∠49 足るを知る


「これは知り合いの話なのですが」


イルカはもったいぶった前置きをして、宇美と涼子に悩みを吐露した。


「兄だと思っていた人が、急に男性に見えてしまった時ってどうしたらいいんでしょう。断っておきますが、私の話ではありませんよ」


放課後の教室で、げっ歯類のようにお菓子をかじる宇美の歯音が軽快に響く。涼子はイルカの話を聞いて、笑いを堪えていた。


「いい加減にしなよ。姫」


口の周りにお菓子をつけた宇美が、唐突に怒りを爆発させる。


「のろけか! あんた何人の男をたぶらかせば気が済むのよ! この悪女め」


宇美はイルカに迫るが、抗議より羨望の気持ちが強いため、控えめな抱擁に止まった。恋愛弱者のささやかな抵抗だった。


「だから私のことじゃないんですってばー」


涼子を盾にしようとするが、かわされた。それどころか面白がって火に油を注がれる。


「バレバレ。少しは報いを受けるといい」


仄聞すると恋バナだが、当事者のイルカには深刻な悩みだ。事情を知らない二人には、贅沢で不純だと受け取られたのだろう。宇美は未だに唇を尖らせている。


「あんたは何が不満なの」


イルカは涼子を横目で伺うが、秘密の暴露の心配はなさそうなので安心した。


「殿方の勝手さに呆れることしきり。私の人生が思い通りにならないのが不満なのです」


「まだ人生をコントロールできると思ってるの? 神にでもなるつもり」


涼子に理路整然と反論されると、頭に来るより納得してしまった。改めて言われると、自分で決められることなどたかが知れているのかもしれない。


「でも家来は選べてんじゃん。それは不満か」


イルカは寂しそうにほほえむ宇美と肩を組み、涼子も渋々加わって円陣ならぬ三角陣を組んだ。三人は足るを知り、少し大人になった。


三人が固まっていると教室に光太郎がやってきて、目を見張った。


「何やってんだ、お前ら」


「うっさい。男子禁制」


宇美に邪険に扱われても、光太郎は離れた所に突っ立って三人を物珍しそうに眺めている。


イルカは光太郎と口を利かないと決めていた。少なくとも自分からは。


その時、イルカのスマホがメッセージを受信した。まだ使い方に熟知していていないので、宇美に助けを求める。


「あれ? 姫、携帯買ったんだ」


「ええ、まあ……」


さすがに貴教にもらったとは言いづらく、歯切れが悪い。素早く携帯の機能の話に持っていく。


「なになに……、卵買って来てだって。やだぁ、所帯じみてる」


不注意でメッセージの内容を見られてしまった。送り主は貴教のようだ。冷や汗が出る。案の定、宇美がはやし立てる。


「貴教って誰? ファッ! 男でしょ」


至近距離でわめかれた涼子は、眉をしかめてたしなめる。


「宇美うるさい。バイト先の人じゃないの。前に聞いた」


イルカは顔を覆いたくなった。ふと光太郎を盗み見ると、視線が交差する。彼はイルカがバイトをしても口を出さない。恐らくイルカが消えても何も言わないのではないか。想像するだけで、気持ちが沈む。


「卵って丸いけど、大丈夫?」


涼子が携帯をのぞき込んで心配してくる。楕円形への恐怖はあるが、それよりも今の状況を打破するのが先決だ。


イルカが頭を悩ませていると、涼子がぽんと、手を叩いた。


「そうだ。八角君に手伝ってもらえば。ね、頼める?」


珍しく涼子がお膳立てをして場を纏めてしまった。


「あたしもついて行く……、ぐふっ!?」


空気を読めない宇美の脇を、涼子がどついて静かにさせた。イルカは涼子とメッセージIDを登録していたので、後に彼女の目的が明らかになった。


「勘違いしないで。これは取引。後でツクヨミ君の寝顔の写真を送ること。お風呂を盗撮したら尚よし」


イルカは涼子のことが尚わからなくなった。感謝はすれど盗撮は気が咎めたので、夜こっそりツクヨミのヘソの写真を撮影して送った。

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