第5話 せんせい(ガミナル)

 まだ教師は来ていなかった。


「どーだった? 初日」


 わたしはおにいの隣に座る。


 生徒指導室に入るのは五連続遅刻の時以来だけど相変わらず辛気くさい。刑事ドラマの取調室でも意識したみたいな机と椅子の配置、プレッシャーを与えようという悪意が丸出しだ。


「暖かく受け入れられたかな……」


 おにいは少しはにかんで言う。


「見た目だけならリツそのものだからな。これだけの美少女、少なくとも目の保養にはなる。その意味でオレは恵まれてた」


「ふーん」


 褒められてドキドキする。


 昨晩は色々とショックが多くてなんか意識できなかったけど、おにいは近親相姦を我慢するためにわたしになっているのだ。こうして兄妹として平然と隣に座っているようで頭の中では。


「リツはどうしたんだ?」


「え? あ、あー」


 そうだ。わたしはお説教されるんだった。


「たぶん理数科と普通科の差? 頭の良い人たちは理解できないものに対しても寛容になれる心のヨユーがあるんだけど、頭が良くないと理解できないものが自分を脅かす敵に見えちゃうみたいな、つまりバカが戦争をはじめるんだよー」


「わかってるじゃないか井岡妹」


 背後から頭を掴む毛むくじゃらの手。


「ガミセン」


 振り返って見上げたずんぐりの小男。


「池上先生と呼べ。戦争をはじめるバカ」


 生徒指導担当、池上がわたしの頭に指を食い込ませる。地味に痛い。頭を触るというセクハラにするには際どいスキンシップにカモフラージュした握力にものを言わせた体罰。通称ゴシゴシ。


「すいません。池上先生。妹がなにか」


 おにいが助け船を出すべく立ち上がる。


「……お、おう。井岡兄。聞いてはいたが、こうして見ると双子だったんだな。ま、座れ。頭ごなしに叱ろうってんじゃない」


 女装姿に少し動揺している。


「……」


 本物の女のわたしには動揺しないところを見るとゲイかもしれない。四十手前で独身だし、サウナ通いが趣味という話も聞いたことがある。


 おにいの貞操が。


「呼び出したのは、まずケンカのことだ」


 わたしの頭から手を離し、机を挟んでどっかりと椅子に座ってガミセンは両肘をついて、顎を乗せ、深く溜息を吐く。


「体育の授業中に口論になり、激高した妹が、野球部の足利タケシをビンタ、一発ならそう問題にしたくもないが、往復で何発も繰り出し、倒れたところに馬乗りになって二十数発、さすがに看過できんだろ」


「リツ、タケちゃんにそんなことを?」


 おにいが信じられないという顔で見る。


「三十二発だよ、ガミセン」


 仕方がないのでわたしは正直に申告した。


「二発目からは何発でも同じだバカモノ!」


 怒鳴られた。


 正直に言ったのにワシントン。


「が! まぁ……足利の方から、女に殴られたぐらいで問題にしないで欲しいという申し出もあったから、今回は厳重注意にとどめておく。聞くところによると相手の言動にも問題はあったようだしな。今回だけは、だぞ」


「はーい。ハンセーしてまーす」


 わたしは頭を下げる。


 タケシがそんな気を回してくれるとは思わなかったが、わりと本気で恐怖を感じたのかもしれない。人前で気持ちよくなるのは自分自身でもビックリしたし。


「本当に反省してるか?」


 ガミセンは眉間に皺を寄せる。


 若い頃すごく太っていて痩せたらしく、顔の皮が余ってフレンチブルドック的な顔になる部分が多くの女子から生理的嫌悪感をもたれていることを本人は知っているのだろうか。


 太ってたら太ってたで嫌われていただろうが。


「すいません。遅くなりました」


「ナルセン」


 そして後から入ってきたのは理数科一年の担任、成田だった。ガミセンとは好対照にスラッとした身長の高いショーユ顔。北高の教師の中ではイケメンという評価が与えられているが、三十手前になってやや厳しくなったのと、逆に本人が意識しだしてナルシスト的臭さが出てきてる。


 それでもなぜか独身なので人気なのだが。


「いいえ、まだはじめたところですから」


 と言いながら、ガミセンの視線は厳しい。


 六月にあった文化祭でどっかのクラスがやった投票企画の結果で険悪なムードという噂があったが、どうも本当らしかった。


 次、結婚しそうな独身教師。一位と二位。


 正直、どっちが一位でも大差ない。


「成田先生も生徒指導ですか?」


 おにいが首を傾げる。


「いやー、はは。別にセン君に問題はないんだけどね。朝も言ったとおり、前に性同一性傷害の絡みで男女どちらも自由に制服は選べるように校則も変更されてるし、男子トイレが多少騒ぎになったけど、それも慣れるだろうし」


 ナルセンは言いながらガミセンの隣に腰も低く座る。遠慮してるのか微妙に不自然な距離があったが、わたしには関係のないことだ。


 それよりも男子トイレ。


「一応。信じていない訳じゃないけど、疑う訳じゃないんだけど、ご家族に確認をしたいと、後で問題になっても困るので……」


「男子トイレ使ったの?」


 喋るナルセンを無視してわたしは言う。


「そりゃ当然そうだろ。オレは男なんだから」


 おにいは答える。


 確かにそれはそうなんだけど。


「個室だよね?」


「いや、普通にアサガオだけど」


「スカート持ち上げて?」


「スカート持ち上げて」


 おにいは机の下でスカートを摘む。


 見えた太股がツルツルでほっそりしていて美脚なのが地味に腹立たしい。体重はわたしよりあるけど引き締まってるからスリムに見える。


「やめてよ。女の格好するなら座っておしっこする。それがモラルだよ。ましてやわたしの顔でそんなことされたら風評被害だよ」


 八つ当たり気味に言った。


「一理ある」


 おにいはわたしの言葉に頷いた。


「でもリツ、昨日はモラル否定してたぞ?」


「時と場合!」


 わたしは断言した。


 禁断の恋のための性的モラルは破壊したって構わないが、わたしが立ち小便する女だというようなモラルハザードは大変に遺憾だ。


 男が口を開けて待ってるとかなら別として。


「時と場合か、便利な言葉だな」


「あー、ご兄妹、先生の話を聞いて貰っていいかな? セン君に聞いたところ、女装で学校に通うことについご両親の承諾を得ているということであり、制服についても自分のアルバイト代から捻出したということなんだが間違いないかい?」


「あ、はい」


 わたしは頷いた。


「両親は許可しました」


 見てわからないのだろうか。妹の制服を持ち出して着てたらもっと別の点で揉める。おにいがわたしの制服でオナニーするような即物的変態ならとっくに近親相姦しているはずなのだ。


 変態一家のエリートを侮ってもらっては困る。


 そしてわたしは変態一家の落ちこぼれであり、ノーマルなのだということも強調したい。流石に家の事情をオープンにしたら公序良俗に反して退学にされそうなのでしないけど。


「障害を持っているか否かで、取り扱いに差を付けるのは平等に反するとはわかっているが、先生としては男は男の格好をしていて欲しいと思う。個人的意見だから押しつけはしないが」


 ガミセンは言葉を選びながら言う。


「それはそれとして井岡兄は周りの理解で自由を謳歌できていることを忘れるな? 暴力は妹が悪いが、ケンカの原因は人と違うことをしようとした結果でもある。同調圧力と言うかも知れないが、社会において自分一人の問題はない」


「はい。池上先生、肝に銘じます」


 おにいの返事は優等生だ。


「よし、帰っていいぞ」


「わーい」


 わたしが一番に立ち上がる。


 思ったよりお説教が短かったのはおにいが隣にいたから理不尽なことは言えないという教師側の緊張感の結果だと思う。わたしだけなら、普段の素行までネチネチと掘り返されたはずだ。


「反省して今日は寄り道せず帰れよ」


 ガミセンは不完全燃焼な顔で言った。


「はーい」


「すいません。妹が、よく言っておきますので」


「ああ、そうしてくれ」


 女装優等生にどう反応すべきか困っている風でもある。わたしは遅刻が多いとか、課題をやってこないとか生活態度に問題があるから説教しやすいが、おにいは落ち度が特にないので扱いづらいのだろう。


「リツさん、この後、少し時間あるかな?」


 ナルセンが呼び止めたのはそのときだった。


「え? わたし、ですか?」


 生徒指導室を出ようとしたところで、おにいやガミセンが半笑いで横を通り過ぎる。なにかやったなという顔だが、心当たりはない。


「いいですけど」


 二人きりで部屋に残ることになる。


「ありがとう」


 ナルセンの微笑みに、なにかちょっと気持ち悪いものを感じる。なんか苦痛を与えたくなると言うか、泣かせたくなると言うか。イケメン面に鼻フックしたら気持ちいいかなとか、ドリルについてとか。


「……」


 いけない、サドの血が。


「急なことに聞こえるかもしれないけど」


 ナルセンは口を開いた。


「その、落ち着いて聞いて欲しいんだ」


「はあ……」


 さりげなくもなく、露骨にドアに回り込んで鍵をかけた教師の動きに不審を覚えないほどわたしはボヤッとはしてない。だが、危機感より、むしろ高揚感があるのは確かだった。ワクワクしてくる。


 もしかして。


「ボクは、リツさんのことが気になっている」


「き……!」


 禁断の恋! 教師と生徒!


「気、そう。好き、みたいなんだ」


「……」


 わたしは美少女の微笑みを浮かべていた。


 ほほー、ナルセン。見る目があるねっ!

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