに違いないわ」


「それってどんな女性でしたか……?」


「一人目はゆるふわなウェーブにした可愛らしいお嬢さんで、多分あなたたちと同年代だと思うわ。もう一人はメガネをかけた……そうね……少しあなたと雰囲気が似た美女だったわ」


「そうですか、なら大丈夫です」


「えっ? 何が大丈夫なの? 浮気を……いえ、あなたが遊ばれている方かもしれないのよ?」


「そうじゃないんです。二人とも知り合いと言いますか……片方はうちのお姉ちゃんですし……だから問題ないんです」


「えっ? お姉さん? ど、どういうことなの? あなたは瀬奈くんの彼女なのよね? じゃあその二人は……?」


「彼女です。わたしたち、日替わりで瀬奈君の彼女になってるんです」


「ひ、日替わり彼女……? な、何なのよ……それ?」


 眉を顰めて訊き返す櫻子に、色葉は簡単に事情を説明してくれた。


 どうやら恭介が二股をかけており、どちらも別れるのが嫌だったので、卒業式の日までその辺のことは有耶無耶にして交代で彼女をして過ごそうとなり、そこに色葉の姉が突発的に加わったとのことであった。


「し、志田さん? あなたはそれで……いいの?」


「はい。卒業式までには恭ちゃんがわたしを一番好きになって選んでくれれば……」


「そ、そう……あなたたちがそれでいいというならわたしが口を挟む問題じゃないわね?」


 しかしどうにも心にもやもやが残る。櫻子はその辺はきっちりとしていないと納得できない几帳面な性格であったせいかもしれない。


 とはいえ本人たちがそう決めたのなら、赤の他人の自分がこれ以上でしゃばる訳にもいかず、閉口せざるを得ないらしかった。

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