∠ 69 贋作竹取物語


光太郎は二人にせっつかれ、讃岐家へと向かった。保護者への報告と、これからの作戦を立てるためである。


讃岐家に着くと、憔悴した媼が応対に現れた。媼によると、光太郎たちの到着前に神楽が現れたらしい。


神楽はイルカの体を見せびらかし、光太郎と一夜を共にしたなど、あることないこと吹聴してどこかに消えた。翁はショックで寝込んでしまった。説明する手間は省けたが、事態は好転の兆しを見せない。


光太郎は讃岐家で包帯を借り、涼子に巻いてもらった。居間のテレビでは、金環日食まであと数時間という報道で持ちきりだった。


悪い想像ばかりが働く中、媼が一冊の本を持って部屋に入ってきた。翁が、光太郎に渡して欲しいと頼んだらしい。黒一色の表紙に白い字体の綴じ本だ。


「なんて書いてあるの、これ」


旧字体で書かれており、宇美でなくとも現代人では首を傾げる他ない。


「贋作……、竹取物語って書いてある」


博学の涼子だけが、すんなり題字を把握した。


漢文の内容までは涼子でもわからないので、翁のノートにあった訳と脚注を参考に読み進めた。


ノートによると、為政者によって引き裂かれた男女の悲恋單が物語形式で書かれている。贋作と名付けられているのは、竹取物語を下敷きにしたと思われる箇所があるからだ。だが、翁の記述によると、成立年はこちらの方が早いらしい。この写本は、宝蔵院の書庫に眠っていたもので、多額の寄付と引き替えに手に入れたものだった。


「こっちが先なら、どうして贋作なんてつけられたんだろう」


宇美の疑問に、涼子は顎に手を当て答える。


「為政者に都合の悪い情報が載ってたんじゃない? だからそれを隠すためにファンタジーめいたお話を付け加えてごまかそうとした、とか」


翁がこの本に何を託そうとしたのかすぐにはわからなかった。本の最後にある、黒い月が全てを飲み込むという不気味な記述だけが印象に残った。


「日食か……」


光太郎が先に気づくと、残りの二人も意味を把握した。


神楽が輝夜姫の総体なら、復讐を考えても不思議はない。月の盟約は既に反故になっているから、皆既日食がトリガーとなって災厄が引き起こされる可能性がある。


金環日食は、あと三時間ほどで始まる。猶予はないのに、光太郎は力なく座り込んでいた。


宇美が胸ぐらをつかんでも、首を垂らしてあらがう素振りを見せない。宇美も涼子も匙を投げる寸前だった。諦めムードが場を支配する中、沈黙を破る者が現れた。


「やれやれ、これが神殺しをなした罰当たりの顔か」


テーブルの上にふんどしの小人がいた。涼子が素早く反応する。


「ツクヨミ君!」


数センチまで縮んでしまっていたが、月の王は腰に手を当て、悠然と佇んでいた。宇美たちはツクヨミが消えた経緯を知らないため、二ヶ月振りの再会となる。


光太郎は減退した感情を少し動かされた。


「死んだんじゃなかったのか……」


「貴様ごときにやられるか! ……、まあ著しい神性の

減少はあったがな。ようやく顕現できたわ」


ツクヨミの登場は一縷の望みをもたらした。神楽に対抗できるのは彼だけと思われる。


「とはいえ、この状態ではあの神楽に太刀打ちできぬ。さてどうしたものか」


困り顔のツクヨミに引っ張られる形で、三人の顔も曇る。一同の顔を見回し、ツクヨミはふんどしを締め直した。


「小僧とサシで話がしたい。よいか」


光太郎は頭の上にツクヨミを乗せ、庭に出た。


「何故戦わぬ」


ツクヨミは光太郎を容赦なく責める。それは力のある者が力を振るうべきという王の私見だった。


「俺は、あいつを守れなかった」


後悔する資格などない。自分で決めた選択を改めて突きつけられて、動揺した自分に嫌気がさす。


「その上、あいつを傷つけた。いなくなってもいいなんて言うんじゃなかった」


あの言葉はイルカに対してではなく、自分に向けて言ったのだ。だが、それを口に出すべきではなかった。


「後悔も謝罪も、積み重ねがある人間だからこそできることだ」


ツクヨミは遠い山並みを、澄んだ目で見渡す。


「予はそれを汚れと呼び、遠ざけた。それが間違いだったとは思わぬが、人間の強さでもあることは確か。叶わぬかもしれぬ望みに懸命に手を伸ばす強さが、貴様を動かしていたのではないか? 八角光太郎!」


活が入ったように、光太郎の体に力が入る。あの感情は、憐憫でも義務でもない。それを思い出した。


「俺は……、あいつを」


「もう何をすべきかわかっているはずだ。輝夜は貴様を待っている」


宇美と涼子が庭に降りてきて、光太郎を囲む。小さな、しかし確かな円が広がりつつある。


「ばあさんや」


部屋にいた翁は伴侶に支えてもらいながら、彼らのやり取りを見守っていた。


「イルカは、こんなにもたくさんの人に愛されていたんだな」


「はい。私たちの自慢の家族ですよ」


「ああ。若いものにばかり良い格好はさせられん。ゆくか!」


二人は、老人とは思えぬキビキビとした動きで準備を始めた。翁は床の間にある真剣を腰に差し、媼は押入にしまってあった銃弾とライフル引っ張りだした。


地球と、月と、一人の少女をかけた最後の戦いが始まる。

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