∠52 チャレンジ


この日は、教室でお弁当を持ち寄ることになっていた。


昼食時に至っても、涼子はツクヨミ 一筋だと弁明している。


「そっちの方がヤバいでしょ。年の差考えなよ」


「愛に年齢は関係ない。宇美の頭は固い」


涼子は面食いのようだ。成就する可能性は低いにしろ、イルカは応援したくなる。


「ツクヨミ殿も涼子殿を慕っていますし、ホームステイなどしてもいいかもしれませんね」


体のいいやっかい払いだったが、涼子は俄然興味を示した。


「やはり私の目に狂いはなかった……! イルカはいい子やさしい子」


「手のひら返しぱないな! お前、姫のこと嫌ってただろうが」


「それは昔の話。今は仲良しだから。ね?」


涼子がイルカの隣に座って身を寄せる。少し前なら考えられなかった展開に苦笑が漏れる。


イルカは、自然と離れた席に座る光太郎を目で追っていた。光太郎は自分の席で携帯を操作している。何をしているのか気になる。


「それにしても、ついに姫もスマホデビューかあ。ネットに毒されないように我ら二人でお守りせねば」


宇美は保護者面をして、携帯のフィルタリング機能を最大にすることを検討する。反対に涼子はこれを機に、イルカに偏った知識を植え付けようと画策していた。


「ねえ、イルカ。写真撮ろ」


「え、ええ……」


唐突に涼子は、自分のスマホカメラにイルカとのツーショットを収めてしまう。それからイルカのスマホに、写真を送ってきた。澄まし顔の涼子と、ひきつった顔のイルカが好対照に写る。


「最近流行のチャレンジ。同級生の三人にこの写真を送れ」


「え? ええー!?」


スマホに慣らすために涼子がでっちあげた遊びであったが、別の狙いもあった。


「私が知っている連絡先は宇美殿、涼子殿、諸矢殿の三人だけ。あと一人足りない……!?」


これこそ涼子の策略だった。既に涼子は写真を収めているから、今現在イルカが送れるのは二人に止まる。あと一人を自力で見つけなくてはならない。


「ちなみに期限は?」


「今日の放課後まで。送らないと呪いが振りかるから」


明確な期限とペナルティーが設けられると、焦ると同時に使命感も沸くものだ。イルカの中で答えは出ていたが、なかなか行動に移せず時間が過ぎていった。


 

放課後、生徒たちは道を開けるように廊下の端に退いた。


廊下の真ん中を、校長のマリアが肩で風を切って進んでいた。


マリアのすぐ後ろを、禿頭の教頭が縋るように追いかけている。彼なりに必死になる理由があった。


「校長! 今日こそ会議に出席して頂きますぞ。マラソン大会の決行の是非を決めなくては」


真っ直ぐ前だけを向いて歩いていたマリアが悠然と立ち止まり、教頭に向き直る。


「マラソン大会は予定通り行います。そのように進めて下さい」


「そのように言われましても、議決を取らなくては。警備やコースの変更の検討も議題に上げます」


「任せます。あとは例年通りに。今年も何も起こりませんよ」


マリアの結論は揺るがない。これはかなわんと教頭は匙を投げ、何かあったら、校長の責任問題ですぞ! と、捨てぜりふを残して行ってしまった。


一部始終を廊下で覗き見ていたイルカは、我に返ったように目を瞬いた。気づけば皆、何事もなかったように移動してしまい、マリアの前に取り残されたのはイルカだけだった。


「ごきげんよう、フロイラン綾瀬。どうかして? ぼーっとして。春だからって油断してはダメよ」


教頭と話していた時は機械のように感情を抑えていたのに、一転親しげな口調で話しかけてくる。イルカも緊張を和らげ疑問をぶつけた。


「マラソン大会、中止になるんですか?」


「聞いてたの。不安は伝染りやすいから困りものね。中止になんてさせないわ」


毅然とした態度に幾分安堵させられるが、教頭が中止を申し立てた理由は不明なままだ。


「もしかして私が」


誘拐未遂事件は警察に届けていないが、耳が早そうな校長なら知っていてもおかしくない。しかし、イルカの予想は即座に否定された。


「いいえ。単純に市との折り合いが悪いだけよ。半日でも通行止めを行えば、観光業に打撃を与えるって難癖つけられてるの」


宝蔵院のマラソン大会は、さぬき市のほぼ中心部を走る。その間、交通規制も行われる大規模なものだ。学校側だけの都合で開催できるはずもないというのはイルカにも理解できた。


「それはそれで大丈夫なんですか」


「問題ないわ。やってしまえばどうとでもなる」


つまり事後承諾。強引な手法はワンマン社長を彷彿とさせる。改革には断行が付き物だろうが、教頭などの周囲の人間が気の毒になる。


「以前から商工会議所からも多少クレームはあったけれど、市というのは今回が初めてでね。インバウンドが市の生命線とはいえ、こうした横やりは予想できなかったわ」


マラソン大会は、宝蔵院創立以来の伝統行事だ。それが廃止されるかもしれないと聞けば、イルカも心穏やかではいられない。


「私、頑張って走ります!」


「そうね。面倒ごとは大人に任せて鍛錬に励みなさいな」


イルカにできるのは、生徒としてのプライドを示すことくらいだ。校長もそれを受け入れ、精神を高揚させた。


「ところで校長、お願いがあるのですが」


イルカは、涼子に与えられた命題について校長に相談を持ちかけた。


「それは力になれないわね」


「ですよねー……」


校長は同級生ではない。訊くだけで失礼に当たるが、何故かマリアなら力になってくれそうな気がしていた。甘えとはまた違った信頼感が芽生えている。


「良い仲間は、かけがえのない財産よ。大変だろうけど他を当たって頂戴」


背中を押されるような励ましをもらって、イルカは校長と別れた。

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