5

いろはちゃん再び

 風呂は一日の中でも身も心もゆったりとリラックスさせることのできる癒しの時間帯であったりするものだ。


 しかし湯船に浸かる今の恭介は、視線も定まらずにそわそわが止まらない状況であったりした。


 なぜなら湯船の外側に、泡だらけになった色葉がいたからである。


「しゃわ~」


 色葉はきゃっきゃっとしながら身体についた泡をシャワーで流し、


「恭ちゃ~ん? 頭、洗ってぇ~」


 と、甘い声音で言ってきた。

 恭介は色葉の方をチラッと見やりつつ、


「……ひ、一人で洗えるだろ? お姉ちゃんなんだから」


「いろは一人で頭、洗ったことないよぉ~?」


「んっ? あ、ああ……」


 ま、まあ、仕方ないか。


 恭介はざばぁ~んと湯船から上がり、マットの上に女の子座りでぺたんと座る色葉の後ろに膝をつけて座った。

 色葉が再び幼児退行してしまったのは、自分のせいだった。


 だからせめて元に戻るまでは、色葉に優しくして、彼女の我儘をできるだけ聞いてあげようと思っていた。しかしいつ治るのだろうか、と色葉の艶やかな肢体を舐めるように見ながら思う。


 彼女が再び幼児退行してしまったのは一昨日のこと。恭介が色葉を校舎裏に呼び出したことに起因する。




「恭ちゃん? こ、こんなところに呼び出して……何の用かな?」


「え~っと、何から話せばいいのかよくわかんねーけど……」


 恭介はすべてを清算して一からやり直そうと思っていた。それがお互いのためだとこの時はそう思っていた。


「俺たち、受験日の前日の出来事以来、何かぎくしゃくしちまっただろ?」


「えっ? う、うん……」


「んで、ここで色葉が告白してくれて……俺、嬉しかったんだ。色葉には完全に嫌われちゃったと思い込んでたから……もう元に戻れなくなった……そう思ってたからよ」


「えっ? あれっ?」 


 色葉は隠せぬ動揺を見せつつ、


「な、何でその時の記憶は消して……えっ? 記憶が戻って……」


「いや、戻ったとかじゃなく、端から消えてなかったんだ」


 その答えに色葉は目を丸くして、


「ちょ、ちょっと待ってよ……? 記憶は……だって……催眠術で……」


「すまん。ミスター・エムに言われて、かかったふりしてた」


「か、かかったふりって……えっ? だ、だってわたし、恭ちゃんの前で……」


 唇を震わして言う色葉は、いろいろ頭の中で駆け巡っているのか、見る間に顔が真っ赤になっていく。


「いやっ!」


 羞恥で顔を両手で覆い隠す色葉。

 恭介も若干気まずくなり、視線を明後日の方向に反らし、頬をポリポリと掻きつつ、


「ま、まあ……何だ? いろいろあったが、とどのつまりお前が消したと思ってるお前に対する俺の想いは消えちゃ――って、ありっ? い……ろは?」


 色葉の様子がおかしかった。


「あっ!」


 気が抜けたような色葉は倒れ込む。


「い、色葉!」


 慌てて支える恭介。とても嫌な予感がした。


 いろいろありすぎてすっかり失念していたが、何でこの可能性を忘れていたのだろう?


「お、おい、大丈夫か?」


 気を失った色葉を慌てて揺さぶり起こそうとする恭介。


「う、う~ん……」


 気を失っていたようになっていた色葉が、ゆっくりと目を開ける。


「んー、あー、恭ちゃんだ~……」


 色葉は、甘えたような声音を出して、恭介に抱き着いてきた。

 やっぱりだった。やはり前回と同じ症状のように見受けられた。


 どうやら色葉は、恥ずかしさが極限に達すると、幼児退行してしまうらしかった。


「恭ちゃ~ん? どうしたのぉ~?」


 恭介の青ざめさせた表情を覗き込み、色葉が言ってきた。


「い、いや、なんでもないよ……?」


 無理に笑顔を作ってそれに返す恭介。

 家の人にも伝えなければならないし、とりあえず保健室に連れていくことにした。


 な~に、きっと大丈夫だ。


 決して楽観視するわけではないけれど、前回は一度眠って目を覚ましたら元の色葉に戻っていた。

 だから今回も、目を覚ませばいつもの色葉に戻るはず。そしてお互いに、気持ちをリセットさせてやり直すのである。


 しかし恭介が思うようにことは運ばなかった。


 幼児退行した色葉は、元に戻らなくなってしまったのである。

 病院にも連れて行き、診てもらってきたらしいが原因は不明。最悪、ずっとこのままという可能性もあるらしかった。

 恭介は、自身の軽率な行動を深く後悔していた。


 だから色葉が元に戻るまでは、幼女な中身の彼女の言うことをなるべく聞いてやろうとそう思ったのである。

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