第7話 ミコシー(元お嬢様)

 夜にナルセンからメール。


 日曜日の午前九時に近所のコンビニまで車で迎えに来てくれるらしい。色々考えたのだろうとは思う。教師と生徒の関係で、校外で待ち合わせをするのは周囲の視線が気になるだろうから。


 さっと乗せて遠くに行くのが最善。


 極力わたしを歩かせないことで、だれかに見られる可能性を減らそうってことだと思う。家と学校が近いから休日にも部活なんかで登校する生徒とすれ違う可能性も高いから。


「ビビってんなよ……」


 わたしはつぶやいて枕に顔を埋める。


 合理的だけど面白くない。


 キスから逃げた時点でわかってたけど、ナルセンは慎重だ。恋愛という意味では真剣なのはわかるけど、教師と生徒という関係で楽しみたいわたしからするとちょっとガッカリ。


 制服で初体験の方がそれっぽいのに。


「どーしよっかなー」


 日曜まであと三日ある。


「おはよう。リッちゃん」


「ヒロヒロ、おは」


 考えながら寝たのでいつも通り遅刻ギリギリ。


「昨日の呼び出し、本当に大丈夫だった?」


「ん。ヨユー」


 ヒロヒロは心配性だ。


 昨日の夜に散々やりとりしてるのに、わたしの顔を見て確認せずにはいられないのだ。たぶんナルセンの慎重さに愛を感じるタイプ。


「ちょっと寝不足?」


「そーかも」


 よく見てるなぁ。


「悩みとか?」


「そだねー。デートの服どーしよっかとか」


 こうなったらデート前にナルセンを校内でどうにかしちゃおうとか考えている。もうエロ女子生徒上等だ。やっぱり教師とは制服ではじめてを迎えないと禁断の恋っぽくない。


 はじめてだけど、逆に攻めよう。


「ごめん。リッちゃん。よく聞こえなかった」


 ヒロヒロの声のトーンが下がった。


「え? あ……ごめん。わたし考え込んじゃって、テキトーに答えてた。なんの話だっけ?」


「デートって言ったよ!?」


 いきなりヒロヒロは立ち上がった。


 始業前のざわついた教室が一気に静まりかえる。無理もない。温厚を絵に描いたような女の子が叫んで、メガネの奥が必死になっている。


「え……っと」


 内容は聞こえてたみたいだけど。


「ヒロヒロ、落ち着いて」


「落ち着いてるよ!」


 わたしの机を叩いて、言う。


「それ。落ち着いてないから、ぜんぜん」


 こんな荒れた感じは見たことがない。


「リッちゃん、デートって……」


 目に涙が滲んでた。


「よーし、ホームルームはじめるぞー」


 教室の戸を開けて、担任の丸川が入ってくる。ヒロヒロはくるりと背を向けて着席、教室内に微妙な空気を漂わせたまま一日がはじまる。デートってそんなにマズい単語だったっけ?


 わからない。


「ヒロヒロ?」


 次の休み時間にわたしは前に回り込んで話しかける。あまり友達が多くつくれないわたしの性質上、一人一人は大事にしていきたい。


「さっきは怒らせてごめん」


 つい甘えて油断してはいけないのだ。


「怒ってない」


 ヒロヒロは怒っていた。


「うん。怒らせてないけどごめん」


「リッちゃんが謝ることじゃないよ」


 授業を一限受けて、多少は落ち着いているけど、拗ねたように視線を合わせてくれない。しっかりしてる人が子供っぽくなるのは可愛いとか、うっかり思ってしまう。


「デートの相手を聞いてもいい?」


 ぼそりとヒロヒロは言った。


「んー、それは秘密」


 それを言ったら終わっちゃうし。


「なんで?」


「相手もいないのに見栄を張ってるからでしょう? ちゃんちゃらおかしいですわ」


「「…………」」


 わたしたちは割って入ってきた女に顔を見合わせる。ケンカになりかけてた火種が一気に湿気ってしまう。盛り下げないでほしいところだ。これから掴み合いをして、わたしがヒロヒロのおっぱいを揉むんだから。


 男子生徒が羨む様子が想像できる。


「ねえリツさん。あなたがデートだなんて、いつからそんなモテる女の素振りをなさるようになったの? それともカエル女の相手はカエル?」


「カエルの王子様ってさ、わりとスゴいよね。わたし、カエルって嫌いじゃないけどキスしようとは思えない。変態すぎるよね」


 わたしは言った。


「うんうん。わかるわかる。でも、リッちゃん、カエルの変態はその変態じゃないよ」


 ヒロヒロは意図を汲んでくれた。


「「イエーイ」」


 ハイタッチして仲直り。


「とりあえず試しにデートしてみるって感じだから、相手のことはまだ秘密にさせてよ。すぐダメになっちゃったら恥ずかしいし」


 教師だなんて言ったら反対されるし。


「リッちゃん。変な人に騙されてない?」


「身元はハッキリしてるから」


「ハッキリした身元でもおかしい人はいくらでもいるよ? むしろそう言う人の場合はもみ消してくることさえあるかも。監禁されたり」


 ヒロヒロはぐっと詰め寄ってくる。


「カンキン?」


「そうだよ。立派な家だと思って入っていったら家族のだれも入らないような離れに繋がれて、光も見えないような環境に……」


「ヒロヒロ、だれの話をしてるの?」


「わたくしを無視しないで!」


 言葉だけじゃなく、身体でも割って入って御子柴は言った。公立高校に通うお嬢様。数年前に親の会社が問題を起こして倒産したので没落してしまったのだけど、本人が気位の高さを改めないので浮き上がってしまっている。


 小さい頃はよく遊んでいたのだけど。


「ミコシー。デートしたことある?」


 仕方がないのでわたしは話題に誘ってみる。


「わたくしに釣り合う男なんて」


「ならいーや」


 言うと思った。


「! 待ってくださいまし、釣り合わない相手とでもデートと言うのならば、経験はありましてよ」


「おー」


 わたしは素直に驚いた。


 クラスの男子たちも気にしているのがわかる。没落はしているがお嬢様育ち、その外見は女の目から見てもなかなかのものだ。父親は爽やかさで若くして当選した国会議員だったし、母親は地元の食料品メーカーの社長令嬢、組み合わせて収賄で共倒れというのがオチなんだけど。


 ともかく顔立ちもスタイルもいい。


「お相手はどんな方だったんですか?」


 ヒロヒロが尋ねた。


「井岡センさんですわ」


 なぜか勝ち誇ってわたしをみる。


「センと?」


 さらに驚くべきことだった。


「いつ?」


「……年前の夏祭りで」


「何年前?」


 よく聞こえなかった。


「わたくしはセンさんと一緒にお祭りをまわりましたのよ。彼が物欲しそうにしていましたから、射的で一時間かけてお目当てのものを」


「十年前のこと!?」


 わたしは逆に驚いた。


 間違ってもそれはデートではない。だって、そのセンの隣にわたしもいたのだから。三人で回ったのだ。覚えている。なんかおごってあげるからと押しつけがましかったこの女のことを。


 六歳の夏である。


「どっちが見栄っぱり? ミコシー? もうお金持ちじゃないんだから過去の栄光を支えにいきるのはやめた方がいーよ。つらいだけだ、もご」


「にゃぁああっ!」


 変な悲鳴を上げて、ミコシーはわたしの口を押さえた。完全にタイミングが遅いので聞かれていることは間違いないと思うのだが。


「そ、そそそんなこと言っても、リツさんが本当のことを言ってる証拠にはなりませんわ」


 動揺しながら、まだ強気。


「はぁ? なんでそんなにウソってことにしたいかなー? わたしにウソつくメリットある?」


 言いがかりも大概だ。


「ならお相手の名前を仰ったら?」


「そんな挑発で言わないよ?」


 わたしは言う。


「どうしてですの。本当のことなら正直に」


「本当のことだから正直に言えない場合もあるでしょー? ほら、ミコシーのおとーさんが……」


「! ちょっとやめてくださいましっ!」


 顔を真っ赤にしてクラスの様子を気にする。


 ちなみに、国会議員の父親が逮捕されるときに警察に怯えておしっこを漏らしたのはマスコミも流石に不憫で書かなかったという話だ。


 彼女の中の父が星になった瞬間である。


 今のわたしからすれば多少、同情的になるエピソード。


「えー、本当のことだから正直に言わないと」


「わかりましたわかりましたわ」


 ミコシーは涙目でわたしを睨む。


「なんでウソにしたいかと言えば」


 からかうと本当に楽しい。


 昔っからそうなのだ。百匹捕まえたカエルと一緒に部屋に閉じこめたら泣いちゃったときとか可愛くて仕方がなかった。よく考えたら、わたし子供の頃からサドだったのかな。


「わたくしが、リツさんを好きだからですわ!」


「え?」


 わたしはお金がなくてもしっかりと髪の毛をふんわりと仕上げてくる根性のお嬢様を見つめる。涙目で赤面しながら、唇をとがらせ、じっと見つめる熱い視線、心臓がじゅんとする。この感覚は。


「わたしを好きなの?」


「だから、そう言いましたわ」


「せ、性的な意味で?」


「精神的かつ肉体的にも」


 クラスが悲鳴と歓声に包まれていった。

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