幽霊編
夜道
種田櫻子は、車を停めておいたコインパーキングに向かって、暗い夜道を歩いていた。
この時間帯、もう少し人がいてもいい気がしたが、全く人の気配が感じられない。
街灯はあるものの、奥まった細い道であり、若干、心細いものがあった。
「そういえば、幽霊が出たってのもこの辺だったかしら……」
先週、この道で事故があった。乗用車の単独事故だ。
その運転手は不思議なことに、人を轢いた主張した。
運転手はわき見運転をしており、飛び出してきた人を轢いてしまったというのである。
しかし轢かれた人間など存在しなかった。
人を轢いた形跡は全く見られなかったのである。
運転手からは特に薬物反応も見られず、寝不足や持病があったわけでもなく、しかし運転手ははっきりとそう証言したのである。
それから度々この道に女の幽霊が出ると騒ぎになっていたのである。
無論、面白おかしく噂を広めているだけであろうが、そんな噂のある道を一人で歩くのはちょっぴり怖いものがあった。
櫻子は、基本幽霊の存在なんて信じてはいなかったのだが……
「魔法少女はいるのだものね……」
だったら幽霊がいても不思議ではないような気もした。
「と、とっとと帰りましょ……」
櫻子は、少し歩くスピードを上げる。
と、その時だった。
「あ、あの……?」
「ひぃっ!」
突如背後より声を掛けられ驚いた櫻子は、ビクッと身体を震わし立ち止まって振り返る。
そこには白いワンピースを着た色白な……というより青白い顔をした若い女性が立っていた。
「……な、何ですか……?」
いつからそこにいたのかまったく気づかなかった。
突然の声掛けとか、驚かせないで欲しいものだ。状況的に、本当に、幽霊と勘違いしてもおかしくないと思った。
「あ、あの……あなた……一人ですよね……?」
「はい? 見ての通り。それとも二人以上に見えますか?」
どういう意図で訊いてきたかよくわからず、櫻子はそう返した。
「いえ、だったら……その……わたしのパートナーになっていただけませんか?」
櫻子は目をパチクリとさせて、
「は……はい? パートナーって……つまり……」
声を掛けてきたのが女性であったから一瞬ピンと来なかったが、パートナーということは、彼女は同性愛者であり、これはナンパであるということだろうか?
彼女はどこか思いつめたような表情で、
「せ、先日、お見掛けして……あなたしかいない……そう思ったんです」
と、言ってきた。どうやら以前から目をつけられていたらしい。
「も、申し訳ないけど、わたしはノーマルなんで」
「……ノーマル? いえ、そうじゃなくて……とりあえず、お話だけでも……」
彼女は焦ったように言って来る。
いきなりそう言う関係は無理であると悟ったか、まずはお友達からということで方向転換してきたらしい。
「ごめんなさい、今、急いでるから」
どちらにせよ関わりたくなかった櫻子は、彼女を振り切るように早足で歩き出す。
「あ……まっ……」
何か言おうとしていたが、聞いている場合ではない。
櫻子は駆けるようにその場から逃げ出したのだった……
櫻子は彼女からかなり距離を取ってから、怖々と振り返る。
追いかけてくる様子はない。
「ふぅ~……よかった」
思わず安堵の溜息が漏れる。
しつこく追い回されたらどうしようかと思ったのである。
とはいえ安心はできない。
向こうはこちらの素性をある程度知っている可能性だってあるからだ。
とにかく今日は早く家に帰って……
「えっ!」
曲がり角を曲がった後、櫻子は驚愕に足を止めた。
心臓が飛び出るほどに驚いた。
先ほど振り切ったはずの彼女が立っていた。地形的に先回りできるはずがなかった。
にもかかわらず、後ろにいたはずの彼女が、曲がり角を曲がった先に佇み、こちらを見やっていたのである。
「う、嘘……でしょ?」
どういうことか、追い越されれば気付くであろうし、先ほどまで後ろにいたはずなのに。
つまり何かのドッキリで実は双子ちゃんでしたとか、瞬間移動を使える能力者でもない限り、それはあり得ない現象であったのである。
そして櫻子がふいに視線を下して、それに気付く。
「えっ? く、靴……」
彼女はなぜか裸足であった。
なぜ履いてないのか?
不思議を通り過ぎて、怖かった。
もしかしたら本当に彼女は幽霊じゃないかという疑念すらもたげ始める。
この幽霊がなぜ裸足かは知らないけれど、例えば、靴を脱いで飛び降り自殺をした霊であり、その時の姿で具現化された、とか……とにかく幽霊であろうとなかろうと、彼女がどこか不気味であることには変わりない。
彼女は櫻子にパートナーになって欲しいと表現して声を掛けたが、仮に彼女が幽霊だとして、もしかすると一人では寂しいからあの世に道連れにしようとしているのかもと思った。
先日の事故も死亡事故とはならなかったが、彼女に引っ張られとしたら合点がいった。
「あの……お話……聞いていただけますか?」
「え、え~っと……」
櫻子は彼女がふっと青白い顔で微笑んだ瞬間、
「し、失礼しまっす!」
ダっと駆け出し、彼女の脇を通り過ぎる。
「あっ……」
彼女は何か言い掛けたが、知ったことではない。
全力疾走で駆け、車を停めていたコインパーキングに駆け込み、百円玉で精算して車に乗り込みエンジンを掛けて車を発進させる。
「!」
車の進行方向に、裸足の彼女の姿があった。
このままいきなり飛び出してきてハンドルを切ろうものなら、先週事故を起こした男の二の舞だ。
彼女が幽霊なら寸前で飛び込んできても突っ切ればいいが、違ったらただの人殺しになってしまう。
櫻子は車を減速させ、仮に飛び込んできても急ブレーキを踏めるように準備を整える。
「…………」
そして――彼女の脇を無事に通り過ぎる。
「な……なんだ……何も起こらないじゃない……」
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、
「に、逃げなくてもいいじゃないですか……」
誰も座っていないはずの後部座席から聞こえてきた弱々しい声音に、息が詰まって固まる櫻子。
「そ、そんなはずは……」
視線だけ動かしてバックミラーを見やると、後部座席に座っていた彼女と、鏡越しに視線がばっちりと交錯した。
「う、嘘……」
固まる櫻子に彼女が言う。
「……あの……前……?」
「えっ? あっ……!」
いつの間にやら、櫻子の運転する車はセンターラインをはみ出していて――
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